10 山嵐と翡翠
デクステラエ帝国北方の領地、騎士領プエスメンベリ。
帝国を構成する国々の中でもかなり小さな領地であるそこでは、禄に街と呼べるところは一つしかいない。
それは領主の砦の前、外壁が建てられている領域の軒並みのことである。
外壁が建設されたのは砦よりもずっと前のことで、プエスメンベリの領土が帝国に属していなかったころまで遡る。
今や古びすぎたそれは、部分的に補修の工事を何度もしてはいるものの、この地を脅かす色んな脅威から民を守れるほどの堅固さがあるのかは不安である。
それでも、壁があるだけで住民は心強く感じていた。
たとえ一撃で破壊されそうな脆い防備だとしても、ないよりはマシだと思うのは当然のことだったからだ。
外壁の三つの門の中、南に設けられたものはプエスメンベリほぼ全体を縦断する大通りと地続きになっている。
南門の周辺、壁の外側にもある程度民家が存在しているが、街と呼べるほどではない。
そしてそこからもっと南へ移動すると、景色はほぼ畑で覆われている。
他にはまばらに立つ街路樹と灌木。
民家の数はそれらよりもずっと少ない。
それこそ、壁内で住むための追加的税金が払えないほど貧しい人々の住処である。
この人たちは、四方を見回し続けながら何かの危険が現れるのを警戒するほか、自分の身を守るすべがない。
その壁外の在家の中でもずば抜けて貧乏たらしい感じの木組みの小屋がある。
それは大通りから一つの細道を通ると至れる所に建てられている。
またその細道は、二つの小麦畑の間にできている。
故に小屋は穫り入れの頃には穂先の浪に隠れて見えづらくなるが、今のような冬季にははっきりとそのみすぼらしい全貌を現している。
小屋には、ある家族が住んでいた。
家族は合わせて三人である。
最近の帝国内戦で傷を負って動けなくなってしまった母ヴィルビ、
まだ小さすぎて働けない弟フィーゼ、
そして二人のために必死になって何もかも頑張っている姉グンデルの三人だ。
本来なら彼女らを守っていたはずの父は、病気に冒されて亡くなっている。
そうして、まだ自分一人を担うにも小さすぎるグンデルの背中には、三人分の全てが背負わせられていたのである。
❖ ❖ ❖
今年はいつもよりそのむごさを増しているプエスメンベリの冬────
夜になると、その程度は更にひどくなる。
ボロ屋寸前のグンデル一家の小屋には過酷すぎる強風が、その壁と屋根とを襲ってくる。
その音があまりにもうるさくて、今でも家ごと吹き飛んでしまいそうだ。
「────」
室内は暖炉だけが微かに明かりを灯している。
暖炉近くの寝台には衰弱している女が一人横になっていた。
まだまだ若そうなのに、その顔に現れた疲れの痕跡は彼女をずっと老けて見えさせている。
彼女の寝台のすぐ隣の抽斗の上に、九芒星が描かれた汚い布が置かれている。どうやらそれは一時実際使われていた旗じるしのようだ。
すぐ手が届く距離に、すぐ視線が向ける位置に置かれているその配置からして、彼女がとても大切に思っている品物でありそうだ。
だが旗印なら壁際に掲げても良いものを、なぜあんなに小さく巻いているのはなぜだろうか。まるでいつでも隠せるようにしている、とでもいうようだ。
一方、暖炉から少し離れた部屋の隅っこ、枠の無い寝床のなか、布団で覆われた下ではびくびくと何かが動き続いている。
「お姉ちゃん。ねむれないよ……」
そんな言葉とともに布団の下から顔をむき出したのは、湖のような眼をした小さな男の子だ。右頬に大きな火傷の痕が残されていて、それは彼の口元の下までずっと続いている。
「うん……今夜はいつもより風がひどいね」
少年を自分の胸元に抱いて同じ布団の下でごにょごにょ囁くのは、彼より少し年上に見える少女だ。
この二人が、グンデルとフィーゼ姉弟である。
「フィーゼ。寒くはない?」
「うん。だってお姉ちゃんとくっついているもん」
「そうだね。でも私はちょっと足指の先があれかも……」
「お姉ちゃんせのびしたからだよ」
言われてみれば、その布団は彼女には短そうである。現に彼女の爪先がちょっとはみ出ている。
「もっとぼくにそってよ」
言い、フィーゼは何かもぞもぞ布団の中で身動きをする。どうやら姉の足を自分の方へ引っ張って布団の中から出ないようにしているようだ。
「ちょっ、何やってるの、くすぐった、ははっ」
「しーっ。お母ちゃんねてるの」
フィーゼは姉の口を小さな手で押さえる。
「もう足のほうはだいじょうぶでしょ?」
フィーゼに身体を引っ張られたおかげか、今度は爪先までちゃんと布団で覆われている。
だがそのせいでさっきよりも密着してしまい、フィーゼの顔が自分のやつれた胸に埋められていて、彼が息をする度に熱気が胸に広がって、またすぐ消えるのを感じる。
「……うん。ありがと」
言い、彼女はフィーゼの額に軽くキスをした。
何かその暖かさが有り難くて、弟を抱きしめる腕に力が入った。
「でもフィーゼ、まだまだ全然眠そうじゃないね」
そう言われてこっちを見上げる弟の瞳は小舟でも乗せそうに、澄み切った光を宿している。純真な顔が可愛くって笑ってしまった。
「ふふっ。じゃ、何か御伽噺でも聞かせて欲しい?」
