28 爆発の関係
「────あら、貴方、来たのですね」
執行吏イントレド・バイネローホは、壊れ果てている肉塊の部屋に到着した。
それを確認した『美の女神』コンキリオウは、軽く溜息をして、彼のことから視線を避ける。
「コンキリオウ、あの男はいったい、誰だ?」
領主が最初に起こした行動は、『恋人』であるコンキリオウを追求することだった。
「何故お前は目覚めた先に、今まで切に愛を乞うてきた私ではなく、あの男のところにいるのか? 何故、あの男だけを見て、あの男とじゃれ合っているのか?!
どういう事なのか、今すぐ説明しろ!」
「……別に、説明と言われましても」
相変わらず、女神の視線は宙を舞っている。
彼女は右手の指先でヴェールの端をまさぐり、いじる。
「こっちを見てくれ!」
「ん、実は、今少し忙しいところなんで……また後にしていただけませんか?」
「お前は、何を言っているッ?!」
「……はぁ、もう、しつこいお人。だから嫌われるんですよ?」
「……いま、なん、て?」
見えざる誰かに指示するように、女神は手を振ってみせた。
すると、有鱈を束縛していた触手が動き出す。
「っ」
それは彼女の右隣に移動した。
すると、まるで有鱈とコンキリオウの二人でイントレドと向き合って立っているような構図になる。
それでもなお、女神は現れた男に目を注がない。
一方、ディギタリスの方は、どうでも良さそうに触手に投げられる。
「──キャッッ!!」
彼女は壁面にぶつかっては、床に倒れてしまった。
今の女神にとって、あの巻き毛赤髪の少女の存在など、塵一粒以下なのである。
「このお方が誰なのか、そうお聞きになれましたね?」
有鱈を束縛する触手の方へ優しく手を置いて、コンキリオウは言う。
「答えますよ。こちらは番馬・有鱈。私に貴方よりずっと面白い景色を見せてくれる、そういう人です」
「なん、だと……?」
相当の衝撃が走ったらしく、イントレドは元々蒼白だった顔を更に青白くした。
それに比べて、相手の女神はとても生き生きしているようである。表情こそ苛立ちや軽蔑を帯びているが、それでもこの状況を楽しんでいる様子が歴々である。
「貴方には、もう飽き飽きしているんです。実は、貴方に泥を与えたことも、後悔しているんですよ」
芝居がかった仕草で、コンキリオウは溜息を吐いた。
「あの時──私が口を利かなくなっていたとき、それはもう、貴方との関係は終りだって申し上げていたのですよ。そんなことにも気づかずにいられるとは、もう、呆れました」
彼女の狂った目の紅は、ただ濃くなっていくばかりだ。
「──はっきり言って、私は貴方なんか嫌いです。
だって話が長すぎるし、つまらないし、仕草一つ一つに自惚れが現れて気持ち悪いし」
「え、えっ」
「実のことを告白すると、最初から大嫌いでしたよ。一目惚れ、とは正反対の……一目憎し、ですかね、ふふ……」
女神は、絶望している男のことを、やっと直視する。
その目は、まるで不浄のものを見ているようだ。
「────」
有鱈は、何も言い出す気にはなれなかった。
実はこんなくだらない茶番なんか、さっさと終わらせて貰いたい。
でも今この場を支配するのは、左に立っている繊細で華奢な体つきの狂女だ。
ちょっと力加減をしくじって触れると折れそうな外見だが、それでもこの地では、正に神同然の力の持ち主なのだ。
今、彼女がかなりいい気分になれたことが分かる。だから、少なくとも今は、彼女の気分を害したくないのである。
そんなことを考えながら、有鱈は硬い表情で正面の男を見つめていた。
そんな彼に、いきなり暖かすぎる手の先が触れる。
「……!」
ビクッとなって、その方に顔を向けると、やはりコンキリオウの狂った紅玉の双眸がこちらを見ている。
「ふふっ」
触れた手先から、貫かれそうな熱気を感じてしまう。
それは、大切な人の肌に触れてときめいてしまう感覚とは違う。温度は似ていても、ひどくゾッとするもので、決して安心できるものではない。
この女は、いったい何のつもりなのか。
「──さあ、有鱈さん。あのみっともない男に証明しましょう。私たちを繋ぐ絆が、どれほど強いものなのかを──」
そして、ゆっくりと、近づく。彼女は今度こそ、さっき出来なかった行動を完遂するつもりなのだ。
有鱈は根強い嫌悪に囚われた。ここから遠くへ逃げたいという衝動に駆られる。
だがそれは、今できない。
自分は、どうやったらこれから逃れるのか?
