第35話 伏せられていた理由
ダンジョンに潜る人たちの話です。
ライト文芸寄りのダークファンタジーです。
▼登場人物
エマ・ウォーカー 主人公です。
オスカー・ウォーカー エマの弟
マルタ・リード 治療師 エマに治療を教える。白鹿のギルドに出入りしている
オルブライト・ケイン 白鹿のギルド長
ノル・ハーヴェイ 白鹿の探索隊長の一人
ニナ・クラーク 白鹿のギルド所属の前衛 エマの仲間
フィン・アルダー 商人・道具屋 ギルドと治療所に出入りしている
▼主人公について
白鹿のギルドで働く二十歳前後のサポーター。
元前衛だが、今は救護、素材回収、物資管理、食料と水の配分、退路確認などを担い、探索隊を生きて帰すために働いている。
あらすじ
夜の白鹿の館で、ノルは六階層で起きたことをケインに報告する。崩落は事故ではなく、救助を装った男が現れ、毒針と崩れる天井や壁を使ってノルたちを殺そうとした。男は、ノルとニナが落ちたこと、負傷していること、救助が来るまで時間があることを知っていたように見えた。ケインは、五階層再調査の行程がギルド内部から漏れていた可能性を認める。疑いを疑いのままにしないため、白鹿は偽情報を流し、内通者を炙り出すことを決める。だがその前に、ノルはエマとニナへ、伏せていた調査の本当の目的を話さなければならなかった。
翌日の昼前、町はいつも通りに動いていた。
通りには荷車の音があり、パン屋の前から焼きたての匂いが流れてくる。井戸端では女たちが桶を並べ、角を曲がった先では子どもが叱られていた。
エマは家の戸口で、干していた布を取り込んでいた。朝の風でだいぶ乾いている。まだ少し湿った端を指で確かめ、籠に入れる。
家の中では、オスカーが棚の前に座り、古い革紐の切れかけた部分を縫い直していた。
「また切れそう?」
エマが聞くと、オスカーは縫い目を確かめながら答えた。
「端の方だけ。ここを止めれば、まだ使える」
「新しいの買ってもいいよ」
「今はこれでいい。革紐より、先に買うものあるでしょ」
エマは少し考えた。
「……小芋?」
「そう。小芋」
返す言葉を探していると、戸の外で荷車の車輪が止まる音がした。続いて、戸が叩かれる。
「エマさん、いますか。フィンです」
「開いてる」
エマが返すと、フィンが顔を出した。肩から道具袋を下げ、片手には小さな包みを持っている。
「こんにちは。マルタさんのところに酒精を届ける途中で寄りました」
「瓶、割らないようにね」
「今日はまだ割ってません」
「まだ?」
奥でオスカーが小さく笑った。フィンは苦い顔をしながら、包みを戸口の棚に置く。
「頼まれてた針と革紐です。代金は戻りにでも」
「ありがとう。助かる」
「それと、ノルさんから伝言です」
エマは布を籠に入れる手を止めた。
フィンはいつもの調子のまま続ける。
「昼過ぎに、墓地の近くで待つそうです。来てほしい、と」
「墓地の近く?」
エマは聞き返した。
「はい。伝言はそれだけです」
エマは少しだけ黙り、それから頷いた。
「分かった」
フィンは荷紐を肩にかけ直した。
「じゃあ、俺は治療所へ寄っていきます」
「マルタさんに怒られないように」
「そこは瓶と棚の機嫌次第です」
フィンが出ていくと、エマは羽織を取った。
「少し出てくる」
奥でオスカーが顔を上げる。
「ギルドの仕事?」
「たぶん、その話」
「昼の分、残しておく?」
「うん。助かる」
オスカーはそれ以上聞かなかった。ギルドからの呼び出しは珍しくない。エマが急に出ることも、家では何度もあった。
「帰りに市場へ寄るなら、小芋を少し買ってきて。煮込みに入れる分が足りない」
「小芋ね。分かった」
エマは羽織の紐を結んだ。
「じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃい」
エマは籠を家の中へ押しやり、戸口を出た。
昼の通りは明るかった。人の声も、荷車の音も、いつも通りに重なっている。フィンの荷車は、もう治療所へ向かう角を曲がりかけていた。
エマはその背を一度だけ見てから、墓地の方へ歩き出した。
