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杭打ちの伝令  作者: にに部
第一章 「春失くし」
16/33

15 日々の残響

 有鱈はグンデルに案内されて、小屋の中に入った。


「お邪魔するぜ」


 一度、内装を見回した。

 外から見えた印象と一致する、使い古した住居である。


 置かれた織物の破れ目が多いことや、家具があまりにも少ないことなどが、ここの主の貧しい事情をもれなく告げている。

 室内はとても静かだが、風のあたる音だけがうるさくて、全体的な寂しさを一層ましている。


 がらんどうのようにうつけていて、誰もいないような印象を与える空間だ。


「……誰だ?」


 その時、室内の奥、暖炉の方からそういう軟弱な声が聞こえてきた。


「──」


 その主は──。


 ──本当に、あの人なのか?

 有鱈はやっと一つの事実に気がついた。

 それは、自分の記憶の中であの日々の人達の声音はひどく暈されているということだ。

 もはやそれは、古の石碑の字のようになっている。

 聞けばすぐ反応できるような音色など、数えるほどでしか残っていないのだ。


 だが、それはあくまでも曖昧な感覚のことだ。

 理屈として覚えているものなら、まだまだかなり明確だ。


 たとえば、それは──ヴィルビ姉貴の声はけっしてそんなやせ衰えたものではなかった、ということ。


 彼女は男勝りの性格だった。

 有鱈が疲れ切っていたときにも元気いっぱいで振る舞っていた健やかな女性だった。


「……母さん。私だよ」


 釘付けになっている有鱈を尻目に、グンデルは母のところへ進んで行く。

 彼女がすりよった場所には古びた布団で覆われた寝台がある。

 そこに横たわっている人に、少女は話かけた。


「グンデル? どうした? 今の人は誰だ?」


「あの、母さんの昔のお知り合いさんで……『糧伝(かてづて)』の同僚だって」


「──えっ」


 その名前が娘の口から出てきた途端、室内に寝台の枠がきしむ音が響いた。

 その人が急に上半身を上げて反応したからである。


 それで、やっと有鱈にもその人の輪郭がはっきりと見えてきた。

 彼女と有鱈は、お互いに目が合う。


「……ヴィルビ、姉貴?」


 信じられなかった。

 あの酷く憔悴した女性が、本当にヴィルビなのか。

 あんなにも溌溂で、いつでも生気に満ちていて、たまにはうざいほど活発だった人が。


「──有鱈。有鱈、なんだね」


 その声は、その短い音を名状する間にも、何度も途絶えてしまうように、微かだ。


「……生きていた、んだ……っ」


 突然、ヴィルビは胸のあたりを両手で抑えて、苦しげな顔で前かがみになる。


「お母さん大丈夫?!」


「姉貴! どうした!」


 グンデルは母の安否を窺い、有鱈は敏捷に彼女のそばまで近づいてきた。


「はあ、はあ、はあ」


 ヴィルビはなぜか息を荒げているらしかった。

 だが、別状はなさそうだ。


「はあ、はあ、はぁ……。く、ウッ」


 すこし鎮まったと思ったら、彼女は有鱈のシャツのところを掴んで、引き寄せるように力む。


「どうしたんだ……」


 すぐ、気づいた。

 ヴィルビは息を殺して、泣いていた。


「…………」


 その瞬間、有鱈の脳裏を過るのは、夥しい記憶の映像。

 そのなかのヴィルビは、常に丈夫な女傑の姿として映っていて──。

 痩せすぎた顔で泣いていた姿など、まったく見あたらない。


「……グンデル、ちょっと良いか。しばらく、二人だけにしてくれ」


