第16話 再調査
ダンジョンに潜る人たちの話です。
ライト文芸寄りのダークファンタジーです。
▼登場人物
エマ・ウォーカー 主人公です。
オスカー・ウォーカー エマの弟
マルタ・リード 治療師(50代くらい/女性)
オルブライト・ケイン 白鹿のギルド長
ノル・ハーヴェイ 白鹿の探索隊長の一人
ニナ・クラーク 白鹿のギルド所属の前衛 エマの仲間
フィン・アルダー 商人・道具屋 ギルドと治療所に出入りしている
リディア・グレイス 神殿からギルドへ派遣された白魔導士/聖職者
ノア・ベル 神殿からギルドへ派遣された白魔導士/聖職者
▼主人公について
白鹿のギルドで働く二十歳前後のサポーター。
元前衛だが、今は救護、素材回収、物資管理、食料と水の配分、退路確認などを担い、探索隊を生きて帰すために働いている。
あらすじ
オスカーの待つ家で一息ついたあとも、エマはマルタの治療所へ通い続ける。血を押さえる力加減、傷を縫う順番、ポーションや薬の使い方。どれも簡単ではなく、マルタには何度も叱られる。それでもエマは、スクロールが何でも代わりにしてくれるわけではないこと、傷を閉じる前に見なければならないものがあることを、少しずつ手で覚えていく。怖さは消えない。だが、怖いままでも動けるようになるため、エマは学ぶことをやめなかった。そんな日々の先で、白鹿のギルドでは、前に中断された五階層の再調査が動き出そうとしていた。
ギルド長室の窓は、半分だけ開いていた。
外から入る風は冷たく、机の上に広げられた古い地図の端をかすかに揺らしていた。五階層周辺の地図。前回の報告書。その横には、まだ処理の終わっていない紙束が重ねられている。
ケインは地図の一点を指で押さえていた。
「五階層の再調査を行う」
向かいに立つノルは、黙ってその場所を見た。
前回、エマたちが向かった場所だった。鉱脈候補の確認に入ったはずが、潜ってすぐに先行者同士の争いに遭遇した。調査どころではなくなり、死者が出た。
領主側への引き渡しは済んでいる。
だが、あの場所そのものは、まだ見終えていない。
表向きには、そういう話だった。
「鉱脈の広がり、採掘に入れるかどうか、魔物の出方、先行者の痕跡。全部を見直す」
「人員は」
「お前が率いろ。ニナも入れる。あの周辺の足場を見るには、身軽な目がいる」
ケインの指が、地図の上で止まった。
「エマもだ」
ノルの目が、わずかに動いた。
「エマを?」
「必要だろう」
ケインは低く言った。
「前回の現場を知っている。救護もできる。マルタのところに通っているそうだな」
「戻すには、少し早いのでは」
「早いかどうかは、本人の顔を見て決めろ。だが、前回の現場を知らない者を連れて行くよりはいい」
ノルはすぐには答えなかった。
エマが無理をすることは分かっている。止めれば止まる人間ではないことも、もう分かっている。だからこそ、連れて行くなら役を決め、動く場所を決めておく必要があった。
ケインは机の引き出しを開け、小さく封をされた紙を取り出した。
それをノルの前に置く。
「これは、お前だけが読む」
ノルは封を見た。
「内容は」
「白骸晶に関する痕跡だ」
部屋の空気が、少し重くなった。
ノルはすぐには手を伸ばさなかった。
「……白骸晶、ですか」
「ああ」
「おとぎ話の中の石だと思っていました」
「そう思っている者の方が多い」
ケインは短く答えた。
ノルの目が、封へ落ちる。
「本当にあると?」
「少なくとも、あると考えて動いている者たちがいる」
その言い方で、ノルの表情がわずかに変わった。
「鉱脈調査ではないんですか」
「鉱脈調査だ」
ケインは言った。
「その裏で、見るものがある」
ノルは封を取り、開いた。
中の紙に書かれていたのは、白骸晶そのものを探せという命令ではなかった。白い結晶片。周囲の石の白化。魔物の異常な硬化。そうしたものがあれば、採掘確認役には知らせず、まず位置と状態だけを記録すること。
同行者には、調査の詳しい目的を伏せること。
ノルは紙から目を上げた。
「中層で出る可能性があると?」
「まとまったものは深層だ。だが、欠片や周囲の変質なら、中層でも見つかることがあるらしい」
「らしい、ですか」
ノルの声は硬かった。
「確証はない。だから調べる」
「誰の意向です」
ケインはしばらく黙った。
その沈黙だけで、ノルは答えの半分を理解した。
「神殿ですか」
ケインは否定しなかった。
「表には出すな」
ノルの指が、紙の端を押さえた。
「理由は」
「知らない方が動けることもある」
「知らないまま巻き込まれることもあります」
ケインはノルを見た。
「だから、お前に預ける」
その言葉は、信頼にも命令にも聞こえた。
ノルは紙を畳んだ。
「鉱脈調査にしては、ずいぶん条件が多いですね」
「だから、お前に預ける」
ケインは同じ言葉を返した。
今度は、さっきより重かった。
ノルは何も返さなかった。封を懐にしまう。
ケインは地図に目を落としたまま、低く続けた。
「全員を連れて帰ってこい」
ノルは少しだけ目を伏せた。
「了解しました」
ケインは地図の端を押さえ直した。
「今回、採掘そのものは無理に始めなくていい。見るだけでいい。だが、他の連中が先に入っている可能性はある」
「ヴェルグですか」
