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ダンジョンサポーター  作者: Aramaki_mai
第一章 白鹿のサポーター
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第14話 忘れて残ったもの

ダンジョンに潜る人たちの話です。

ライト文芸寄りのダークファンタジーです。


▼登場人物

エマ・ウォーカー     主人公です。

オスカー・ウォーカー   エマの弟

マルタ・リード      治療師(50代くらい/女性)

フィン・アルダー     商人・道具屋 ギルドと治療所に出入りしている


▼主人公について

白鹿のギルドで働く二十歳前後のサポーター。

元前衛だが、今は救護、素材回収、物資管理、食料と水の配分、退路確認などを担い、探索隊を生きて帰すために働いている。


あらすじ

マルタの治療所で、エマは添え木の当て方を学んでいた。早さと丁寧さの間で迷うエマに、マルタは「忘れるな。でも、混ぜるな」と告げる。死なせた男の記憶に呑まれず、今目の前にいる人を見るためだった。そこへ、荷車に足を巻き込まれた男ラルフが運び込まれる。骨が折れ、血の管も傷ついた重傷を前に、エマは恐怖をこらえながらマルタの指示に従い、血を押さえ、足を支える。スクロールは万能ではない。順番を間違えれば、傷が閉じても命は助からない。処置の末、ラルフの足はどうにか残った。だがエマの手には、血のぬるさと、腕に食い込んだ爪の痛みが残っていた。