昼の墓地には人の出入りがあった。花を持った女、墓石を拭く老人、石工の若い男。死者の場所なのに、そこにも仕事があり、手入れがあり、生きている人の足音がある。
古い小屋は、墓地の奥ではなく、石塀の外れにあった。
昼の光の中で見ると、夜ほど不気味ではない。けれど、使われなくなった道具や古い木材が積まれたその小屋は、町の喧騒から少しだけ切り離されていた。
扉の前に、ノルが立っていた。
顔色は悪くない。だが、立ち方にまだ痛みを逃がす癖が残っている。
エマが近づくと、ノルは短く頷いた。
「来たか」
「はい」
ノルは扉を開けた。
「中に入れ」
小屋の中から、ニナの声がした。
「エマ、こっち」
エマは一瞬だけニナの声に目を動かし、それから扉をくぐった。
中は思ったより明るかった。小さな窓から昼の光が入り、埃が細く浮いている。壁際には古い桶と、折れた柄の鍬が置かれていた。中央には粗末な台がひとつある。
ニナはその横に立っていた。
腕の布はまだ外れていない。顔色も万全ではないが、目はしっかりしている。いつものように軽く何かを言うでもなく、エマが入るのを待っていた。
ノルが扉を閉めた。
外の音が、少し遠くなる。
昼の光はある。けれど、ここで話す内容が軽くなるわけではなかった。
ノルは二人を見た。
「こないだの五階層の調査のことで、お前たちに伝えておくことがある」
エマは少しだけ背筋を伸ばした。
ニナも、腕に巻かれた布へ落としていた視線を上げる。
ノルはすぐには次を言わなかった。短い沈黙を置いてから、低く続ける。
「あの五階層の再調査は、普通の調査ではなかった」
エマはすぐには反応できなかった。
ニナも口を開かなかった。
「表向きは、前回中断された鉱脈周辺の確認だった。足場、魔物の出方、先行者の痕跡、採掘に入れるかどうか。お前たちに伝えた内容は、嘘ではない」
エマはじっとノルを見た。
嘘ではない。
その言い方の中に、まだ続きがあることは分かった。
「だが、それだけではなかった。ギルド長から、別の確認を命じられていた。秘密の調査だ。同行者には伏せるように、とも言われていた」
ニナの目がわずかに細くなる。
「私たちにも、ですか」
「ああ」
ノルは認めた。
「お前たちにも伏せた」
小屋の中に、短い沈黙が落ちた。
エマは何かを言いかけたが、言葉にならなかった。怒ればいいのか、問い詰めればいいのか、まだ分からない。ただ、六階層の浅い水の冷たさが、胸の奥で小さく戻った。
「何を、調べていたんですか」
エマが聞いた。
ノルは一度だけ息を吸った。
「白骸晶に関わる痕跡だ」
ニナの顔が変わった。
「白骸晶って……あの白骸晶ですか」
声が少し低くなっていた。茶化す響きはない。
エマも、その名は知っていた。子どもの頃に聞いた昔話や、酔った探索者が酒場で大げさに語る話の中に出てくる。どんな傷も癒すとか、失われたものを戻すとか、死にかけた者を引き戻すとか。話す人間によって中身は変わるが、どれも同じように現実味がなかった。
本物があるとは、思っていなかった。
ノルは頷いた。
「その白骸晶だ。俺も、ただの伝承だと思っていた。だが、ギルド長は古い記録に残る実在の可能性として扱っている」
ニナの表情が硬くなる。
「そんなものが五階層に?」
「まとまったものがあるとは聞いていない。命じられたのは、痕跡の確認だ。白い結晶片、周囲の石の白化、魔物の異常な硬化。そういうものがあれば、採掘班には知らせず、俺が記録することになっていた」
エマは黙って聞いていた。
白骸晶という名前が、急に遠い伝説ではなくなっていく。六階層の暗がり。救助を装った男の声。崩れた床。ニナの腕に刺さった毒。そういうものが、その名の周りに冷たくまとわりついてきた。
ノルは台の端に手を置いた。
「問題は、その秘密が漏れたことだ」
ニナが顔を上げた。
「漏れた?」
「ああ。少なくとも、俺とギルド長はそう見ている」
「どうして、そこまで」
ニナの声は硬かった。
ノルはすぐには答えなかった。
小屋の中に、昼の光が差している。明るいはずなのに、その沈黙だけが重かった。
「六階層で、お前たちは死んでもおかしくなかった」
低い声だった。
エマは息を止めた。
ニナも、何も言わなかった。巻かれた布の上へ、無意識に指を添える。
