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第五階層へ

ダンジョンに潜る人達の話です。


エマが主人公です。

オスカーは身内(男性/18歳)

ニナは同じギルドの仲間DPS(女性/19歳)

カイルは同僚のDPS(男性)


▼主人公の基本設定

名前:エマ・ウォーカー

年齢:20歳くらい

性別:女性

ギルド歴:10年

元DPS で ギルドの意向でサポートへ配置転換された

サポートの役割:救護/料理/素材回収/物資管理/運搬等 多岐にわたる


この物語のギルドは、ダンジョン内で採れる素材の回収を専門に請け負う組織です。

魔物の牙や皮、鉱石、薬草、魔石などを回収し、

それを商会や工房、研究機関へ卸すことで利益を得ています。

ただ魔物を倒すだけの集団ではなく、探索、戦闘、救助救援、採取、解体、運搬、物資管理まで含めて、

ひとつの仕事として成り立たせた大手組織です。そのギルドで働く人物達の物語

隊長は全員の返事を聞き終えると、しばらく黙って地図を見下ろしていた。

松明の火が、石壁に落ちた影を揺らしている。

その沈黙だけで、次に口にする言葉が軽いものではないとわかった。

「方針を変える」

隊長は短く言った。

「このまま四階層で粘っても、予定していた収穫には届かない。物資の残量を考えても、だらだら続ける余裕はない」

副隊長がわずかに眉を寄せる。

「下に降りる気ですか?」

「そうだ」

隊長は地図の一点を指で押さえた。

「第五階層へ行く」

その言葉に、何人かが息を呑んだ。第五階層。たった一階層下がるだけ。

数字にすれば、それだけの違いだ。

けれどダンジョンでは、その一階層が命の重さを変える。

魔物は強くなる。数も増える。罠も悪質になる。その代わり、得られる素材の価値も跳ね上がる。

リスクと利益。命と報酬。ダンジョンでは、いつだってその二つを天秤にかける。

隊長は全員を見回した。

「戦い方は変えない。俺が誘う。狭い通路まで魔物を引き込む。副隊長は攻撃組をまとめて、左右から挟め」

副隊長はすぐに頷いた。

「了解。攻撃組は二手に分ける。合図までは絶対に飛び出すな。焦って出れば、隊長ごと巻き込む」

「わかってる」

「矢の残数は?」

弓兵のひとりが答える。

「まだ戦えます。ただ、長引くと厳しいです」

その言葉を聞いて、エマは荷物の中身を確認した。

矢筒の予備。

ポーション。薬草。回復スクロール。解毒剤。包帯。火種。素材袋。簡易食。

数は足りている。ただし、余裕はない。

「エマ」

隊長がこちらを見る。

「支援を頼む。攻撃組への補給、負傷者の回収、物資の判断。いつも通りだ」

「了解」

エマは短く答えた。

いつも通り。便利な言葉だ。戦闘には参加する。けれど前には出すぎない。

負傷者が出れば治療する。矢が切れれば補充する。崩れた場所には走る。

誰かが遅れれば背中を押す。誰かが死にかければ、どうにかする。

それが、いつも通り。エマは荷物を背負い直した。

――あと一日。

安全に見て、物資が持つのはそこまでだ。それ以上は、帰還率が落ちる。

全員で帰れる道が、どんどん削られていく。

だからこそ、隊長の判断は間違っていない。

短い時間で成果を上げるなら、価値の高い魔物を狩るしかない。

理屈ではわかる。でも。

エマは第五階層へ続く階段を見下ろした。湿った闇が、底からこちらを覗いているようだった。

――嫌な感じ。

そう思ったが、口には出さなかった。言葉にすれば、不安は形を持つ。形を持てば、誰かに伝染する。

サポーターがそれをしてはいけない。エマは軽く息を吐き、笑ってみせた。

「じゃ、行きますか。稼ぎ時ってやつですね」

ニナが肩をすくめる。

「軽いですねえ」

「重く言ったら荷物まで重くなるでしょ」

「それはもう重いのでは?」

「それを言ったら負け」

そのやり取りに、数人が小さく笑った。緊張が少しだけ緩む。それでいい。

笑えるうちは、まだ大丈夫だ。一行は第五階層へ降りた。

