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杭打ちの伝令  作者: にに部
第一章 「春失くし」
18/34

17 見つけた標的

 騎士たちの群れは、林から抜け出した。

 向こう側に到着したのである。


「やっとか」


 班長がそれを言い出すと、他の者も似たような感嘆じみた言葉を吐く。


 何時間前に班長が言っていた通りだった。

 林を抜けた最初に見えたのは、遠くの方へかなり堅固に見える防壁が建っている光景である。

 そして、その壁さえも越す高さの建物こそ、プエスメンベリの領主の住処である砦のはずだ。


 一方、東の方角からは正午ごろに確認した、狼煙のような黒い煙が上がり続けている。

 それは明らかに以前より西の方へ進んでいる。

 火はどんどん広がっているのが分かった。


 だが今の騎士たちが最も激しく覚えているのは、火事の方の心配ではない。

 彼らは既に疲れ切っている状態ではあったが、樹木で遮られていた視野が一気に開放されたのを見て少しは生き返った気分になれたのだ。

 それに、帝都からずっと目指していた目的地があそこへ明確に見えている。


 士気を取り戻した騎士たちは、急いで砦まで差し掛かろうと馬の速度を上げようとする。


 だが──


「あの、班長、少し停止して貰えないでしょうか」


 油分の多い肌が汚い中年騎士、トリセインの言葉がその勢いに水をさした。


「実は、小用がちょっとまずくなってきて」


「……もう少し我慢できないんですか?」


 やけに冷たい声で、ソワンコールは問う。

 班長はあの中年の男がずっと持ち出しの小瓶の中身を飲んでいることを知っているのだ。

 そして、中に入ったものがただの水ではないことも。


「いやぁちょっと、それは出来ないと思いますねぇ」


 年長者特有の図々しさと言うべきか、とにかく彼は少しもめげない。

 周りの圧と冷淡さにも負けず、トリセインは主張を貫くのである。


「班長。あそこ見て下さい」


 その時、灰金髪のウムペースティーから言われたので、皆は彼の指先をたどる。

 そこには、二つの小麦畑を過ぎたところに、古びすぎた木組みの家屋が建てられていた。


「実は、俺もちょっと喉が渇いちゃって……。あの家によって水でも飲んだ後にしたらどうすか?」


 どうやらウムペースティーは誰かが先に休憩を提案するのを待っていたようだった。

 彼にとっては、あの中年の膀胱が適切に働いてくれたのである。

 班長は短く息を吐いて、頷いた。


「……良いだろう。なら少し休んでから行こう。でも日が暮れる前までは到着したいから、いつまでもって言うわけには行かないぞ」


「大丈夫ですよ、あんな所に長居したくもないし」


 笑いの混じったウムペースティーの口調には確かに無礼なものがあったが、誰もそれを指摘する者はなかった。

 あの小屋の外見を目にした瞬間、誰しも似たようなことを思ったからであろう。

 帝都で似た所を見たら、多分近寄ることさえ避けていたはずだ。

 そもそも、帝都でそんな所など十中八九貧民街の建物に決まっている。

 だから、裕福な家の出身で、羨望される帝国騎士の肩書きを持つ彼らがそのような場所を目にする頻度など極めて低い。


「……はぁ」


 そのやり取りを見ていて、巻き毛赤髪のお人形さんみたいな外見のディギタリスは溜息を吐いた。彼女としてはこれ以上の滞りなど反対だったからである。


 しかし、彼女にももうこれ以上は一々突っ込むような体力がなかった。

 むしろ、黙っている方が時間も浪費にならない可能背だってある。





 二つの小麦畑の間の小道に接近する。

 すると、そこからは騎士たちは全員下馬して、歩くことにした。

 そこから小屋までの距離はわずかだ。だからすぐに差し掛かる。


 小屋には厩がないので、騎士たちは適当に物置のための天幕が張られたところの支柱に馬たちを停まらせた。


