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ダンジョンサポーター  作者: Aramaki_mai
第一章 白鹿のサポーター
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第15話 マルタの教え

ダンジョンに潜る人たちの話です。

ライト文芸寄りのダークファンタジーです。


▼登場人物

エマ・ウォーカー     主人公です。

オスカー・ウォーカー   エマの弟

マルタ・リード      治療師の女性

ニナ・クラーク      白鹿のギルド所属の前衛 エマの仲間

フィン・アルダー     商人・道具屋 ギルドと治療所に出入りしている


▼主人公について

白鹿のギルドで働く二十歳前後のサポーター。

元前衛だが、今は救護、素材回収、物資管理、食料と水の配分、退路確認などを担い、探索隊を生きて帰すために働いている。


あらすじ

重傷者ラルフの処置を終えたエマは、血と酒精の匂いをまとったまま家へ帰る。何度手を洗っても、血の管を押さえた感触や、腕に残った爪の痛みは消えなかった。疲れ切った彼女は、オスカーに頼まれていた豆と油を買い忘れてしまう。家では、オスカーが薄い麦粥を用意して待っていた。呆れながらも、彼はエマの腕の爪痕を冷やし、治療所で何があったのかを静かに聞く。怖さも疲れも消えない。それでも、薄い麦粥の匂いと弟の優しさに支えられ、エマはまた明日へ戻っていく。

