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杭打ちの伝令  作者: にに部
第一章 「春失くし」
27/34

26 齎しの誓い



 ──目が覚めると、俺は一人、暗闇の中にいた。


 頭には鉄の硬い仮面が被せられ、視野の半分以上が遮断されていた。

 特殊な仕掛けが仕込まれているらしく、俺は無力だった。


 自分の荒い息が仮面の中で反響して、聞こえてきた。

 知らない人の、ひどく不愉快な悶える音を聞かされた気分だった。

 でも、少なくともそれが自分自身で、自分がまだ生きていることは認識できたのだ。





 それから続いた日々は、ただ同じことの繰り返しだった。

 仮面を被ったまま、冷たい石の部屋の中で蹲り、

 時に汚い排泄物を流して、

 その排泄物とあまり違いのない、配食されたものを仮面の隙間に挿して、口まで入れて、


 それらが済んだら、自らへ問い、それを答えて、時には叱って、罵って、最後には叫ぶ。


 それだけが、俺の日課だった。


 そして、定期的に行われる、あの行事。

 俺の肉と骨とを苦しませる、金具の数々に耐えないといけない──拷問室の記憶。


 悲鳴を上げた。

 何度も何度も無力感に冒されて、苦痛を味わいながら、

 のたくりまくり、煩悶の絶叫を叫んで。


 皮肉にも、その時だけがあの要塞の日課の中で一番、自分が生きていることを実感する時間だった。

 その苦痛は、自分がまだ生きているという証拠だったのだ。


 死んだら、これも感じられなくなるだろう。


 その思いが、ただただ恐ろしかった。


 生命の有難さとは最もかけ離れている場所で、俺は相変わらず死をひどく恐れていた。


 死にたくなかった。

 でも、生きていても、二度と自分が歓びを感じることが出来ないと分かった。


 だから、もっと苦しくなってしまった。





 ──しかし、ふしぎにも、いつしか、俺は自分が全ての苦痛をすんなりと受け容れていることに気づいた。


 それが、罰だったからだ。

 俺が彼女を守れなかったことに対する、罰。


 彼女の方がもっと苦しんだ。

 彼女の方がもっともっと悶えた。


 そしてそれから彼女を逃せる詮方(せんかた)があったのに、それをやらなかったのは、俺だ。


 俺が、彼女を死なせた。

 俺は、守るべきものを守れなかった。


 だから、こんな苦痛など、当たり前なのだ。

 いや、彼女の苦難、彼女を救えなかった罪の重さに比べたら、こんな苦痛など、むしろ足りないくらいだ。


 そう、だから俺は、この状況に憤怒しない。

 俺は怒らず、静かに死んで行くのだ。

 いつまでも、この暗い、臭い、狭い、ほら穴の中で、朽ち果てて行くのだ。


 それが、自分が受けるべき罰だ。

 それが、俺の定めだ。


 だから、抗わず、流れに身を任せる。


 だから、いつまでも、冷たい水底へ、静かに、沈んでゆくのだ。


 それで、いいんだ。


 もう、それだけが、俺の────


 …………。





❖   ❖   ❖





 …………。


 …………。


 ちがう。


 違う。


 違う。違う。


 違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違うッ!!! そうじゃねぇ!!!


 こんなのが、俺がされてもいいような扱いなわけがねぇんだ!!!


 俺が、いったい何をしたっていうんだ?


 彼女を迫害したのは、俺じゃねぇッ!!

 俺はただ、彼女のことだけを思って、彼女の夢を叶えようと、そして彼女の(あら)()の約束をこの地上で齎せようと働いただけなのだ!!


 そうだ、俺は悪くねぇ!!

 この全ては全部、あいつらがやったんだ!

 世界の隅々まで、まるで陰の下に隠れた病原のように、憎むべき害虫のように、はびこって、のさばって、(にじ)っては奪い、(かす)めては(ほふ)り、何もかも喰らい尽くしてもなお飽き足らず餌食を欲する強欲な虫けらどもが!!


