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杭打ちの伝令  作者: にに部
第一章 「春失くし」
24/33

23 『待ちくたびれたわ』──そして、誕生

 番馬(つがいば)有鱈(うたら)と、ディギタリス・ラダウニ。

 二つの異なる意志が、ついにイントレド・バイネローホの砦にて、ぶつかりあった。


 だが、それは魂の相剋する対決にまでは至らない。

 なぜなら、その二つの対象は見るものが違いすぎるからだ。

 片方は、もう一つの方を識別さえ出来ずにいる。

 その結末が勝負にならないことなど、最初から決まっているのだ。





「…………」


 静寂の末に、有鱈はディギタリスが切っ先を向けているところへ近づく。

 その右手は一挺の杭を執っている。

 それを見つめる少女の方は表情を更に強張らせ、彼の道具が自分の武器に衝突した時のことを頭の中で予想する。


 真っ先に浮かぶ光景は──その杭に自分の身体が貫かれる映像だった。


 ディギタリスだって理解はしているのである。魔術も使えない状況で、自分が彼に張り合えないということは明白だ。

 でも、今さら退けるわけがない。

 例え逃げようとしても、相手は凶悪な『犯罪者』だ。

 先に殺しにかかった自分を、彼が見逃してくれるはずがない。

 となると結局、戦うしかない。


 幸い、自分には最後の手段がある。

 もしそれを使えば、相手は確実に殺せるだろう──自分の命を対価にして、だが。


「……くっ」


 こんなところで今際(いまわ)を覚悟するとは思わなかった。

 自分にはまだまだ時間が十分残されていると思っていた。

 でも、その考えが甘かった。今さら痛感する。


 なぜこうも当たり前なことが気づけなかったのだろうか。

 剣を以て他者を斬る準備を常に持つべきものが騎士で、自分がその肩書きを掲げるのならば、それは自分もまた他者から斬られることを覚悟せねばならぬということを。


 ……ふと、エメーソリナの囃し立てる姿を見ながら、『遊びじゃない』とかを思って、彼女を蔑んだことを思い出した。

 今になって考えてみると、果たして自分は『遊びじゃない』という実感があったのだろうか。

 自分は果たして、あの桃髪の騎士のことを詰る資格があったのだろうか。

 遊んでいたのは、自分も同じではなかったのだろうか。


「──今は、やめましょ」


 小さく、自分にそう聞かせた。


 思念が渦巻いて止まらないが、今は顧みている状況ではない。

 どうにか切り替えて、この時を凌ぐしかないのだ。

 そう考えて、剣を握る掌に力を入れた。


 そして、相手のことを睨む。


 そろそろ、二つの鋼が激突する頃合いである。





「…………!」


 だがそうなる前に、事件は局面を新たにした。


「────待ちくたびれたわ」

「────待ちくたびれたわ」

「────待ちくたびれたわ」

「────待ちくたびれたわ」


 その声は、有鱈をこの部屋まで誘ったそれと主が同じだ。

 だが以前に比べて、その発せられる方角を判断するのがもっと難しくなっている。

 それはまるで、四方八方から多数の人々に囲まれて、彼女らの囁きの合唱を聞いているような。

 どっちから聞こえるのかなど、答えれるはずもない。


 混乱しているなか、扉の近くからふとカチッ、と高い音が聞こえてきた。

 あの少女騎士が立っている所だ。


「……な、何なのよ、これは?」


 彼女はいつの間にか騎士剣を落としたのである。

 取り乱した様子で、ディギタリスは両手で耳の辺りを塞ごうとすている。

 つまり、あの声音は有鱈にだけ聞こえるものではないのだ。


 そんなことを考える間にも、その囁きはやまなく続いた。

 いや──むしろ、その数はずっと増えているように感じる。

 相変わらず夢幻の中の口笛のように、際立ちが崩されたどよもす音ではある。

 が、それほど反復されると、何を言っているのかはちゃんと聞き取ることができる。

 それが言っているのは──

 

