2 少女騎士の初任務
デクステラエ帝国最北端の領国、騎士領プエスメンベリ。
その南部の隣接地──。
朝一番の日光は、東の遠くそばだつ万年雪の稜線に届く。
未明をすぎると、そこから光が冬の野原の隅々まで及ぶ。
雪原と化した野原のどこかに、緩やかに隆起している丘がある。
雪が積もっているので今は純白で包まれているが、夏季には苔やシダの類しか生えない荒涼としたところだ。
冬になるとフクロウなどしか訪れないその頂上で、今朝は立っている者が二人もいる。
一人は少女のようだが、もう一人は人間の形はしているものの、あまりにもデカすぎる女である。ざっと見た感じ、身長が2.5メートルくらいはあるだろう。
少女の方は身長こそ人並みだが、細くて憔悴した雰囲気を纏っているので、隣の彼女の大きさは更に目立っている。
少女は巻き毛の特徴が愛らしい赤髪で、かなり童顔の子だ。
その幼い顔には似つかわしくもない険のある表情が表れ、その身体にはきっちりとした軍服みたいな正装を着ている。
その服装は短い上着とロングスカートとなっていて、下の方は端にかなり上の方まで切れ込みがあり、動き安くなっている。それらは全て鼠色が混じった藍色をベースにしている。
そしてその上には羽織と呼ぶべきマントを着ている。羽織の色は紺青色で、その上に二個の蹄鉄が輪違いのように交差している模様が左右に各々大きく白く現れている。
彼女の羽織は丘の頂上の風に打たれて、幟のようにはためく。
────それは、帝国騎士の正装である。
一方、少女の隣で立っている大きな──巨大すぎる女は、光沢を浴びる黒色革製のぴったりとした服装で、こっちも色々切れ込みがあるが、動きやすさよりも制作した人の趣味が反映されたみたいだった。
それは彼女の肉感的な体付きと非常にながい手足のお陰で、とても出来栄えの良く見える。
それまでなら少し変な服装だと言って済む話かも知れないが、彼女の顔に視線が至ると怪訝さは増してしまう。
彼女はなんと自分の目を完全に隠す覆面をしているのだ。覆面は金属製らしく、朝焼けを反射して銀色で光っている。
覆面の後ろには長い橙色の髪が流れており、彼女の真っ白い肌色と合わせて、全体的に印象的な色の対照となっている。
彼女の左手は先端の装飾が華々しく長い杖をついていて、長身だから風当たりが一層つよそうに見える彼女はそれに支えられているようにも見える。
「…………」
彼女は右手で真剣にいじっているのはその覆面の右隣に付けられているある精巧な装置だ。緑のガラスと灰色の鋼鉄とで出来ているそれは望遠鏡の外見にも似ているが、一般的なものと違って刻まれた仕掛けが更に複雑に見える。
暫くは、二人の女性は突っ立ったまま、風音と少女の羽織の羽音だけが喚かされている。
「オル、何が見える?」
静かに立っていた少女はやっと言葉を言う──表情と同じく、こっちも幼い顔に似合わない低い声である。
「……前方40キロで、巨大な陸橋が視えます。あれこそプエスメンベリの領域が始まる架橋で間違いないですね。噂通り荘厳な作りだと思います」
「ううん。それくらい私の肉眼にも見えるわ。もっと先の状況を説明してちょうだい」
「そうですね。その先にはまばらに農家が建てられていますが、あまり人の気配はないです。もっと先に見える壁と、その隅の何個かの塔は多分、プエスメンベリの領主の居城、彼の砦ですね。
壁の中を覗き見ると……それなりの数の軒並みなのに、あまり住民の動きが活発とは言えません。
……はっきり言って、荒んでいるよりも、死にかけている場所だと思います」
「それ以外は?」
「今の段階では別に。明言できるほどの怪しい動きは有りません」
「そ。ありがと。お疲れ様」
少女ははぁ、と溜息をした。
それは別に、『オル』と呼んだ子から出てきた答えに失望したからではなく、持ち歩いていた焦燥感が少し漏洩しただけだ。
「やはり今回の任務、ただの調査じゃないわ。顧問室からの人がついてきたのもおかしいし、領地に何かが起こっているに違いない」
