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ダンジョンサポーター  作者: Aramaki_mai
第三章 白い封筒
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第45話 ウチにいて

ダンジョンに潜る人たちの話です。

ライト文芸寄りのダークファンタジーです。


▼登場人物

エマ・ウォーカー     主人公です。

オスカー・ウォーカー   エマの弟

オルブライト・ケイン   白鹿のギルド長

ノル・ハーヴェイ     白鹿の探索隊長の一人

ニナ・クラーク      白鹿のギルド所属の前衛 エマの仲間


▼主人公について

白鹿のギルドで働く二十歳前後のサポーター。

元前衛だが、今は救護、素材回収、物資管理、食料と水の配分、退路確認などを担い、探索隊を生きて帰すために働いている。


あらすじ

白鹿館防衛戦のあと、保管庫前には煙と油の匂い、壊れた棚、汚れた札、負傷者たちが残されていた。そこへ、東水門からニナ、ガイ、エマ、そして拘束されたリースが戻る。エマは白い封筒を守り抜いたが、リースはそれが本物ではないことを悟り、自分が罠にかかったのだと知る。取り調べの中で、リースは父グレン・ヘイルを失った恨みを白鹿とエマに向けていたことを明かす。ノルは、その痛みを否定しないまま、エマがしたこととリースの恨みを同じ場所に置くなと告げる。ニナもまた、リースが自分の痛みで他人を傷つけたことを責める。ケインは、リースを白鹿に残すことはできないと告げた。リースは連れていかれ、部屋には空になった椅子と、濡れた外套の匂いだけが残った。

リースが連れていかれたあとも、部屋の空気は戻らなかった。


ニナは壁にもたれ直した。怒りを言葉にしたあとで、ようやく痛みが戻ってきたように顔をしかめる。ノルは何も言わない。ケインもすぐには次の話を始めなかった。


エマは、空になった椅子を見ていた。

リースの恨みは、間違っている。そう言える場所はいくつもあった。

でも、まったく分からないとは言えなかった。

誰かが死んだ後も、白鹿は動く。探索隊は出る。荷は運ばれる。記録は残り、棚へ戻される。明日が来る。その明日を止められない場所で、生きてきたのはエマも同じだった。

ケインが言った。


「エマ」


エマは顔を上げた。


「グレン・ヘイルの娘だということは知っていた」


ニナが顔を動かす。ノルは黙ったまま、ケインを見る。

ケインは続けた。


「リースが白鹿にわだかまりを持っていることも、可能性としては見ていた。だから候補から外さなかった」


エマの声は掠れていた。


「私には、言いませんでした」


「言わなかった」


ケインは逃げなかった。


「作戦に余計な揺れを入れたくなかった。リースを動かすためにも、お前の顔に出るものを減らしたかった」


エマの表情が、わずかに歪む。

ケインは低く言った。


「判断としては、必要だったと思っている」


一度、そこで言葉を切る。

それから、はっきり続けた。


「だが、お前にとってそれがどういうことかを、俺は軽く見た。すまなかった」


エマは何も返せなかった。

謝られたからといって、胸の中が整理されるわけではない。むしろ謝罪がまっすぐだった分だけ、怒りをどこへ置けばいいのか分からなくなった。

ケインはそこで、すぐに次の言葉を出さなかった。

エマは息を吸おうとした。

胸の奥まで空気が入らない。浅いところで止まり、喉のあたりに引っかかった。もう一度、息を整えようとする。けれど、リースの声がまだ耳の中に残っていた。


父さんは戻りませんでした。白鹿は次の日も動いていました。

エマは指先を膝の上で握った。


今なら、少しだけ分かってしまう。分かりたくないのに、分かってしまう。誰かの死のあとも、世界は止まらない。そのことに救われた日もあった。けれど、許せなかった日もあった。

ケインは、エマが顔を上げるまで待った。

それから、低く言った。


「まだ話がある」


部屋の空気が、別の重さに変わった。

エマはその変化を感じた。もう十分だった。今夜だけで、聞きたくない言葉は何度も聞いた。

それでも、ケインの顔を見れば、避けて通れる話ではないと分かった。


「今夜の館襲撃を、なぜ読めたのか。お前にも話しておく」


エマは黙ったまま、ケインを見た。


「以前にも、似たことがあった」


燭台の火が揺れる。


「表で騒ぎを起こし、その混乱の中で本命を奪う。人を散らし、目を逸らさせる。誰もが目の前の被害に追われる間に、別のものが消える」


エマの喉が狭くなる。

ケインの声は低かった。


「あの日もそうだった。ミラが死んだ日だ」


ニナが息を呑んだ。

ノルの表情も動いた。

エマは瞬きができなかった。

ケインは断定しなかった。断定するには、言葉が足りないのだろう。あるいは、今もまだ足りないものが多すぎるのだろう。


「事故ではなかったと断じる証拠はない。今も、ない。だが、あの日、混乱の中で、ローワンに関わる地図が消えた」


音が遠くなった。

廊下の足音も、リディアの声も、保管庫の金具が鳴る音も、全部が水の底へ沈んだように聞こえた。


母が死んだ日。

白鹿の中庭。開いた檻。逃げた魔物。血の匂い。誰かの叫び声。母の手。最後に聞いた言葉。

オスカーをお願い。


エマは椅子の端を掴んだ。


「……事故だって、思うしかなかったんです」


自分の声が、自分のものではないようだった。

ケインは何も言わなかった。


「そう思わなきゃ、ここで働けなかった。母さんが死ぬきっかけになった場所で、毎日荷を運んで、記録を書いて、怪我人を連れて帰って……それでも、オスカーと生きていくには、ここにいるしかなかった」


