9 尋問
倒れたまま、床の上で蛆虫のようにくねくねする三日月髭を、有鱈はまたしてもその襟首を掴んで壁際に押し込んだ。
その過程で彼が膝と足裏に負った傷はいろんな所に摩られて、そのたび血の痕跡が明瞭に残った。
「ッアアアッ、あっ、はっ、はぁ……ウッッ」
悶えの声を漏らす三日月髭だったが、相手はただ、彼がある程度落ち着くまでそのまま待つ。
「どこにある?」
「……ウッ……何がだよ」
その答えを出すやいなや、有鱈の顔のあちこちの溝がさらに深まった。
有鱈は彼の右手を彼の頭上を超える高さまで引き上げ、それを壁に当て、掌に杭を打ち込んだ。
「ッッウアァァッ!!!」
これで、彼は壁に固定されてしまった。
かなり太い鉄の塊がびっしりと手を貫いて、たぶん手首と指の付け根までを繋ぐ中手骨はこよなく砕けられている。
「これで分かったろ。ふざけたら苦痛が増す、ってことをな」
「ホウゥー、ホゥーッ……。分かった、分かったから……」
「……じゃあ、もう一度聞こう。
あの時、テメェが盗んで行ったもの──《おぼめきの首飾り》はどこにある?」
「……し、知らないよ。本当だ。もう俺は持ってないんだよ!」
「チッ、クズが……どっかに売りつけたのか?」
「い、いや、そうじゃない。俺だって……そうだ、匪賊みたいな奴にあって、奪われたんだよォ!」
有鱈は冷たい表情で、彼の手を固定している杭の根の部分を拳で強く叩いた。
「ウウッッッ! ッア、グッ……、ホゥ、フーッ」
「言ったはずだぜ、ふざけたら苦痛が増すって。匪賊が奪ったぁ? 誰がテメェの自己紹介と日常の語りをしろっつった? さすがに笑うところだったぜ」
「あ、あくまで、比喩の、話しだろうが……! 人の話しを最後まで聞けよ!」
「で、誰かに奪われたと?」
「っ、そうだよ……!」
「誰に」
「ホゥ……フゥ……。イントレド・バイネローホだ」
「────は? なぜ、ここでバイネローホの名前が出てくるんだ? あいつらは帝都で拠点を置く家系だったはずだ」
「お前こそ何言ってるんだよ!? イントレド・バイネローホはここ、騎士領プエスメンベリの領主だろうが……!!」
少しの間、有鱈は黙り込んでしまった。
「まさか、お前知らなかったのか?」
言い、苦しい息のなかで、三日月髭の奴は嗤った。
嘲りというよりは、呆れた笑いに近い。
「その様子だと、お前、ここがプエスメンベリの領地で、帝国の領土なのも知らなかったようだな。
まさかお前、要塞から脱獄してからずっと、行先もなく半年も北の方で迷っていたのか。頭がおかしい奴だとは思っていたが、ハハッ」
有鱈は無言のままもう一度、彼の掌の杭を叩いた。
「ウッッッ……!!」
彼は涙と脂汗を淋漓と流しながら、喘ぎか呻吟か分からない声をだした。
「……テメェの陳述はどこかがおかしい。領主と賊とが鉢合わせしたのに、領主の方は犯罪者の持ち物だけ貰って見逃してやったと? テメェ、適当なこと言って誤魔化すつもりじゃねぇだろうな」
「ハァ、ハァ、それが、全部ほんとうなんだよ……俺にもわけがわからなかったぜ、あん時はよォ……」
「何があったのか詳細に言え」
「詳細もクソもねぇよ──ああわかった、わかったから、ホゥ、フゥ、ちょっと最後まで聞け、っつったろ……ハァ、ハァ」
ふたたび固定された杭のほうへ拳を近づけようとする有鱈を見て、三日月髭は慌ててそう言った。
どうやら血を流しすぎて、そろそろ目まいを起こしているらしい。呼吸も以前よりもさらに荒くなっている。
「あれはある朝だったぜ……。切り株、のあたりで、ションベン、してるのに……、ッハァ、いきなり後ろからあいつ、イントレドが、現れたんだよ……。
