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ダンジョンサポーター  作者: Aramaki_mai
第一章 白鹿のサポーター
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第12話 遠きに行くは近きよりす

ダンジョンに潜る人たちの話です。

ライト文芸寄りのダークファンタジーです。


▼登場人物

エマ・ウォーカー     主人公です。

オスカー・ウォーカー   エマの弟

マルタ・リード      治療師(50代くらい/女性)

オルブライト・ケイン   白鹿のギルド長

フィン・アルダー     商人・道具屋 ギルドと治療所に出入りしている


▼主人公について

白鹿のギルドで働く二十歳前後のサポーター。

元前衛だが、今は救護、素材回収、物資管理、食料と水の配分、退路確認などを担い、探索隊を生きて帰すために働いている。


あらすじ

マルタの治療所を訪れたエマは、扉を開けてすぐに、手の洗い方から立つ場所まで厳しく叱られる。目の前の怪我人を見ること、傷だけでなく震える足や隠した痛みに気づくこと、スクロールを使う前に本当に必要な処置を見極めること。マルタの言葉は荒く、慰めもない。それでもエマは、助けられなかった命の埋め合わせではなく、今そこにいる怪我人を見るために学ぶのだと知る。最初に任されたのは、床に落ちた血を拭くことだった。それもまた、次の怪我人を守るための手当てだった。