どうやったら、この傲慢で醜悪な存在に一撃を食わせることが出来るのか?
しかし、やはり、良い詮術など、何も思い浮かばない。
有鱈は、半分諦めてしまった。
ただ黙って、頭を空っぽにして、この一時を凌ぐしかないと思った。
そんなことを思っていた時だった。
「────」
鈍い衝撃が、触手に包まれた腹のあたりに直撃する。
その打撃により、瞼を瞑ってしまった。
「きゃっ」
上ずる女の声が聞こえた。
有鱈は目を開けて、何が起こったのかを確認する。
「────これは」
そんな声を出さずにはいられない。
見ると、自分を襲ったのは激怒した顔のイントレドだった。
だが、彼の両腕は別のものと化している。
その腕の筋肉は一般人のそれを十倍以上も膨らましたように肥大になっていて、その皮膚も蛇の肌のように、でこぼこして不気味な潤いを含んで、紫の染料が血に混じったような汚い色で光っている。
その左腕の方が、有鱈の腰のあたりを触手ごとに強く掴んでいるのだ。
良く見ると、床から生えてきた触手はそのまま千切られてしまったようだ。
そしてその過程で彼は自分の『恋人』を強く引っ張り、有鱈から遠ざけた。
だからコンキリオウは、さきほどの甲高い声を出したのである。
「──やめてください! こんなことが許されると思うのですか? もしあのお方に危害を及ぼしたら、今後永遠に貴方とは言う事がないですよっ!」
そうイントレドに訴える『美の女神』の声色には、何かわざとらしい、芝居がかったものが混じっている。
まさか、まだまだこの状況を楽しんでいるというのか。
「ッ、クッ」
イントレドは、しばらく掌の有鱈を握りつぶさんと痙攣していた。
「────」
しかし、苦しい表情をしては、彼を投げ捨ててしまった。
──今しがた、ディギタリスが放り投げられたあの壁面へ。
「──ウッッッ!!」
壁に背中からぶつかる時、思わず声を出す。
そのまま床に墜落して、腹の方にも被害を受けた。
──すっと投げただけで、こんな威力を出すのか。
苦痛も、負傷も、有鱈には日常になって久しいが、
さすがにこんな攻撃を一日に何度も直撃されると、身体が壊される。
しかし、まだまだ死んでいない。
その力強い投擲のおかげで、残りの触手の肉片からも解放された。これで、やっと四肢が自由になった。イントレドの登場と激怒は、返って有鱈の助けになったのである。
そう思い、うつ伏せになった姿勢から立ち上がろうとするが、
「────グッ」
手足には力が全く入れられず、そのまま顎を床にぶつけてしまう。
「これは……動けねぇ……!」
けっこう長い間あの触手に圧迫されていて、その負担が続いているのである。
いや、たぶんそれより決定的だったのは、今の攻撃で背中に大きな被害を受けてしまったことだったろう。
幸い、どこかぶったぎれた所はいないようだが、それでも今は、気力がないのだ。しばらくは、右腕をちょっと床で泳がせるのがやっとである。
「────」
一方、そんな有鱈には目もやらず、部屋の肉塊のあたりで、二人の『恋人たち』は諍いをしている。何かを互いに言い合っているが、罵倒の取引にしか見えない。
有鱈にとって、それは好機である。
「おい、お前!」
有鱈は、床にぴったりに伏せている自分の左側、呆然と座っている赤毛の帝国騎士の方に話しかける。
「……」
気を失っていたりはしなかった。彼女は、すぐさまこちらへ嘱目してくれる。
その瞳は虚ろだが、身体の方は今の有鱈より動けそうだ。
「お前、俺が言うことを良く聞けよ。今から、あいつらに一矢報いてやるぜ」
「…………」
「今、俺の懐には、ある特殊な壺があるんだ。そいつは爆弾みたいなもんで、威力はかなりある。それこそあのクソ野郎どもをまとめてぶっぱなすには十分なくらいはある」
「……なにを、いって?」
「あいにく、今俺は身動きができねぇ。だからお前がその爆弾を出して、あいつらに投げろ。だが──ここが最も重要なところだ。お前、そろそろあのデカ女のこと、呼び出せる魔力は回復したんだろ?」
