第18話 調査地点へ
ダンジョンに潜る人たちの話です。
ライト文芸寄りのダークファンタジーです。
▼登場人物
エマ・ウォーカー 主人公です。
ノル・ハーヴェイ 白鹿の探索隊長の一人
ニナ・クラーク 白鹿のギルド所属の前衛 エマの仲間
▼主人公について
白鹿のギルドで働く二十歳前後のサポーター。
元前衛だが、今は救護、素材回収、物資管理、食料と水の配分、退路確認などを担い、探索隊を生きて帰すために働いている。
あらすじ
五階層の再調査を前に、エマは白魔導士たちの離れを訪ねる。リディアは、怖くないと言い切らず、それでも行こうとするエマを静かに受け止め、清めた布を渡す。そして、救えなかったことをすべて背負わないでほしいと告げる。エマは全部は背負えないと分かりながらも、目の前にいる人だけはできるだけ背負うと答える。その後、ノアから治癒用、出血抑制、骨折補助のスクロールを受け取り、残滓の回収も指示される。準備は整った。エマは怖さを抱えたまま、再び五階層へ向かう。
ダンジョンの入口へ向かう道の途中に、石造りの小さな詰所がある。
領主に雇われた監視役たちが詰める場所だった。探索者たちは、そこを通らなければダンジョンに入れない。持ち込む荷、持ち帰る荷、採掘用の道具、武器、スクロール。必要なものは、簡単に記録される。
何を持ち込み、何を持ち帰ったか。
それを残しておくためだ。
「白鹿のギルドか」
監視所詰めの役人ダンが、帳面から顔を上げた。
ノルが短く答える。
「ああ。五階層に行く」
「人数は」
「七名」
ダンは一行を見回し、帳面に羽根筆を走らせた。
「武器、採掘道具、灯り。あとは予備の荷か」
ダンの視線が、エマの背負い袋で止まった。
「荷が多いな」
「サポーターです」
エマは背負い袋を少し下ろした。
中には、治療道具だけではない。水や食料、灯りの予備、縄、スクロール。倒れてから慌てるためではなく、倒れずに戻るためのものが詰まっている。
ダンはそれらをざっと確かめ、帳面に書き込んだ。
「救護担当か」
「それもやります」
エマは短く答えた。
「荷の管理も、休憩の判断も、消耗品の確認も。怪我人が出てから走るだけなら、遅いので」
ダンは少しだけ目を上げた。
「なるほど。サポーターか」
「はい」
エマは背負い袋の口を閉じた。
「戻るための荷です」
ダンはそれ以上、余計なことは言わなかった。
ただ、エマの革筒に目を向ける。
「スクロールは」
「支給分です」
「本数」
エマは本数を答えた。
ダンはそれも帳面に書き込んだ。ノアに渡された革筒が、手の中で少しだけ重く感じた。
「使用後の残滓は持ち帰る。記録と照合する」
ノルが横から言った。
ダンは頷いた。
「ならいい」
そして、通行札を一枚差し出した。
「五階層。帰還時、採取物と残滓の確認あり。余分に持ち帰ったものがあれば申告しろ」
「分かっている」
ノルが受け取る。
ダンは帳面を閉じかけ、ふと思い出したように言った。
「最近、五階層より下を目指す探索隊が増えている。揉め事は持ち帰るなよ」
ノルの目が冷えた。
「揉め事を起こすつもりはない」
「起こすつもりがなくても起きるのが、ダンジョンだ」
その言葉だけは、妙に正しかった。
一行は監視所を抜けた。
背後で、帳面を閉じる音がした。
エマは歩きながら、服の上から祈り紐に触れた。
荷は記録された。
スクロールも、道具も、持ち込む数も。
けれど、その荷を背負って歩く理由までは、帳面には残らない。前の場所へ戻る怖さも、助けられなかった命の重さも、今度こそ手を止めないと決めたことも、誰かの筆で書けるものではなかった。
石の裂け目の奥から、冷たい空気が流れてくる。
ノルが言った。
「入るぞ」
一行は、監視所の札を腰に下げたまま、ダンジョンへ足を踏み入れた。
最初の数歩で、外の光は背中側へ薄くなった。