第五階層の空気は、四階層よりも冷たかった。

通路はやや狭く、壁の凹凸も多い。

視界は悪いが、待ち伏せには向いている。隊長は地形を確認しながら、すぐに作戦を組み立てた。

「この先の広間に魔物がいる。俺が引く。攻撃組はこの左右の陰に隠れろ」

副隊長が即座に指示を飛ばす。

「右に二人、左に二人。弓は右後列。飛び出すのは俺の合図の後だ。エマ、補給は左後列で」

「了解」

エマは通路の隅に荷物を置き、すぐ取り出せるように中身を整えた。

矢を束ねる。

ポーションの蓋を緩める。スクロールは種類ごとに分ける。薬草は布に包んで手元に置く。

準備が整う頃、隊長がひとりで前へ出た。

誘い役。作戦の中で、もっとも危険な役割だ。魔物を見つける。怒らせる。追わせる。逃げる。

狭い場所まで誘い込む。

一歩遅れれば背中を裂かれる。早すぎれば魔物が途中で諦める。

距離を誤れば、攻撃組が構える前に乱戦になる。

隊長はそれを自分で引き受けている。そこだけは、エマも認めていた。

――責任は、ちゃんと背負う人なんだよな。

だから厄介なのだ。嫌いになりきれない。

やがて、奥から低い唸り声が聞こえた。

次の瞬間、隊長が通路の向こうから駆け戻ってくる。その背後に、獣型の魔物が二体。

「来るぞ!」

副隊長の声が飛ぶ。

隊長が狭い通路へ魔物を引き込む。

一体目が牙を剥き、飛びかかる。

その瞬間。

「今だ!」

左右の影から攻撃組が飛び出した。剣が走り、槍が突き込まれる。

弓兵が後方から矢を放つ。エマはすぐに動いた。

「矢、次!」

後列の弓兵に矢束を投げる。

「助かる!」

別の場所で攻撃組のひとりが腕を切られた。

エマは身を低くして走り寄り、ポーションを投げ渡す。

「飲むな、かけて! まだ動ける!」

「了解!」

判断は一瞬。

軽傷ならポーション。

動きに支障が出るなら薬草と固定。

出血が多いならスクロール。

命に関わるなら、迷わず複数枚使う。

戦闘は順調だった。

隊長が誘い、副隊長が挟撃を制御する。

攻撃組も少しずつ動きが合ってきている。

四階層より魔物は強い。

だが、素材の質もいい。

一体倒すたび、エマは素早く使える部位を確認し、回収袋へ詰めていった。

「牙、状態良し。皮は半分いける。爪も取れる」

「今やるのかよ!」

「今やらないと鮮度が落ちる!」

「ほんと忙しいな!」

「サポーターですので!」

エマはそう返しながら、すぐ次の補給へ走った。

何度か危ない場面はあった。

それでも、崩れはしない。

収穫は、そこそこ順調だった。

このままなら、予定を取り戻せるかもしれない。

そう思いかけた時だった。

地面が、低く震えた。

最初は遠い音だった。

岩が擦れるような、重い音。

次に、壁の奥から響くような振動。

エマは手を止めた。

「……待って」

誰もすぐには反応しなかった。

次の瞬間。

通路の奥の壁が砕けた。

轟音とともに、巨大な腕が突き出される。

石を寄せ集めたような巨体。

目に当たる部分には、鈍い魔力の光。

ゴーレム。

「散れ!」

隊長が叫んだ。

だが、遅い。

ゴーレムの腕が横薙ぎに振るわれた。

攻撃組のひとりが盾で受けようとした。

しかし、受けきれる重さではなかった。

鈍い音。

体が宙に浮いた。

「っ――!」

仲間の身体が、高く投げ飛ばされる。

通路脇の崩れた足場を越え、岩棚の上に叩きつけられ、さらにそこから落ちた。

下は硬い石床。

頭からではない。

だが、この高さからまともに落ちれば、ただでは済まない。

一瞬、全員の視線がそちらへ向いた。

エマの体は、考えるより先に動いていた。

――間に合わない。

足では間に合わない。

だったら。

エマは背負っていたリュックを肩から引き剥がした。

中身が詰まった重い荷物。

スクロールも、薬草も、予備の布も、食料も、全部入っている。

それを両腕で掴み、落下地点へ向けて全力で投げた。

「届けっ!」

リュックが石床を滑る。

同時に、エマは手元のスクロール束を引き抜き、広げるように投げた。

