第20話 調査地点
ダンジョンに潜る人たちの話です。
ライト文芸寄りのダークファンタジーです。
▼登場人物
エマ・ウォーカー 主人公です。
ノル・ハーヴェイ 白鹿の探索隊長の一人
ニナ・クラーク 白鹿のギルド所属の前衛 エマの仲間
▼主人公について
白鹿のギルドで働く二十歳前後のサポーター。
元前衛だが、今は救護、素材回収、物資管理、食料と水の配分、退路確認などを担い、探索隊を生きて帰すために働いている。
一行は、五階層へ向けて進んだ。
銅角の者たちが言っていた通り、坂の手前に近づくほど、壁の音が変わっていった。
冷えた石の匂いが濃くなる。灯りの火が、まっすぐ燃えずにかすかに揺れる。右側の壁には細い亀裂が走り、その奥で何かが擦れるような音がした。
かり。かり。かり。
石層確認役の男が、壁の割れ目を覗き込もうとして一歩近づいた。
「触るな」
ノルの声がすぐに飛び、男は伸ばしかけた手を止めた。
「分かってる」
「今の顔は、分かっていない顔だ」
男は言い返しかけたが、結局口を閉じた。
その時、通路の奥で、かた、と乾いた音がした。
石が落ちた音ではない。もっと軽く、空洞のあるものがぶつかる音だった。
前衛の一人が短槍を低く構える。
灯りの届く先で、古びた剣を引きずる影がゆっくり動いた。
骨兵だ。
壊れた鎧の隙間から、白く乾いた骨が見えている。肉のない腕がぎこちなく揺れ、片足を引くたびに、骨と金具がかすかに鳴った。
こちらに気づいて向かってきているというより、ただ通路を横切ろうとしているように見えた。
ノルは手を上げ、前衛を押しとどめた。
「やり過ごす」
短槍を構えた男が、声を落として言った。
「倒せるぞ」
「倒せる。だが、ここで骨を散らすな」
ノルの視線が床へ落ちる。
崩れた石と砂が、すでに足元を悪くしていた。そこへ骨片まで散れば、踏み込むたびに滑る。
戻る時、怪我人を抱えていたら、それだけで命取りになる。
前衛の男は不満そうに息を吐いたが、槍先は上げなかった。
骨兵は、かた、かた、と乾いた音を立てながら、灯りの端を横切っていく。
誰も動かなかった。
古びた剣の切っ先が石をこすり、耳障りな音を残す。
やがて骨兵の影は、闇に吸い込まれるように消えていった。
音が遠ざかるまで、ノルは手を下ろさなかった。
ニナは短剣の柄から手を離さなかった。
誰も追わなかった。
五階層へ下りる坂を前にした時、エマは服の内側に手を入れ、祈り紐に触れた。
ほんの少し、温かい気がした。
気のせいかもしれない。
そう思おうとした。
けれど、指先に残る感覚は、ただの布紐のものではなかった。
「どうした」
ノルが低く聞いた。
「……いえ」
エマは手を離した。
「進めます」
ノルは何か言いたそうにしたが、それ以上は聞かなかった。
五階層。
前回、人が倒れ、助けられなかった場所。
倒れていた人の姿は、もうない。それでも、あの時のことは壁にも床にも染みついている気がした。
エマは足を止めずに進んだ。
坂を下りきると、通路は以前より荒れ、壁の一部に大きな削り跡ができていた。
前に来た時には、こんな傷はなかった。壁の表面が荒く剥がされ、黒く鈍い筋が出ている。床には細かな石くずが散っていた。古いものではない。踏めば、まだ乾いた音がする。
石層確認役の男が膝をついた。
「これは……最近だな」
ノルの目が細くなる。
「削り方が荒い」
「他の隊が削ったのかもしれない」
前衛の一人が言った。
ニナは壁ではなく、床を見ていた。
「足跡がある。複数。こっちから来て、奥へ戻ってる」
「どこの隊か分かるか」
「そこまでは無理。でも、急いでいた感じはある」
石層確認役の男が壁を見上げた。
「黒い石層が出ている。前より広い。奥まで続いてるかもしれない」
「黒い筋より、足場を見ろ」
ノルが低く言った。
男は顔を上げた。
「足場?」
「通路側を削りすぎている。壁の支えが痩せている」
エマもそこで気づいた。
壁の下が、わずかにえぐれている。削られた石くずが床に散っているせいで分かりにくいが、通路の端が前より薄く見えた。
