22 少女騎士と杭打
「これは……」
有鱈が入ると、そこは広々とした部屋だった。
飾り気は少なく、家具も多くない。
有るのは書籍の数々が並べられた本棚の列と、扉と相向かっている書机だけだ。
その机の後ろに戌亥の方角へ向かう窓があり、そこから紫と紅とが混じった色合いが這い寄っている。
有鱈の故郷では、逢魔が時と呼ばれる時間である。
だが、そういうのはどうでも良かった。
扉を開けた真っ先に有鱈の注意を支配したのは、ただ一つの物体だった。
それは書机の右に見える棚の上に置かれている、神秘の光を帯びる、ある装身具。
久しく続くべき、『彼女』と有鱈の間の『盟約』を思い出させる、『彼女』の破片が眠りについている、あの首飾り──おぼめきの首飾り。
提灯のように、玲瓏たる響きのように瞬く、壺の中の蝶々のような形の、『おぼめきの魑魅』。
彷いて、見えざる領域へ旅立たんとするその煙纏いのことを、定める碧き預言者の血液がしっかと繋ぎ止めている。
だから、それは去れない──でも、留まれない。
そう、まるで、有鱈自身のようだ。
有鱈はそれに近づいた。そして、掌の中に大事に収めた。
「ここに、あってくれたんだな」
目を瞑って、呟く。
「ありがとう、ありがとう、ありがとう、本当に」
二度、三度、感謝をして、そして首にそれを纏った。
「これからは絶対に離さない」
シャツのなか、自分の心臓の近くにそれを秘める。
確かに感じるその引力──彼女の引力。彼女と自分を強く引き合わせる、契約の証し。
彼女という存在がこの穢土の上に確かにあったと叫ぶ、力。
「はあ──」
こんなにも心が暖かくなれる……のか。
自分が未だにそんな状態になれるという事実に驚いた。
しかし、それはとても嬉しい驚きだ。
何もかも、彼女の恩恵だ。
地獄の底を経験しながらも、自分が人間性を失わずにいられたのは、全て彼女のおかげなのだ。
──そして、糧伝の党の皆のおかげでもある。
「……姉貴」
──偶然にも首飾りの方を先に見つけてしまったが、今からは全力でヴィルビ姉貴の息子、フィーゼのことだけに集中せねばならない。
そう決心して、興ってきた感慨を少し鎮静させようとした。
「……?」
その時だった。
ふと首飾りの置かれた棚の上の、もう一つの物に視線が止まった。
それは見覚えのある、円筒形の壺。表面に表れているのは、両刃の章。
盗賊たちの小屋で三日月髭の奴が有鱈に向けてぶっ放したものと同じである。
「……」
なんとなく、それを掴み上げて握りしめ、見下ろした。
今まであまり心がけていなかったが、あの時、三日月髭の賊は確かに『爆発』とかを口にしていた。
状況から推測してみれば、元来このものは敵に当てさせて爆ぜさせるもの──というのが妥当だろう。
そして小屋から出て間もない頃に聞こえてきた爆音と、それから有鱈の後ろから上がった煙は、それが遅れてから爆発を起こしたからだと思われる。
それがなぜか発射された当時には爆発に至らず、自分は命拾いをしたというのか。
これも、おん主からのご加護だと思えば良いのか。分からない。
だが、一応その物は懐にしまっておくことにした。
確然とした理由はなく、ただなんとなくそうした方が良いかも知れない、という曖昧な思いつきからだった。ただいつかは使い所があるかも知れないと思ったのだ。
ただ、後ろめたい思いはある。
あの憎悪に値する集団から作られたものを、自分は持ち歩いて、いざとなると使うつもりなのだ。
……しかも、この壺はその二つ目だ。
一つ目は、…………。
「──ッ」
いきなり懐の中に眠るもう一つの汚物のことを考え出して、呻きをした。
──俺は、いったい何を思っているのだ? なぜ、あんな穢らわしいものを持ち込んできた?