布と紙束が地面に散る。

直後、仲間の身体がそこへ落ちた。

リュックが潰れ、スクロールの束が衝撃を少しだけ殺す。

だが、完全には受け止めきれない。

胸を強く打ったのか、カイルは声にならない音を漏らした。口の端から血がこぼれる。

まずい。呼吸が浅い。エマの背筋が冷えた。その一瞬だけ、音が消えた。

そして、記憶がよぎる。昔の戦場。血の匂い。

間に合わなかった手。冷たくなっていく指先。

誰かが言った。

仕方なかった、と。

違う。

仕方なくなんかない。間に合わなかっただけだ。

自分が。自分が、間に合わせられなかっただけだ。

「エマ!」

誰かが叫んだ。

エマは我に返り、駆け出していた。ゴーレムの足元を縫うように走る。

砕けた石が飛んでくる。頬をかすめる。

それでも止まらない。

「どいて!」

エマは倒れた仲間のそばに滑り込んだ。

呼吸が浅い。胸を打っている。内側をやっている可能性が高い。

最悪、肋骨が折れて肺に刺さっている。

考えるな。

止血。呼吸確保。退避。回復。

順番を間違えるな。

エマは散らばったスクロールを掴み、仲間の胸と背中に巻きつけるように重ねた。

一枚では足りない。二枚。三枚。四枚。

「ここでケチるな、私」

スクロールが淡く光り、傷を塞ごうと魔力が走る。

仲間が苦しそうに身をよじる。

「動くな!」

エマは声を荒げた。

「死にたいの!? 動かないで!」

普段の軽さはなかった。

その声に、仲間の体がびくりと止まる。

エマはすぐに肩口を掴み、体を引きずった。

「副隊長! 右、空けて!」

副隊長が即座に反応する。

「攻撃組、右を開けろ! 隊長、十秒稼げ!」

隊長がゴーレムの前へ踏み込む。

「任せろ!」

ゴーレムの拳が振り下ろされる。

隊長は紙一重で避け、壁際へ誘導する。

エマは負傷者を引きずる。

重い。

鎧も装備もある。血で手が滑る。呼吸は乱れる。

それでも離さない。

――死なせない。

私がいる現場で、それはない。

絶対に。

「こっち!」

エマは負傷したカイルの体を引きずりながら叫んだ。

「布! 固定具! 残ってるスクロールも全部こっちに投げて!」

攻撃組のニナが、弾かれたように荷物へ走る。

戦闘用の武器を握ったままでは、何を取ればいいのか迷う。それでもエマの声に従い、指定された袋を掴んで放った。エマは片手でその袋を受け取り、負傷者のそばへ膝をつく。

カイルは胸を押さえ、声にならない声を漏らしていた。唇の端から、赤い血がにじんでいる。

「胸部強打。吐血あり。呼吸浅い……」

エマは自分に言い聞かせるように状態を確認した。

「肋骨、いってるかも。肺も怪しい。……ポーションは駄目。飲ませたら詰まる」

迷っている暇はない。エマはスクロールを一枚、カイルの胸に押し当てた。

淡い光が傷口を包む。足りない。もう一枚。さらにもう一枚。

「効いて。お願いだから効いて」

スクロールを重ねるたびに光が強くなる。

カイルの背が大きく跳ね、苦しそうに息を吐いた。

「動かないで」

エマは思わず声を荒げた。

「息だけして! 今はそれだけでいい!」

カイルは痛みに顔を歪めながら、かすかに頷いた。

エマは布を引き裂き、胸部をきつすぎないように固定する。

呼吸を妨げず、しかし折れた骨が余計に動かない程度に。指先は震えていた。

それでも手順は間違えない。止血。呼吸。固定。回復。意識確認。

全部、叩き込んできた。

全部、失敗しないために覚えた。

背後では、まだゴーレムの重い足音が響いている。

隊長が囮になり、副隊長が攻撃組を立て直そうとしている声が聞こえた。

「エマ! こっちは長く持たない!」

副隊長の声。

エマは返事をしない。今、目を離せばこのカイルが落ちる。

カイルの胸が、浅く上下する。

苦しんでいる。でも、生きている。まだ、生きている。

エマは血のついた手で、カイルの頬を軽く叩いた。

「聞こえる? 死なないで」

カイルの目がわずかに動く。

「帰るよ。全員で。だから、ここで落ちないで」

