第19話 ダンジョンの様相
ダンジョンに潜る人たちの話です。
ライト文芸寄りのダークファンタジーです。
▼登場人物
エマ・ウォーカー 主人公です。
ノル・ハーヴェイ 白鹿の探索隊長の一人
ニナ・クラーク 白鹿のギルド所属の前衛 エマの仲間
▼主人公について
白鹿のギルドで働く二十歳前後のサポーター。
元前衛だが、今は救護、素材回収、物資管理、食料と水の配分、退路確認などを担い、探索隊を生きて帰すために働いている。
あらすじ
五階層再調査へ向かうエマたちは、監視所で持ち込む武器や道具、スクロールの数を記録される。エマの重い荷には、治療道具だけでなく、水、食料、灯り、縄、帰るために必要なものが詰め込まれていた。監視所を抜け、ダンジョンへ入った一行は、前回の記憶を抱えながら奥へ進む。エマは緊張を隠せないまま、それでも息を整え、隊員の足や荷紐、水の量を確認していく。救護は、倒れてから始めるものではない。倒れずに戻すための仕事だ。そう胸に刻みながら、エマは三階層へ、そして前回の場所へ近づいていく。
エマたちは、三階層の通路を進んだ。
三階層は、まだ道が安定している。壁の形も、天井の高さも、前に来た時と大きくは変わっていない。古い採掘跡や、壁に打ち込まれた目印の楔も残っていた。
それでも、ただの岩穴ではない。
壁の一部だけが妙にまっすぐで、足元には石畳の名残のような平たい石が埋もれている。誰が作ったものなのか、いつからそこにあるのかは分からない。
ダンジョンでは、そういうものをいちいち不思議がっている暇はなかった。
ノルは途中の広い横穴で足を止めた。
「ここを戻りの基点にする」
横穴の奥には、古い焚き跡と、石を積んで作った低い囲いがあった。探索隊が休息に使う場所だ。広くはないが、入口は一つで、背後を取られにくい。
壁の一部だけが妙に平らで、古い部屋の跡にも見えた。
自然の横穴なのか、何かの建物が飲み込まれた跡なのか。エマには判断できなかった。
エマはすぐに荷を下ろし、周囲を見た。
「灯りを一本置きます。水は奥に。怪我人を寝かせるなら、この壁際」
採掘確認役の男が、少し感心したように言った。
「早いな」
「決めておかないと、いざという時に迷います」
エマは短く答え、地図板を取り出した。
板には、ここまで通った道が簡単に記されている。曲がり角、段差、水の染み出し、足場の悪い場所。全部を細かく描く余裕はない。けれど、戻るために必要な印だけは落とせない。
ニナが横から覗き込んだ。
「そこまで書く?」
「戻る時に必要なら書く」
「じゃあ必要だね」
ニナは少し笑ったが、すぐに表情を戻した。
エマは地図板に、今いる横穴を丸で囲った。
「三階層の休息地点。ここまでは道が安定しています。四階層から先は、前と変わっている可能性があります」
ノルが頷いた。
「そうだ。ここから先は、前の地図を信用しすぎるな」
前衛のひとりが、奥の通路を見た。
「五階層までは、前にも通ったんだろ」
「通った道と、通れる道は違う」
ノルは淡々と言った。
「このダンジョンは動く。特に四階層から下は、通路の癖が変わる。目印が残っていても、行き先まで同じとは限らん」
ニナが、平らな壁面を軽く叩いた。
「こういうのも?」
「そうだ」
ノルは壁を見た。
「前は岩穴だった場所が、次に来たら廊下になっていたこともある。逆もある」
「廊下?」
「古い屋敷の中みたいな場所に出た隊もいる。次に行った時には、水の底だったそうだ」
「……嫌な場所」
ニナは小さく呟いた。
「今さらだ」
ノルは短く返した。
エマは地図板の端に、短く書き足した。
――三階層、休息地点。帰路基点。
ここに戻る。
戻れなくなる前に、戻る。そのための場所だった。
「行くぞ」
ノルの声で、一行は再び歩き出した。
四階層へ下りる階段は、前に見た時より狭く感じた。
実際に狭くなったのか、エマの記憶がそう思わせているだけなのかは分からない。壁の石は湿り、手を近づけると冷気が指先にまとわりつく。
一段下りるごとに、外から離れていく感覚が強くなった。
四階層へ下りると、床の割れ目から水音が聞こえた。