 あいつらが、彼女を迫害した。

 彼女を虐待した。

 彼女を拷問した。

 彼女を、侮辱した!

 彼女を、殺しちまったッ!!!

 俺のたった一つの希望は、醜い魔の手によって、無惨にも殺害されちまったのだ!!!


 ……彼女は、正しかった。

 彼女の言っていた通りだ──善も悪も、この世には確かに有る。

 だが、その区分が為されただけで、二つの領域には相応しいものが齎されていない。

 そうだ、それこそ──善には、報いを、

 悪には、誅罰を!


 この地上で善悪を齎した者は、今はいねぇ。

 彼らは既にその役目を果たして、彼方へ渡って行った。

 だから俺に、善悪を齎す必要はねぇんだ。


 だったら、俺に残った使命は、ただ一つだ。

 悪に誅罰を齎すこと。

 世に是非を齎すこと!


 ────この杭を以て、俺は殺ってやる。


 罰に値する全ての物を、この鋼の道具を以て悉く貫いてやる。


 そいつらの心臓も、脳髄も、腎臓も、眼球も、脊椎も、骨盤も、睾丸も、魂さえも、この尖った先で貫通させてやるッ!!


 それが出来ずに、このままここで朽ち果てるわけにはいかねぇ。

 ああ、だから、俺は絶対に死なねェ! 死んでたまるかよ!

 先に導火線を点したのは、テメェらの方だ!!


 テメェらがこの世を蝕む害虫だというのなら、俺は虫けらを燃え尽くす業火になってやる。

 時の果まで生き延びて、どんな醜態を晒しても、決して死なずに、テメェら全部探し出して、この杭でその頭をぶっ潰してやる!!


 ────俺は、是非を齎す!!!