その声は、命令のようで、祈りのようでもあった。

もう一枚、スクロールを使う。

光がカイルの胸元に染み込んでいく。呼吸が、わずかに深くなった。

エマはそこでようやく、短く息を吐いた。まだ油断はできない。

でも、今すぐ死ぬ状態ではない。

なら、次だ。

エマは顔を上げた。

ゴーレムの咆哮。押される攻撃組。崩れかけた陣形。

このままでは、もう一人やられる。

エマは落ちていた剣を拾い上げた。

「エマ!?」

ニナが叫ぶ。

エマは返事をしなかった。血で濡れた指が、柄を強く握る。

「そこで寝てて」

負傷したカイルにそう言い残し、エマは立ち上がった。

「次は、私がやる」

ゴーレムが再び腕を振るった。

攻撃組が押されている。隊長が誘導しているが、通路が狭すぎる。

副隊長の指示も間に合っている。だが、火力が足りない。

このままでは、また誰かが飛ばされる。

エマの目は、ただゴーレムだけを捉えていた。

――やめろ。もう誰にも触るな。

――私の前で。もう、誰も。

ゴーレムの胸部にある亀裂から、魔力の核が見えた。

硬い石の奥。

普通の攻撃では届かない。だが、胸の装甲に亀裂が走っている。

さっき隊長が岩壁へ誘導し、ゴーレムを岩壁に激突させた時にできたものだ。

あの亀裂からなら、胸の核まで刃を届かせられる。

エマは走った。

「副隊長、左を止めて!」

「はっ?」

「左腕を止めて!」

副隊長は一瞬だけ驚いたが、すぐに叫ぶ。

「左腕を潰せ! 全員、合わせろ!」

攻撃組が動く。

槍が突き込まれ、剣が石の関節を叩く。弓兵が魔力光の走る亀裂へ矢を放つ。

ゴーレムの左腕がわずかに沈んだ。

その隙に、エマは低く踏み込んだ。石の拳が頭上を掠める。

風圧で髪が乱れる。だが止まらない。

足場にする岩を蹴り、壁を蹴る。体をひねって、ゴーレムの胸元へ跳び込む。

昔、何度かやった動きだった。攻撃組だった頃。前に出ることしか知らなかった頃。

目の前の敵を倒せば守れると思っていた頃。

その頃の体が、まだ覚えている。

「う、らああああっ!」

エマは剣を逆手に持ち替え、亀裂へ突き込んだ。

刃が石に噛む。届かない。

もう少し。

エマは歯を食いしばり、さらに体重をかけた。

手の皮が裂ける。肩が軋む。

それでも押し込む。

「砕けろッ!」

剣先が、奥の核に触れた。次の瞬間、ゴーレムの体内で光が弾けた。

石の巨体が震える。腕が暴れ、壁を砕く。エマの体が弾き飛ばされかける。

隊長が叫んだ。

「離れろ!」

エマは剣を手放し、床へ転がった。

直後、ゴーレムの胸部が崩れ落ちる。

魔力の光が消え、巨体は支えを失ったように膝をついた。

そして、重い音を立てて崩壊した。

石片が床に散らばる。

しばらく、誰も声を出せなかった。

荒い息だけが、通路に響いている。

エマは床に片膝をついたまま、肩で息をしていた。

手が震えている。怒りなのか。恐怖なのか。安堵なのか。

自分でもわからない。

ただ、胸の奥が熱かった。

「エマ!」

ニナが駆け寄ろうとする。

だがエマは、それを手で制した。

「負傷者」

短く言う。

「先に、そっち」

ニナは一瞬言葉を失い、それから頷いた。

エマは立ち上がり、ふらつきながら負傷者の元へ戻った。

負傷したカイルは、まだ浅い呼吸を繰り返している。

だが、先ほどより胸の上下は安定していた。

エマは膝をつき、血で濡れた口元を拭う。

「吐血は……止まってる」

胸に当てたスクロールの光は、まだ薄く残っていた。

応急処置は効いている。

だが、安心できる状態ではない。

エマはカイルの胸元にそっと手を当て、呼吸の浅さと骨の違和感を確かめた。

「肋骨は、たぶん折れてる。肺は……ぎりぎり」

声に出して確認する。

自分の判断を、間違えないために。

エマは残りのスクロールへ手を伸ばした。

一枚、追加する。一瞬、指が止まった。残りは少ない。

ここで使えば、帰り道の余裕はさらに削れる。

けれど、エマはすぐに奥歯を噛んだ。

迷うな。

ここで惜しんで死なせたら、何のための物資だ。