「……」
『デカ女』が誰を指しているのかは、分かるしかなかった。
ディギタリスの使い魔である、ソーフォイオールのことだ。
「爆弾が奴らの足元くらいまで届くと、デカ女を寄せて、さっきの狙撃のような魔術で爆弾を狙って、撃て。
知らねぇけど、多分それほどに強く叩くと爆発するはずだぜ。しかもお前の魔術って、火使いの応用じゃねぇのか?」
「……それは、そうだけど」
彼女はべらべらと喋る男の言葉で、少しは正気に戻れたようだ。
最初の勢いも、傲慢も、少しは取り戻す。
「でも、なぜ私が、帝国騎士が、あんた──いや、貴様のような犯罪者の命令に従わなければならないのかしら」
「──マジで言ってんのか、それ!」
怪物たちの諍いより大きくならないように、どうにか必死に感情を抑える。
それでも有鱈は表情を強張らせて言った。
「お前そのキラキラした目玉は何で付いてるんだ? 今まで見ただろ! あいつらは正常じゃねぇんだよ! 人間の法律だの国家だのそういう概念の外側にいる化け物たちなんだよ!!
これは生存の問題なんだ! お前は、今を生き延びるための手段を、それが『犯罪者』の発想だから使わねぇのか? いい加減子供っぽく振る舞うのはやめろ! 遊びじゃねぇってんだ!!」
──遊びじゃない。
今回の任務の旅路の上で、ディギタリスが何度も自分自身に聞かせた言葉だった。
それに気づくのだけで、少女騎士の顔色は一変した。
そして、言う。
「──アンタの懐って、どこにあるの?」
「……マントをたくし上げてみろ。ズボンの左側の、縫い目のところだ」
彼女は従順に従う。
すぐそれを見つけて、それ以上なにも問わず、そこへ手を入れた。
「……これかしら」
真っ先に手に当たった丸っこい感触があって、それを出してみる。
するとそこには、何かきれいで神秘な華の紋様が現れた球状のものがあった。
「っ、それは違うやつだ。もう一度手を入れて見ろ」
それを見た有鱈は、何か妙に堂々としない態度で言う。
そんな面影も見せるのか、とディギタリスは彼のことを、どこかふしぎだと思った。
が、この男とは今出会ったばかりなのだ。
考えてみると、知らない側面で満ち溢れているのは当然だ。
……どうやら、あの陰灯籠を観覧したことが影響しているらしい。
この杭打の男を、昔から知っていたかのような気分になってしまうのだ。
「これは、また元のところに戻したら良いの?」
あの玉をつまんで問う。
「──今はお前が持ってろ! とにかく早くあの爆弾のことを!」
その催促に鞭打たれて、彼女は素早く花模様の玉を自分の懐に入れた。
そして、再び男の裾のあたりを手繰る。
すると、今回は違う感触がある。以前よりもうちょっと大きいと分かる。
それを引っ張り出した。
「────そう、あいつだぜ、爆弾っていうのは」
それはディギタリスの掌より少し大きくて、片手で持つのはちょっと不安定な円筒だった。
大きさはそれくらいだが、重さは見た目よりもずっとある。
表面にある章は……短刀のようだ。
「これを、今からあの怪物たちに……?」
「待てよ、俺が合図したらだ」
有鱈は左手を上げた。
さっきまでは左手は動けなかったはずだが、その間にも少しは回復しているのである。
今は、両手と上半身が使えるようになった。
「……もう動けるのなら、あんたがあの……あんたの杭、で打った方が良くない?」
「いや、まだ自由には動けねぇ。それに、万全の状態でも、当たった時の衝撃量はお前の魔術の方がずっと上だぜ。
あれは恐ろしい狙撃だ。予備動作が遅すぎて台無しだが」
「……そんなこと言われても……」
帝都で練習した時、魔術で動かす人形相手では速さに不足はなかった。
ただ、今日出会えた者たちが別格すぎるだけなのだ。
というツッコミを入れたいところだったが、何も言わなかった。
ふしぎにも、あまり不愉快とは思わない。
人からの指摘を聞くのをひどく嫌う、とても傲慢な性格のディギタリスなのに、腹から上がってくる普段の感情が感じられない。
その理由は……?
