6 杭打の東方人
──『杭打の東方人』。
その奇妙な呼び名に、騎士たちは首を傾げるばかりだった。
──ディギタリスとエメーソリナを除いては。
前者の女騎士の方は眉を寄せて疑り深く少年を注視する。
そして後者の女騎士の方は、なぜかそれを聞いた途端、小さく息を呑んで、「うそ」と呟いた。
だが、彼女の言動に注目する人はいなかった。今は皆その名前を言いだした金髪の少年の方を見つめている。
彼は驚いた様子で他の騎士たちを見回した。
「ご存じ、ないのですか? 騎士様方々は五年前の帝国とエイギヴェルの間の揉め事を覚えてないのですか?」
「いや、それを覚えてない帝国国民などいないだろう」
……五年前の、デクステラエ帝国と、西の隣国エイギヴェルとの『揉め事』。
そう、それは確かに大事だった。
騒ぎの主舞台は帝国ではなくエイギヴェルだったので、デクステラエの住民としてはその一連の事件が残した衝撃波はそんなに長続きしなかった感じではあったが。
「だが、あの杭打とやらがそれと何の関わりが?」
「──杭打の東方人は、両国間においての讒誣およびその他数々の罪名で処刑された『魔女』の右腕だったのです」
それを言ったのは、金髪の少年ではなくディギタリスだった。
「『魔女』……」
その幻妖な響きを、ふと囁くようにそらんずる。
杭打のときとは違って、それが指す対象のことは誰しも知っているはずだ。
なにせ、両国だけでなく大陸全体にその名を馳せた人物のことなのだ。
それは──
「予言者を騙った、『碧き魔女』のことか?」
「そうです」
「……その話は本当なのか? 魔女がしもべを作っていて、その群れを自分の『党』だと称していたという話は聞いていたが……」
班長は思い込み、眉に皺を寄せ、少年の方へ問いかけた。
「彼女の処刑の際に『党員』たちが免責されたはずもなかろう。投獄されたか、或は一緒に処刑されたかの二択しかなかったはずだ。なぜその一員が帝国の北方の地に、今更うろうろしている?」
「……実際、処罰を受けた党員も少なからずいたと言われますが……」
今度も、班長に返事をするのはディギタリスの方だ。
「主が打たれた時に、どうにか逃げようとした人員もあったと聞きました。だが、それも殆ど次々と追手に襲われて殺されたと言われますので、以来姿を隠した人員の場合、死亡が推定されるという認識だったと思います。
そしてその一人が、あの『杭打の東方人』なのです。故に、この少年の言っていることが本当だとしたら、彼の者は実は死んでいなかったことになるんでしょう」
「そうなのか。それは後腐れの余地が多い気がするな……。そうにしても、ディギタリス姉妹もけっこう詳しいんだね」
「一般に公開されている情報です。ただ、残党のことは魔女処刑の後処理の一環として括られたので。……群衆って、そういう類の、結末のあとの面倒くさいものには耳を傾けないがちですから」
暫く沈黙が続いた。
それを破ったのは、少年の方だった。
「僕はあの騎士様の仰る『一般公開』の範囲を知りませんが、杭打の東方人の噂はそれなりに広がっています。なにせ、鋼の杭を使って戦場を縦横無尽するという抜けた戦い方をしていて、それで相当の強さを持つ戦士だったということでしたからね。
……そして、直接対面したところ、その噂に違いはなかったんです」
彼は深刻な顔をして見せた。だがその語調のなかには微かな興奮が秘められている。
噂にだけ聞いていたことが眼の前ではっきり顕れたことに、ある種の感激を覚えたのだろう。
「ちなみに、貴方はどんな所以で彼と遭遇したのか?」
「……賊に襲われる所を、彼が助けてくれました。七人の悪党を、彼は瞬時に屠ったんです」