「使う」

エマの声は強かった。

スクロールをカイルの胸元へ重ねる。

淡い光が、再び傷を包み込んだ。

負傷者の表情が、わずかに緩んだ。エマはそこで初めて、深く息を吐いた。

足元に座り込みそうになるのを、なんとか堪える。

隊長が近づいてきた。その顔には、さっきまでとは違う緊張が残っている。

「……助かった」

エマは返事をしなかった。

隊長は続ける。

「今の判断がなければ、死んでいた」

「そうですね」

エマの声は、冷たかった。

自分でも驚くほど。

隊長が言葉を詰まらせる。

エマは負傷者の胸元を見たまま、低く言った。

「物資は減りました」

「……ああ」

「でも、使わなかったら死んでました」

「わかっている」

「本当に?」

エマは顔を上げた。

その目に、抑えきれない感情が滲んでいた。

「本当に、わかってますか?」

周囲の空気が固まる。

エマは自分でも、言い過ぎだとわかっていた。

今は責める場面ではない。

隊長も最善を尽くしていた。

誘い役として、誰より危険な場所にいた。

わかっている。

わかっているのに、止まらなかった。

「スクロールの数がどうとか、消費を抑えられた場面がなかったかとか、そういう話じゃないんですよ」

エマの声が震える。

「死ぬんです。判断ひとつで。遅れたら。迷ったら。惜しんだら」

負傷者が苦しそうに息をする。

エマは奥歯を噛んだ。

「私は、死なせたくないんです」

それは怒りではなかった。怒りの形をした、恐怖だった。

失うことへの恐怖。間に合わないことへの恐怖。

また同じ場面を見ることへの恐怖。

エマは目を伏せた。

「……すみません。今のは、言い過ぎました」

隊長はしばらく黙っていた。

そして、静かに言った。

「いや」

短い言葉だった。

「言わせたのは、俺だ」

エマは何も返せなかった。

副隊長が場を切るように声を上げる。

「負傷者を運ぶ準備をする。素材は最低限を手分けして回収。撤退経路を確認するぞ」

隊長が頷く。

「撤退する」

その判断は早かった。

「第五階層での狩りはここまでだ。全員で帰る」

その言葉に、エマはようやく少しだけ息を吐いた。

全員で帰る。そのために、ここにいる。

エマは血のついた手で、壊れたリュックを拾い上げた。

中身はぐちゃぐちゃだった。

薬草は潰れ、食料は砕け、布は血を吸っている。

でも、役に立った。人ひとりを、冷たい地べたの上で寝かせたままにせずに済んだ。

それだけで十分だった。

ニナがそっと近づいてくる。

「エマさん」

「なに?」

「服、また汚れてますよ」

エマは自分の服を見下ろした。

血と土と、薬草の汁。

こないだの肉汁なんてかわいいくらいの惨状だった。

エマはしばらく黙ったあと、力なく笑った。

「……もう、今日は服ごと酒に浸かりたい」

ニナが小さく笑う。

オスカーがいたら、きっとくだらないことを言っただろう。

エマはそんなことを思いながら、負傷者の容体をもう一度確認した。

まだ油断はできない。

でも、生きている。それだけで、今は十分だった。

隊長が撤退の指示を出す。副隊長が隊列を組み直す。

攻撃組は負傷者を守るように周囲へ散った。

エマは壊れたリュックを背負い直し、残ったスクロールを数える。

少ない。

かなり少ない。

それでも、帰るだけなら足りる。足りさせる。

エマは負傷者の顔を見て、静かに呟いた。

「帰るよ」

誰に言うでもなく。

自分に言い聞かせるように。

「全員で」

第五階層の闇は、まだ深く口を開けていた。

だが一行は、その奥へは進まない。

背を向ける。

生きて帰るために。

そしてエマは、誰よりも忙しく、誰よりも静かに、撤退の準備を始めた。


GW暇していたので書いたものです。

素人なのでご容赦ください。ほんと、暇つぶしです。すみません。


修正しました。

前書きの情報を少しだけ追加しました。

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