言葉の途中で、息が詰まった。けれど、もう止まらなかった。


「割り切ったふりをしてました。白鹿を恨んでない顔をしてました。でも、恨まなかったわけじゃない」


ニナが、何か言おうとしてやめた。

エマは膝の上で手を握った。


「それが事故じゃなかったかもしれないって、今さら言われたら……私は、何を支えにして我慢してきたんですか」


誰もすぐには答えなかった。

リースは、父の死で白鹿を恨んだ。

エマも、母の死で白鹿を恨んだことがある。

けれど、その恨みをどこへ向けるかで、二人は別の場所に立っていた。そう分かっていても、胸の中で暴れるものが正しく収まるわけではなかった。

ケインは言い訳をしなかった。


「すまなかった」


それだけだった。

エマはその言葉を聞いた。聞いたのに、返事はできなかった。

白鹿を憎みたいわけではない。

ノルがいる。ニナがいる。リディアも、ノアも、ガイも、マルタもいる。自分が助けた人も、助けられなかった人も、ここに積み重なっている。

それでも、母が死んだ場所で生きるしかなかった自分の時間が、急に足元から崩れたような気がした。

エマは立ち上がろうとした。

少し遅れて、膝に力が入らないことに気づく。

ニナが動いた。


「エマ」


「大丈夫」


声は掠れていた。


「帰ります。オスカーが、待ってるので」


ニナは何か言いたそうにしたが、言わなかった。

ノルも止めなかった。止めたら、エマがそこで崩れると分かっていたのかもしれない。

館を出る頃には、夜の空気が冷たくなっていた。

白鹿の門の外は、いつもの町だった。遠くの酒場にはまだ灯りがあり、夜番の声が角を曲がって消えていく。川の方から湿った風が流れ、どこかで犬が吠えた。


エマは歩いた。

足は動いている。だから帰れる。そう思うことで、どうにか体を前に進めた。

頭の中は、まとまらなかった。

リースの声。ノルの言葉。ニナの怒り。ケインの謝罪。母の死。消えた地図。白鹿。ローワン。オスカー。


ひとつひとつが別々の重さで胸に落ちてきて、どれから受け止めればいいのか分からない。

家の窓には、まだ灯りがあった。

それを見た瞬間、少しだけ息が戻った。


オスカーがいる。

その事実だけが、今夜の終わりに見えた。

扉を開けると、煮込みの匂いがした。

豆と根菜、それから乾いた香草の匂い。鍋は火から下ろされ、台の上に置かれている。食卓には皿が二つ並んでいた。

オスカーは椅子に座っていた。

杖は手の届くところに立てかけられている。右の袖口だけが、少し濡れていた。肘を体の近くに寄せている。髪もいつもより乱れていた。


足元には買い物袋が置かれている。

口が開いたままだった。中には泥のついた根菜が二つと、破れた紙包みの端が残っている。いつものオスカーなら、袋をそのまま床に置かない。買ったものはすぐに仕分け、使うものと残すものを分ける。


本来のエマなら、そこで気づいた。

杖の先に残った泥。袖口の湿り。買ってきたはずの食材が少ないこと。オスカーが立ち上がる時、悪い方の足ではなく、肘を先にかばったこと。

けれど、今夜のエマの目には、それがただの疲れた家の景色に見えた。


「遅かったね」


オスカーの声は硬かった。


「ごめん」


エマは扉を閉めた。


「ちょっと、色々あって」


「知ってる。外で合図の灯りが見えた」


オスカーは立ち上がろうとして、途中で肘を押さえた。すぐに手を戻す。その小さな動きも、エマは見落とした。


「白鹿で何かあったんでしょ」


「うん」


「大丈夫なの」


エマは答える前に、外套を脱ごうとして手間取った。紐がうまく外れない。指が思ったように動かなかった。

オスカーが手を伸ばしかける。


「やるよ」


「いい。大丈夫」


少し強く出てしまった。

オスカーの手が止まる。

エマはすぐに言い直した。


「あ、ごめん。違う。自分でできるから」


「……うん」


オスカーは椅子に戻った。

食卓には、煮込みの皿が二つ。片方は冷めかけている。パンも二つに分けられていた。整っているのに、どこか足りない。食材が少なかったのだろう。根菜の切れ端は小さく、豆もいつもより少ない。