細い水脈が通路を横切り、その先で暗い縦穴へ落ちている。底は見えない。灯りを近づけると、穴の壁に白い鉱物の筋が淡く浮かんだ。
穴の縁には、自然にできたにしては整いすぎた石の段が、半ば崩れたまま残っている。
ニナが眉を寄せた。
「前、こんな段あった?」
エマは少し考えた。
「……なかったと思う」
「やっぱり?」
ニナは縦穴の奥を覗き込みかけて、すぐに引いた。
「どこにつながってるんだろ」
「覗くな」
ノルが短く言った。
「落ちる」
「言われなくても」
ニナはそう返しながらも、足の置き場を慎重に選んだ。
エマは石の段と水脈を見た。
誰かが作ったもののようにも見える。けれど、その誰かはどこにもいない。理由を探し始めると、足が止まる。
だから、エマは地図板に目を戻した。
ニナが先を見ながら言った。
「足場、少し変わってる」
「分かるか」
ノルが聞く。
「前は右側がもっと広かった。今は真ん中が沈んでる。急ぐと滑る」
ニナは身軽に先へ進み、低くしゃがんで床を見た。
「こっち、砂が新しい。崩れた跡かも」
エマは地図板を開いた。
右側、崩落跡。
中央は滑る。
左寄りに通る。
必要なことだけを書き、すぐに板を閉じる。
ノルがそれを見て、短く頷いた。
四階層に入ると、魔物の痕跡は濃くなった。
壁には爪痕が残っている。床には、何かを引きずった跡がある。湿った石の上に黒ずんだ毛が落ち、奥の通路からは、低いうなり声が重なって聞こえた。
前衛のひとりが剣の柄に手をかける。
ニナがしゃがみ込み、足跡を見た。
「裂牙犬だと思う。少なくとも三匹。もっといるかも」
裂牙犬。
普通の犬より一回り大きく、群れで獲物を追う魔物だ。裂けたように並ぶ牙は太く、噛まれれば肉だけでなく骨まで持っていかれる。
ノルは左の通路を見た。
奥から、また低いうなり声が響いた。
「戦わない。迂回する」
採掘確認役の男が顔をしかめた。
「遠回りになる」
「噛まれてから戻るよりは早い」
ノルの声は冷たかった。
エマは地図板に小さく印をつけた。
道を間違えれば、戻り道ではなく巣穴へ入る。
それだけは、間違えられなかった。
迂回路へ入ってしばらく進んだところで、今度は遠くから甲高い笑い声がした。
人の子どもの声にも似ていた。
けれど、違う。もっと乾いて、喉の奥で引っかかるような声だった。
こん、こん、こん。
石を三度叩く音が、通路の奥から返ってくる。
前衛のひとりが顔を上げかけた。
ノルがすぐに言った。
「返すな」
ニナが短剣に手をかける。
「小鬼だね」
小鬼。
小柄な人型の魔物だ。拾った刃物や折れた槍を使い、石を投げ、探索者の合図を真似る。
ノルは短く命じた。
「灯りを中央へ。荷の扱いに注意しろ。音に返事をするな」
エマは背負い袋の留め具を確かめた。外側に引っかかるものはない。灯り油も奥に収めてある。
小鬼は、正面から来ない。
石を投げる。灯りを狙う。遅れた者の荷に手を伸ばす。
強い魔物ではない。けれど、帰り道を壊すのは上手い。
小鬼の笑い声はしばらくついてきたが、姿は見えなかった。
追えば危ない。
無視すれば、こちらの位置を読まれすぎずに済む。
ノルは足を止めなかった。
やがて笑い声が遠ざかった頃、通路の奥から別の足音が聞こえた。
魔物のものではない。
革靴と金具が石を叩く音。複数人。こちらへ向かってくる。
ニナが手を上げた。
全員が止まる。
前衛が武器に手をかけるが、ノルは片手で制した。
「抜くな。人だ」
やがて、向こうの灯りが見えた。
相手もこちらに気づいたらしく、足を止める。暗い通路の中で、二つの灯りが向かい合った。
先に声を出したのは、向こうだった。
「銅角のギルド、ロイス隊。採取帰りだ」
ノルが答える。
「白鹿のギルド、ノル隊。五階層の再調査に向かっている」
名乗りが済むと、互いの前衛がわずかに力を抜いた。
だが、完全には気を抜かない。
ここはダンジョンだ。人と会ったからといって、安全になったわけではない。
銅角の隊は六人だった。
先頭にいるロイスという男は、短い槍を持った中年の探索者だった。その後ろに、背の低いがっしりした男がいる。太い腕。編み込んだ髭。腰には短い斧。
ドワーフだ。