その告げからの愕きは騎士全員に広がった。
「それは……ますます意味不明だな。そして貴方には毫末の危害も及ぼしていないと?」
少年は頷いて、班長はしばらく考え込む。
「……いい人なんじゃね?」
「そんなわけないでしょ」
灰金髪のウムなんちゃらがそんな言葉を零した途端、ディギタリスは冷たく駁論した。
「彼は魔女に協力していたところから、すでに常軌を逸した狂人だわ。譫妄の人が一時の余興で善行を為すことだって充分ありえる。
つまり彼に与えるべき物差しは善悪ではなく、狂っているか狂っていないかのこと。そしてそれから彼が危険か否かのことになる。私の判断からしたら、彼は間違いなく狂者であり、極度の危険人物だわ」
「……待て。結局そんな彼がなぜここに表れたのだ? その疑問が相変わらず残るのだが」
ディギタリスの弁論を聞いていた班長は周りを見渡しながら質問した。
「執行吏さまとの因縁ではないでしょうか」
ディギタリスは領主の家名を思い出して、言った。
つまり、バイネローホ家。
「正確には、執行吏様の背負う家名への恨みではないかと」
「……そう言えばバイネローホ家も五年前の騒ぎに巻き込まれていたんだっけ。姉妹は本当に知識量が多くて、頭の回転も早いな」
皆の前で班長が自分を褒めてくるのは確かにディギタリスの虚栄心をちょっと満足させる側面もあったが、今はそれに浸っているときではない。
「なぜ、というのはあまり重要じゃないかも知れません、班長。
魔女の残党については帝令が公布されています。彼らはいかなる場合にもデクステラエのどの領国へにも立ち入りが禁止されているのです。そしてそれを違反した場合、かのものを早急に帝都へ連行せよとのことです──生死問わずに」
「そうか」
「班長、これは機会なんです。帝国とエイギヴェル両国の間を裂いて、多大な被害を及ぼした魔女の残党に私たち帝国騎士から誅罰を与えるのです。その暁には私と班長の名も帝都に馳せれる。騎士団内での私たちの立地も──」
「──死にますよ。騎士様方々」
いきなり発せられたその声は、向こうの金髪の幼い喉から。
その言葉は複数を指してはいたが、彼の視線はディギタリスに釘付けになっている。
「……何て言ったのかしら」
「騎士様も見るからにかなり独特の力をお持ちになっているは分かりますが……」
言い、まだ空中で自分を狙っているソーフォイオールの方を、少年は瞥見する。
「きれいな騎士様、あの者は人殺しなんです。殺しに彼ほど長けている人なんか見たことがない。それは今まで学校で書物だけ読んできた貴方とは違います。
だから変なことは考えず、ご自分の任務だけを思って、それを済ませたら早く帝都へお帰りください」
「…………」
自分の表情が不愉快の色で歪むことを感じる。
だがディギタリスは心の中に込み上げられる言葉を抑えるのがせいぜいである。
──小汚い餓鬼の分際で、帝国騎士を愚弄するだなんて。
私を世間知らずの箱庭のお嬢様あつかいして、侮るだなんて。
貴方、魔術も使えないんでしょ? 身分も卑賤なんでしょ?
そんな劣等な人間のくせに、私を侮辱する?
「──ちょっと、何そんなにピリピリしてるんですか。僕は彼の言葉が正しいと思いますよ」
班長とディギタリスの列に自分の馬の頭を突き込みながら、エンセヴがそんなことを言ってきた。
「クイウチとかやらの話はまあ確かにそれなりに興味深いのですが、僕たちには任された責務があるんですよ。それを優先して当然じゃないですか」
相変わらずのニヤケ面。
正直、驚いた。自分の知識が間違ったのは認めない器の小さな男が、平民の子に能力を見限られるのはどうでも良いってわけ?
