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杭打ちの伝令  作者: にに部
第一章 「春失くし」
25/33

24 美の女神

 夕暮れの後の時刻。


「ッハァ────ッ」


 ヴィルビのボロ屋の中でぼうっと窓越しの砦を遠望していたエメーソリナは、いきなり体中の神経を通じて走る電流のような感覚に襲われた。

 それがもたらした衝撃と熱気は猛烈で、彼女はしばらく息ができなくなってしまう。


 しかし、どうにか倒れることだけはしないで、耐えることができた。


「……っ」


 苦痛に身悶えながらも、自分に襲いかかった衝撃波の根源を探ろうとした。

 その方角が、確かに感じられる。

 それは今まで彼女が視線を向けていたところと一致している。


 それは、プエスメンベリ領主の砦の方。

 彼女には分かる。その中で、何かが起こったのだ。

 それは──


「──かあさん……?」


 彼女のささめきは弱々しくて、他の騎士たちには伝わらない。


「──なぁ、お前ら何か感じなかったか。何かズガッとしたような」


 卓上近くでのんびりとしていた中年騎士のトリセインが、周りの男子二人に向かってそう聞いた。


「ん? いや全然。なんか聞こえたりしたん?」


「おっさん酒飲みすぎたからだよ」


 その二つの言葉は、どっちが灰金髪のウムペースティーからで、どっちが茶髪ピアスのベーグィからなのか。そんなの、今のエメーソリナには重要ではなかった。


 そろそろ、彼女を襲ってきた最初の熱気は治まっていた。

 エメーソリナは不安と恍惚が混じった顔で、彼方を展望する。


「────」


 その瞳の表面に、褐色の、不気味な光沢みたいな色が輝いた。





❖   ❖   ❖





「これは────」


 血祭りとなった応接間の中。

 イントレド・バイネローホは建物の上階から伝わってきた波動を、確かに感じ取った。


「ッハ──ッ」


 その熱気に触れた瞬間、胸が踊り始めた。

 それは、間違いなく、逢瀬を予感させる、彼女の訪れの伝令。


「……あああああっ、ああ、あ、あっ、あっ、アァァァァァッッ────」


 滂沱たる液体が、自分の心底から漲ってきて、やがて瞳から流れる。

 それは正に、嬉し涙というものである。


「彼女は、やはり、私を見捨てなかった、んだ」


 そんな彼の前に、いくつもの少年たちの身体が床に伏している。それらは頭に大きな穴ができていて、動きを完全に止めている。死んだように見えた。

 しかし、状況はすぐさま変わった。

 彼らの身体が痙攣を始めたのである。


「────」


 すると、どうも人間には出来そうにない、どこか昆虫のすばしっこすぎる動作を連想させる動きで、彼らは立ち上がってきた。


「……」


 その表情は皆同じで、空っぽである。感情というものがまるごと削られいる。

 だが視線を向ける先は明確に一点に集中していた。それはピアノ・フォルテの前で身をくねらせているイントレド・バイネローホである。


 しかし、彼の方は少年らへ一瞥だにしない。

 彼が凝視し続けるのは、天井である。

 彼は空から溢れ落ちるものを抱きしめようとする人みたいに、両腕を広げて、天へ伸ばしている。


「ハハ、ハハハハッ! ハーッハハハハハハハッッッッ!!! 美の女神、我が不滅の恋人は、我が真心に答えてくれたのだァ!!」


 勝ち取った人のように、彼はずっとそこで歓喜に浸って佇んだままだった。

 その顔の半分以上を、涙液と唾液と鼻水が濡らしている。


「────」


 他の少年より遅れて起床した、その中で一番身体が小さい少年があった。

 ──フィーゼだと呼ばれていたその身体はふと、ぶるぶると不自然な微動を始めた。


 すると、似たような身震いはすぐ周りにも伝播される。まるで一つの所から浪が広がるように。

 彼らの表情は相変わらず虚無だったが、その動作は雀躍すべきことの前で嗚咽しながら感情の実感を満喫している人のようだった。


「────」


 少年らの瞳から、粘着く液体が流れ出始めた。

 体液には間違いなさそうだが、それが果たして涙と呼ばれて良いものかは曖昧だ。

 なぜなら、その色が透明ではないからだ。

 それはまるで泥のように、赤黒い。