 有鱈は隣の椅子を引き寄せて腰掛けながら、心配そうに母の泣き顔を横から見ていた少女にそう頼む。


「……分かりました」


 グンデルは有鱈の頼みにすんなりとして答えてくれた。

 彼女は小屋の外へ向かって行く。


 それとともに、扉の開閉の騒音が消える。

 あとは、ただ風の音と、そして女の啜り泣きの音だけが残った。

 後者は、幸いにそんなに長続きはしなかった。


「──少しは落ち着いたか、姉貴」


「……ああ、悪いね。

 まったく人を驚かしちゃって。いきなり可愛い面構えして現れたもんだから、流石のルビお姉ちゃんも嬉し涙しちゃった」


「ふっ」


 今、この世で一番可愛さとは程遠い顔をしている自信はあるんだが。

 だが、ひどく安心する。

 彼女の軽口の叩き方は、昔そっくりである。


 そう言えば、自分も姉貴ほど──いや、ヴィルビを遙かに超えるように、変貌していることをやっと自覚した。

 彼女の方からはどうやって一目に見分けができなのやら。

 だが、今はそんなのは聞かないようにした。


「姉貴、今まで何があったんだよ? その……ルェモア兄貴の方が、亡くなったことは、聞いた」


「その質問は、先にアタシの方からお前にしたいんだけど」


 真摯な眼差しで彼女はこっちを凝視する。


「てっきりお前はもう死んでると思っていた。夫も、アタシも。

 生きてるって知っていたら、かならず会いに行ってたのに。今までどこで何をやっていたんだ?」


「……まあ、なんやかんやして、生き延びてきたぜ」


「はっきり言え」


「……北方要塞の一所に、半年前までずっと監禁されていたよ。

 正確にそうなった経緯はちょっと分からない。なぜ彼女が殺されたとき一緒に死ななかったのかも、分からないんだ。

 たた、あの日から気がつくと、地獄の底にいた。

 そんで、まあそれこそ()()()()()()してどうにか脱獄したところだ」


「……有鱈……」


 痛恨だろうか。

 ヴィルビの顔が深い感情に染められ、顰められる。


「ごめんね。ごめんっ。ほんとうに。

 それを知っていたのなら、絶対に夫と二人で助けに行ったのに」


「何言ってやがる? 全然アンタのせいとかじゃねぇから」


 大した事もないとでも言うように、有鱈は上機嫌を振る舞ってそう言う。

 だが、相手の顔が晴れることはない。


「まあ、未だに元気でしてるから俺のことは別に良いじゃねぇか。それより姉貴のことはどうしたのさ。それを聞かせてくれよ」


 その話が愉快なものでないことくらい、もう予想がつく。

 それでも、これだけは聞かなくてはならない。


「……あの日、彼女が死んだあと、すぐに、残りの糧伝の党全員に、発見次第即殺の命が下された。

 それで殆どは命を失ったが、数少ない人たちはどうにかヒャキンスベリから逃げることが出来たよ。

 私たち四人家族もその中に居たんだ」


「──そっか。それで、エイギヴェルから去って、こんな遠い所まで逃げて来たわけなのか」


「いや、そうじゃない」


 彼女は頭を横に振る。


「これからどうやって食っていくかで夫──ルェモアと相談したんだよね。そこで思いついたのが、当時までは烈しかったデクステラエ帝国の内戦だったよ。

 アタシと夫とが出した結論は、正体を隠して帝国の内戦地に向かい、傭兵として儲かろうというものだったよ。

 だって、それもそうだろ? アタシも、ルェモアも、喧嘩強さ意外は能がなかったから……あいつの方は、楽器をちょっと弾けたけど、そんなことで生業ができるような世の中じゃないし」