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「この、尻軽女!!」
イントレドが少しためらってから選んだ、罵倒の言葉だった。
「今まで私がどれほどお前のためにやってきたのか、私は、自分の妻も、娘も、家族も全部捨ててまで、お前のことを────」
「誰がそんなの望んでいたと思いますか?」
女神は一歩も引かずに、自分の頭よりずっと上にある男の顔を直視した。
「一度でもそれを考えたことはありましたか? なかったですよね? ふっ、いつもいつも自分のことばっか。本当、どうしようもなくつまらない男」
「ッッ!! なぜ、お前はそんなに私を傷つける言葉しか言えないのだ! 私が何度も何度も愛の囁きを贈った時には、短い言葉で冷淡な反応しか示さなかったくせに!!!」
「なぜですって? それは今まで『何度も何度も』明言したはずですよ?
私は貴方のことを愛してなかったから、そしてこれからも永遠に愛することがないからですよ!
貴方のことが憎くて憎くて仕方がないから、です!!」
忌々しい肉塊の周辺の『恋人たち』の諍いは、ますます熱を帯びていた。
彼らが互いに交わし合う言葉は、言葉という領域にも達せない、ただの高い叫びや吠えになりつつある。
だが、どっちかというと、女の方が筋が立つ言葉を連ねている。
それに何度も言い返すことに困ってしまい、元は蒼白な顔色が、今はいよいよ赤の領域に到達しようとしているのは、イントレドの方だ。
「──この、──っ!!」
やがて、その興奮は暴力の形で示されてしまう。
彼はその異常に太い腕を以て彼女に迫り、あの肉塊の一側に押し付けた。
そして彼女の体を締め付けようとする。
だが──コンキリオウの方は、それを嘲笑している。
「……ふふふっ、これが貴方と言う男の本質でしょう? 世界の何一つとも分かりあえなくて、それを知った途端、何もかも力で破壊して、目の前から払おうとする」
その笑いは、悪魔的に恐ろしくて、また厭らしかった。
「でも、そうですね……私がもし、かよわき人間の小娘だったのなら、このような方法でも逃げることができたかも知れません。
だがあいにく、私は超越者なのですよ?
こんなつまらない方法で、本質はただの汚い羽虫のようなニンゲンのぶんざいで、私を、『女神』を、殺せるとでもお思いなのですか?
しかも、私から賜った力を以て!!」
その瞬間、彼女を中心にする、手で掴めそうな力の波動が流れてきた。
有鱈の拒絶で憤怒したときよりも更に強力な、爆発寸前の脈打ちだ。
「ッ、クッ、ッ……」
それを間近で感じて、イントレドは苦しい顔になる。
しかし、それでも逃さないのだ。
彼にとって、それは逃せるわけにもいかない、命綱だったのだ。
「そ、れで、良い……」
男は、どうにか口を開けた。
「もし、お前に捨てられて、もとの、本当につまらなかった、日々に戻るくらい、なら……、今、お前に殺された方が…………う、ッ!!!」
その顔は、死を覚悟していた。
*
しかし、
「────今だ!!!」
放たれた大声で、争っていた二人はそっちを見る。
「……?」
肉塊の根本の近く、何かが転がっている。
そこに現れている紋様は見間違えるはずもなく、鮮明なものだった。
それは、両刃の短剣の象り。
「────ソーフォイオール!!!」
少女の呼び声が聞こえた直後────
肉塊を囲むその空間は、突然、白い光で満たされた。
バアーン。
そろそろ第一章、最後の戦いに向かって展開されます。
これからもよろしくお願いします!