俺だってご領主さまがどんな面構え……なのかなど、知らなかったから、ハァ、最初は名無しの騎士、が現れた……。ッ、ハァ、と、思ったんだけど、プエスメンベリの旗を翳した部下が、あったから……ハァ、領主の奴だって……、分かっ、たぜ……、ハァ、ハア、ホウゥゥ……ッ」
「早く続けろ。それで?」
「ッ、斬られると思ったのに、なにもしてこなかった、ぜ……。あれは……言った。『貴様の許から何ゆえこうも』、ッ、ふ、『不愉快な気配がするのか』とか、なんッ、とか……。
あっけにとられて、ハァ、いたのに……こんどは、『違う、貴様ではない』とか言って、剣を抜いて、切っ先で俺の首元を、突いたんだぜ……。
ホゥ、ケホッ、ケホッ、し、死んだかと思っ、たら……、奴は俺の、首から、ハァ、その首飾りを、ッ掻っ攫っていったんだよ」
「で、その後は?」
「ハァ、そのまま、返って行ったぜ……ハァ、ホゥ、フーッ」
「…………」
寸刻の間、有鱈は考え込む。
『不愉快な気配』──だと。
それが指す物が首飾りの中に潜在しているなら、それは……。
「……あいつは今、どこに居る?」
「知らねぇよそんなの……! ……ハァ、ハァ、たぶん、領主の居城だろ……!」
「その位置は?」
「……ッ、この森の、西へ向かうと……、ハァ、かなり大きい防壁と、街がある。ッハァ、このあたりでは、見逃すわけも、ハァ、ねぇ……それなりにでかい、もんだぜ。その中に高い、砦が、ハァ、見えるはずだ。そこが奴の居城、だぜェ……」
「その件は承知したぜ。だが、もう一つ聞きたいことがあるんだけどよ」
有鱈は背中の方向に屍とともに散らばっている、両刃の章が刻まれた品物を親指で指した。
「あれは刃刺の物品のようだが、なぜテメェらが持っている?」
「ッ、あれは、近くのところで、ハァ、刃刺の奴らが……何かに、やられた現場から、ハァ、漁ってきたもんだぜ……ッ」
「あいつらがここの地に来てるのか? なぜ?」
「俺が知るかよ……。さっきも、お前が今ぶっ、殺した奴らと、カハッ、ハァ、そのことでさんざん話し、合っていたところ、だぜ……」
「……分かった。テメェは真実を言っているようだな」
「ああ、ッ、良くもご存じで、天才さん。これでもう、ハァ、良いだろ?」
三日月髭の奴は期待に満ちた顔で話したが、まるで分からないと言うように、ボロキレの男は首を傾げた。
「良いって何がだよ」
「……お前そんなのッ、これを開放して、失せろってことに決まってんだろ!!」
「……そうだな」
その返事を聞いた三日月髭の顔には喜色が浮かんだ。
だがそれはあくまで、次の言葉が発せられる前までの間だけ。
「この小屋に是非を齎したあと、でな。まだそれが出来ていない」
「ま、まて、それってどういう意味だ。是非ってなんだよ」
「……是非とは、正と不正。
善悪区分の後処理。裁き後の磔。
この世に善悪は既に齎された。だから俺はその後処理をする」
それは今までのぞんざいな彼の言い方とは少し変容している。
まるで空覚えした偈頌を暗誦するような。
「悪に罰を、善に報いを。賊は悪。故に誅罰す──という、しごく明瞭なことだぜ。
まだこの場で一匹、賊が生きているからな」
有鱈は言いながら、彼は残りの一挺の杭を持ち上げた。
それを見るものの顔は蒼白になる。
「ま、まって、おま──い、いや、ダンナ、まずは落ち着けって! なにも俺を殺す必要などないじゃないか! ダンナはあの首飾りが大切でここまで来たんだろ? 今俺は持ってないんだって! わざとどこかへ売りつけたわけでもなく、仕方なく強奪されたんだよォ!! 俺は罪なしだろォ?!」
「……救いようのないゴミが。テメェがそもそもなぜ首飾りを持ち歩いていたのか、覚えてみろ」
「ああそうだったよ! ダンナを殴りつけて、ダンナから奪ったんだろ! それは謝るよ、謝るから! あん時は本当に済みませんでしたァ!!