「────だっこをしましょう」

「────だっこをしましょう」

「────だっこをしましょう」

「────だっこをしましょう」


 そんな唱える言葉が、自分を囲繞(いにょう)していた。


 抱擁の促し──である。

 それも、とろけるほどあまったるい声で為される、(こいねが)いだ。

 男に愛をせがむ女の色香を音声にしたら、こんな感じになるのかも知れない。

 脳裏の彼方でそんなことを覚えた。


 次の瞬間、


「────」


 大きな破裂音が聞こえたと思った。

 すると、その部屋の一側面をまるごと占めていた棚の方がこっちの方に向かって爆ぜる光景が見えた。


 それを為した物体の正体は、すぐ晒された。


 それは──大きくて、ぬかるみ色で、くねる動きを一刻もやめない、触手の一束である。

 その数は七、八くらいだ。

 

 状況を把握する暇もなく、それらはこっちを狙って動いてくる。

 すばしっこそうな姿形ではないが、それらが実際に見せた速さは尋常なものではない。

 その速度は、さっきのディギタリスの狙撃が準備予熱を済ませた速度よりもずっと上である。

 だから、有鱈としても全力で合わせて互角の速さだ。


「────ッ」


 有鱈は、上半身を低くして最初の一振りをどうにか避ける。

 その隙に持っていた杭を近寄ったその触手の末梢の部分に食い込める。

 するとそれは内に喉元を秘めているように、何か気持ちの悪い年老いの獣の嘯きと金属質の破壊音が混じったような音を上げるのである。


 だが、それらの目的は有鱈だけではなかった。


「いっ、いやあアアァァァ!!!!」


 その声に惹かれて嘱目すると、一つの触手がディギタリスとやらの少女を掴んでいた。

 それを為した触手はそのまま、獲物を巣窟へ連れて行った──壊れた棚の壁際の向こうに、空洞があったみたいで、そっちの方へ消えてしまう。


「……チッ」


 ──あの女は、いったい何しに現れやがったのか。

 おかげでフィーゼの探索にだけ集中しているべき気が散ってしまった。どうもこのままでは後味が悪くなる。


 どのみち、そんなことについて熟考できる余裕はない。


「────」


 次は何本もの触手が一斉にこっちへ向かって近寄ってきた。


 有鱈はまずは空中へ跳ねて、最初の一振りを躱す。その跳躍で後退るようになった有鱈は、さっきディギタリスからの攻撃を防いだ際に、杭を何梃も床に固定していたところに接近した。


「あああっ!!!」


 そんな掛け声とともに、床に刺された二梃の杭を、触手に向けて投擲する。


 すごい音を出して飛んで行ったそれは標的に的中した。そして当てられた二本の触手は、茎の部分で裂けられてしまう。


「テメェらに構っている暇など──」


 そんなことを言いながら、有鱈はもう二梃の杭を床から抜いて、今度はこっちから飛びかかる。


「──ねぇってんだよォ!」


 真っ先に突出した奴に、両手の中の杭をぶち込む。


「────」


 ギィィィッ、と金属の軋みと野獣の吠えが混じった叫び声があがる。


「きったねぇ」


 言い、有鱈は戦いの渦中でシャツや腕のところで飛んできた、泥のような、血のようなものを払うように手を振った。


 またも杭を持って、くねる触手に立ち向かう。

 戦闘の間、もう何本の奴が更に増えて来ている。


 ──これでは、切がないかも知れないな。何か他の術を考え出さなきゃ……。


 そう考えた途端、

 有鱈が立っていた床が、崩壊する。


「は────」


 予測できなかった事態に、有鱈は呆然と墜落するしかなかった。

 が、その下に待っていたのは(うつばり)とかの建築の構成部などではない。

 それはさらなる数の、触手だった。


「しまっ──!」


 空中では身動きを自由に出来ない。

 だから、そのまま待ち伏せの奴らの捕虜になってしまう。


「ッッッ」


 その中の一つの手が有鱈の胴体と腕を一緒に巻きつけて、息がきつくなるほどに力を入れる。

 彼は何度か、背中や腹から杭を生やしてそこから逃れるように試みてみたが、直接腕で振るうものでもない杭には勢いが足りなく、どうもその化け物の束縛からは逃げられることは難しい。


