第2話 サポーターの役割
ダンジョンに潜る人たちの話です。
ライト文芸寄りのダークファンタジーです。
▼登場人物
エマ・ウォーカー 主人公です。
ニナ・クラーク 白鹿のギルド所属の前衛 エマの仲間
▼主人公について
白鹿のギルドで働く二十歳前後のサポーター。
元前衛だが、今は救護、素材回収、物資管理、食料と水の配分、退路確認などを担い、探索隊を生きて帰すために働いている。
四階層の旧回廊で、松明の火が冷えた石壁を揺らしていた。
ついさっきまで響いていた魔物の咆哮は、もうない。代わりに残っているのは、負傷者の荒い息と、装備を直す金具の音だった。
壁には、誰が刻んだのか分からない古い紋様が半分だけ残っている。床の敷石はところどころ沈み、荷を置くにも場所を選ばなければならなかった。
エマは腰の革袋を開き、残りのスクロールを数えていた。
一本、二本、三本……八本。
指が止まる。
思っていたより、少ない。
「なんで管理できてないの?」
隊長の声が、休息中の空気を裂いた。
エマは革袋から目を離した。
隊長は苛立ちを隠していなかった。額には汗が残り、手袋の端には乾ききっていない血がついている。本人の血ではない。さっき、前衛の一人を引き上げた時についたものだ。
「スクロールの数が、予定より減りすぎてる」
エマは革袋の口を閉じた。
「直前の二戦が、想定より長引いたためです」
声は静かに出せた。
腹の奥が熱かった。
「言ったよね。抑えてって。緊急性のない怪我には、ポーションや薬草を優先してって」
「はい。聞いています」
「じゃあ、なんで」
隊長の言葉が強くなる。
近くで座っていた若い前衛が、気まずそうに目を逸らした。膝に巻いた布は、まだ赤く滲んでいる。あれをスクロールなしで済ませていたら、次の戦闘で足を引きずったはずだ。
エマは、その膝を一度だけ見た。
「次の戦闘で動けなくなる怪我だったので使いました」
隊長の眉が寄る。
「今使った分、全部?」
「全部、必要でした」
「一戦目の肩も、二戦目の膝も、放っておけば次は動けませんでした」
「でも、残りがこれじゃ――」
「だから、一戦目の後に報告しました」
隊長の口が止まった。
周囲の音が遠のく。
エマは言い過ぎたと思った。けれど、もう戻せない。
隊長は副隊長へ目を向けた。
「聞いてた?」
副隊長はすぐには答えなかった。言いづらそうに、手袋の紐を直す。
「……報告は、あった」
その声で、隊長の表情が変わった。
怒りではなく、気まずさに近いものだった。
「大事なことは、もっと早く相談してほしい」
――だから、しました。
喉まで出かかった言葉を、エマは飲み込んだ。
今ここで勝っても仕方がない。正しさをぶつけても、隊がよく動くわけではない。
「分かりました。次から、もっと早く伝えます」
副隊長がこちらを見て何か言いかけたが、結局、返事はなかった。その沈黙が、妙に重かった。
エマは革袋を腰に戻した。
石粉の匂いが肺に入る。報告はした。けれど、届いていなかった。
それだけで十分だった。
エマは松明の火を見た。
――酒の神様。今だけでいいから、この場に降りてきて。
もちろん、降りてこない。
しばらくして、隊長は離れた場所から戻ってきた。さっきより声を落とし、エマの横に腰を下ろす。
「スクロールの減りが早い理由は?」
今度は責める声ではなかった。
エマは革袋に触れたまま、考えるふりをした。
答えは、もう出ている。
「連携がぎこちないです」
隊長の目が動いた。
「具体的には?」
「前衛の踏み込みが合っていません。押す人と下がる人が同時に動いて、間が空いています。そこへ魔物が入ってきて、余計な怪我が増えています」
黙った隊長の頬に松明の影が揺れ、エマは続けるか迷った。指示が遅れるたびに足並みが乱れ、焦った前衛が深く踏み込んでしまうところまで、本当は見えている。
けれど、全部をそのまま渡せば、報告ではなく刃になる。
エマは膝の上で指を握った。
「今のままだと、もう一度同じ形で怪我が出ます」
それだけにした。
