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杭打ちの伝令  作者: にに部
第一章 「春失くし」
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5 陸橋の出会い

「糧を与え給え」


 両頬に奇妙な諸顔(もろがお)の紋様を表した髭の男が、ボロキレのマントを靡かせながら、あてもなくそぞろと歩きつづけている。


 ────番馬(つがいば)有鱈(うたら)は、針葉樹のそびえる冬の森の中にいる。


 彼はたまに何かをぶつぶつ言っている。

 明言と言えるほどはっきりしないその言葉は、せめてもの傾向を持っていた。

 それから構成できる枠組みは、たしかな響きとなりゆく。


 それは、


「糧を与え給え」


 祈りの文句から小さな部分を抜粋してきたもののような響き。

 彼はまるでどこから入れられた声音を繰り返す、谺する谷底のように。

 いつまでも、いつまでもそれを言っている。

 意識しているものでもないらしく、たぶんそれは彼の中に強烈に押印された癖なんだろう。


 一方、彼の歩きはその声と似ていて、あまりはっきりとした道のりが決めているわけではなさそうだ。

 だと言って、完全にさまよっているようにも見えない。


 その姿はまるで、遠くから嗅覚だけにたより喰い物に近づけようとする獣のようだと言うべきか。

 髭を垂らして、汚れきったボロキレを着、痩せているがその芯はとても強そうな堅固な身体をしているので、やけにそれは野獣の行動に似ているように見える。


「…………」


 彼は何かに気づいたようで、急に押し黙る。

 丈夫な体付きからは信じられないほどすばしっこい動作で、彼は大きな木の根本あたりに身を隠した。


「────」


 木陰の向こう、光で照らされている小道の遠くから近づける人気がある。

 その音からして、けっこう多い人数だと思える。


 有鱈はじっとその接近を待っているようだ。

 彼にはどうやら黙ってみじろぎを抑えることに長けているらしく、根本にぴったりと付いているその姿はまるで元から樹木と一身だったようである。


「────今日はなんて運が良い日だ? 豊漁ってもんじゃねぇな」


 道の彼方から表れたのは汚い風貌の男たちだった。

 全員何かの凶器を手提げているか腰につけていて、革やら何やらを縫って作った防具を身につけている。


 こっちの地域では目に余るほど跋扈している、盗賊だ。


 有鱈が今朝既にやっつけてきた奴らと彼らとは、一味違っているように見える。

 その原因は彼らが手提げるか、肩に引っ掛けるか、あるいは地面に引きずって行っている大きな荷物である。

 あるものは革袋に、他のものは包みもなしで、それぞれへんてこりんな物を持って移動しているのだ。


 そのなか、群れの先頭に歩いている男がいる。

 余裕ありげの仕草で周りと何かを喋っている彼が、どうやら奴らの大将のようだ。


 彼は中背・筋肉質の男で、両頬に三日月型の髭を生やしていて、他のところは丁寧に剃っている。あまり衛生や外見を気にしない賊にしてはかなり洒落ていると言えるだろう。

 それに、どこかで傷を負っているのか、左目の方が陥没しており、どうやらそこの視力は完全に失っているようだ。

 とにかく個性的な見た目で、一度見たら忘れることは難しそうな男である。


 仮にそんな目立つ外観じゃなかったとしても、有鱈は彼は忘却できなかったはずだが。


「片目、三日月髭。

 ……やっと見つけたぜ。このクソ野郎」


 自分以外には聞こえないほどの声で呟いた。

 ここ半年のあいだ探し続けていた奴をやっと目にしたのだ。

 本心は雀躍したいところだった。


 盗賊は最後まで木陰に身を隠した有鱈のことに気がつかず、何がそんなに楽しいのか、かまびすしい大声を森中にあげながら、道の反対側へ消えて行く。


「……」


 有鱈は陰から身を表して、陽光がまだ差している道の上に立った。

 すると、鼻腔を満たすのは木々の肌と土とが日差しに少し焼かれて伝わってくる匂いだ。

 有鱈はその匂いが好きだった。

 近年を經りながら激憤しがちになってきた心も、それを嗅いだら不思議にも落ち着くのである。

 