 それが終わると、班長が前に出て、小屋の扉を三度叩く。


「はい」


 幼い少女の声がして、すぐ扉は開けられた。


 出たのは声の主に違いなさそうだ。

 彼女は褐色に緑青色の混じった髪の色をして、それを後ろに結い上げた髪型をしている。

 ソワンコールの胸より少し下まで届く背丈で、痩せてはいるが不健康ではなさそうだ。


「……えっ」


 玄関先にいきなり出現した人たちと馬、そして奇怪な格好をして空中を泳ぐ巨大な使い魔を見て、彼女は唖然としたようだ。

 そこから騎士たちの羽織の上に歴々と現れている二個の蹄鉄の輪違いの紋様を見て、そこからさらにもう一度強い衝撃を受けたようである。


「やあ。いきなり御免ね」


 爽やかに挨拶をしたのはソワンコール班長だった。


「実は私たちは帝国騎士をやっている者らで、今少し休憩しようと思っていてね。良かったらお宅の中で、お水をいただけないだろうか?」


 疲れが詰まってからか任務に出た頃に比べてやや慳貪になっていた班長だったが、少女の前に出ると品のある振る舞いを難無く演じる。


「……は、はい。どうぞ、こちらへ」


 納得させるのにもっと時間がかかるのかと思いきや、少女は騎士たちを内へ案内した。

 その声音には驚きが混じっているが、それでも年頃不相応の落ち着きのあるものである。


「……あ、班長、俺とエメちゃんはここに残ります」


 班長が扉のしきみを踏んだ時に、茶髪ピアスのベーグィがいきなりそんなことを言う。


「外で馬たち看ていますから、ゆっくりしてから来てくださいよ」


 それが単なる言い訳で、エメーソリナと二人だけで会話する機会を作ろうとしているのは瞭然だった。

 が、何も言わずに、班長はただ一度頷いて内部に入る。


「オル、アンタもここに残っていて」


 ベーグィとエメーソリナが馬たちの方へ近づいた後、ディギタリスは空中で浮遊している自分の使い魔にそう話しかけた。


「分かりました。屋根の方で周りを監視します」


 即時頷いて、彼女はボロ屋の屋根の方に上がっていく。

 そしてその煙突に身を委ねて、見張りを始めた。


 それを確認したディギタリスは自分も室内に入った。


 その時、傍目で見たエメーソリナのむくれた顔が少し気を引いたが、心掛りにはならなかった。





「……」


 室内へ入って真っ先に気づいたのは、家内に漂う異臭だった。

 樹皮と言うか、きのこというか、そういうのが撹拌されたまま少し腐ったような匂い。

 悪臭とは言えないし、特に不愉快でもないが、もしこれが自分に家だったらあんまり好ましくはなっかったであろう匂いだ。


 ディギタリスは、自分がある種の感慨に浸っていることに気づいた。


 ──まさに貧乏人の暮らしの中に、私は立っている。

 そういう実感をこれほど強く感じたことは、産まれて初めてだと思う。


 そのせせこましい中で、既に他の騎士たちは大きな木筒を順次に回しながら中身を飲んでいた。便所に行ったトリセインは見えない。


「お邪魔してすみません。連れ立っている人が帰ると、すぐ出ていきます」


 とっくに渇きを解決したソワンコール班長は、とても礼儀正しい口調で部屋の片隅に向けてそう言っている。

 ディギタリスはそれを見て、ようやくこの家に住んでいたのはさっきの少女だけでなかったことを知った。


「……」


 班長が話している者は暖炉近くの寝台の上に横たわっている女性である。

 何かの病気に患っているのか、その顔色は優れていない。

 まだまだ若そうに見えるのに、痩せ返った頬の尖りとかが彼女にとても病弱で衰退した印象を与えている。


 でも、帝国騎士の正装の方をさすらう視線と、その眼光が良くないものを見ているような不安で満ちているのは、なぜだろうか。


「……お偉方たちが、こんな鄙びたところには何用ですか?」


 言葉遣いから、この状況をどうも芳しいと考えていないことが伝わってくる。