「ヴェルグに限らない」
ケインの声が低くなった。
「この手の匂いは、人を呼ぶ」
ノルは何も言わなかった。
その言葉の意味だけ、胸の奥に置いた。
翌朝、白鹿のギルドの準備部屋に、再調査に加わる者たちが集められた。
前衛が数人。採掘確認役。ニナ。そしてエマ。
机の上には、五階層周辺の略図が広げられていた。ノルはいつも通り、無駄のない声で説明した。
「前回の五階層調査は、先行者同士の争いで中断された。今回はその仕切り直しだ。目的は、鉱脈候補の範囲確認、足場、魔物の出方、採掘に入れるかどうかの判断」
ニナが地図を覗き込む。
「前に戦闘があった場所も通る?」
「通る」
ノルは答えた。
「避ける理由はない。むしろ、そこから調べる」
部屋の空気が少しだけ沈んだ。
エマは地図の一点を見ていた。
あの場所を思い出す。
倒れた男。血の匂い。言い争う声。助けられなかった命。
けれど、前ほど息は詰まらなかった。
手のひらの奥には、別の感触も残っている。
マルタの治療所で押さえた血管。縫った糸。酒精でこすった爪の間。ポーションの苦い匂い。目を逸らしたくなる場面で、それでも手を動かしたこと。
あそこに戻る。
そう思った時、最初に出てきたのは、嫌だ、ではなかった。
行く。
エマは地図から目を上げた。
「行きます」
ノルがエマを見た。
「まだ何も聞いていない」
「聞きました。五階層でしょ。前の場所でしょ。なら行きます」
ニナが少しだけ目を丸くした。
エマは続けた。
「今度は、最初から救護の準備をして行けます。前よりは、できることがあります」
「無茶をするな」
ノルは短く言った。
「それは内容によります」
「内容によらない」
「倒れている人がいたら、私は行きます」
「一人では行かせない」
「じゃあ、誰かつけてください」
ノルは少し黙った。
ニナが、小さく息を漏らすように笑った。
「エマ、強いね」
「強くないと困る」
エマは即答した。
「サポーターが先にへばったら、誰が水を配るの」
ニナは肩をすくめた。
「それは困る」
ノルは地図に目を戻した。
「前回の現場までは、余計な寄り道はしない。魔物が出ても深追いするな。倒したら確認して進む」
「分かりました」
「エマ」
ノルが地図から目を上げた。
「倒れている者がいても、まず周りを見ろ」
「分かってます」
「分かっていても動くから言っている」
エマは少しだけ黙った。
その通りだった。
「……まず見ます」
「それでいい」
ノルは地図に指を置いた。
「助けるなとは言っていない。助けるために見ろ」
その言葉は、マルタの言い方とは違っていた。
けれど、刺さる場所は同じだった。
説明が終わると、エマはその足で治療所へ向かった。
マルタは薬棚の前で、瓶の札を替えていた。
「来たね」
「まだ何も言ってないです」
「顔に書いてある」
「そんなに分かりやすいですか」
「分かりやすいよ。面倒な仕事を拾ってきた顔だ」
エマは少しだけ口を曲げた。
「五階層の再調査に行きます」
マルタの手が止まった。
ほんの一瞬だけだった。
「前の場所かい」
「はい」
「そうか」
マルタは棚から小瓶を数本取り出した。
「薄める用の回復薬。吐き気止め。腹下し用。ケシ入りは一本だけだ。使うなとは言わない。けど、使う時は理由を言える時だけにしな」
エマは小瓶を受け取った。
「ありがとうございます」
「礼を言うなら、帰ってからにしな」
「じゃあ、先払いです」
「生意気だね」
「マルタさん仕込みです」
マルタは鼻を鳴らした。それから、エマの荷物を見た。
「布」
「清い布と、使い捨てる布を分けました」
「酒精」
「小瓶二本。道具拭き用と、手用」
「針」
「入れました」
「糸」
「太いのと細いの、両方」
「水」
「自分の分と、予備」
「食い物」
「硬いパンと干し肉。あと塩」
マルタは少しだけ目を細めた。
「少しは見られる荷になった」
エマは、なぜかそれが嬉しかった。
「行ってきます」
「勝手に死ぬんじゃないよ」
「死にません。連れて帰る側なので」
「口だけは一人前だね」
「手も、そのうち追いつきます」
マルタは短く笑った。
「なら、順番を間違えるな。息、血、空気、動かしていいか。覚えてるね」
「覚えてます」
「怖くなったら?」
「手を動かします」
「よし」
マルタは小瓶をもう一本、エマの手に押しつけた。
「これは持っていけ。薄いが、腹には優しい」
「余分にくれるんですか」
「帰ってきたら返せ」
「薬を?」
「瓶を」
エマは少し笑った。
「返します」
治療所を出る前に、エマは一度だけ頭を下げた。
深くはなかった。
でも、ふざけてもいなかった。
「教えてくれて、ありがとうございました」
マルタは瓶の札に目を戻した。
「まだ教え終わってないよ」
「じゃあ、続きを聞きに戻ります」
「ああ。戻ってきな」
エマは頷いて、治療所を出た。
酒精と薬草の匂いが、背中に少しだけ残った。
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前書きの設定情報を修正しました。
本作品は未完成な部分や表現に納得できない箇所が随所にあります。なので、随時修正します。
シナリオや展開を変えるつもりはありません。
ご容赦ください。