エマは椅子に座った。


「作ってくれたんだ」


「うん」


「ありがとう」


オスカーは返事をしなかった。

エマは匙を持った。温かいはずの煮込みが、口に入れる前から重い。それでも食べなければと思った。オスカーが作ってくれたものだ。残したくなかった。

しばらく、匙の音だけが続いた。

先に沈黙を破ったのは、オスカーだった。


「何があったの」


エマの手が止まる。


「白鹿で」


「……色々」


「その色々を聞いてる」


いつもの皮肉ではなかった。

エマは匙を置いた。


「今は、話せない」


オスカーの目が細くなる。


「また?」


その一言に、エマの胸が小さく痛んだ。


「またって」


「いつもそうだよ。危ないことは話せない。僕が心配するから言えない。巻き込みたくないから言えない」


「そういうわけじゃない」


「じゃあ、どういうわけ」


エマは答えを探した。

ケインから聞いたことは、まだ言えない。母の死が事故ではなかったかもしれないことも、ローワンに関わる地図が消えたことも、今ここでオスカーに言えば、何かが決定的に壊れる気がした。

でも、黙っていれば別のものが壊れる。

分かっているのに、言葉が出てこない。


「危ない話だから」


ようやく出た言葉は、それだけだった。

オスカーは笑わなかった。


「僕には関係ないってこと?」


「違う」


「違わないよ。姉さんが危ない場所に行って、怪我をして、帰ってきて、何も言わない。僕は家で待ってるだけ。いつもそれだけだ」


「オスカー」


「今日だって、外で灯りが上がった。町の人も騒いでた。白鹿で何かあったって分かった。でも僕は、ここで鍋を見てるしかなかった」


エマは息を吸った。


「それでいいの」


言った瞬間、自分でも違うと思った。

でも、もう遅かった。

オスカーの顔から、何かが消えた。


「それでいい?」


エマは慌てて言葉を足そうとした。


「違う。そういう意味じゃなくて、今は危ないから。あんたまで巻き込まれたら――」


「あんたまで?」


オスカーの声が低くなる。


「姉さんにとって、僕はいつもそこなんだね。巻き込まれる側。守られる側。家に置いておく側」


「違うって言ってるでしょ」


エマの声も乱れた。


「私はただ、あんたに危ないことをしてほしくないだけ」


「僕が何かしようとすると、姉さんはいつも危ないって言う。何もしなければ、安心するんだろ」


その言葉に、エマは息を止めた。

オスカーは杖に手を伸ばした。指先が少し震えている。怒りだけではない。肘の痛みも、足の疲れも、全部混じっていた。


「違う」


エマは立ち上がる。


「そうじゃない。私は、あんたまで失いたくないだけ」


「僕はもう、何かをしても失われる側なんだ」


「そんなこと言ってない」


「言ってるよ」


オスカーは笑った。泣きそうな顔で、笑う形だけを作った。


「家にいれば安全。黙って待っていれば安心。姉さんが帰ってくるまで、椅子に座って鍋を見ていればいい。そういうことだろ」


エマの胸の奥で、何かが切れた。

リースの顔が浮かぶ。母の声が浮かぶ。白鹿の廊下が浮かぶ。消えた地図。ケインの謝罪。ニナの怒り。

もう持たない。

その言葉が、喉の奥から勝手に出た。


「お願いだから、今は家にいて。オスカーまで危ないことをしたら、私はもう持たない」


部屋が静かになった。

鍋の残り火が、小さく音を立てた。

言った瞬間、エマは自分の言葉がどこへ刺さったのか分かった。

オスカーの顔が、はっきり変わったからだ。

怒りではなかった。

傷ついた顔だった。


「……僕が動くと、姉さんは壊れるんだ」


「違う」


「違わない」


オスカーは杖を掴んだ。


「僕が何かしようとすると、姉さんは持たないんだろ」


「オスカー、待って。今のは」


「待つのは、もう嫌だ」


エマは立ち上がろうとした。

膝に力が入らなかった。椅子の脚が床を引っかき、体が前に傾く。机に手をついて支えたが、すぐには歩き出せない。

オスカーは扉へ向かった。

いつもより杖の音が硬い。家の床なのに、その音だけがやけに遠くまで響く。


「待って」


エマの声は震えていた。

オスカーは扉の前で一度だけ止まった。

振り返らなかった。


「姉さんは、僕が家にいれば安心なんだよね」


「違う。私は」


「なら、安心してて」


扉が開いた。

夜の冷たい空気が、家の中へ流れ込んだ。煮込みの匂いが薄まり、外の湿った風が足元を撫でる。

エマはもう一度、名前を呼ぼうとした。

けれど、声がうまく出なかった。

オスカーは外へ出た。

扉が閉まる直前、杖の先が石畳を叩く音がした。


一度。

少し間を置いて、もう一度。

その音は、夜の通りへ遠ざかっていった。


本作品は未完成な部分や表現に納得できない箇所が随所にあります。なので、随時修正します。

シナリオや展開を変えるつもりはありません。

ご容赦ください。

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