「床が落ちた。救助を装った男が来た。毒も使われた。あの場で少しでも判断を誤れば、誰かが戻らなかった」
ノルはそこで一度、言葉を切った。
「その危険の前に、お前たちは知らされていないことがあった。俺はそれを抱えたまま、隊を率いた」
言い訳ではなかった。
責任を誰かに移す声でもなかった。
ノルは二人から目を逸らさない。
「命令だった。そう言えば、理由にはなる。だが、お前たちがあそこで死にかけたことの重さは、それで消えない」
ノルは二人から目を逸らさなかった。
「すまなかった」
エマの喉が小さく動いた。責めたい気持ちはあった。
何も知らされずに潜った。危険の意味も知らないまま、六階層の水の中で、助けに来たはずの男を信じかけた。ニナは毒を受けた。ノルも重い怪我を負った。
それを思うと、胸の奥が熱くなる。
けれど、目の前のノルは、責められる前から自分でその重さを持っている顔をしていた。
エマは、少ししてから口を開いた。
「でも、どうして私たちまで狙われたんですか」
ノルはすぐには答えなかった。
その沈黙で、エマはまた少し息を詰めた。
「狙いは、お前たちじゃなかった」
低い声だった。
ニナが顔を上げる。
ノルは続けた。
「少なくとも、最初からエマやニナを狙ったものではない。狙われたのは、俺だ。秘密調査を任されていた俺と、俺が持ち帰るはずだった調査結果。それに、白骸晶の痕跡に触れたスクロールの残滓だ」
エマは言葉を失った。
ノルは二人から目を逸らさなかった。
「床を落とされた時点で、隊ごと巻き込まれた。お前たちも、採掘確認役も、前衛たちもだ。だが、相手にとってはそれでよかったんだろう。俺が戻らず、記録も残滓も地上へ戻らなければ、秘密調査はそこで途切れる」
ニナの指が、腕の布を押さえた。
「……私たちは、巻き込まれたんですね」
「ああ」
ノルは認めた。
「だから、俺には負い目がある」
その言葉は、静かだった。
小屋の中に、昼の光が細く差していた。
明るいはずなのに、誰もすぐには口を開かなかった。
ノルは続けた。
「だから今回は話す。全部ではない。俺にも知らされていないことがある。だが、必要なことまで伏せたまま、お前たちに協力しろとは言わない」
エマは、ノルの顔を見た。
責めたい気持ちは、まだ胸の奥にあった。
けれど、目の前のノルは、責められる前から自分でその重さを持っている顔をしていた。
ニナが唇を結ぶ。
「秘密が漏れたとして、どこからですか」
「それをこれから確かめる」
ノルは答えた。
「情報に触れられた者は限られる。監視所で動きを追われた可能性もある。外から探られていた可能性も捨てない。だが、ギルド内から外へ流した者がいる可能性がある」
白鹿のギルド。
その言葉が、小屋の中で重く沈んだ。
エマにとって、そこは戻る場所だった。怪我人を運び込む場所で、報告を上げる場所で、誰かを送り出し、誰かを迎える場所だった。
そこに、外へ情報を流した者がいるかもしれない。
そう思った瞬間、昼の明るさが少しだけ遠のいた。
「誰か、分かっているんですか」
エマが聞いた。
「まだだ」
ノルは答えた。
「だから、これから炙り出す」
ニナが顔を上げる。
「どうやって」
「情報を分けて流す。候補ごとに違う話を渡し、その後の動きを見る。誰が何に反応するか、誰がいつもと違う接触をするかを追う」
ノルは二人を見た。
「お前たちにも協力してもらう」
エマはすぐには頷かなかった。
ニナも同じだった。
ニナは腕に巻かれた布へ、無意識に指を添えた。六階層で受けた毒の痺れは、もう強くはない。それでも、布の下にはまだ熱の残りのようなものがあった。
「協力って、黙っていることですか」
低い声だった。
ノルはニナを見る。
「それも含む」
「それだけなら、嫌です」
小屋の中の空気が、わずかに張った。
エマがニナを見る。ニナは顔を上げていた。怒鳴ってはいない。けれど、声の奥に、押し込めきれないものがあった。
「知らないまま六階層に落ちて、知らないまま救助を装った男に近づかれて、知らないまま毒を受けました。あの時、何が起きているのか分からないまま死にかけたんです」