❖   ❖   ❖





「────ヤメ!!!」


 その叫びは礫となり、血色に染められた瑠璃の結晶の全てをぶち壊されてしまった。


 全部、現実に戻ってきたのだ。


 三人は、再びプエスメンベリの真冬の季節の中、領主の(とりで)の最上階の部屋で居る。


「……はぁ、はぁ、はぁ……」


 それはディギタリスの息の音だった。


 ──もどかしい、懐かしい、愛しい、美しい。


 ──恐ろしい、苦しい、悲しい、憎らしい。


 そういう感情のあまたのつむじ風が、一処に集中して、渦を巻いて、ついに限界値の上まで爆発してしまいそうになる。


「ひっ、うぐっ、ひくっ……」


 赤毛の少女騎士は、自分が泣いていることに気がついた。

 だが、今度のそれは、さきほど美の女神のおぞましい誕生を目撃したときの叫喚とは違う。


 自分が経験したことのない、他者の記憶がディギタリスの器に注がれ、元の中身と混ざって、同じ色になってしまったかのような──今まで一度も味わったことのない、感覚。


「────殺してやる、殺してやるっ、俺は、是非を齎すっ、テメェら全部、殺してやる……ッ!」


 まったく気づかぬ内に、少女は自分の口でそんなことをぶつくさ言っていた。

 その可愛らしい唇の間から出てくるには、あまりにもぞんざいすぎる、激しすぎる言葉。


「……」


 それは隣の杭打にもはっきり聞こえた。

 少女の方を一瞥して、更に眉間に溝を深める。


「……勝手に頭ん中()(むし)っておいて、こいつにまでそれを見せたのか?」


 コンキリオウは、優しい仕草で首を横に振った。


「いいえ、それは私の意志ではなかったのです。貴方の思考の破片が含む感情の深みは甚だしすぎて、隣の彼女にもそれが伝わってしまったのでしょう……」


 それを言う彼女も、ヴェール越しに涙を流していた。


「それは人間は愚か……私のような、上位者にも、圧倒の思いを抱かせてしまう、なんとも激甚で、頑なで、しなやかで、美しい、記憶。

 ──有鱈さん、大変でしたね」


「やめ、ろ」


 慰める甘い声に、有鱈は即刻拒否で応じる。

 それを見た『女神』は、ためらいながらも男の情を乞いたいと思う女のような仕草をする。


「あの、有鱈さん。お願いします。どうか、貴方の痛みを分けてください……。私にそれを少しでも担がせてください」


「だま、れ。分かった気分になってんじゃねぇ」


「私なら、貴方のことを分かるんです。世界から排斥された、同士ですもの」


「一緒にするんじゃねェ!!!」


 ──一緒にしないで。

 ディギタリスがこの任務に出てから何度も自分の内で谺していたい言葉だった。

 何時間か前に、顧問騎士エンセヴに言い伝えた言葉だった。

 それを、杭打の男の口から聞いたのだ。


「まるで俺とテメェが同じ土台の上で立っているような言い草を、するんじゃねぇ! テメェはあいつらと何一つ違わねぇ。ただ、世界の醜悪の一点なだけだ。テメェみてぇな汚物と一緒にされてたまるかよ……!」


 少女騎士は、左のその男の眼球に視線を奪われてしまった。

 自分の視界は涙で朧になっていて、このおぞましい部屋の全てが霞んでしまったが、その中央で、杭打の目だけが明確に輝いていた。

 それを見て、ディギタリスはさっきの幻影の中で聞いた、あの優しくも芯のある声音が言っていたことを思い出した。


『本当に君は、純粋だな』


 今、杭打を生かせる動力が何なのか、ようやく分かった。


 それはこの世の『悪』を憎悪する、純粋さなのだ。


 その現象として、彼の汚い髪と髭の間で光っている眼光は、純粋な炎を発していた。





「それは、どうでしょうかね……?」


 その憎しみを全身に浴びていることを実感しながら、コンキリオウは何かしらの愉悦を覚えているようだった。

 その顔に、清楚な親睦が消え失せて、代りにあの妖艶な笑みが再度現れる。


「私と貴方は、とても似ていますよ?

 たとえば、最初には──貴方はこの世界と、多数を憎んでいる。

 彼らが紡ぎ出す全ての法則にうんざりしている。矛盾で形作られ、撞着(どうちゃく)刺繍(ししゅう)され、偽善で(くゆ)らしたこの表面の世界が、そこで日光を(たまわ)る資格さえないと信じ切っている。

 それは私の考えと完璧に一致していますよ」


「……黙れよ」


 有鱈の目は、漸次に虹彩の部分が無くなって、黄白の炎と化していた。


「そして、貴方はとても純粋です。世界が非純粋で満ち足りていることに幻滅しています。

 貴方は、ちぐはぐの矢印たちが四方八方で混雑する世界地図より、ただ中央の一つの絶対的柱だけで司られている世界の風景がもっと美しいと思っている。つまり、貴方は世界を一色で染めあげたいと望んでいる。

 それもまた、私と完全に重なり合っています」


「それ以上、喋るな」


 比べて、相手の女は得意げに語り続いている。

 段々と、その全てが描く方向は、傲慢じみてゆく。


「そして、世界の全ては貴方を狂者・危険分子・犯罪者・罪人・揺るがす者・煽動者などと言い、追い払わんとしている。

 貴方が何を言っていたって、世界はきっといつまでもそれを鼻であしらうだけで、その中に含まれた真意には決して到達しない。

 その落胆も、私は理解しています。

 そして、最後に……」


「…………」


 一瞬、悲しげになるヴェール越しのその顔色。


「私も、貴方も──信じていたものにひどく裏切られて、追放されている。

 心の故郷から遠く隔てられたところまで流刑(るけい)にされたが、今やっと戻ってきたところなんです。

 さあ、どうでしょうか?