「でも騎士団上層部はなぜそれを隠したんでしょうか?」
「さ。もしかしたら私と一般兄弟たちだけに隠蔽されていて、班長は何かもっと聞いていたのかも知れないわ。あるいは、ひょっとすると……」
ちょっと顔を顰めた。
「内戦の後片付けで人手不足な騎士団だから、情けないけど、上層部も何も分かってないのかもしれない」
自分も今は騎士団に属している。騎士団の欠点を認めると、まるで自分の弱点が露呈されたみたいで気分が悪くなってしまうのだ。
「とにかく到着したらすぐ、何かを見つけるのよ。かならず他の人より先に」
「ディギ、そんなに焦る必要はありませんよ」
オルが微笑みながら、温かい口調で少女をなだめる。
「騎士として最初の任務に出たばかりじゃないですか。それにまだプエスメンベリの領域に一歩も突っ込んでません。せめて今朝だけすこし余裕を持ったらいかがですか?」
「余裕なんて持てないって知ってるでしょ」
『ディギ』と呼ばれた彼女は、多少無愛想に応じる。
「オルと私ふたりだけなら出来たかも知れないけど────」
「────こんなところでいたんですか」
丘の頂上と下の平地を繋ぐ道の向こうから、いきなりそういう声が聞こえてきた。
嫌みたっぷりと表現すべきか、とにかく粘液っぽい気持ち悪い声である。
「…………はぁぁ」
今度のディギの溜息は、前回とはまた少し違う感情の現れでありそうだ。
彼女は声が聞こえた方を睨む。
そこから登場したのはかなり丸く光る眼をした青年だった。
薄い麹塵の色の短い髪をして、はっきりと髪の分け目をつけている。
体格は細く、身長はディギより少し高いくらい。
口角で描いた気持ち悪いあのニヤケ面じゃなかったら、それなりにイケメンに見えなくもないだろう。
そしてその服装はディギとほぼ一致していて、ただロングスカートではなく、長ズボンを穿いている。
つまり、彼もまた騎士であるということ。
「いや、こんな所で隠れて遊びなら僕も混ぜてくださいよほんとうに。一人だけで寂しくないですか?
おっと失礼。一人じゃなくて悪魔一頭と人ひとりでしたっけ」
文末にいちいち嗤いを含んで言っているような、かなり腹立たしい喋り方である。
「その呼び方は感心しないです……顧問騎士、エンセヴ様」
いたって真面目に、オルは現れた男の言葉遣いに不満を表する。
この男のおふざけに一々対応したらキリがないと、前もって彼女には言っていたのに。
「それでお二人で何してたんですか? また悪魔さんの特技で覗き見してたんですか? それすごいですね、目を隠しているのにどうやって見てるのかほんとう不思議ですよ────」
「────オル、行くわよ」
男のノリをすっぱり無視して、ディギは足を運び出した。
それを慌ててオルが追う──どうやら彼女は重力の影響を軽く削除できるみたいで、地面から浮遊して滑るように動く。
丘からの降りる二人の背中に『ちょっと無視はないんじゃないですかー』とい音が聞こえたが、振り向きもせずただ歩いた。
あれに構っている価値など、限りなくゼロに近い。
本来高くない丘だったので、すぐ地面に着く。
そこにあるのは、何個かテントが建てられている仮りの野営場である。
中央には焚き火が消されかけていて、そこから白い煙が立つ。
そのすぐ隣に騎士団の旗印を翳している旗竿が刺されていた。
三つの鳥脚が中央から生えて螺旋を描いているような奇妙なその紋様は、この地の風に晒され、煙と同じく波打っている。
焚き火の周りに立っているのは二人の男だ。
一人は黒髪でやや浅黒い肌の、それなりに強い精神を表す頑固な顔つきの男で、もう一人は中年の年頃で皺と油分が汚い顔の男である。ふたりとも、やはり騎士の正装だ。
前者の男がディギに向かって微笑む。
「おはよう、ディギタリス姉妹。そして姉妹の相棒の、ソーフォイオール嬢。
本当に朝が早いんだね。やはり優等生だ」
「おはようございます、ソワンコール班長。……トリセイン兄弟も」