 しかし、仮にそれを涙だと看做したら、この応接間は号泣する人たちだけで満ち溢れているのである。

 横から見たらそれは、まるで邪悪な儀式の末、教主と信徒たちが狂気の歓喜に支配され、邪神の祝福を賜りながら嬉し涙しているように見えただろう。


「ハハハッ、ハーッハッハハハハハハハハハッッ!!」


 その儀式は、なかなか終わらないまま、続けられた。





❖   ❖   ❖





「こんばんは。私は美の女神──コンキリオウ、と申します」


 そのイカれた自己紹介を聞いた杭打と少女騎士の二人は、唖然とするしかなかった。


 暫時、その女の周りの触手や肉片が蠢く気持ち悪いにちゃにちゃする音の以外は、その部屋は衝撃の後のぼんやりとした余韻が続いていた。

 彼女は妖艶な目つきでこちらを見ていたが、その紅色の瞳孔がふと自分自身の身体の方へ移った。


「あら、そう言えばこんな身なりでしたね……はしたないところをお見せしてしまい、大変失礼しましたわ」


 純な娘のように、妙にも顔を赤らめながら、大事な所をふらふらした動作で隠す。


 ためらうように彼女が振り向くと、その縦に割れた忌まわしき肉の塊から黒い何かがまたも産まれて来た。


「────」


 それは人間の形にしては異様がすぎたが、それでもしっかり手足が付いていて、頭や胴体をなすところも区切りができ、せめて人間のまがい物には間違いなさそうな、真っ黒な生き物だ。


「おいで──」


 彼女が産まれてきたそれに向かって手招くと、それらは指示に従う操り人形のように女の元へてくてく歩いて来る。


「んっ……」


 一瞬、それらは彼女を抱きしめるように見えた。

 が、時を移さずその黒色の子供たちは形を失い、溶けるようになり、それが彼女の全身に纏わりついた。


 暫く経つと、それは彼女の頭の上では白いヴェールになり、胸元と腕と腹部のあたりでは朱と白のドレスになった。

 その姿は、まるで初々しくも瑞々しい、花嫁だ。


 そうやって、今彼女は服を身につけた。

 そうやって、美の女神は受肉され、この場で顕現した。


 その華奢な体の後ろの巨大な窓から、夜空の紺零(こんこぼ)しが這い寄ってきて、その背中を支える逆光となる。その神秘な色は、この地上の全てを気の狂った霊妙さで照らしている。

 まるで優雅な踊り子のように、コンキリオウは裾と袖とを靡かせて、ふんわりと停止する。


「ふふ、どうですか? この格好。自分で言うのも恐縮ですが、とても似合っていると思います」


 それを否めることは出来ない。目撃したとたん、本能的に頭に襲来する考えは、あれは恐ろしいほど綺麗だということだ。

 ただ、その薄いヴェール越しに見える彼女の紅の双眼の色付けは、少しも淡くなっていない。燃える紅玉のように、こちらにその光を自慢するように、はっきりとその色彩を示している。


「では、改めて正式に、ご挨拶申し上げます」


 彼女は可憐にお辞儀する。


「こんばんは、私は美の女神──コンキリオウ、と申します」





 卑しい笑いをする。そして有鱈を嘱目した。


「最後にお会いできた時から、六、七年ほど経ちましたか? ……いいえ、十年? あるいは、百年? 済みません、あまり人間の基準はしっくり来ないので」


 口元をしとやかに隠して、微笑む。

 そして、後ろの方の窓外の風景を瞥見する。


「ふふふ……とても素敵な夜ですね。再会の夜として最適です。

 この時、この場所にて再びお目にかかれるとは流石の私も予想できなかったのですが……偶然も僥倖も、とても美しいものだと思いませんか? 誰からも存在に気づかれないまま空中を迷っていて、やっと確かめられた時にだけ一瞬の閃光を発する」


「ク……ッ!」


 しかし、その懇ろな言葉遣いを聞く者は、鬼の形相をして、身じろぎを絶えずしているだけだった。どうにか逃れる隙を狙っているようだ。


 彼はこんな状況でも抵抗しようとするのだ。

 この男は、ただ恐怖に鈍らになっているだけだろうか。それとも。


 それに比べて、隣の帝国騎士の状況は芳しくない。


「あっ……ぁ……」


 ディギタリスは自分の顎が激しく揺れすぎて、奥歯が何度も何度も軽くぶつかりあっているのを感じた。彼女の全身を超え、全存在を押しつぶしているこの気持ちは、畏敬と呼ぶべきか、或は、恐怖と呼ぶべきか。