隊長は長く息を吐いた。
「……俺も、感じてた」
「はい」
「連携のずれは、皆と話す」
エマは頷いた。
隊長は立ち上がりかけて、もう一度こちらを見た。
「エマはどう? スクロールの消費を抑えられたところは、本当になかった?」
胸の奥が、ざらりとした。
信じていないのか。
それとも、確認したいだけなのか。
どちらでも、痛いものは痛い。
エマは前の戦闘を思い返し、使った物と使わずに済ませた物をたどり直した。それでも結論は変わらなかった。
「抑えられたところは、ありません」
今度は迷わなかった。
「使わなければ、次の戦闘で誰かが動けなくなっていました」
隊長はエマの目を見た。
エマも逸らさなかった。
やがて、隊長は短く頷いた。
「分かった。残りはどれくらい持つ?」
「安全に見て、今日いっぱいです」
エマは即答した。
「それ以上は、全員で戻る保証ができません」
隊長の顔が引き締まった。
それは、届いたらしい。
「分かった」
隊長は攻撃組の方へ歩いていった。
その背中を見送りながら、エマは小さく肩の力を抜いた。
本当に分かったのかは、まだ判断できない。
隊長が前衛たちを集めて話している間に、エマは負傷者の手当てに戻った。
膝の布をほどき、傷口を洗う。薬草を潰し、滲みを止めるために薄く当てる。痛みに顔をしかめた若手へ、水袋を差し出した。
「一口だけ」
「もっと飲んだら駄目ですか」
「今飲みすぎると、歩く時に重くなります」
若手は不満そうにしたが、一口で止めた。
隣では、肩を裂かれた前衛が腕を回そうとしていた。
「動かさないでください」
「動くか見ただけだ」
「今は見なくていいです。動けるように処置したんですから」
前衛は苦笑し、腕を下ろした。
エマは包帯の端を結び、手についた薬草の匂いを布で拭った。
次は食事だ。
火を大きくしすぎないようにしながら、携帯食を温める。硬いパンを湿らせ、干し肉を裂いて鍋に落とす。疲れている者から先に渡し、食べるのが遅い者には、冷める前に声をかけた。
その合間に、倒した魔物の素材を見る。
硬い皮は欠けていない。牙も使える。爪には泥が詰まっていたが、根元までは割れていなかった。
エマは膝をつき、刃を浅く入れた。
皮を剥ぎ、腱を傷つけないように外す。血のついた布を分け、使える部位だけを別の袋へ入れる。重さを見て、誰の荷に分けるか考える。
誰かが笑っていた。
隊長に何か言われたのか、若い前衛が照れた顔をしている。副隊長はまだ真面目な顔で頷いていた。
いい。
空気が戻るなら、それでいい。
エマは冷めかけた食事を口へ運んだ。薄味の汁に浸かっても肉は硬かったが、胃に入れば動ける。それで十分だった。
隊長が全員を見渡したのは、休息を終える直前だった。
「全員、方針を確認する」
話し声が止まる。
隊長は一人ひとりを見た。
「まず、全員生きてここにいる。それが何よりだ。よく踏ん張ってくれた」
前衛たちの表情が緩む。
隊長は続けた。
「だが、物資は心もとない。予定していた成果も、まだ足りていない。残りは今日いっぱいだ。ここからは無理に押し込まない。前に出る者と下がる者をはっきり分ける。声を重ねるな。副隊長の合図を聞け」
副隊長がすぐに頷いた。
「了解」
「魔物を狩る。素材を集める。だが、誰か一人でも動けなくなるなら撤退する」
隊長の声が、そこで低くなった。
「全員で帰るぞ」
返事が続いた。
「了解」
「了解です」
「いけます」
エマも荷紐を締め直し、短く頷いた。
「了解」
胸の奥には、まだもやもやが残っている。それでも、足は前へ出せるし、手も動かせる。
スクロールは少ない。薬草にも食料にも、余裕があるとは言えない。
それでも、地上へ向かうための道具はまだ残っている。
エマは地図板を抱え直し、松明の明かりが届かない通路の先を見た。
生きて帰る。
全員を連れて帰る。
そのためなら、言うべきことは言う。
飲み込むべきものは、飲み込む。
そして、どうしても飲み込めなかった分は――地上で、酒で流す。
エマは隊の最後尾についた。