ソワンコールだけをかまっていたら、老人の方が眉を吊り上げて何かを訴えるような表情をしていたので、仕方なくそう付け添えた。
「他の兄弟たちは、まだ起きていないんですか」
チラチラと、こっちとオルのところにトリセインの視線が当たることを敢えて無視して、そう問うた。
「そうだよ。大雪の羇旅だったから、疲れているのだろう」
「既に予定より遅くなっていないですか? 早く起こして移動する方が……」
「それはご尤もな意見だが……」
黒髪の男は困ったように笑う。
「みんな新手でこんな遠出の任務など初めてだから、仕方ないと思う。せめて今朝だけでも休ませてくれないか? 姉妹と違って、鍛えが足りない普通の子たちなんだから」
「……そう、ですか」
自然と溜息が湧き上がるのを感じたが、どうにか抑えた。
代りに、いつの間にか握られた拳に力が入っていしまった。
班長の呑気な話は別として、隣のジジイのことを我慢できなくなったのである。
「では、兄弟たちが起床するまえまで、すこし北の方へ見張りをして参ります」
「待て待て、食事くらいした後からでも」
「結構です。既に、起きた直後一人で簡易に済ませたので」
そう言い捨てて、北の方へ向かって早足で歩いていく。
その場で居続けたら、どうやら癇癪を露呈せずにはいられなくなりそうだった。
……そして、トリセインの汚い視線が届く範囲内では居たくない。
自分もそうだが、オルのことも。
「だから昇進もできずに何十年も最下級なのよ。────クソジジイ」
それは、その綺麗な口から産まれるにはあまりにも粗い言葉だ。
「……ディギ、まだ距離が近いです。聞こえたかも知れませんよ」
ソーフォイオールがそう注意したが、あんまり構わなかった。
「別に。あれはどうでも良い奴だから。
違う、どうでも良いんじゃなくて、死んでもらわないと困る奴だった」
「はあ……。ディギ、お願いです。もうちょっと言葉遣いを優しくしてください。他人のためではなく、貴女自身のためですよ?」
常に思慮深く振る舞うソーフォイオールは、彼女の変化の理由を理解しているつもりだ。
が、彼女は幼い頃からの付き合いの深いから──種族というか、存在の成り立ち自体が違うけど、妹みたいな子だった。
純粋で綺麗だった子があんな良くない言葉で自分を汚すみたいで、どうも見ている彼女としてはいい気にならないのだ。
「……」
『純粋で綺麗だった』ではない。
今でも、ディギタリス・ラダウニはお人形のように綺麗だ。
そして彼女の根本にあるものが相変わらずまっすぐなものであろうことを疑わない。
「……疲れてません?」
オルは自分の両手でディギの右手を優しく包んだ。
自分の手は大きすぎて、その掌だけでも彼女の繊細な手など完全に覆われてしまう。
「ごめん。ちょっとそうかも知れない」
赤髪の騎士ははぁ、と息を長く吐く。
オルは自分の両手の中で彼女の手の力が緩むことを感じた。
「オルの言う通りだわ……まだプエスメンベリに差し掛かってもないのに、力みすぎてたかも」
「ふふ、そうですね。でもどこに行っても、わたくしたちは一緒ですからね。きつくなったら言ってください」
「ん。ありがと。それじゃ、そろそろ具現化は解除するね」
「はい。ではわたくしはこれで」
その巨躯からは信じられないほど優雅に、しとやかに、彼女はお辞儀をして、消えて行った。
「……」
一人残って、ディギタリスはぼんやりと空を見上げた。
「……私は、あの人たちとは違う」
そう呟いた。
今からそれを証明しなくちゃいけないのだ。
視線を落として、向こうの北方の領地を直視する。
デクステラエ帝国騎士団の新入り騎士、ディギタリス・ラダウニは初任務に出たばかりである。
任務の内容は簡単──騎士団が騎士の一人、執行吏イントレド・バイネローホが治める騎士領プエスメンベリの地へ赴き、領地の管理の具合を調査せよ。
だが、内容とは別として。
────ディギタリスの初任務は、最悪だった。
少なくとも自分の評価ではそうだった。
特に何か悪いことが起きたからではない。
問題の原因は……。




