第17話 戻るために背負う
ダンジョンに潜る人たちの話です。
ライト文芸寄りのダークファンタジーです。
▼登場人物
エマ・ウォーカー 主人公です。
オスカー・ウォーカー エマの弟
マルタ・リード 治療師(50代くらい/女性)
オルブライト・ケイン 白鹿のギルド長
ノル・ハーヴェイ 白鹿の探索隊長の一人
ニナ・クラーク 白鹿のギルド所属の前衛 エマの仲間
フィン・アルダー 商人・道具屋 ギルドと治療所に出入りしている
リディア・グレイス 神殿からギルドへ派遣された白魔導士/聖職者
ノア・ベル 神殿からギルドへ派遣された白魔導士/聖職者
▼主人公について
白鹿のギルドで働く二十歳前後のサポーター。
元前衛だが、今は救護、素材回収、物資管理、食料と水の配分、退路確認などを担い、探索隊を生きて帰すために働いている。
あらすじ
ケインはノルに、前回中断された五階層の再調査を命じる。表向きの目的は、鉱脈の広がりや足場、魔物の出方、先行者の痕跡を確認することだった。だがその裏には、白骸晶に関わる痕跡を探るという、ノルだけに知らされた別の目的があった。翌朝、再調査の隊に加わることになったエマは、かつて人が死んだ場所へ戻ると知りながらも、今度は最初から救護の準備をして行けると決意する。エマはマルタの治療所で薬や道具を整え、怖くなったら手を動かせと送り出される。そして、酒精と薬草の匂いを背に、次の準備へ向かう。
次にエマが向かったのは、ギルドの中庭にある離れだった。
白魔導士たちが詰める建物は、いつも少し静かだ。白鹿の館の中にありながら、そこだけ空気の流れが違う。扉の前には小さな鉢が置かれ、乾いた薬草が束ねられて軒下に吊るされていた。
エマが扉を叩くと、少ししてリディアが出てきた。
「エマさん」
「少しだけ、いいですか」
「もちろんです」
中へ通されると、淡い薬草の匂いがした。
マルタの治療所のような血や酒精の強い匂いはない。けれど、ここにも人を助けるための場所の静けさがあった。棚には布や瓶が並び、机の上には書きかけの記録が伏せて置かれている。
エマは椅子に座る前に、口を開いた。
「五階層に行きます。前の場所の再調査です」
リディアはすぐには何も言わなかった。
止めるための沈黙ではない。言葉を選んでいる沈黙だった。
「怖いですか」
「怖くないと言ったら嘘です」
エマは正直に答えた。
「でも、行きます。今度は、何もできないまま見ているだけにはしません」
リディアは静かに頷いた。
「マルタさんのところで、たくさん学ばれたのですね」
「怒られただけです」
「それも、学んだということです」
エマは少しだけ眉を寄せた。
「そうですかね」
「ええ。怒られたことを、ちゃんと持って帰ってきている顔です」
そう言われると、返しに困った。
エマは視線をそらし、手首に触れた。服の袖の奥に、祈り紐の感触がある。
リディアの目も、そこへ落ちた。
ミラの形見。
エマは袖口を少しだけ押さえた。
「これも、持って行きます」
「大切なものですから」
「お守りというより、母さんに見張られている気分です」
リディアは少しだけ笑った。
「それなら、無茶をしすぎた時に止めてくださるかもしれませんね」
「止まれるかは分かりません」
「そこは、止まってください」
「努力します」
リディアは棚から小さな布包みを取った。白い布で包まれたそれを、両手でエマに差し出す。
中には、清められた布と、小さな祈りの印が入っていた。
「白魔法ではありません。傷口に直接使うものでもありません。ただ、道具や手を置く場所に使ってください。汚れた床や石の上に、針や布を直接置かずに済みます」
エマは受け取った。
「ありがとうございます」
「エマさん」
呼び止める声が、少しだけ低くなった。
「救えなかったことを、すべて背負わないでください」
エマは答えるまでに、少し間を置いた。
「全部は背負えません」
「はい」
「でも、目の前にいる人は、できるだけ背負います」
リディアは寂しそうに、けれど優しく笑った。
「あなたらしいです」
エマは布包みを荷に入れた。
「心配ばかりかけますね」
「心配できる相手が戻ってきてくれるなら、それでいいです」
その言い方が静かで、エマは少しだけ胸を突かれた。
リディアは続けた。
「どうか、戻ってきてください」
「戻ります」
エマはそう言った。
願いではなく、約束にするつもりで。
最後に、エマはノアのもとへ向かった。
ノアは隣の部屋で、机の上に数本のスクロールを並べていた。一本一本に印があり、用途ごとに紐の色が違う。窓のそばには、湿気を避けるための小さな箱が置かれていた。
「今回の支給分です」
ノアはいつも通り、硬い声で言った。
「治癒用、出血抑制、骨折補助。前回より多めに用意しています。携行分と予備分に分けてください。消耗品扱いですが、使用後は残滓を可能な限り回収してください」