床を拭き終える頃には、膝が少し痛くなっていた。

血のついた布を、言われた桶へ入れる。水を替えようと桶を持ち上げると、思ったより重かった。


「こぼすんじゃないよ」


「分かってます」


「分かってる奴ほどこぼす」


「じゃあ、今だけ分かってないことにします」


「口が減らないね」


マルタはそう言いながらも、桶を持つエマの手元をちらりと見た。

エマは水を外へ捨て、新しい水を汲み直す。戻ってくると、マルタは別の布を畳んでいた。


「それ、こっち」


エマは桶を指定された場所へ置いた。


「違う。半歩右」


「細かいですね」


「急いでる時に足を引っかける。半歩で転ぶ。転べば怪我人の上に倒れる」


エマは黙って、桶を半歩右へ動かした。


「ここですか」


「そこ」


たったそれだけのことだった。

桶の位置。布の分け方。立つ場所。手を洗う順番。

治療というより、片づけと段取りばかりだった。

けれど、マルタの目はどれも見逃さない。

エマは棚の前に立ち、布の束を見た。


「これは?」


「きれいな布」


「こっちは?」


「さっきまできれいだった布」


「つまり?」


「まだ使えるかどうか、私が見る布」


「そこまで分けるんですか」


「命を扱う仕事で、そこを面倒がる奴は邪魔だよ」


エマは口を閉じた。

また言い返したかった。

でも、言い返すより先に手を動かした。

きれいな布。使った布。血のついた布。洗って干す布。捨てる布。

似たような布が、全部違う扱いをされている。

昨日までのエマなら、たぶん「布」で一つに見ていた。

今は、そう見えない。


「エマ」


マルタに呼ばれて振り向く。


「それ、包帯箱に入れるな」


エマは手元を見る。

洗った布を、うっかり包帯の箱へ入れようとしていた。


「すみません」


「謝るな。戻せ」


エマは布を戻した。


「今、何を見てた」


「布を」


「嘘だね」


マルタは即座に言った。


「考え事をしてた顔だ。手だけ動かして、目がどこかへ行ってた」


エマは言葉に詰まった。

図星だった。


「ここでは、手だけ動かすな。目も動かせ。頭も動かせ。考え事をしたいなら、外でやりな」


「……はい」


「返事だけなら誰でもできる」


エマは布を握り直した。


「分かりました」


「少しはまし」


マルタは棚を閉めた。

その時、裏口からフィンが顔だけ出した。


「マルタさん、荷物は裏の棚に全部入れました」


「薬瓶は?」


「奥です」


「水袋は?」


「入口側です」


「添え木は?」


「長い順に並べました」


「短いのが右になってる」


「えっ、見てないのに分かるんですか」


「前もそうだった」


フィンは一瞬固まった。

エマは横目で見る。


「やったの?」


「……たぶん」


「たぶんじゃない。直しな」


「はい!」


フィンは慌てて引っ込んだ。

エマは思わず言った。


「よく覚えてますね」


「覚えてるんじゃない。あの子は同じ失敗をする顔をしてる」


「顔で分かるんですか」


「だいたいね」


「怖いですね」


「怖がってるうちは、まだましだよ」


マルタはそう言って、机の上に置かれた包帯を一つ取った。


「怖がらなくなった奴から、手を抜く」


その言葉に、エマは少しだけ黙った。


怖い。

昨日から、ずっと怖かった。


助けられなかったこと。また間に合わないかもしれないこと。知らないまま手を出すこと。

怖いのは、悪いことではないのかもしれない。

そう思いかけて、マルタの声が飛んだ。


「また顔がどこかへ行ってる」


「……すみません」


「戻ってきな」


エマは息を吐いた。


「戻りました」


「なら、これを巻いてみな」


マルタは包帯を投げて寄越した。

エマは受け取る。


「誰に」


「自分の腕」


エマは左腕を出し、右手で包帯を巻き始めた。

何度も見たことはある。何度もやったこともある。

戦闘後に、仲間の腕や足に巻いた。自分に巻いたこともある。

だから、できると思った。


「遅い」


マルタが言った。


「きつい」


「まだ巻いてる途中です」


「途中で分かる」


エマは包帯を見た。


「どこが」


「指先を見な」


エマは自分の指先を見る。

さっきより、少し白い。


「……きついですね」


「だろう」


エマは巻き直そうとした。


「全部ほどくな」


手が止まる。


「全部ほどいたら、その間にまた血が出る。直せるところだけ直す」


「そんな器用なこと、できます?」


「できるようになるんだよ」


マルタは椅子を引き寄せ、エマの腕を取った。


「ここを緩める。ここは押さえる。端は逃がさない」


手つきは早かった。けれど乱暴ではなかった。

言葉は荒いのに、指先は必要なところしか触らない。無駄に押さえない。無駄に痛ませない。

エマはその手元を見た。

マルタは包帯を巻き直し、最後に軽く指先を押した。


「色を見る。動くか聞く。しびれがないか聞く」


「はい」


「自分の腕に聞いてどうする」


エマは少し眉を寄せた。


「しびれは?」


「ないです」


「動くかい」


エマは指を動かした。


「動きます」


「なら、一応はまし」


「一応」


「一応だよ。今のは遅い。迷いが多い。巻き方がきれいすぎる」


「きれいならいいんじゃないんですか」


「見た目のために巻いてるんじゃない。押さえるところを押さえて、動かしていいところは殺さない。そのために巻くんだよ」


エマは自分の腕を見た。

きれいに巻く。ほどけないように巻く。