ここで誰かが無理に奥を覗けば、足元ごと崩れるかもしれない。
エマは地図板に書いた。
――新しい削り跡。壁下部が痩せている。足場注意。
その時、通路の先、崩れた石柱の陰で、低い影が動いた。
前衛が半身になり、剣を前へ出す。
黒鉄トカゲだった。
犬ほどの大きさだが、胴は長く、低い姿勢で床に伏せている。背中には黒鉄のような鱗が並び、灯りを鈍く返していた。閉じた口の端から、細い牙が覗いている。
ニナが低く言った。
「気づいてる」
「一体か」
ノルが聞く。
「見えるのは一体。でも、脇道の奥は分からない」
前衛の一人が踏み出そうとした。
ノルが止めた。
「ここで受けるな。足場が悪い」
エマは前衛が立てる幅と後ろへ下がる道を確かめ、黒鉄トカゲとの距離を見た。灯りは、どこにある。
「灯りを高くしてください」
エマが言った。
「影を大きく見せます。こっちの数を大きく見せて、脇道へ下げられるかもしれません」
ノルは短く頷いた。
「やれ」
灯り持ちが位置を変える。
火の光が壁に広がり、一行の影が大きく伸びた。前衛二人が半身で前に立ち、短槍の穂先と剣の腹で通路の幅を作る。足は踏み込みすぎず、じり、と床を鳴らした。
黒鉄トカゲが喉を鳴らした。
ぎり、と石を噛むような音。
一歩。
二歩。
低く喉を鳴らしながら、崩れた石柱の裏へ退く。黒い鱗が灯りを鈍く返し、石影に紛れた。
誰もすぐには動かなかった。
ノルが言う。
「通る。走るな。背を向けるな」
ニナは小さく息を吐き、短剣の柄から手を離した。
一行は慎重に進んだ。
調査地点は、もう近い。
壁の黒い筋はさらに濃くなり、何本も石の奥へ走っていた。床には新しい石くずが増えている。その中に、石割り道具とは違う跡が混じっていた。
細かく、乱れた削り跡。
かり。かり。かり。
壁の奥から、また音がした。
石を食うような音だった。
ニナが顔をしかめる。
「近い」
石層確認役の男の顔色が変わった。
「石喰い虫か」
ノルはしばらく音を聞いていた。
「断定はしない。だが、これ以上は入らない」
「でも、石層の確認が」
「石層より、足元だ」
ノルは床を指した。
「ここは下が空いているかもしれん。奥へ進んでから底が抜ければ、戻れなくなる」
男は口を閉じた。
エマは地図板で来た道をたどった。足を止められる場所も、避けるべき場所も書いてある。今すぐ三階層まで戻るのではなく、まず、この危ない足場から離れなければならない。
「ノルさん」
「何だ」
「少し戻れば、石柱の手前に広い場所があります。あそこなら隊列を立て直せます」
ノルが頷いた。
「そこまで退く」
その時だった。
壁の奥の音が、急に止まった。
静かすぎた。
ニナが低く言った。
「……嫌な止まり方」
ノルが手を上げた。
「全員、下がれ」
その瞬間、床の下で何かが割れた。
ぱき。
続いて、重い振動。
エマの足元が、わずかに沈んだ。
「退け!」
ノルの声が響いた。
「広い場所まで下がれ! 走るな、足元を見ろ!」
前衛が石層確認役を引く。ニナが跳ぶように戻る。エマは地図板を胸に押さえ、足場の割れ目を避けた。
床の亀裂が、黒い線のように走る。
まだ崩れてはいない。
だが、下は空いている。
石喰い虫が食ったのか、誰かが無理に削って弱くなったのか。どちらにしても、もう立ち止まってはいられない。
エマは最後尾に近い位置から、誰も転んでいないか、灯りは残っているかと全員を見渡した。前にはニナがいて、中央で指示を出すノルの声に、前衛が石層確認役を押し出すように進ませている。
退ける。
まだ退ける。
そう思った次の瞬間、背後で石が崩れる音がした。
振り返るな。
まず離れる。
足を止められる場所まで。
考えるのは、それからでいい。
エマは息を詰めず、暗い通路を駆けた。
本作品は未完成な部分や表現に納得できない箇所が随所にあります。なので、随時修正します。
シナリオや展開を変えるつもりはありません。
ご容赦ください。




