11 千手の賢者
翡翠は、ふしぎな力をもつどうぶつでした。
あおくはためく、ことのさだむるいきものが彼女だったのです。
山嵐はなぜ彼女があらわれたのか理解できませんでした。
山嵐は、
「山のみんなをこわがらせるおれを、翡翠はにくんでいるんだ。
おれがよわまったすきをねらい、おれをころしにきたにちがいない」
とかってに思いこみました。
だからあおき翡翠がいっぽいっぽ近づけるのをみて、おそろしい思いをしました。
やがてふたりの間が一尺ほどになり。
翡翠は手をあげ、山嵐は目をつむりました。
だがそのあとに、山嵐が感じたのはするどい死のつめたさじゃなく、あたたかいやわらかさでした。
翡翠が手をのばし、山嵐のあたまをなでてくれたんです。
なにがおこっているのか理解できなかった山嵐に、翡翠は微笑みました。
そして言ったのです。
「いままでひとりで、たいへんだったね。
もうこわいおもいはしなくていいよ。
ぼくがきみのともだちになってくれる」
そのこえはとてもおだやかでした。
山嵐ははじめてたしゃのぬくもりにふれたことに気づきました。
それだけではありませんでした。
翡翠のあおきひかりがとどくところ、山嵐はきずがいやされて、出血もやんでいくのをみました。
翡翠がようじゅつをほどこし、山嵐をいやしてくれたのです。
いつしか泣き止んでいた山嵐はやっとあんしんしました。
翡翠のえみをもっと見つめたかったが、つかれからねむけにおそわれた山嵐は、ぐったりとなり、やがてまどろみにおちました。
山嵐が目をさめたあとも、翡翠は山嵐のそばからはなれないままで、彼女はそれからずっと山嵐のかんびょうにいそしみました。
まいにちまいにち山嵐のきずをようじゅつでいやし、山嵐のはなしあいてになってくれて、そして山嵐がうとうととねむりにつくときはいつも山嵐のあたまをやさしくなでてくれました。
はじめてのしんせつにおどろいた山嵐でしたが、翡翠のそんざいになれてからは、よろこびにくるいそうになりました。
山嵐は信じられなかったんです。
はじめてだれかとともだちになって、そのともだちがじぶんのことをとてもたいせつにしてくれている。
それがただただうれしくて、うれしくて、たまりませんでした。
山嵐が彼女にふかい情をもつようになったのは、いうまでもないことでしょう。
うれしいひびのなか、山嵐のきずもすんなりとなおされていきました。
そして、もとどおりのちからをとりもどした山嵐は、はじめて翡翠とどうくつをでて、せいてんのしたをはしりました。
山のかなたにまではしっていったふたりは、こもれびのなかでわらいました。
山嵐はしあわせでむねがいっぱいになるのを感じました。
山嵐はとなりの翡翠に言いました。
「このまま、いつまでもふたりでくらそう。
そうげんのうえでひなたぼっこをして、せいてんのしたをはしって、つかれたらこかげのしたでやすもう。
おれは、どこにもいかない。
だから、お前もどこにもいかないでくれ」
それを聞いた翡翠は、むずかしい表情をしました。
彼女は言いました。
「それはできないよ」
山嵐はかなしいきもちになり、そのわけを聞きました。
翡翠は答えました。
「ぼくは、人里をおそわないといけないんだ」
❖ ❖ ❖
「ええっ?!」
今まで集中して聞いていたフィーゼだったが、そのくだりで大声を出した。
「しーっ」
今度はグンデルの方から弟の口を塞いで、振り向いて暖炉の方をちらっと確認する。
「……」
母の様子に違いはない。それが分かったグンデルはまた弟の方へ視線を向けた。
「駄目でしょ。こんな真夜中に大声だしたら」
「でも、でも、そんなのおかしいもん!」
グンデルの口から伝われた翡翠の発言をひどく嫌っているようだった。
「翡翠は山嵐とともだちになったんでしょ? ふたりでなかよしで暮らすはずでしょ? なのになんで人里をおそわないといけないの?」
「う、うーん……」
理由を聞かれても答えるよしがない。
だって、翡翠がどんな気持ちでそれを言ったのかは、あの金髪の人から聞いていないからだ。
実は、それ以上に困ることがある。
(そう言えば、このあたりから話がいきなり雑になってた気がする……)
金髪の来客もこの部分で少し疲れたと言い、グンデルに水を持ってくれと頼んでたので話が途切れていた。
そして、しばらくして再開した話は以前と比べてかなり早く、結末までがんがんとほぼ疾走する勢いで終わってしまったのだ。しかも納得いかない所が多すぎる。
まあ、それが返って記憶の深層にまで残った原因となったのだが。
それで、最初からそれは分かっていて、それに至る前にフィーゼが眠くなると予想して聞かせてくれたのだが……予想は外されて、弟は全然眠そうには見えないし、あまつさえ彼の瞳は物語を始める前よりもキラキラになっている気がする。