 彼女の頭の中に過ることは、奇妙にもこの場の空気とは最もかけ離れている、ある記憶だった。


 ──帝都の夏の夜を、ラダウニ邸の美しい庭園で過ごしていた、もっと小さなころのこと。

 この世の苦痛の全てから守られていたあの頃の自分に、今のような圧倒的絶望が存在すると言ったら、きっとあの子には理解できない。

 人形のような見た目の賢い小娘は、自分に分からないことと直面するのが大っ嫌いで、そのたびに癖のように眉を寄せて、言うのだ。『バカバカしいわ』、と。

 本当は分かっていた。実は、自分には分からない物がただただ恐ろしい。だからそれを愚かだと張り紙をはって、それから逃げようとしただけだった。


 もしかして、これが走馬灯なのかな。


 そんなことを、非現実感と共に、呆然と思っていた。


「──バカバカしい、わ……」


 ふと、口に出して言ってしまった。

 それは、本音だった。

 だって、この状況でそれ以上に似合う表現があるだろうか。


 紅の瞳孔の彼女は、それを聞き逃さなかった。

 邪悪な色で発光するその目玉が、ぬっとディギタリスに向けられた。

 

「こちらのお方は?」


 コンキリオウは言った。その目には媚びるような色が去ったが、口元には笑いが滲んだままだ。その問は脈絡上有鱈に向かったのだろう。


「しら、ねーよ……っ!」


 俎の上の生きた魚のように、有鱈は一度身動きを大きくした。

 だがあの触手からの反動はさらに彼を強く束縛するだけで、彼は苦痛から声を出してしまう。


 コンキリオウは無言で、女騎士に近づいた。


「い、いや、こ、ないで……っく、ひっ、ぐすっ……」


 いつの間にか、ディギタリスは泣いていた。

 だが相手はまったく構わず、すぐに鼻先が相触るほどの距離にまで接近した。

 常に勇ましくいるべき騎士の方は、まるで怯懦な子供のように、視線を避けて、泣き続けるだけだ。


「ふふっ、どうしましたか? そんなに怯えてしまって。私は貴女に何もしてないですよ?」


 悪魔のように、囁く声。

 この場を支配する上位者として、弱者を蹂躙するその態度。


「い、いや……、や!」


 比べて、縛られた相手は、正にちっぽけな小娘だった。


「や、めろ──!」


 有鱈は、そんな光景が嫌いだった。だから、威張る声を高々に叫んだ。


「ふふ、まあ良いでしょう」


 いたずらっぽい仕草で、ディギタリスから離れてくれる。

 彼女は再び有鱈の方へ接近する。


「今私が集中したいのは、貴方のことだけ、ですから」


 そこから産まれた吐息が有鱈の髭あたりに当たるほどの距離。

 すると、おかしくなるほど良い匂いがする。


「数年の間、貴方は色んな苦境を超えて来たのですね。死を望んだことだって、幾度もあったんですよね?」


 まるで親友の悩みを聞いて共感し心配してくれるように、妖艶さを抑えて、彼女は有鱈に純な顔を見せる。

 色香が薄れると、その顔の曲線はかなり可愛らしいものになってしまう。


「近づくん……じゃ、ね──」


 それは通用するはずがない、要求だった。


 彼女の繊細な手が伸ばされて、有鱈の頬を摩る。

 その表面には、対の紋様が現れている。


「そしてついに、()の章が……あの諸顔(もろがお)の標識が現れましたね。

 ほんと、行動が早くて、謀に長じていて、嫌なヒトだわ」


 その悪評は、この場にはいない誰かに向かったものだ。


「クッッッ────」


 だが、触手に束縛された者はその意味を理解できずにいる。

 頭を回せる余裕もなかった。

 彼は、『美の女神』の指が頬に触れた途端、頭がつんざかれるような痛みに襲われたのである。


 今彼が感じる全ての感覚は、加熱されすぎて白くなった鉄が当たったように、耐え難い熱さに触れるようになっている。


「苦しいのですか?」


 そう、囁いた。


「良いですよ。貴方を苦しませた、貴方の経験した世界──それを、私に見せてください」


 すると────

 生殖器が置かれているその空間自体が、この砦から、プエスメンベリから、そして全ての地上から、吸引されて遠ざかるような感覚を感じた。

 部屋中はまばゆい白い光で満たされて──目を開けていることさえ厳しくなった。


 朦朧の影灯籠の前のように、ぼかされた映像の片鱗が、来ては、また去ってゆく。


 それは『美の女神』と杭打の隣に居るディギタリスにも少しだけ、伝わってきた。


「やめ────」


 彼の声音は、そこで途絶えた。









今日ももう一話投稿します。

次回はとても重要な話になりますね。

では、1時間後の23時ごろに、またよろしくお願いします。

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