自分でも、理性だけに頼ると、答える言葉のない謎の行動である。
だが、
……あの卑劣な言葉が頭の中で再生される。
『──ダンナ、あの魔女に欲情──』
「──違う」
思わず、力を入れた右の拳で前方にある棚の部分を叩いた。
するとそれは衝撃を受けた部分から不穏な音がして、ひび割れができてしまう。
「……」
左手で胸の方を圧迫した。
するとそこには確かに突出したものがあり、そこに確かな碧色が温存されている。
自分の心はまるでそよ風の行き来する道端に置かれた蝋燭みたいだ。あんなくだらない変調が吹かれただけでも、消えゆくように弱くなってしまう。
だったら、せめて今は、客観に頼るしかない。
おぼめきを抑える彼女の色がここに確かに有る。
それを否定できる者は、この世にはいない。
これを通じて自分は彼女の存在に繋がれる。
記憶と思考の乱流に彼女という概念を汚す必要もなくなるのだ。
「……はぁ」
その考えは、実際ある程度の効果を発揮した。不安定だった心がすこしは鎮まったのである。すると有鱈はあの目玉に触れないように努力しながら、有鱈は刃刺からの二つ目の付届けを懐に入れた。
そして、この部屋に残されたもう一つの手がかり、聞き覚えのあるあの声の在り処を探そうとした。
*
──その瞬間。
背中に、何か突進して前の何もかもを押し開けるような、猛々しい熱気を感じる。
「うっ」
呆気にとられて、感嘆詞を吐く暇もなく、有鱈は右方に身を避けた。
その直後、さっきまで首飾りが置かれていた棚が、そしてその後ろの支えになっていた壁が、まるごと破壊されてしまった。
だが破壊力に比べて、その面積は極めて小さい。つまり一極集中の力の攻撃が放たれたようで、その命中された地点には牛の頭ほどの大きさの穴が開けられたのだ。
その部分は、今まで有鱈の胸部が置かれた位置から投影したらぴったりと合う。
それに当たっていれば自分は──一つ目は頭部と肩、そしてもう一つ目は下腹部から下半身、大まかにそんな二つの別れた肉片になっていた。それほど、それは恐ろしい狙撃だった。
幸いにも、予熱みたいな感覚が先に来たおかげで、咄嗟に躱すことができたのだが。
「────」
有鱈は攻撃が来たところを見た。
それは自分がさっきこの部屋に入ってきて、開けっ放しになっていたあの重厚な扉からだ。
「…………」
そこには、二つの人影が立っていた。
いや、一人は巻き毛赤髪の可愛らしい少女で、それこそ人間に違いないが、もう一人は明らかに人間離れした雰囲気を纏っている──
その足裏は床に届かないまま浮遊しているし、女性の輪郭だが度を越した巨体であり、肌に密着させてそのまま作られたような黒色の服装や、奇妙にも視線を完全に遮蔽するような覆面をしていることや、並々のものだとはどうも言い難い。
何よりも、左手で弓のように掴んでいるあの杖。その上部の方は微動をしていて、しかも熱されたように煙が微かに上がっている。
──さっきの狙撃は、あの杖から産まれたものに違いない。
「何のつもりだ、今のは。テメェは誰だ?」
有鱈は聞く。
それはあのデカい女に向かったものだった。
「デクステラエ帝国騎士団が騎士、ディギタリス・ラダウニだ」
だが、答えたのはその下の、か弱そうに見える人形のような外見の巻き毛赤髪の少女である。
❖ ❖ ❖
その声は似つかわしくもなく低く、しかもこっちを威嚇するつもりが大分込まれている。
「『杭打の東方人』、貴様は数々の罪を重ねた犯罪者である。帝国の領土を踏んでいる以上は、帝国騎士として、私が貴様を誅罰する」
まさか、あの巨女はこっちの少女が使い熟せる魔術道具の類とでも言うのか。似たような術があるということを知ってはいるが、その外観からして妙に不思議に思われるところがある。
……しかし、その少女は、極めて不愉快な表現をしてくれるものだ。
俺が、『罪』を重ねた『犯罪者』だと。
俺を、『誅罰する』と?
俺を、法律だという人間の勝手なこじつけで罪人扱いして悪として断定する、と?
──だったら言ってみろ。俺は何を誤って、どういう罪を犯したというのか?
昨日の英雄が今日の凶賊になり、未来の独裁者が現在の賢王であるこの世の中で、それを言いうる者がどこにいるというのか?
お前らに追求される罪など、犯していない。
俺の罪は一つ、それを償うべき対象は、たった一人しかいない。
そしてその人を、お前らは同じく法に則って破滅させたじゃないか?
悪は、果たしてどっちの方なのか?