 すこし後ろめたそうな様子だったが、有鱈としては彼女に()()()()に触れていたと責めるつもりはまったくない。

 自分だって、きっと似たような決定になっていただろう。


「それで確か、最初の何ヶ月ぐらいはそれなりに懐が重たくなっていた。

 やっとどうにかなれるかも知れないと、暫くの間は、本気で思った。

 でも、まあ、長続きはしなかったよ。

 内戦が終わる直前の大戦(おおいくさ)で、アタシは背中と腰をやられて、自由に歩けなくなってしまった。

 そして夫は、右目と右腕をやられた」


 予想したものよりもきつい内容だった。

 有鱈は自然と、握っていた拳に力が入れられるのを感じる。


「戦えなくなったから、アタシたちはどうにかしてでも定着するしかなくなった。

 けど、出来る限りエイギヴェルから離れたところに行きたかったから、気がつくと、こんな僻地にたどり着いていたよ。

 そのあと、夫がどうにか働いて家族を養ったけど、あいつも去年、病に冒されて……死んでしまったよね」


「…………」


 暫く、沈黙が続いた。


 再びヴィルビの口が開かれた時、その声は以前よりも乾いているように聞こえた。


「その後は、グンデルが彼の代りになった。

 でも、彼女の手を借りてくれるところなどもともと少なかったし、最近はもっと減ってしまって……」


 詳細を聞かなくても十分伝わってくる。


 思わず、有鱈は彼女から視線を逸らしていた。

 彼は祈っている人のように、少し前かがみになる。

 拳をほどいて脱力した指を組み合わせて、その関節の一つ一つを目で追っている。

 その顔には、暗晦の陰りが射されている。


「姉貴、その……なんだ」


 それを言いながら、再度彼は視線を彼女の方へ戻した。

 しかし、意外にも、彼女の顔は前よりちょっとだけ明るくなっている。


「あいつも、ルェモアも、お前と再会できたなら良かったのにな」


 ヴィルビはそう言った。


「有鱈。お前、あいつらのこと、あの日々のこと、覚えてる?」


「──ああ。一時も、忘れたことなどないぜ」


 彼女には、郷愁が沁み渡っている。


「みんなで鍛冶屋のところで集まって、毎日のように騒いでたこともね」


「あの記憶は特に……わざと忘れようとしてもできやしねぇって」


 有鱈も穏やかな笑みをして、そう返事をする。


「……あー、思い出したわ。いつもの定番があったよね。アヴェンデントの発明よね」


 ヴィルビは思い出話を言い続ける。


「あの眼鏡やろう、いっつも変なものばっか作っていて、それを自慢げに見せつけてきたよな。

 みんな心配そうに見ているのに、一人だけ浮かれてしまって。

 確か、あいつ何度か鍛冶屋の屋根を壊してたよね」


「ははっ、そうそう。覚えてる」


「でもいつも変なものってわけじゃなかったわ。たまにはほんとにすごい奴もあった。

 その一つがあの……『ピアノ・フォルテ』だったね。チェンバロと似た感じなのに、もっと柔らかい音がでる楽器の、あれ」


「おお、そうそう。確か、ルェモア兄貴が気に入ってたあの鍵盤のヤツだよな」


「そうだよ。ここに来ても何度も、『あの楽器のことをもう一度触ってみたい』って言ってたんだね。

 ……あいつはほんっとに演奏が上手かったよね。鍛冶屋でアタシに聞かせてくれた音色が、今でも耳に残っている気がする。

 こんな世の中じゃなかったら、あいつも刃物より、鍵盤とかにもっと触れていたかも知れなかったのにね」


「……ああ、そうだな」


 亡くなった人のことを言うが、彼女の表情は極めて柔らかい。


 泣き顔とは違って、その顔は有鱈の記憶の中にちゃんと登場している。


 ヴィルビは党の奴らの長女みたいな感じで、世話焼きの人だった。

 有鱈にもそれは同じだった。

 身の回りのことが几帳面とは遠すぎた彼のことを良く構ってくれていた。


 ──たまに自分の頭を撫でてくれて、そのときには決まって今のような表情をしていた。

 当時の自分は照れ隠しで、それを面倒くさがるふりをしていたが。


 何もかも全部、まるで自分ではない誰かの人生の物語のように思われる、遠い思い出。


「在りし日のこと懐かしいかな──。

 ……なんて、年寄りじみたこと言っているよね。まだまだ若いのに」


 自嘲げに、寝床の上の彼女はそう言う。


「いや。しょうがねぇだろ……」


 有鱈は言う。


「少なくとも俺は、たぶん、残響に過ぎないんだ」


 焦点を失った彼の瞳が、力なくボロ屋のどこかを摩っている。


「旋律を奏でてくれた人たちはもういねぇ。

 というのに、俺だけ空中を浮遊している。

 壁にぶつかって、弾き出されて、それを繰り返しているだけ。

 いつの間にか、遠すぎるとこまで来ちまった。ここは風音しかしねぇ。

 だから、温かい音色に満ちていたあの頃をいつまでも追想しているばかりなのさ」


「……有鱈」


「ああ」


「お前、まだ祈りは、してる?」


「……」


「アタシはもうやめたよ。

 彼を失った時に」


「……」


 そこで、会話は途絶えた。









今日の22時頃に第一章16が投稿される予定です。

よろしくお願いします!

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