外に出ると、風が冷たかった。

治療所にこもっていた血の匂いと、酒精の匂いが、少しずつ薄れていく。

エマは自分の手を見た。


何度も洗った。爪の間も、マルタに言われた通りにこすった。

それでも、まだ何かが残っている気がした。

ラルフの足を押さえた感触。

血の管を押さえた時の、ぬるい感触。

爪を立てられた腕の痛み。

全部、手のひらの奥に残っている。


エマは歩きながら、息を吐いた。


「……疲れた」


誰に言うでもなく呟いた。

返事はない。

フィンと落ち合うはずだった通りは、もう夕方の人通りに埋もれていた。荷車の音も、行き交う声も、いつもより遠く聞こえる。

そこで、エマは思い出した。


豆と油。


足が止まった。

腰袋に手をやる。


出がけにオスカーが渡してきた小さな紙片は、腰袋の紐に挟んだままだった。引き抜いて開くと、端が湿って、文字がにじんでいる。

何度も手を洗い、酒精を浴びるようにかけられ、その手で腰袋に触ったせいだろう。


油。豆。


たぶん、そう書いてあったはずだ。


「……終わった」


声に出た。

いや、まだ買えるかもしれない。

豆屋も油屋も、完全に閉まったとは限らない。

そう思って通りを見た。

でも、足が動かなかった。

今から店を探して、フィンを探して、値段を聞いて、油を選ぶ。


無理だ。

身体が重い。頭も重い。

もう、何も選びたくない。

エマはしばらく立ち尽くしたあと、家の方へ歩き出した。


怒られる。

たぶん怒られる。

いや、怒鳴られるわけではない。オスカーは、あの顔をする。


静かに見上げてきて、何も言わずに待つ顔だ。

あれが一番きつい。


「……言い訳、どうしよう」


治療で人の足を残す手伝いをしていた。

そう言えば、オスカーは怒らないかもしれない。

けれど、それを先に出すのは違う気がした。

豆と油を忘れたのは、忘れたのだ。

家に戻ると、オスカーはかまどの前にいた。

鍋の蓋を少しだけ開け、中を見て、それからエマを見た。


「おかえり」


「ただいま」


「遅かったね」


「治療所で、ちょっとあって」


「うん」


オスカーは頷き、もう一度鍋の中を見た。

それから、何気ない声で言った。


「で、豆は?」


エマは黙った。

オスカーも黙った。

鍋の湯気だけが、二人の間を上っていく。


「……豆は?」


「オスカー」


「はい」


「まず、落ち着いて聞いてほしい」


「ないんだね」


「早い」


「姉さんがそう言う時は、だいたいない」


エマは視線を落とした。


「油は?」


「それも、落ち着いて聞いてほしい」


「ないんだね」


「早いって」


オスカーは小さく息を吐いた。


「紙、持ってたよね」


「持ってた」


「僕が、忘れないように腰袋に挟んでおいてって言ったよね」


「言った」


「見せて」


エマは観念して、腰袋の紐から紙片を抜いた。

小さな紙は、端が湿って、かろうじて読めるかどうかという有様だった。

オスカーはそれを見て、少しだけ眉を寄せた。


「これは……豆と油?」


「たぶん」


「書いた本人が“たぶん”って言うの?」


「さっきまでは、もう少し読めた」


「文字まで疲れたんだね」


「私も疲れた」


オスカーはそこで、少しだけ笑った。


「それは見れば分かる」


エマは椅子に腰を下ろした。

身体が、どっと重くなる。


「怪我人が来た。足を、ひどくやってた」


オスカーの顔から、からかう色が消えた。


「大丈夫だったの?」


「マルタさんが処置した。今すぐ切る足じゃないって」


「……そう」


オスカーは鍋の蓋を閉じた。


「姉さんも手伝ったの?」


「ほとんど怒られながら」


「それは、いつも通りだね」


「ひどい」


「でも、手伝ったんでしょ」


エマは少し黙った。

袖の下に、ラルフにつかまれた爪の跡が残っている。


「血の管を押さえた。縫ったのはマルタさん。私は、押さえただけ」


オスカーは笑わなかった。


「……怖かった?」


「怖かった」


エマは短く答えた。

それ以上は、うまく言えなかった。

オスカーは棚から布を取った。


「腕、見せて」


「大丈夫」


「姉さんの大丈夫は、だいたい大丈夫じゃない」


「豆と油の件で信用を失ってる?」


「それは前から」


「前から?」


エマが眉を寄せると、オスカーは少しだけ口元を緩めた。

けれど、布を水で濡らす手つきは丁寧だった。

エマは観念して袖をまくった。

赤い爪の跡が、何本も残っている。

オスカーはそれを見て、眉間にしわを寄せた。


「痛い?」


「少し」


「冷やすね」


「うん」


冷たい布が腕に当たる。

エマは小さく息を吐いた。

部屋の中には、薄い麦粥の匂いがした。

豆も油もない、少し頼りない匂いだった。


「今日の夕飯は?」


エマが聞くと、オスカーは鍋を見た。


「麦粥」


「うん」


「豆なし」


「うん」


「油なし」


「言い方」


「事実だよ」


「ごめん」


「明日、買ってきて」


「買う」


「豆と油」


「分かってる」


「また紙に書く?」


「今日はもう書かない」


「じゃあ明日の朝、書く」


「……小さくね」


「大きく書く」


「なんで」


「小さいと負けるから」


「何に?」


「水と酒精に」


エマは少し笑った。

笑うと、腕の跡が痛んだ。

オスカーは濡れた布を押さえたまま、鍋の方を見た。


「姉さん」


「ん?」


「足、今すぐ切らなくて済んでよかったね」


エマは答えなかった。

少しだけ、喉の奥が詰まった。

だから代わりに、腕を預けたまま言った。


「……豆、明日は絶対買う」


「油も」


「油も」


「あと、できれば早めに帰ってきて」


「努力する」


「姉さんの“努力する”は、少し信用が薄い」


「前から?」


「前から」


エマはもう一度笑った。

治療所の匂いは、まだ完全には消えていない。

手の奥に残った感触も、たぶんすぐには消えない。


それでも、冷たい布と、薄い麦粥の匂いと、オスカーの優しさがあった。


前書きの設定情報を修正しました。

本作品は未完成な部分や表現に納得できない箇所が随所にあります。なので、随時修正します。

シナリオや展開を変えるつもりはありません。

ご容赦ください。

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