それくらいしか考えていなかった。


「もう一回」


マルタが言った。


「え」


「もう一回。今度は少し緩めに」


エマは包帯をほどき、巻き直した。


「緩い」


「さっききついって」


「だからって緩めすぎるな」


「難しいですね」


「当たり前だよ。簡単なら、誰でも治療師になってる」


エマは黙って巻き直した。

三回目で、マルタが何も言わなくなった。

怒られないと、逆に不安になる。


「……どうですか」


「聞く前に見な」


エマは指先を見る。

色は悪くない。動く。しびれもない。

巻き目は少し歪んでいる。けれど、押さえるべき場所は押さえている。


「悪くない、と思います」


「じゃあ、そう言いな」


「悪くないです」


「まだ悪いよ」


「どっちですか」


マルタは少しだけ口の端を上げた。


「さっきよりは、悪くない」


エマは小さく息を吐いた。

褒められた気はしない。けれど、少しだけ前に進んだ気はした。

裏口から、フィンがまた顔を出す。


「添え木、直しました」


「今度は?」


「長い順です」


「左右は?」


「……右が長い方です」


「逆」


フィンの顔が崩れた。

エマは我慢できず、少し笑った。

フィンが情けない目でこちらを見る。


「笑いましたね」


「笑ってない」


「絶対笑いました」


「見間違い」


マルタが包帯を片づけながら言った。


「フィン、あんたは毎回、左右で負けるね」


「左右で勝ち負けがあるんですか」


「あるよ。あんたは負けてる」


「ひどい」


エマは今度は声に出して笑った。

ほんの短くだったが、治療所の空気が少しだけ緩んだ。

マルタはそれを咎めなかった。


「笑ったなら、動きな」


「はい」


「その包帯、ほどいて畳む。巻き癖を見る。端を内側にして、次に取りやすくする」


エマは包帯をほどきながら言った。


「これも手当てですか」


「そうだよ」


マルタは棚を整理しながら答えた。


「次に誰かが血を流して入ってきた時、包帯の端が見つからなくて慌てるのは馬鹿らしいだろ」


「馬鹿らしいですね」


「馬鹿らしいことで人は死ぬ」


軽く言ったのに、言葉だけが重かった。

エマは包帯を畳む手を止めなかった。

端を内側にする。

次に取りやすい向きにする。

きれいな布と混ぜない。

棚の前に立たない。

桶は半歩右。


小さなことばかりだった。

でも、小さなことを飛ばす人間の手に、怪我人を任せるのは怖い。

エマは少しずつ、それが分かってきた。

外から、荷車の車輪が鳴った。

フィンが裏口から顔を出す。


「僕、そろそろ店に戻ります。エマさん、帰りに場所が分からなかったら――」


「子どもじゃない」


「いえ、帰り道じゃなくて、豆の店です」


エマは固まった。

フィンは少し得意そうに言った。


「さっき、腰袋の紐に挟んである紙が見えました。豆と油って」


エマは腰袋を見る。

出がけに、オスカーに渡された小さな紙片が、紐の間に挟まっていた。


油。豆。


マルタがそれを見て、眉を上げた。


「買い物も仕事のうちかい」


「家の仕事です」


エマは少しだけむっとして答えた。


フィンは笑いをこらえている。


「西通りの豆屋、今日は安いです。油は南の店の方がましです」


「先に言ってよ」


「今言ってます」


「帰りに案内して」


「はい。では、帰りに」


フィンは手を振って、裏口から出ていった。

しばらくして、荷車の音が遠ざかる。

マルタはエマの手首をちらりと見た。


「忘れっぽいのかい」


「疲れてる時だけです」


「だいたい皆そう言う」


「本当です」


「まあ、書いて持ってるだけましだね。忘れる奴は、忘れることも忘れる」


エマは包帯を畳みながら、少しだけ口を尖らせた。


「オスカーに持っていけって言われたんです」


「弟かい」


「はい」


「しっかりしてるね」


「腹立つくらいには」


マルタは短く笑った。


「なら、帰りに忘れず買って帰りな。人を助けたいなら、まず家の灯りを切らすんじゃないよ」


エマは手を止めた。

マルタはもうこちらを見ていなかった。

何気ない一言だったのかもしれない。けれど、エマは少しだけ目を伏せた。


家の灯り。


オスカーが火を見て、食事を作って、洗濯物を畳んで待っている家。

そこへ帰ること。


それも、戻るということなのかもしれない。


「また顔が遠い」


マルタの声が飛ぶ。


エマは顔を上げた。


「戻りました」


「よし。次、添え木」


「もうですか」


「嫌なら床でも拭くかい」


「添え木で」


「返事が早いね」


マルタは棚から短い板を二本取り出した。


「骨は、曲がったまま放っておくと後が面倒だ。けれど、無理に戻そうとしても駄目にする。今日は固定だけ覚えな」


エマは板を受け取った。

木は軽い。けれど、持った瞬間、少し怖かった。

これで、人の折れた骨を動かさないようにする。

ただの板なのに、急に重く感じる。

マルタはその顔を見て、言った。


「怖いかい」


「少し」


「ならいい。怖くない奴よりはね」


エマは板を握り直した。


怖い。


でも、手は離さなかった。


前書きの設定情報を修正しました。

本作品は未完成な部分や表現に納得できない箇所が随所にあります。なので、随時修正します。

シナリオや展開を変えるつもりはありません。

ご容赦ください。

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