それとも、少年の言葉が主に私にだけに向かっていたから? 或は……。
そこまで考えが達したディギタリスはふと、自分自身がさっきの醜いエンセヴの姿と酷似──いや、それ以上の醜悪さで染められていることに気づいた。
その自覚は、せめて一瞬は彼女の怒りを治めるに充分だった。
「……すこし取り乱しました。済みません」
「いや、ディギタリス姉妹が何を言いたかったのか理解できるよ」
班長は微笑み、そう言う。
「もし彼──杭打とあったら、彼を捕まえて帝都まで連行する。だが最優先事項は、本来の任務の完遂だ。
これで良いではないか?」
「……はい」
少年の言葉は確かに間違ってはなかかったろう。仮にも国々を揺るがせた碧き魔女の右腕と呼ばれた男だ。
だから、そんなついでにの気分で太刀打ちできるはずがないのを、ディギタリスは知っているが、それ以上のことは言わないようにした。
「では少年」
再度、班長は金髪の少年に向かって言う。
「せめて杭打の外見上の特徴を聞こうか。遭遇した時に見分けできずに逃したら駄目だからな」
「うーむ。そうですね。まずぼろぼろになっている汚いマント・シャツ・ズボンを来ていました。そしてかなり高い身長で丈夫な体付きで、散髪に近い黒髪、無精髭でした。あと、両頬にへんな模様が現れています」
「模様?」
「入れ墨みたい感じですが、その模様がなんなのかは……。うぅんっ、対面して間近で観察する時が短すぎたので……記憶が瞭然ではないですね。
まあ、目にしたら間違えるはずもないですよ。頬に入れ墨など、している人なんか他にいないだろうし」
「ふむ。そうだな。それは聞くからに独特そうだ」
班長は頷く。
「では少年。改めて貴方の情報提供に感謝する。要するに、プエスメンベリに向かうならとにかく色々気を付けないといけない、ということだな」
自分の忠告が雑な感じでまとめられたことに複雑な顔をする金髪の少年。
「それで良いでしょう。そして最後に、帝都へのご帰路のことですが……」
少年はきっぱりと宣言する。
「ここから東の狭間には、当分足を運ばない方がいいと思います」
「これはまた、突拍子もないことを言ってくれるね」
そろそろ会話も終りだと思い感謝をしたつもりが、疑問点を一つ追加された班長は困った顔をした。
「東の狭間とは、プエスメンベリ南東にある『大峡谷』のことかい? 大通りを辿って帝都まで行くと、そこは最初から訪れる必要がないのだが」
「もしもの話です。最近は天候が悪いですから、ここまでの道と同じ経路で戻れるかどうかは分からないです」
少年は空の方を見上げた。
そう言えば、話の最中でも雲行きが不安になってきている。
どうやら班長が言っていた雪模様の予告は当たっているようだった。
「僕も他人事ではないですね。では、僕もこれで出発しなくちゃいけないです。騎士様方々、お目にかかってご栄光でした。
……騎士様とこんなに長く話したことなんて、初めてです。ずっと憧れてました」
最後に今更いたいけのあることを言い捨て、彼は手綱を操り馬の頭の向きを左へ巡らした。
そして、急いで出立する。
話は終り、疑問だけが騎士たちの心中に蟠った。
そしてディギタリスの心身に鞭打つ焦燥は以前よりも強くなっている。
「……おや、もう降り始めやがった」
ソワンコールの言葉を聞いて周りを見渡すと、小さな雪の欠片たちがすでに降っている。
「また雪? もううんざりなんだけど」
茶髪ピアスの騎士、ベーグィがそういう愚痴を言った。
たぶんその場にいる全員も、彼の気持ちに同意している。
この冬はデクステラエが経験した数多の季節の中でもかなり過酷なものである。
この数ヶ月だけで、吹雪に何度出会っていたものか。
そして酷寒の擦り傷は、この北の地にはその程度を一層烈しくする。
自然と、帝都の木枯らしなど優しい方だったなあ、と思ってしまう。
こんな所でいつまでも雪雲だけを眺めていると、終わらない冬の呪いにかけられた気持ちになってしまう。
いつの間にか、皆の視線は消え去った少年から、架け橋の向こう側に移っていた。
「……まるで、春の兆しが殺されたよう」
やっと杖の構えをやめたソーフォイオールは、美しい金糸を解く風を前にして、そんなことを呟いた。
すぐそばにたっているディギタリスを除くと聞こえないくらい小さな声だった。
あの地で、何かが起ころうとしている。
これからの数話は今日の夕方に投稿される予定です。
よろしくお願いします!