憤怒に駆られて、有鱈の顔は険しくなってゆく。
「…………」
だが、舌戦を始めるつもりは全くない。
そういう行動の無意味さは、もう知っているからである。
どうせ、あの小娘はこっちの理屈を聞く準備が出来ていない、表側の人間だ。
そんな奴らに何を言ったって意味がないのだ。
だから、敢えて激昂を抑えようとする。
「……騎士様か何だか知らねぇけど、今忙しいんだ。邪魔をするなら、お嬢ちゃんみてぇな小娘でも容赦はしねぇぜ」
怒りに刺激されながらも、実はひどく迷っている。
あんな小柄の少女には杭の先どころか、拳を振ることさえやりたくないんだ。
できれば、このまま戦わずに返してやりたい。
可能性が極度に低いと分かっていて、そんな結末を望んでみた。
「────」
だが、その答えは言葉の形をしなかった。
代りに、巨女の杖が狙う先から一直線に光が差される。
それは有鱈の頭に当てられ、最初に感じた熱気と同じものを帯びたことを知る。
「!」
今度も右側に避け、彼は壁の方へ寄った。
攻撃がぶっ放され、それは有鱈ではないところにまた風穴を開けた。
今ので確信した。それは威力こそ相当だが、有鱈ほどの敏捷さがあれば容易く躱すことのできる魔術だ。
「──お嬢ちゃん? 小娘? 耳障りがすぎる言葉だわ」
だが、攻撃はそれで止んでくれない。
ディギタリス・ラダウニと言っていた少女は、そんな感情のたっぷりに詰められた言葉を話して、右の人差指を以て有鱈の所を指す。
すると、また巨女の杖からの反応がして、魔術を撃つ。
そして、有鱈は避ける。
「────」
似たような光景が何度か繰り返される。
有鱈は床に停止していられず、壁や天井に付いたり離れたりして、どっちが地上なのかを忘れたかのような動きで攻撃を躱した。
それがしばらく続くと、不自然に思われてしまう。
あれほどの早さで動ける人が、攻撃者の方へは頑固として寄ってこない。
経験のない戦闘に突入したので、そして何日も想像していた瞬間がやっと訪れたので興奮状態にいるディギタリスだったが、流石にそれに気がつかないわけがない。
その意味はつまり──
「──ッ! 舐めないで! ソーフォイオール!」
その合図を聞いた巨女は、今度は両手で杖を掴んで、正面へ翳す。
直後、部屋中が幾十の光線で差される。その源はもちろん、あの杖の上部である。
「……」
天井に逆さまに立っていた有鱈は、それを見て瞬時に床へ下りた。
そして、両腕から何梃の長い杭を抜いた。
それは攻撃の準備をしていたディギタリスの目にも確かに映っていた。
「あれは──」
その言葉に終止符が打れるのを待たずに、光線の先の方へ、熱気が撃たれる。
「────」
部屋中の色んなものが破られ、穴が開けられ、飛び散る。
少ない家具と本と壁の材料とが塵と破片になり、空中に鏤められる。
「……!」
その塵の雲霧が少し静まると、状況の行方が確かめられた。
ディギタリスの視線の先には、何梃もの鋼の杭が床に刺されていて、固定されている。
その後ろ側に、杭打の男は貴人の前でするような姿勢で跪いている。
だが視線は確かにこっちに向かっていて、そのぎらつく眼光が少女の方を睨んでいる。
彼は瞬時にあの攻撃の軌跡を予測して、それが当てる経路に杭を立てて、その後ろに隠れる方法でさっきの数撃を防いだのだ。
「……ディギ……」
ソーフォイオールから、不安に満ちた声を浴びる。
「……っ」
それを聞いた少女は歯を食いしばる。直前の攻撃で、一時的な魔力切れ状態だったのだ。しばらくは何も出来ない。ソーフォイオールを顕現させることさえきついほどである。
相手の男は、ゆっくりと立ち上がる。
まさか、まさか、とは思っていた。
でも、それが現実に本当の現象で示されるとは、思わなかった。
『──死にますよ。騎士様方々』
『──この人員でのしかかったとして返り討ちにあう可能性が──』
……いや、そう願っていただけだ。
こうなる可能性は極めて高かったのに、こっちの方から聞きたくないことは全部無視して、深く考えず突進した結果なのだ。
──私に班長を見下ろす資格など、なかったのね。私もまた、願いと現実を間違えていた。なぜ私って、こうも馬鹿な餓鬼のままなのかしら。なぜいつまでも傲慢な小娘のままなのかしら。
そう思った途端、浮かぶ面影があった。
『──お前なんか、居ない方が良かった』
それを言ったのは、自分の顔と似ていて同じ赤髪。
だが、年上の、男性の人である。
怒った顔をして、彼は自分の存在自体を詰っている。
「……ウッッ!!」
少女は、腰から細長い剣を抜いた。
騎士には一本ずつ与えられて、常時佩用が義務付けられる、いわゆる騎士剣である。
「ディギ! 無駄ですよ、自分でも分かっているではないですか!」
それを無視して、ディギタリスは使い魔の顕現を解除した。
「ディ──」
すると、巨女の姿は急激に薄くなって、消える。
修羅場と化したその部屋の中には、二人しかいなくなった。
「……」
男の方は、ただその動きをじっと目で追っているだけだ。
やっと二つの重要な軌跡が重なりましたね。
ディギタリス(ちゃん付けしたいけど、多分怒られるだろうからやめます)と有鱈の初対面となりました。
これからこの二人はどんな物語を展開して行くのか、期待ですね。
今後もよろしくお願いします!