「うんうん」
姉の話してくれる物語が大好きだったフィーゼは頷いた。
だが、実は十五分くらい前に、すでに一つの物語を聞かせた後だ。
普段は話の途中で弟が眠りにつくはずなんだが、今日はそうにはいかないようだ。
「うーん、でもフィーゼの大好きな騎士物語はもうさっき散々話してあげたから……」
ネタ切れ、といったところかな。
読み書きができなく、本も持っていないグンデルとしては話せる物語の幅がそんなに広くはない。騎士物語だって父が生きていたころ聞いたものを記憶から繰り上げているだけだ。それを殆ど毎晩繰り返しているのだ。
でも流石に一日に同じものを二度聞かせるのはちょっと……。
「……そういえば、あの時のお客人さん、色んなことを話してくれたな」
グンデルは二ヶ月くらい前に、珍しくこの小屋を訪れた女性のことを思い出した。
大きなフッドを被っていたので全貌が見えたわけでは無いんだが、錦のような金髪と黄金色の瞳の、作り物のような美しい人だったのは覚えている。
魔術が使えるようで、グンデルの知らない何かの海の生き物のような使い魔を侍らせていた──後で母にそれが象った生物の名を聞くと、『甲烏賊』と言っていたっけ。
彼女は母の昔の知り合いと言っていたが、母の方はあんまり旧知のよしみに会えたような嬉しいようすではなかった。
とにかく不思議な人だったので、グンデル姉弟が彼女を遠くから見物していると、彼女は微笑みながら優しく接してくれるのだった。
あまり話さない母の代り、姉弟が彼女の相手をすることとなった。
フィーゼはお客さんよりは空中を泳ぐ『甲烏賊』に興味があったので、彼はそれとかけっこをしてずっと遊んでいた。
その間、グンデルと彼女は小屋の外の古い長椅子に腰掛けて色んなことを話した。
その中で、聞いたことのない物語を教えてくれたので、今でもはっきりと覚えている。
多分父が聞かしてくれた騎士物語よりも、ずっと記憶の中に歴然としている。
勿論時間の差のせいでもあるが、語り手の不思議さと相まって、それはたとえわざと忘れようとしても忘れることができそうにないほど、記憶の中で深く刻まれていた。
別に御伽噺として作られたわけでも無さそうだが、振り返ってみると子供の寝所で聞かせるに遜色のないものだと思う。
「……よし。じゃ、話すよ?」
「うんうん」
そうして、少女は語り始めた────
『山嵐と翡翠』の物語を。
❖ ❖ ❖
むかしむかし、黒くて大きい山嵐が、山のなかのどうくつに住んでいました。
山嵐は生まれつきのおそろしい針を身に持っていて、まわりに近づくものがいませんでした。
だれも近づこうとしないから、ともだちもいない。
山嵐はひとりさびしく暮らしていました。
ある日、偶然ふもとまで下りてきた山嵐は人里を見つけました。
遠くからにんげんの群がるすがたを見つけた山嵐は、彼らが楽しそうにあそんでいることを見てとてもうらやましいと思いました。
山嵐は、おもわず彼らに近づきました。
近寄る黒いかげを見ておどろいているにんげんたちに、山嵐は言いました。
「たのむ。おれのともだちになってくれないか?
もしそうしてくれるんなら、おれはなんだってするよ」
答えることばにためらっていたにんげんたちは、やがて返事をしました。
「なんでもするといったな。
じゃあ、わたしたちと敵対しているとなりの村のやつらをぜんぶ殺してくれ。
そうしてくれたら、わたしたちはおまえのともだちになってやる」
それを聞いた山嵐は大喜びをしました。
もともとおそろしい針を持っていた山嵐に、ひとごろしなどかんたんにできるようなことだったのでした。
にんげんたちの約束をかたくなに信じた山嵐は、すぐとなりの村にきりこみ、その村のものらをみなごろしにしました。
だが、その過程でおおきな傷を負いました。
それでももうすぐともだちをもらえることで胸がいっぱいになった山嵐は、いそいで人里へもどりました。
人里についた山嵐は、血を流しながら、おおきなこえで言いました。
「おれはとなりの村のものらをみなごろしにしてきた。
やくそくどおり、おれのともだちになってくれ」
だがそこのにんげんたちは、山嵐をあざけりながら言いました。
「そんなの、おまえをおいはらうためのうそに決まってるじゃないか。
でもありがとうよ。おかげてわたしたちの敵がへった」
そういいすてたにんげんたちは、山嵐をはくがいし、山嵐に石をなげ、山嵐のきていた山のほうへおいかえしてしまいました。
となりの村でのきずでちからをあまり出せなかった山嵐は、にんげんたちのつぶてにてむかうすべがありませんでした。
けっきょくもとのどうくつにもどってきた山嵐は、くらやみのなかで、血と涙をながしながら、しずかに死を待っていました。
そのときでした。
いきなりくらやみがはらわれて、どうくつじゅうがふしぎのあおいろにみたされたんです。
山嵐はおどろいてその光のみなもとをさがしました。
山嵐はみたのです。
どうくつの入口から、あおいろの光のすじにまとわれた、翡翠が近づくのを。
今日ももう一話投稿できそうです。
多分何時間後になると思いますので、よろしくお願いします!