それから数日、では済まなかった。

最初の日、マルタはそう言った。


「一度聞いて覚えた気になるやつから、現場で手が止まる」


その言葉どおり、エマは仕事の合間を縫って、何度も治療所へ通った。

初めに叩き込まれたのは、血の止め方だった。

布を当てる場所。押さえる強さ。押さえた手を、どこまでなら動かしていいか。

血は、思っていたよりずっと逃げる。

布の下からにじむ。指の横を抜ける。押さえているつもりの場所とは別のところから、ぬるりと出てくる。


「そこじゃない」


マルタの声が飛んだ。


「押さえてるつもりで、血を逃がしてる」


エマは歯を食いしばって、指の位置をずらした。


「強すぎても潰す。弱すぎても止まらない。患者は大人しくしてくれない。暴れる。泣く。怒鳴る。それでも、必要なら押さえ続けろ」


「はい」


「返事だけで止まる血はないよ」


「……分かってます」


「分かってる手じゃないね」


腹が立った。

けれど、言い返している暇はなかった。

エマは黙って、布を押さえ直した。

次に覚えたのは、縫うことだった。

最初は厚い布。次は肉屋から分けてもらった獣の皮。最後には、浅く裂けた傷の処置を横で手伝わされた。

針を刺す角度。糸を締める強さ。結び目の置き方。

締めすぎれば皮が裂ける。緩すぎれば傷が開く。

思ったより、加減が難しい。


「傷口を閉じれば終わりじゃない」


マルタはエマの手元を見ながら言った。


「中に汚れや血が残っていれば、閉じたあとで悪くなる。洗う。見る。止める。必要なら中を探る。それから縫う。順番を間違えるな」


エマは頷いた。

頷いたあとで、すぐに間違えた。

マルタがエマの手首をつかむ。


「急ぐな」


「急げって言ったじゃないですか」


「粗く急げとは言ってない」


「難しいんですけど」


「だから練習してるんだよ」


エマは息を吐いて、もう一度針を持った。

指先がこわばる。けれど、目は逸らさなかった。

薬棚の前に立たされた日もあった。

瓶が並んでいた。薄い緑。濁った赤。琥珀色。白く濁ったもの。苦い匂いのするもの。甘い果実の匂いに似たもの。


「ポーションは魔法の水じゃない」


マルタは一本を手に取った。


「飲めば傷が塞がる、なんて思うな。主な材料は、魔力を吸って育った草や木の果汁、樹液、根の汁だ。それを煮詰めて、薬草と合わせる」


エマは瓶を覗き込んだ。


「飲み薬なんですか」


「基本はね」


マルタは瓶を軽く振った。


「体を持ち直させる薬だ。熱を下げる。腹を落ち着かせる。吐き気を抑える。血を失ったあと、倒れそうな体を支える。だが、効きは遅い」


「遅いんですか」


「遅い」


マルタは容赦なく言った。


「切れた血の管は、ポーションを飲ませてもつながらない。裂けた肉は、縫わなきゃ閉じない。折れた骨は、正しい場所に戻さなきゃ曲がって固まる」


エマは瓶を見た。

便利な薬があるなら、それでどうにかなるのだと思いたかった。

思いたかっただけだ。

マルタは、それを許してくれなかった。


「中にはケシを足したものもある。痛みを鈍らせるには役に立つ。でも、疲れ薬みたいに使えば人を壊す。癖になる。量を間違えれば、息まで弱る」


「……薬なのに?」


「薬だからだよ」


マルタはエマを見た。


「効くものは、間違えれば毒になる」


その日、エマはポーションの薄め方を覚えた。

吐き気を止める滴薬。腹下しに使う苦い薬。塩を混ぜた湯で薄める回復薬。衰弱した者に少しずつ飲ませる果汁のポーション。

何度も匂いを嗅ぎ、札を読み、間違えた。


「これは?」


「腹下し用です」


「違う。吐き気止めだ」


「……すみません」


「謝る相手は私じゃない。間違って飲まされる患者だ」


エマは唇を噛んで、瓶の札を付け直した。

腹を壊した者や、吐き続ける者の対処も教わった。

最初、エマには地味に見えた。

血も出ない。骨も折れていない。叫び声もない。

けれど、マルタはそこを軽く扱わなかった。


「腹を壊しただけ。吐いただけ。そう思ったやつから死ぬ」


水が抜ける。塩も抜ける。力も抜ける。

歩けなくなる。手が震える。考えも鈍る。

ダンジョンの中なら、それだけで置いていかれる。


「吐いてるやつに、濃いポーションを無理に飲ませるな。余計に吐く」


「じゃあ、薄める?」


「少しずつだ。飲ませる量と間を見ろ。腹を壊してるなら、冷えた水をがぶ飲みさせるな。腹が余計に暴れる」


エマは小さな器に、薄めたポーションを作った。

マルタが味を見て、顔をしかめる。


「濃い」


「薄めます」


「遅い」


「はい」


「現場でこれをやる時は、横で誰かが呻いてる。魔物が近いかもしれない。火も少ないかもしれない。そこで迷うな」


エマは器を持ったまま、頷いた。

正直、迷うなと言われても困る。

迷うに決まっている。

けれど、迷ったままでも手を動かすしかないのだと、最近は少し分かってきた。

毒とガスの対処を叩き込まれた日、マルタは治療所の床に、炭の粉で簡単な図を描いた。

通路。曲がり角。倒れた人間。消えかけた灯り。


「倒れてるやつを見つけた時、すぐ駆け寄るな」


エマは眉を寄せた。


「でも、急がないと」


「助けに行ったお前が倒れたら、死体が二つになる」


その声は冷たかった。

だが、マルタは脅しているのではなかった。