「とんでもないです。私たちはただ末端のものたちに過ぎないですので。

 そしてここの住民の方々にご迷惑はかけませんので、ご安心ください。私たちはご領主様にお会いに参りました。それを済ましたら、しばらくしてすぐ帝都へ返って行きます」


 いかにも清々しい言い方で、班長は病床の女と話をする。


「──あの砦に、行くのですか」


「そうです」


 その時、班長の後ろ、さっき騎士たちを中へ案内した少女がすこし焦ったように何かを言おうとする。

 しかし、寝台の上の女性は手を上げてそれをやめさせた。


「……どうにかしたの?」


 彼女の隣に立っていたディギタリスはそっと質問した。

 その間、エンセヴが自分の唇の跡が残っている木筒を勧めたので、眉を寄せただけでそれをさがらせながら。


「…………っ」


 だが、少女は何かを迷っているようで、胸のあたりに両手を乗せて、ただ苦しげな顔をしているだけだ。


 それを訝しげに観察していたときだった。


『──ディギ、聞こえてますか?』


 思考転写魔術特有の鋭い音が聞こえてきた。

 ──ソーフォイオールの声。

 それが聞こえるのはディギタリスだけで、それに応じて考えを伝えるのも自分だけである。


『ええ。良く通っているわ』


 簡潔に答えた。

 心のなかで言葉の形を作るだけで、口も動かないし、音も出さない。

 これに慣れない人の場合、形成と濾過が出来ずに変な思考までまるごと伝達してしまう場合もあるが、ディギタリスはそう未熟ではない。

 勿論、常に色んな結びつけで思考や感情などのある程度の共有をしている彼女とソーフォイオールとしては、たとえそんなことがあったとしても別に困ることはないが。


 とにかく、離れている使い魔からの思考転写が来たということは一つを意味している。

 それは、多少曖昧な感情の共有では伝えきれない情報を、はっきりとした言語の形で伝えないといけない──ということ。


『……ディギ、驚かないで聞いてください』


『なに?』


『──杭打の東方人と思われる者を、見つけました』


「──はあ?!」


 思わず口に出した。

 その音は、今まで小屋を纏っていた寂寥の雰囲気とは大違いな、強烈さが凝縮された声である。





❖   ❖   ❖





「────」


 有鱈は何となく後ろの方を確認した。


 ヴィルビ姉貴の家を立ってから三十分ほど。

 そのボロ屋はもう冬の畑の景色の彼方に置き去りになっている。

 でも、ここからは他に大きな建物や木々などの邪魔者がないので、かなり視界が透っている。


 ──あそこから、何か変な気配を感じた気がする。


(……流石に気のせいだろ)


 その古びた扉の敷居を踏み越えるまでは、室内に何か異変はなかったはずだ。

 それに、事態はかなり差し迫っている。

 一刻も早くフィーゼの安否を確かめなくちゃいけない。

 今さらヴィルビのところへ帰って確認することなど出来ない。


 それでも、これからは少し気をつけて身動きしないと駄目だと思う。


「ふぅ……」


 深呼吸をする。


 ずっと望んでいたことが成しうるかも知れないという期待でちょっと心臓の弾みが激烈になりすぎた。

 我に返って思えば、ここの一帯は開放されている地域で、遠くからでも有鱈の道程は明瞭に見えているはずだ。


(──まごまごしてんじゃねぇよ)


 再び深呼吸をし、気を整う。

 さて、この開かれた空間でどうやって身を隠すのか。


 さいわい、有鱈は影の下に潜むことがかなり上手である。

『彼女』とともに歩いてからはあまり使う必要がなくなっていた技ではあるが、こっちの世界へ渡る前までは、その技だけが彼の存在の意味みたいなものだった。あるいは、生業と呼ぶべきか。


「行くか」


 それだけ、呟いた。


 そして有鱈は、身を隠した。





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