「……まっ、とにかく最後まで聞いてよ。まだ山嵐がどうなるのかは分からないでしょ?」
芳しいものではないと、こっちは分かっているけど。
「……うん」
フィーゼは不安な顔で頷いた。
「────翡翠は山嵐に聞きました。
『ぼくが死にかけたきみをたすけてくれた。
こんどはきみがぼくをたすけてくれ』
山嵐はともだちのたのみをことわれませんでした。
それに、ともだちになってくれたおんがえしをしたいと思いました。
だから、山嵐はちからづよくうなずきました。
山嵐は死んでも彼女につきしたがうとちかったのです。
そうしてふたりは人里をおそいました。
翡翠はようじゅつとつるぎで、山嵐は針で。
ころして、こわして、すすんでいきました。
そんななか、山嵐はまたきずついて、なんども死にそうになりましたが、それでも翡翠のために戦いました。
翡翠からこうげきをうけてにんげんたちが苦心していたある日、人里に賢者があらわれました。
彼は、あのきょういをなぎはらうことをにんげんたちにちかったのです。
賢者はきょうりょくなのうりょくのにないてで、それはなんと、くれないいろで閃く千の手をよびよせて、つかいこなせることでした。
賢者は翡翠と山嵐とたいめんしました。
翡翠はようじゅつで、山嵐は針で、賢者をたおそうとしました。
だが賢者の紅の千手はそれをぜんぶ防ぎました。
むしろ彼はかえりうちをして、ふたりのくびをしめて、やくさつしてしまいました。
そうやって、人里をおそったきょういが退治されました。
おそろしいかいぶつがなくなって、人里には平和がおとずれました。
賢者はえいゆうとしてたたえられ、にんげんたちは彼に自分らの王さまになってくれとたのみました。
賢者はそれをうけいれ、その日から、彼は千手の王さまとしょうされるようになりました。
けんめいな王さまは、人里をいつまでも良く治めました。
他の里も、他の怪物たちも、千手の王さまをおそれていたから、その後からはしゅうらいする敵もありません。
にんげんたちは、賢者のとうちのもとでしあわせにくらしました。
人里は王さまの千手をかたどった紅でおおわれました。
めでたし、めでたし」
それで、物語はおしまいだった。
グンデルはやはり途中で眠りにつかなかった弟の顔を見て、軽く呻吟を漏らした。
「……やっぱりおかしいよ、お姉ちゃん」
しかも、彼はちょっと怒ったようにも見える。
「まず、翡翠がいきなり人里をおそうなんておかしいよ。翡翠はひとりぼっちの山嵐を助けてくれたもん。絶対いい人だよ。なのに人間をおそうなんて、おかしい」
「ん、まあそうだね」
「そして、賢者も、人里のにんげんも全部最低で大嫌いだよ」
「え、なんで? 人間たちはそうだとしても、賢者は普通にいい人なんじゃない?」
「違う! 山嵐と翡翠はいいやつらなの。ふたりをころしたから賢者は悪いやつ!」
……そんな解釈もあるのか。
「でも、フィーゼ。山嵐と翡翠は人間たちを殺したのよ?」
「そんなのしらない。山嵐はかっこよさそうだからすきだし、ぼくは青がすきだからあおい翡翠もすき」
「……くすっ」
もともとフィーゼは一つの結論になると、それから一歩も動こうとしない傾向がある。たぶんこれもそういう考えの据え付けに違いない。
「もしぼくがその物語のなかにいたら、ぜったい山嵐とともだちになってくれるのに」
「そうだね。フィーゼは優しいから」
グンデルは呟く弟の顔を自分の胸元に寄せた。
「……ふぁーあ」
どうやら話している最中で自分の方が体力が尽き、眠くなったようだ。
「お姉ちゃん?」
「ん……」
「寝てる?」
「……うん……」
だんだんと意識が遠くなる。
「……お姉ちゃん、山嵐は、何で翡翠にしたがってたんだろ?
もし翡翠がほんとにそんなことを言いだしたとしても、いや、って言ってたら良かったのに」
眠気で朧気になりながらも、それの答えだけは言えた。
「……唯一の希望、だったから……」
言い、グンデルはぎゅっと弟を抱きしめる。
「それを……失うのが、きっと、山嵐は、怖すぎたの…………」
希望を守るためなら、殺しだってする。
それをグンデルは理解していた。
その後のことはあまり覚えてない。
ただ風音がずっと続いていたことと、フィーゼの問いかけも、それっきりになっていたことくらい。
ただグンデルは安心していた。
だって、自分の希望が胸元でちゃんと息をしていることをずっと確かめていたから。
なんていうか、これから物語がどんどん盛り上がって、また有鱈くんの本当の苦難が始まりますね。
有鱈くん、ごめん! でも、君の犠牲を無駄にはしないから!!! 私は君を愛しているっ!!!
はい、これからは、第一章の後半になります。
よろしくお願いします。