ただ、そういう場所を見てきた人の声だった。


「空気を見ろ。火が弱ってないか。小動物が落ちてないか。変な匂いはあるか。喉が焼ける感じはないか。眠気が急に来ないか」


濡らした布で口を覆う。風上を探す。低い場所に溜まるガスに気をつける。動かせるなら、まず毒のある場所から離す。

吐かせていい毒と、吐かせてはいけない毒がある。

水を飲ませていい時と、飲ませてはいけない時がある。

覚えることが多すぎて、エマは頭が重くなった。


「多すぎます」


思わず言うと、マルタは鼻で笑った。


「だから現場は人を殺すんだよ」


別の日、肩を外した男が運び込まれてきた。

顔を真っ赤にして、歯を食いしばっている。腕は不自然な位置で止まり、本人は動かそうとするたびに息を詰めた。

エマは添え木を探そうとした。


「違う」


マルタが止めた。


「折れてるなら固定する。外れてるなら戻す。見分けを間違えれば、助けるつもりで壊す」


「どう見分けるんですか」


「見る。触る。聞く。動かす前に考える」


マルタは男に息を吐かせた。

腕の向き。腫れ方。指先の色。痛む場所。動く場所。

一つずつ確かめてから、短く言った。


「力を抜け。抜けないなら、抜けたふりをしろ」


次の瞬間、鈍い音がした。

男が息を詰め、すぐに深く吐いた。


「戻った」


マルタはそう言った。

エマは思わず、自分の肩を押さえた。


「私にも、できるようになりますか」


「なる」


マルタは道具を片づけながら言った。


「ただし、折れてる腕で同じことをやれば、二度と使えなくなるかもしれない。覚えるのは手順だけじゃない。見る目だ」


その言葉の意味を、エマはすぐに知ることになった。

ある日、腹を強く打った男が運び込まれてきた。

外に大きな傷はない。

だが、顔色が悪い。唇が白い。腹が張っている。息が浅い。

男は痛いとも言わなかった。

それが、かえって嫌だった。

マルタの顔つきが変わる。


「内側で出てる」


エマは息を呑んだ。


「開く」


短い言葉だった。

治療所の空気が一気に変わった。

エマは言われる前に、酒精の壺を取った。手を洗う。爪の間を洗う。道具を拭く。布を替える。

やることがある方が、まだましだった。

考える暇があると、足が止まりそうになる。

マルタが刃を取った。


「見ていろ。手伝え。目を逸らすな」


「はい」


声は出た。

けれど、喉は乾いていた。

マルタは男の腹を切った。


血が出た。

エマの手が一瞬止まりかけた。


「拭け」


マルタの声で、動いた。

布で血を吸う。新しい布を渡す。鉤のような道具で、開いた場所を支える。

腹の中は、エマが知っている身体とは違って見えた。


熱く、赤く、滑っていた。


生きているものの内側だった。


「ここにポーションを使う」


マルタは薄い琥珀色の液を、小さな布に含ませた。


「飲ませるだけじゃ届かない場所がある。内側の傷には、直接当てることもある」


「それで治るんですか」


「すぐには治らない」


マルタは迷わず手を動かした。


「効きは遅い。だから、待ってる間に血が流れ切れば終わりだ」


破れた血の管を探す。

つまむ。縛る。縫う。


エマはマルタに言われるまま、開いた場所を支え、血を拭き、布を替えた。

手が震えた。


「震えるなとは言わない」


マルタが言った。


「でも、離すな」


エマは奥歯を噛みしめた。


「スクロールは使わないんですか」


思わず聞いた。

マルタは目を離さずに答えた。


「腹の中に紙を当てる気かい」


エマは言葉に詰まった。


「スクロールは外には強い。だが、紙も布も、内側に入れれば汚れを連れてくる。助けたつもりで殺すことになる」


血管を縛り終えると、マルタはようやく息を吐いた。


「白魔法が使える者は、こういう時に強い。清めた手と加護で、内側に直接触れられる。ポーションの効きも引き上げられる」


エマは顔を上げた。


「回復魔法なら、できるんですか」


「できる者もいる」


マルタは短く言った。


「だから高い金で呼ばれる。だから神殿は力を持つ」


その言い方には、少しだけ苦いものが混じっていた。


「けど、白魔導士が来るまで血は待たない」


マルタは糸を締めた。


「だから、私らが止める」


エマは返事をしなかった。

できなかった。


ただ、手を離さなかった。

処置が終わった時、男はまだ息をしていた。

助かったのかどうかは、すぐには分からない。

ポーションの効きは遅い。内側の傷がどこまで持ち直すかは、夜を越えなければ分からない。


それでも、血は止まった。

今は、それがすべてだった。


その夜、エマは家に帰っても、しばらく食事に手をつけられなかった。

オスカーは何も聞かなかった。

ただ、薄い麦粥を少しだけ濃くして、椀をエマの前に置いた。


「食べないと、明日また倒れるよ」


エマは椀を見た。


「倒れない」


「姉さんの大丈夫は信用してない」


「前から?」


「前から」


エマは少しだけ笑って、匙を取った。

麦粥は熱かった。

味はよく分からなかった。

それでも、飲み込んだ。

その後も、治療所にはいろいろな怪我人が来た。


腐りかけた腕の男が運び込まれてきたのは、雨の降った翌日だった。

怪我をしたあと、何日もまともな処置を受けられなかったらしい。