 触手の締める激甚の力は、人間はおろか、並程度の獣をもはるかに超えている。


 ──すぐさまで、骨が折れる。呼吸不可になる。すでに精神状態が濁り始めている気がする。

 死の予感が、有鱈を襲う──


「──あ?」


 だが、絶妙な力加減をする。

 絶対逃げられないようになってはいるが、決して殺すほどまでは至らない。

 どういうつもりなのか。


 そう考えた時、触手はどこかへ移動し始める。

 ディギタリスにしたことと同然、この最上階の隠れた場所に獲物を連れて行くようである。


「────ッッ」


 その動きは早くも過激で、途中で何度も突出した石材木材の所にぶつかるようになるが、数寸の差で串刺しになることは免れた。


「──ウッッ!」


 ドカンとする音と共に、薄い壁を壊す。

 そして、有鱈を縛り付けた触手は、ある部屋の中に彼を運ばせた。


「はぁ、はぁ……」


 荒い呼吸をしつつ、有鱈は自分がどこに居るのかをどうにか把握しようとした。


「──あ、き、貴様!」


 そんな彼の右側に、彼と同じく力強く縛り付けられた少女騎士があった。

 彼女も雑な扱いになっているのか、そのきれいな巻き毛の赤髪に汚物が付けられて無惨になっている。


「これはいったいどうなっているの! 早く説明しなさい!」


 口調の中、威張っていた向こうの部屋での勢いは萎んだ。

 今の彼女は、ただ知らずのものに対する恐怖に襲われて、どうにか状況を理解しようとする小娘であるだけだ。


「……何で、それを俺が知ってると思ったんだ?」


 ぶっきらぼうに言い、有鱈は視線を正面に向ける。

 すると、見えたものは──

 彼はそれを目にして、顔を顰めずにはいられなかった。


「────だっこをしましょう」


 そこに立っている巨大な肉叢(ししむら)の醜態に気がついたからである。

 それは常に引っ攣れをしていて、毛か突起か知らないなにかを表面に鏤めて、色は泥沼のようで、異様な悪臭を放ち、そして、中央には縦に分けられた亀裂を持っている。


 それはまるで、死にゆく雌巨人の生殖器をデカい包丁で切り抜いたような、そんな外見をしているのだ。


「……い、いやよ、そんな……。あ、あれは……なに?」


 右から少女の声がする。

 目の前の光景が信じられないようである。


「何で、なんで、私がこんな目に、ぅ、っ。い、いや……っ、いや、いやっ!!