そのドワーフは、こちらを見るより先に壁を見ていた。灯りの角度を変え、鉱脈の走り方を目で追っている。
ロイスが言った。
「白鹿が再調査か。前の騒ぎの場所だな」
「ああ」
前回の騒ぎから、少し時間は経っている。
あの時の者たちは、生きていた者も、死んだ者も、すべて地上へ戻された。行方の分からない者はいない。
だが、場所だけは残っている。
血の記憶と、争いの跡と、なぜそこまで人が引けなくなったのかという問いを抱えたまま。
ロイスは声を落とした。
「五階層へ向かう隊が増えている」
ノルの目が細くなる。
「理由は」
「知らん。鉱脈を見に来たのか、魔物を狩りに来たのか。うちも詳しくは聞いていない。ただ、通路で鉢合わせる数は増えた」
ロイスは続けた。
「裂牙犬の群れが左の古い採掘道に入っている。血の匂いが濃い。通るなら右へ回れ」
ノルが頷く。
「こちらからも一つ。四階層の手前で小鬼の音がした。石を三度叩く。探索者の合図に似せてくる。返すな」
銅角の隊のひとりが顔をしかめた。
「もう出てるのか」
「姿は見ていない。だが、音は近かった」
「分かった。戻りは声を返さない」
銅角のドワーフが、そこで低く口を挟んだ。
「五階層の坂の手前、右壁は叩くな」
エマは顔を上げた。
ドワーフは短い指で壁を軽く叩いた。
こん、と鈍い音が返る。
「奥が鳴っとる。空洞が近いか、何かが食っとるか。欲を出して掘れば、足元ごと落ちるぞ」
採掘確認役の男の顔が少し強張った。
ノルが聞く。
「石喰い虫か」
「断言はせん。だが、似た音じゃ」
「ありがとうございます」
エマは言いながら、地図板の端に印を足した。
危ない通路。
避けるべき横穴。
音を返してはいけない場所。
壁の奥が鳴る場所。
全部を文章にはしない。戻る時に、自分たちが間違えないだけでいい。
ドワーフは鼻を鳴らした。
「礼はいらん。崩されると、こっちの帰り道も面倒になる」
言い方はそっけなかった。
けれど、その言葉は正しかった。
ダンジョンの中では、別の隊の失敗が、自分たちの帰り道を塞ぐこともある。
ロイスが今度は別の通路を指した。
「骨兵も一体見た。倒してはいない。右の横穴に逸れた」
前衛のひとりが低く呟く。
「骨兵か」
「古い剣を持っていた。動きは遅いが、足場が悪いところで相手をするな。倒すと骨が散る」
骨兵。
古い武器を持った骨の魔物。動きは単調でも、痛みを感じない。倒せても、散らばった骨が足元を悪くする。
戦えば勝てる相手でも、戦う場所を間違えれば危険になる。
ノルが聞いた。
「黒鉄トカゲは見たか」
ロイスは首を振った。
「姿は見ていない。ただ、低い擦り音は聞いた。崩れた石柱のあたりだ」
「分かった」
銅角のドワーフが最後に言った。
「大型の跡もあった。トロールかもしれん。古いが、長居はするな」
その名が出た瞬間、空気が少し重くなった。
誰も詳しく聞かなかった。
聞いても仕方がない。
今は、そこに出会わない道を選ぶだけだ。
ノルは短く頷いた。
「助かる」
ロイスも頷く。
「こっちもな」
二つの隊は、狭い通路ですれ違った。
エマは背負い袋を壁側へ寄せ、相手の荷とぶつからないようにする。
すれ違いざま、ドワーフがエマの地図板をちらりと見た。
「サポーターなら、採掘役の目だけ信用するなよ」
エマは顔を上げた。
「え?」
「鉱脈を見る目は、欲で曇る」
それだけ言って、ドワーフは歩いていった。
エマは少しの間、その背中を見た。
低い背丈。太い腕。石の音を聞く耳。
別の種族。
別のギルド。
別の隊。
それでも、ダンジョンの中で戻る道を気にする者の言葉は、妙に重かった。
銅角の灯りが遠ざかると、通路はまた暗くなった。
けれど、さっきまでとは少し違って見えた。
自分たちの前にも、誰かがここを通っている。
傷をつけ、印を残し、魔物を避けて、戻っていく。
エマは地図板を抱え直した。
ノルが前を向く。
「進むぞ。今の情報を使う」
「はい」
調査地点は、まだ先だ。
本作品は未完成な部分や表現に納得できない箇所が随所にあります。なので、随時修正します。
シナリオや展開を変えるつもりはありません。
ご容赦ください。