石壁が音を吸う。靴音が少し遅れて返ってくる。前衛の装備がこすれる音も、ニナの腰道具が鳴る音も、いつもより近く聞こえた。
エマは息を整えた。
怖くないわけではない。
前に来た時のことを、体が覚えている。壁越しに聞こえた怒鳴り声。血の匂い。倒れていた男。効いてほしいと願っても足りなかったスクロールの光。
けれど、足は止まらなかった。
あの時の自分と、今の自分は同じではない。
同じではないと、決めてきた。
「エマ」
前を歩くノルが、振り返らずに言った。
「息が浅い」
「……見えてます?」
「音で分かる」
嫌な人だ、とエマは少し思った。
けれど、息を吸い直した。
ゆっくり吐く。
荷の重みを肩に乗せ直す。
「大丈夫です」
「大丈夫じゃなくなる前に言え」
「はい」
「はいは一度でいい」
エマは一瞬、ノアの顔を思い出した。
「……みんな、それ言いますね」
ニナが横で少し笑った。
その笑いに、緊張がほんの少しだけ薄まる。
だが、奥へ進むにつれて、空気は冷たくなっていった。
一階層、二階層。
見慣れた通路を抜け、途中で小さな魔物を避け、必要なものだけを処理する。ノルは無駄な戦闘を避けた。前衛たちも不満を言わない。今回が普段の採取行ではないことを、全員が分かっていた。
三階層へ下りる前に、ノルが休憩を命じた。
「水を飲め。足を見ろ。荷紐も締め直せ」
その声で、一行が壁際に寄る。
エマはすぐに背負い袋を下ろした。
「足、見せてください」
採掘確認役の男が少し驚いた顔をした。
「え、俺?」
「さっきから左足をかばってます。靴擦れですか」
「いや、大したことじゃ……」
「大したことじゃないうちに見せてください」
男は困ったようにノルを見た。
ノルは短く言った。
「見せろ」
それで男は諦めた。
靴を脱がせると、かかとの皮が赤く擦れていた。まだ破れてはいない。エマは手早く当て布を作り、靴紐の締め方も少し変えた。
「このまま五階層まで行ったら破れます。破れたら歩き方が崩れます。帰りに遅れます」
男は気まずそうに頭をかいた。
「よく見てるな」
「それが仕事です」
エマは荷をしまいながら言った。
「痛みが増えたら言ってください。黙って歩かれると、手当てする頃には遅くなります」
「……分かった」
ニナが隣で笑った。
「言い方」
「必要なことを言っただけ」
「必要なのは分かるけど、逃げ道がない」
エマは水袋を取って、ニナを見た。
「ニナも水」
「飲んだ」
「もう一口」
「はいはい」
「はいは一度でいいんじゃなかった?」
ニナは目を丸くし、それから小さく笑って水袋に口をつけた。
ノルはその様子を黙って見ていた。
何も言わなかったが、止めもしなかった。
エマはそれで十分だと思った。
救護は、倒れてから始めるものではない。
歩けなくなる前に、歩けるようにしておく。息が乱れる前に、休ませる。灯りが切れる前に、残りを見る。荷が尽きる前に、戻る道を考える。
エマは背負い袋の口を閉じた。
誰かが倒れるのを待つために、ここにいるわけではない。
倒れずに戻すために、ここにいる。
「行くぞ」
ノルの声で、一行は再び立ち上がった。
三階層へ。
そして、その先へ。
前回の場所へ近づくほど、石壁の色が少しずつ暗く見えた。
気のせいかもしれない。
けれどエマは、服の内側で祈り紐が肌に触れるのを感じた。
まるで、そこにいる、と言われているようだった。
エマは小さく息を吐いた。
見てて、母さん。
声には出さなかった。
ただ、胸の中でそう言った。
今度は、戻す。
倒れた誰かを。
そして、自分たちも。
地上へ。
エマは荷の重みを肩で受け直し、前を向いた。
本作品は未完成な部分や表現に納得できない箇所が随所にあります。なので、随時修正します。
シナリオや展開を変えるつもりはありません。
ご容赦ください。