 離して、離して、離してェ!! 助け、助けてッ────誰かァ! 誰かァァァ!!!」


 そんあ譫妄のうわ言に近いディギタリスの声が響き渡る。

 その恐慌状態は、別段彼女が臆病者だからではない。

 見せられている光景が、あまりにも人の日常とはかけ離れているのだけだ。

 そんなものを見てしまうと、殆どの常人は、恐怖に襲われるしかないのだ。


 なにも、その場の人を虐げるものは忌々しい視覚の衝撃だけではない。


 まず、全てを圧し折らんばかりの空気の重圧があった。

 これは、あの肉叢が纏っている一種の魔力の現れのようだ。魔術適性がとても高いディギタリスの場合、また圧倒感が一段階高かったのである。


 そして、耳元のそばで囁かれるような──この、甘ったるい声音。


「────だっこをしましょう」

「────だっこをしましょう」

「────だっこをしましょう」

「────だっこをしましょう」


 この世のものではない。

 この世に、地上に、こうも美しく、妖艶で、甘い声が存在するはずがないのだ。

 それは、美しすぎる。

 肉塊の醜悪さの真逆の方向から人を狂わせる感覚である。


 こんな異常さで充満したのがこの部屋だ。

 だから、今ディギタリス・ラダウニが狂気と恐怖に襲われ悲鳴を上げることは、とても()()なことなのだ。


 だとすると、彼女の隣の有鱈は──


「…………」


 ひどい感情に駆られてはいるが、それは恐怖というよりは嫌悪感と憤怒に近い。

 そっちの方が、少女騎士の恐怖よりもずっと()()()だと言える。


 なぜ彼は、狂わせる恐怖に抵抗できるのか。

 その理由を全て挙げることなど、出来ない。

 それは一つの人物の精神全体を名状せねばならぬことであるからだ。

 ただその中の一つ、とても明瞭で、分かりやすい理由が存在する。


 ──ただ単に、以前、似たような経験があったから、である。


「────だっこをしましょう」


 有鱈の記憶が正しければ、これから行われることは、きっと──ある種の、()()であろう。


 それが正しい予想だったことは、すぐ明らかになった。


「────だっこをしましょう」


 妖艶な声は、そう言う。

 甘くて、甘くて、

 聞くものを全部溶かしそうな、そんな声。


 引っ攣れを超えて、()()()は脈打つように蠢き始める。

 その脈動に合わせて、空気を握りつぶす重圧も強くなった気がする。

 その程度は激しすぎて──やがて、猛暑の下のような、陽炎を見せる。

 だがあいにく、ここは酷寒の真冬の北方の地なのだ。


「キャ───ッ!!! ヤ───ァァッ!!!」


 隣で、そんな悲鳴が上がる。


 それを聞いて最初に感じたのは、うざったさだった。

 彼女がただただ馬鹿馬鹿しくて、たまらなかったのだ。


 そんな醜悪な声をしてどうなるというのか?

 できるなら、黙っていて欲しかった。

 黙って、これからの()()を見守って欲しかった。


 番馬有鱈の目は、その肉塊の動きに釘付けになっていた。

 もっと正確には、そのちらつかせる亀裂の向こう側を覗こうとする。


 あそこから、何かが力強く産まれこようとする。

 今の全ての騒ぎは、そのための羊水の中の泳ぎ、強靭な胎動。

 つまり兆しであるのだ。


 瞬時、見えてきた。

 彼方から産まれるその現象の、手がかりが。


 周辺の魔力の揺れみたいなものも少しは安定して行く。

 その重さは一秒ずつ増してゆく。

 だが、しっかと自分を認識した生物のように、

 自分の形を分かった命のように、安静の状態に落ち着いていく。


 亀裂からはみ出して来た最初のものは、真っ白い足先だった。


 そこから産まれる赤子は何かの粘膜に包まれている。

 しかし、それを破って、初めて世界の空気と接触しようとする。

 生殖器の両の花弁は、その産まれを扶助し促すようだ。

 排便する大腸の動きのように、中身を外へ押し上げる。


 それは相反する雑多なものでいっぱいになっていた。

 神聖と醜悪。

 姦しさと静けさ。

 冒涜的運動の悲しさと生命水のありがたさ。

 観察者は、その矛盾の塊を拝見していて、ただ絶望に似た驚歎を覚えるほかはなかった。


「────」


 いよいよ──赤ん坊は床に独立していた。

 母体から離れて、世界に一人存在しきっている。


 それは、裸の、瞑目の、華奢な体つきの、女。

 髪の毛は赤褐色。肌は真っ白だが、血の色がよく回っている。

 この世のものではないと思えるくらいの、艷やかさと、厭らしさだ。


 彼女は、目を開いた。


 真っ先に、その紅の双眼は有鱈の存在を確認する。


 彼女は、にっこりと嗤った。


 そして言う。


「こんばんは。私は美の女神──コンキリオウ、と申します」









服着ろ。

すいません。次回に着させます。

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