「────糧を、与え給え」


 そろそろ太陽は西へ傾け始める。

 有鱈は言い捨てて、消えて行った盗賊の後を追い始めた。





❖   ❖   ❖





 昼飯を食う間までは青で満ちていた空が、午後に入ってからますます曇天になっていく。


「どうやら今夜も雪模様のようだな」


 騎士の行列の先を行っているソワンコール班長は、誰に向かってでもなくそう言った。


「いや、別に曇るからといって雪とは言えないじゃないですか? そういう証拠とかないですよね? 僕むかし気象学の本を読んだことがありますんで」


「あっそうですか。……もうすぐ日が暮れそうなのにまだ陸橋にも着いてないのは流石に滞りがすぎたな。ここからはすこし速度を上げて行こう」


 隣の顧問騎士の戯言をすべて適当に流す方針で決めたような班長は、後ろの新参の騎士たちにそう話しかけた。


「……はぁ」


 ディギタリスはため息をついた。


 ────出来たのなら、それを三時間まえに言ってほしかったのだけれど。


 だが班長はそうしなかった。

 昼飯の間エメーソリナたちとの会話で盛り上がって、けっこう長引いていたのである。


 最初は彼らの話し合いに相槌を打っていたエンセヴさえもやがて苛立ちを隠せなくなるくらいだったのだ。

 彼女もまさかあの顧問騎士に同調するようになるとは思わなかった。


 ……どうやらディギタリスがソワンコールに下していた『他よりマシ』という評価は取り下げる方が良いようだ。

 ついさっきまでもエメーソリナがちょっと腕とか組んできたら口角が上がりすぎて信じられないほどの阿呆面になっていたんだし。

 確か班長って歳もけっこう離れていると聞いてたのに、あの三人と騒ぎ立てる姿は悪い意味で子供っぽすぎて、正直幻滅に近い感情を覚えた。少しは真面目な人だと思ってたのに。


 男って全部そうなのかな。

 自然とそういう疑問が湧き上がる。


「あっ、やっと見えてきたね」


 それは班長の言いかけで騎士たちが速度を少し上げてから間もないときだった。

 緩慢な上り坂の頂きをすぎて、下り道になると少し離れたところで巨大な陸橋が見えたのである。

 それはもちろん、今朝ディギタリスとソーフォイオールが二人で丘の上で確認した架橋と同じものである。


 尊厳に建立されたそれは、赤と黒の纏綿した巨大な架け橋である。

 班長の言っていた通り窪んだ地上のところに建っていて、下の方は水一滴ないただの陸地だ。

 橋の両端を連結する距離の中には、何度も何度も穹窿が使われている。

 その堅固の外見からして、地形が変わるほど歳月が重なってもその脚だけは残されていそうな陶酔じみた感想を浮かばせる。


 ────あそこを渡ると、それからは帝国の最北端、騎士領プエスメンベリだ。


 ディギタリスは妙な安心感を覚えたかも知れない。

 だって、今朝からずっと同じところを立ち回っているような気がしていたのだ。

 その荘厳の眺めが最初に表れたとき、彼女は古い建物が与える感動なんかよりも、せめてある程度は前進したという事実からほっとした気分になった。


「でけー」


「すげー」


 ピアスと灰金髪の奴らはそんな気長な感想を話す。


「ほぅ、あれが土の魑魅たちが受けた刑罰の景色ってことですね」


 おまけに、前回の過ちの誤魔化しを未だに押し通そうとする顧問騎士の独り言。

 もちろん誰からも触れられなかったのだが。


「……ん?」


 呑気なことを話し合う若者たちとは別に、行列の最前のトリセインは目を細めてそういう音を出した。何か怪訝な姿を目撃したからである。


「どうしたんですか、トリセイン兄弟」


「……班長、橋の向こう側から誰かが来ていますよ。それもかなりの早馬です」


 ソワンコール班長はその言葉を聞いてやっと気づいた。

 今までその接近に察知していなかったのは、単純に隔たりが遠かったからだろうか、それとも来訪者の小さな輪郭などこの茫洋たる景色のなかでは極僅かな斑模様にしか見えなかっただろうか。