 こうにも相似している二つの対象など、この世界に何対あると思いますか?」


 彼女の口調には、変化が生じていた。

 とてもなよやかで落ち着いていたその声音に、どんどん狂気じみた高揚が混じってきた。


 コンキリオウは何歩も後退り、あの肉塊のあたりまで行き、踊るように回った。

 回転の後に見せた彼女の表情には、かなり危険な曲線がうねっていた。


「──杭打よ。今度こそ私の、美の女神の『(おこ)(びと)』になってください」


 彼女は願望した。


「私がこの乾坤の全てを無辺際(むへんさい)私色(わたしいろ)に染め上げることを、手伝ってください。

 その色とは、正に美麗の彩りで間違いないです。すると、この千番煎(せんばんせん)出涸(でが)らしのような非生命的、非精神的、非価値的、非希望的虚像はこよなく壊されるのです。

 世界全てのものは、千代(ちよ)万代(よろずよ)の夜々を寿(ことほ)ぎ、祭り、そして謳いながら幸福の(たけなわ)に向かって行進するでしょう」


 その演説は、泥色と紅色が絶妙に合わせられている。

 狂気の色合いだ。

 しかし、果たして誰が狂っていて、誰が正気なのか?

 それを決める者が、いったい誰だというのか。


「貴方が待ち侘びていた秩序と救済も、きっとその過程にはあります。

 そして貴方を砕いた、憎むべき、怯懦(きょうだ)で、卑劣で、劣悪なその虫けらすべてはその舗装の道のりで、必ずや地獄の業火に包まれましょう。

 貴方はきっと、最後に勝つこの物語の主人公であります。貴方がやるべきことは、ただただごく小さな一歩です──それは、私の手を執ること!!

 さあ、杭打よ! 対の世界からの旅人よ! 繋ぎ止める者よ!

 二つの領域にまたぐ、おぼめく者よ!

 ────番馬(つがいば)有鱈(うたら)よ!!! 美の女神、コンキリオウの起し人となることを、今ここで誓いなさいッ!!!

 その一言で、全てが成し遂げられます。

 それを約束してくださると、私は貴方の最愛の人として、貴方を永遠に愛でてあげましょう。

 私たちはこの世の王と后となり、恐ろしい、美しい支配者として君臨するでしょう!

 さあ、私を愛しているって言いなさい。私に触れなさい。

 私を、抱きなさい……!!」


 抱擁をせがむ恋人のように、美の女神は、有鱈の束縛されたところへ両腕を広げた。


 そして、杭打の答えは────





「クソ喰らえよ。売女(ばいた)。あと何か臭ぇから、俺に近づくな」









臭いんかーい。

でも女の子にそんなこと言っちゃダメでしょ? 有鱈くんサイテー!!





❖   ❖   ❖





そう言えば、最近思いついたのですが、たらだの鸚鵡貝おうむがいだの甲烏賊こういかだの、妙に水産物多いですね、この物語。全く意図しなかったのですが、私の深層心理が激しく海を求めていたのかな、って思ってます。

何か『異世界魚市場』とかにタイトル変更した方が良いかも知れませんね。そっちの方がもっと人気出そう。


てか、鸚鵡貝って確か頭足類で、イカとタコの親類ですよね? あれって食べれるのかな? 実物は見たこともないです。動画とかは色々見たんですけど。タコよりはずっと動きが遅くて、何か泳ぐんじゃなくて浮かんでいる感じですよね。可愛いです。

ちなみに、本来の頭足類って鸚鵡貝やアンモナイトみたいに貝殻があるのが原型らしいですね。でもそれが殆ど絶滅して、もっとすばしっこく動けるタコみたいな方が多くなったとか。代りに寿命は鸚鵡貝の方がずっと長くて、タコやイカは短命するって聞きますね。


あ、でもタイトルに含まれているだけで、今までの流れで、この『鸚鵡貝』がいったいなんなのかが全く語られなかったんですよね。そっちの方はもうちょっと後で登場する予定です。


まあ、そんな感じで、あんまり関係の無い無駄話をしましたが、とにかくこれからもヨロシクお願いします!

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