ニナの指が、布の端を握った。
「だから、ただ黙っていろって言われるだけなら嫌です。また、何も知らないまま使われるみたいだから」
ノルは言い返さなかった。
ニナは息を吸った。
「でも、知った上で黙るなら違います。私たちが余計なことを言えば、相手にこちらの手を渡すことになる。誰かが近づいてくるなら、私たちが見ておいた方がいい。そういうことなら、やります」
言い切ってから、ニナは少しだけ目を伏せた。
「怖くないわけじゃありません。でも、怖いから何も知らなくていいとは、もう思えません」
小屋の中に、短い沈黙が落ちた。
エマは、自分の手を見た。
六階層で、ノルを支えた手。ニナの血を押さえた手。毒針を抜いた手。
まだ、何かが残っている気がした。
「私も、黙っているだけなら嫌です」
エマは言った。
ニナがこちらを見る。
エマはノルから目を逸らさなかった。
「知らないまま誰かが倒れるのは、もう嫌です。私が知っていたら止められたかもしれない、見られたかもしれないって、あとで思うのは嫌です」
ノルの表情は変わらなかった。
けれど、聞いていた。
「白鹿の中にいるかもしれない誰かを疑うのは、正直、嫌です。戻る場所を疑うみたいで、気持ち悪いです」
エマは一度、言葉を切った。
胸の奥が重かった。けれど、言わない方がもっと重くなる気がした。
「でも、本当に誰かが外へ流しているなら、また誰かが死にます。ノルさんやニナだけじゃない。次は、他の誰かかもしれない。オスカーの知っている人かもしれない。私が運ぶはずだった人かもしれない」
エマは手を握った。
「それは嫌です。だから協力します。ただし、知らないまま駒みたいに動くのは嫌です。必要なことは、ちゃんと話してください」
ニナが小さく頷いた。
「私もです。全部話せとは言いません。でも、私たちが危ない場所に立つなら、何のために立っているのかは知りたいです」
ノルはしばらく黙っていた。昼の光の中で、埃が細く揺れている。
やがて、ノルは低く言った。
「分かった」
軽い返事ではなかった。
「お前たちを駒として使うつもりはない。だが、危険がなくなるわけでもない。だから、勝手に動くな。自分で確かめようとするな。見たこと、聞かれたこと、違和感を覚えたことを、俺かギルド長へ渡せ」
ニナは頷いた。
エマも、少し遅れて頷く。
「私たちは、何をすればいいんですか」
「まず、こちらから探らないことだ。誰かを問い詰めるな。六階層で見たことを、聞かれた相手に細かく話すな。救助を装った男のことも、毒のことも、相手がどこまで知っているか分からないうちは不用意に出すな」
ニナが低く聞く。
「聞かれたら?」
「俺かギルド長に回せ。どうしても答えなければならない時は、表に出ている話だけで止めろ。崩落があり、救助隊が来て、撤退した。それ以上は言わなくていい」
エマは自分の手を見た。
「誰かが、不自然に聞いてきたら」
「相手の名前、聞かれた内容、場所を覚えておけ。その場で反応するな。あとで俺に伝えろ」
ノルの声は淡々としていた。
けれど、その淡々とした声の下に、張り詰めたものがあった。
「お前たちを囮にするつもりはない。だが、お前たちは当事者だ。相手が近づくなら、六階層にいたお前たちへ来る可能性がある」
ニナが小さく息を吐いた。
「それ、十分嫌な話ですね」
「いい話なら、墓地の近くまで呼ばない」
ニナは少しだけ笑いそうになり、すぐにやめた。
エマはノルを見た。
「白骸晶について、私たちはどこまで知っていることにすればいいんですか」
「何も知らないままでいい」
ノルは答えた。
「伝説として名前を知っている。それ以上は知らない。実際、お前たちはそうだろう」
「はい」
「なら、それでいい」
ノルは少しだけ声を落とした。
「無理に嘘を作るな。嘘は、慣れている者ほど見抜く。知らないことは知らないと言え。ただし、こちらから知ろうとするな」
エマは頷いた。
ニナも続けて頷く。
「分かりました。見ます。聞きます。でも、こちらからは動きません」
ニナが言った。
それから、少しだけ間を置いて続けた。
「今度は、何も知らないまま怖がるだけにはなりたくないので」
エマも口を開いた。