 だがようやく認知できた。

 それはまるでおそろしい追手から逃げようとするような勢いの馬乗りである。

 騎乗者は金髪の綺麗な青年……いや、少年である。

 険しい人相を装っているものの、こんな真冬の荒れ地に一人で出回るには幼すぎるような見た目は隠しきれていない。


 その者の表情まで看取れるほど距離が縮まったところ、彼からも速度を下げてきた。

 どうやら騎士たちのところまで寄ってきているようだ。


 それを確認した班長は、トリセインの隣まで出てきた。

 彼は右手を上げて、向こうに合図をする。


 ディギタリスは呟いた。


「ソーフォイオール!」


 すると彼女の右方の空中から赤の気運に纏われてあの大きな体躯の女が出る。


「────」


 ディギタリスはちらっと彼女を一瞥しただけだが、それで充分だったようだ。

 その使い魔はその華麗なる杖を前方に向けて翳した。

 その姿はまるで弓使いが矢を番う前触れの動作のよう。


「落ち着け、ディギタリス姉妹!」


 後ろの気配に気づいたソワンコールはそう言った。


「まだ何もしません。もしもの事態に準備をしているだけです」


 そう言い、彼女は周りを睥睨した。

 当たり前のように、同期の三人はただ目をぱちくりしながら、まるで見物人のように呆然としているだけ。


「……あれっ、何かやらないとヤバい感じ?」


 一層頭の悪そうな表情をしてエメーソリナはそう言う。


「でも、あっちはかわいいお坊さん一人だけだし……」


「もしも、って言っているでしょ。あと前方に集中して!」


 やっと我慢の限界に至ってしまったディギタリスは苛立ちを露わにした口調になってしまい、そう桃色の女に言い放つ。


「……わかったっつーの」


 眉間に皺を寄せた彼女が前を向いたとき、すでに金髪の少年は十メートル弱の距離まで近づいていた。


 だがその顔は最初のそれよりも明るいものになっていた。


 お互いに言葉を交わせる距離についた少年は完全に停止した。


「……帝国騎士の方々、ですよね?」


 彼はこの遭遇をずいぶんと嬉しく思っているようだ。


「まさか、僕のこと警護しに来てくださったのですか?! まさか騎士様たちに守られて帰郷するだなんて! そうじゃなくてもプエスメンベリを去るから嬉しくなっていたのに、こんな扱いなんか産まれて初めて────」


「────済まないが、私たちは貴方が誰なのかも知らない。今度出くわしたことはただの偶然だ」


「……あっ、そうなんだ……」


 期待が外されて急速にへこむ様子がまた子供っぽくて正直微笑ましいと思ったが、それでもディギタリスは警戒を緩まない。


「それで、貴方はいったい? 帝国国民に見えるが、貴方のような少年が、こんな所で何をしている?」


 改めて、班長は質問した。


「それは……答えられないです」


 だがあっちから返された言葉はまさかの閉口だった。

 班長はしばらく少年の目を睨んだ。


「何故だ」


「そう命じられているからです」


「誰に」


「言えません」


 意外にも、そう言い切る彼の態度には子供っぽさが消えていて、どうやらそれは遣わされている主への相当の忠誠からのもののようだ。

 班長はもちろん不満だったが、彼に少年から答えを強いる権限などはいない。


「僕にご用がないのなら、これで失礼します。道を急いでいるんで」


「……分かった」


 そう答えて、班長は道路の右側の端へ寄り、彼が通る空間を作ってやった。


 軽く目礼をした少年は騎士たちのとなりを過ぎ去る。

 その間、ソーフォイオールの杖の先はつねに少年の方を狙っていた──彼の目にもそれが不思議に思われたのか、好奇心有りげの顔でこちらをちらりとする。

 怪訝な思いは残ったが、彼が一行から完全に離れてとき、騎士たちは少年とのやりとりはそれっきりになると思い、再度橋の方へ視線を向けた。


「あっ、そうだ」


 だが、急に後ろからそう少年の声がして、自然と彼らは振り返った。

 ディギタリスと使い魔はずっと彼を向いているままだったが。


「騎士様たちは、プエスメンベリに向かおうとしているのですね?」


「そうだが」


 今回は騎士たちの背後に位置された班長は返事をした。


「やはりそうなんですね。きっと何か大事な任務があるんでしょうね」


 ソワンコール班長は無言のまま頷いた。

 それを目にして、少年は何秒か言葉にためらうように俯く。


「ならば、伝えたいことがあります。

 ……今のプエスメンベリは極度に危険な状態です。どうかお気をつけてください」


「危険、とは? 北方からのさばっている盗賊のことか?」


「それもありますが、その……とにかくおかしいのです」


「おかしいって、もっとはっきりと聞かせて欲しいのだが」


 もどかしそうな口調で、ソワンコールは今度はディギタリスの隣に近づいて、列の後ろ側で口ごもる少年にそう問いただした。


「行ってみるとすぐ分かります。今のプエスメンベリは異常さで満ちているのです。

 ……僕なんか、今朝は《杭打の東方人》と出くわしたんですよ!」

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