「残滓?」
「使用記録と照合します」
「細かいですね」
「細かくしないと事故が起きます」
それは、ノアらしい答えだった。
エマはスクロールを一本ずつ確認した。紐の締まり、外側の札、湿気の有無。マルタなら、触る前に手を拭けと言うだろう。そう思って、エマは服ではなく、荷から布を出して指先を拭いた。
ノアの視線が、ほんの少しだけ動いた。
何も言わない。
だが、見てはいた。
その中に、ひとつだけ紐の感触がわずかに違うものがあった。
エマは指を止めた。
「これ、印が少し違いません?」
ノアの手が止まった。
本当に一瞬だけだった。
「管理上の印です。使用手順は通常の治癒用と同じです」
「ふうん」
エマはスクロールを眺めた。見た目は大きく変わらない。だが、外側の印の付け方だけが、ほかと少し違う。
「危ないものじゃないですよね」
「治癒用です」
「答えが少しずれてません?」
ノアはエマを見た。表情は変わらない。
「使用手順は、治癒用と同じです。不用意に開かないでください。湿気にも気をつけてください。血で濡れた手で触る場合は、外側の紐だけにしてください」
言えることと、言わないことを分けている顔だった。
エマはそれ以上踏み込まなかった。
「分かりました」
ノアはスクロールを革筒に収めた。
「エマさん」
「はい」
「スクロールは便利です。ですが、万能ではありません」
「それは、最近よく言われます」
「なら、もう一度言います。万能ではありません。使うべき時を誤れば、助けられる人を助けられなくなります」
エマは少しだけ真面目に頷いた。
「分かってます」
「あなたは、分かっていても動くことがありそうです」
「必要なら動きます」
「そこが心配です」
「リディアさんにも言われました」
「でしょうね」
ノアは革筒を差し出した。
「記録を忘れずに」
「生きて帰ったら書きます」
「先に書ける分は、先に書いてください」
「そこですか」
「そこです」
ノアはまったく笑わなかった。
けれど、革筒を渡す手は、いつもより少しだけ丁寧だった。
「戻ってください」
エマは革筒を受け取った手に、少しだけ力を込めた。
「戻ります」
出発の朝。
エマが荷を背負うと、オスカーはかまどの前からこちらを見た。
火はもう落とされている。鍋には布がかけられ、卓の端には包んだパンと干し肉が置かれていた。いつの間に用意したのか、エマの水袋も満たされている。
「行くの?」
「行く」
オスカーは少しだけ視線を落とした。
「前の場所なんでしょ」
「うん」
「……帰ってきてよ」
声は普通だった。
けれど、オスカーの目は笑っていなかった。
エマは戸に手をかける前に、振り返った。
「帰る」
「簡単に言わないで」
「簡単には言ってない」
オスカーは黙った。
エマも、言葉を重ねなかった。
ここで大丈夫だと言えば、嘘になる。危なくないと言えば、もっと嘘になる。だから、言えることだけを言った。
「行ってきます」
オスカーは少し遅れて、頷いた。
「行ってらっしゃい」
五階層へ向かう一行は、白鹿のギルドの門前に集まっていた。
ニナは身軽な装備で、腰の道具を確認している。前衛たちは武器を見直し、採掘確認役は袋と細い道具を背負っていた。
エマの荷は、前より重かった。
背負い袋の中で、薬瓶が小さく鳴る。
布。針と糸。酒精。スクロール。マルタに渡された小瓶。痛み止め。リディアの清めた布。ノアから受け取った革筒。
首元では、服の内側に入れた祈り紐が、かすかに肌に触れていた。
ニナがエマの荷を見て、目を細めた。
「……重そう」
「必要だから」
エマは背負い袋の紐を引き直した。
ニナは少しだけ門の外を見た。
「前の場所に戻るんだよね。嫌じゃないの?」
「嫌かどうかで決めてない」
エマは即答した。
「あそこでまた誰かが倒れていたら、今度は連れて帰る。そのために行く」
ニナは少し黙った。
それから、困ったように笑った。
「エマって、たまにまっすぐすぎるよね」
「曲がる余裕がないだけ」
「それ、けっこう危ない言い方だよ」
「分かってる」
ニナは腰の短剣を確かめた。
「前に出すぎたら、引っ張るから」
「お願い」
「素直」
「そこは素直にしておく」
二人は少しだけ笑って、それで終わりにした。
ノルが門の外へ目を向ける。
「行くぞ」
一行は歩き出した。
町の音が背中へ遠ざかる。石畳が土の道に変わり、やがてダンジョンへ向かう冷たい空気が肌に触れた。
エマは服の上から祈り紐に触れた。
行く。
あの場所へ。
今度は、何もできなかった手ではない。
十分ではない。
怖くないわけでもない。
それでも、行く。
倒れた誰かを、今度こそ地上へ戻すために。
エマは荷の重みを肩で受け直し、前を向いた。
本作品は未完成な部分や表現に納得できない箇所が随所にあります。なので、随時修正します。
シナリオや展開を変えるつもりはありません。
ご容赦ください。