肘から先が黒ずみ、嫌な匂いがした。

エマは一目見て、喉の奥が詰まった。

治すのだと思った。


洗って、薬を塗って、ポーションを使って、スクロールを使って、どうにか残すのだと思った。

けれど、マルタは短く言った。


「切る」


エマは顔を上げた。


「残せないんですか」


「残せない」


返事は早かった。

早すぎて、冷たく聞こえた。


「でも、ポーションを使えば」


「もう死んでる肉だ」


マルタは男の腕を見たまま言った。


「死んだものを抱えたままにすれば、生きてる方まで腐る。腕を惜しめば、この男ごと失う」


エマは言い返せなかった。

男にはケシの乳薬が使われた。

酒精で手と道具を洗い、布を敷き、マルタが刃を取る。

エマは横で布を押さえた。

切るところは見ないつもりだった。

けれど、見ろ、とマルタに言われた。


「目を逸らすな。お前がいずれ現場で判断するなら、見ておけ」


嫌だ。そう思った。

でも、見た。

血が出た。

嫌な匂いと、酒精の匂いと、呻き声が混ざった。


マルタは動じなかった。

必要なところを切り、血を止め、残った腕を処置した。最後にスクロールを使って、外側の傷の崩れを押さえる。

腕は残らなかった。

けれど、男は死ななかった。


処置が終わったあと、エマは外に出て、壁に背を預けた。

吐き気は来なかった。

泣きもしなかった。

ただ、身体の中が重かった。

マルタが遅れて出てきた。


「気に入らない顔だね」


「……助かったんですよね」


「ああ」


「でも、腕は」


「戻らない」


エマは拳を握った。


「それでも、助けたって言えるんですか」


マルタは少しだけ黙った。

それから、いつもの低い声で言った。


「生きてる」


エマは顔を上げた。


「明日、飯を食える。誰かの声を聞ける。悪態もつける。腕がないって泣くこともできる」


マルタは治療所の扉を見た。


「死んだら、それもできない」


エマは何も言えなかった。


「全部戻すことだけが治療じゃない。残せるものを残す。残せないものは、切る。そうしなきゃ、命まで持っていかれる」


風が吹いた。

酒精の匂いが、服の袖からかすかに上がった。

マルタはエマを見た。


「覚えておきな。救うってのは、きれいなことばかりじゃない」


それからも、エマは通った。

包帯の巻き方も教わった。

添え木の当て方も教わった。

だが、それだけではなかった。


血を止めること。縫うこと。薬を選ぶこと。空気を見ること。

動かしていい怪我と、動かしてはいけない怪我を見分けること。


何を残し、何を諦めるか。

何度も間違えた。

何度も怒られた。

何度も、もう嫌だと思った。


それでも、次の日には治療所の戸を開けた。

ある夕方、エマが傷に巻いた布を結んでいると、マルタが横から覗き込んだ。


「遅い」


「分かってます」


「結び目が甘い」


「直します」


「でも、逃げなくなった」


エマの手が止まった。

マルタはそれ以上、何も言わなかった。

褒められたのか、ただの事実なのか分からない。

たぶん、マルタにとってはただの事実なのだろう。

けれど、エマには少しだけ効いた。


「……逃げたら、怒るくせに」


「逃げなくても怒るよ」


「それは、知ってます」


「治療所だからね」


エマは小さく息を吐いて、包帯を結び直した。

しばらくすると、ギルドから使いが来た。

館に戻るように、という伝言だった。


五階層の再調査。


前に争いが起きた場所を、改めて調べることになったらしい。

エマはしばらく黙っていた。

怖くないわけではない。

むしろ、怖かった。


あの場所を思い出すだけで、胸の奥が固くなる。

助けられなかった人の顔も、声も、まだ消えていない。

けれど、エマはマルタの治療所の中を見た。


包帯。酒精。縫い針。添え木。ポーションの瓶。ケシの乳薬。使いかけのスクロール。血の跡が残った布。

そして、自分の手。


何もできなかった手では、もうない。

十分な手でもない。

それでも、前よりは少しだけ、何かを掴める手になっていた。


「行くのかい」


マルタが聞いた。


エマは頷いた。


「行きます。誰も置いていかない。生きて連れて帰るために」


「怖いだろ」


「怖いです」


「なら、覚えておきな」


マルタは治療台の上を片づけながら言った。


「怖い時ほど、順番を間違えるな。息を見ろ。血を見ろ。空気を見ろ。動かしていいか考えろ。助けたいって気持ちだけで、人を引きずるな」


エマは頷いた。


「それと」


マルタがこちらを見た。


「全部救えると思うな」


その言葉は、刃物みたいに胸に入った。

けれど、エマは目を逸らさなかった。


「はい」


マルタは小さく鼻を鳴らした。


「なら行ってこい。生きて戻れ。できれば、誰かも連れて戻れ」


エマは治療所を出た。

外の風は冷たかった。


怖い。

まだ怖い。

でも、足は止まらなかった。


前書きの設定情報を修正しました。

本作品は未完成な部分や表現に納得できない箇所が随所にあります。なので、随時修正します。

シナリオや展開を変えるつもりはありません。

ご容赦ください。

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