「私も協力します。……でも、ひとつだけ」
「何だ」
「何か分かったら、必要なことはちゃんと教えてください」
ノルは黙った。
エマは言葉を探しながら続ける。
「全部じゃなくていいです。言えないことがあるのも分かります。でも、知らないまま誰かが倒れるのは、もう嫌です」
小屋の中に、短い沈黙が落ちた。ノルは目を逸らさなかった。
「ああ」
低い返事だった。
「必要なことは話す」
その言葉が、約束なのか、命令なのか、謝罪なのか、エマには分からなかった。
けれど、少なくとも、軽くはなかった。
小屋を出ると、昼の光が目に痛いほど明るかった。
墓地の石道には、花を供えに来た人の足音が残っている。小屋の中で聞いた話が重かったせいか、外の空気は妙に乾いて感じられた。
ニナは少し先で立ち止まり、腕に巻いた布へ指を添えていた。さっきから何度も触れている。本人は気づいていないようだった。
「ニナ」
エマが声をかけると、ニナははっとして手を離した。
「……癖になってるみたい」
「痛む?」
「少し。けど、大丈夫」
そう言ってから、ニナは小さく息を吐いた。
「今の大丈夫は、自分でもあまり当てにならないけど」
エマは返す言葉を探して、やめた。
軽く笑える話ではなかった。かといって、ここで深く沈めば、町へ戻る足が重くなる。
ノルが小屋の戸を閉めた。鍵をかける音が、短く鳴る。
「二人とも、戻ったら普段通りにしろ」
ノルは言った。
「難しくても、だ。誰かに探られても、こちらから話を広げるな」
ニナが頷いた。
「分かっています」
エマも少し遅れて頷く。
「分かりました」
ノルは二人を見た。
「分かった顔をしていなくてもいい。ただ、動くな。顔に出しそうになったら、その場を離れろ」
「……顔に出ますか」
エマが聞くと、ノルは迷わず答えた。
「出る」
ニナがほんの少しだけ息を漏らした。笑ったというより、張っていたものが少し緩んだ音だった。
「エマは出ますね」
「ニナも出てる」
「私は出してません」
エマはニナの腕を見た。
ニナは自分の指が、また布へ戻りかけていることに気づき、気まずそうに手を下ろした。
「……これは、痛いだけ」
「そういうことにしとく」
短いやり取りだった。
それでも、二人がまだここに立っていることを確かめるには十分だった。
ノルはその会話を止めなかった。けれど、長引かせもしなかった。
「ニナは先に戻れ。腕を診せてこい。エマは少し遅れて戻れ。同じ場所から三人で出たように見せない方がいい」
「分かりました」
ニナは頷いた。
それからエマの方を見て、少しだけ口元を動かした。
「またあとで」
「うん」
ニナは墓地の石道を抜け、町の方へ歩いていった。
その背中は、いつもより少し硬かった。
エマはその姿が角を曲がるまで見送った。ノルは何も言わなかった。急かすことも、慰めることもしない。ただ、必要な間だけ黙って立っていた。
やがて、ノルが低く言った。
「エマ」
「はい」
「一人で抱えるな」
エマは顔を上げた。
ノルは続けた。
「抱えるなと言っても、抱えるんだろうが」
「……先に言われると、返事がしづらいです」
「なら覚えておけ。抱えたままでもいい。だが、隠して勝手に動くな」
その言い方は優しくはなかった。
けれど、さっき小屋の中で聞いた説明よりも、少しだけ受け取りやすかった。
エマはゆっくり頷いた。
「分かりました」
ノルはそれを見てから、町の方へ目を向けた。
「行っていいぞ」
「はい」
エマは墓地の出口へ歩き出した。昼の町は相変わらず明るかった。
けれど、さっきまでと同じには見えなかった。戻る場所だと思っていた白鹿のギルドの中に、外へ情報を流した者がいるかもしれない。昔話の中にしかなかった白骸晶が、六階層で受けた痛みとつながっている。そして自分たちは、知らされないまま、その秘密に巻き込まれていた。
胸の奥に重いものを抱えたまま、エマは市場の方へ足を向けた。
小芋を買うために。
帰る家で、オスカーが昼の分を残して待っているから。
本作品は未完成な部分や表現に納得できない箇所が随所にあります。なので、随時修正します。
シナリオや展開を変えるつもりはありません。
ご容赦ください。