クッソ……ゲホッ、死にたく、死にた、くねぇんだよ。頼む、頼むよォ!」
限りなく三日月髭を冒す恐怖という病が、彼を錯乱・狂乱状態に陥らせる。
そうなった男は、縋れるものなら何だって縋ろうとする。
だが今彼にできるものは、嘴を鳴らして、何か眼の前の脅威の気を宥めすかせる術を探ろうとすることが全てだ。
だから心に浮かぶものなら何でも掬い取って、音にして提示しようとするのだ。
それがむしろ眼の前の人に気に障る可能性があるかいなかなど、顧みず。
「そ、そうだ。ダンナ、あれ見てみろよ」
四肢の中、唯一自由にできた左手の人差指を以て、彼は隣の置台を指した。
今までの騒ぎのせいで三個だった注射器は一個に減って、残りはどこかへ飛んで行った。
だがあの不気味な眼球のような《アカバナ》は、まだ居据わっている。
「あれ、何なのか知ってるか?」
「……」
有鱈は彼の指先を辿り、その奇妙な紋様が現れた球状のものを見た。
「ひ、ヒヒッ、俺、ダンナが誰なのかやっと分かったぜ。
身体から無尽蔵の杭を抜いて、疾風のような動きで敵を貫く……。ダンナ、《杭打の東方人》なんだろ」
「────!」
その呼び名にビクッとなった有鱈は、再度強張った顔で壁際に凭れているその男を凝視した。
「お、怒る必要は、ハァ、なにもないぜ。俺はただ、あれほどの有名人を、眼の前で見て、ハァッ、ハァ、ご栄光だと、思ってるだけ……だから。
要塞で鉄仮面を被っていた、ッのも、グッ、ハァ、正体を隠して、五年前の災難からダンナを守るため、にッ……、ッハァ、誰かが仕組んだものだったな。やっと全て、噛み合ってきたわ」
「…………」
「……で、あのアカバナ──あの赤い目玉の話に、戻るん、だけど、あれは、す、すごいって、聞くぜ……ッ、ヒッ、ケホッ、ハァ、なにせ、ダンナが抱きてぇと思う女の姿をした幻想が現れて、何日も夜伽をしてくれるってな……」
「────」
「その女がたとえ……今は亡き死人だろうが関係なく、よぉ」
「……!!」
有鱈は左側の『眼球』にめをやった。無意識で出てきた行動だった。
「ヘヘヘッ。分かるぜ。今ダンナの脳裏に過った女が誰なのか」
その声ではっとなり、有鱈は三日月髭の方へ視線を戻せる。だが彼の表情は急所を突かれたもののそれで、以前の厳しさは薄れていた。
相反して、三日月髭は卑劣な笑みを浮かべている。
「────ダンナ、あの魔女に欲情してたんだろ」
勝ち取ったような顔で、彼は言い続ける。
その一度堰が切れたその舌の動きは、まるで油を塗った氷の上を辷って行く鞠のよう。いつの間にか荒ぶっていた呼吸も安定している。
「なぁに、恥ずかしがる必要はねぇぜ? 世間からは、知ってる奴は知ってるんだから。どれだけダンナがあの魔女に尽くしたのかも、常に彼女の側を守ってたのも、彼女が命じるものなら何でもやってきたのも。
男が女にそれまでする理由など、一つしかいねぇって。
……アンタは、碧き魔女を抱きたかったんだろ。
分かるぜ、分かるともォ! 俺だってあの屎尿くせぇ要塞から出たとき、ひさしぶり東の街に足を運ばせたんだけどさァ、いつもの嬢ちゃんがなんたらの男と南の国へ逃げたと聞いてしょげって仰天したからよォ! まったく、抱きてぇ女が抱けねぇってのはつれぇぜェ」
一応調子にのると、止めどなく延々と語り続けるのは彼の昔からの癖だった。
それが彼を難局へ追い出したことも今まで何度もあったが、どっちかって言うのなら、良い結果に繋がった数が多かった──せめて彼の記憶によればそうだ。
だから、その可能性に頼ってみることにしたんだ。
それに、これは確かに良い流れに乗ったんだ、と思った──じゃなかったら、既に死んでいたはずだから。
「…………」
「悪人誅罰、是非齎し云々ってのも、あの魔女が言っていた何かの命令に未だに従おうとしてんだろ? まあ、男貫く姿もかっこいいしそれもいいけど、俺が言いたいのはもう少し力抜いて、楽になる姿勢が必要ということだぜ。
こんな混沌とした世の中、人々が巷で何て言ってるのか知ってるか? 『クソ浮世ペテンを愛す、悖り崇めよ大衆よ』ってな。この世界は正義など頭の硬い概念なんか大っ嫌いなんだよ。あぶくみてぇな俗界に飛び込んで、同じ色になったほうがずっと気持ちいいってよォ。
一人で善悪なんか訴えたって何も変わらねぇぜ? どうせ死んだら何もかも終りなんだから、その前まで出来るなら楽しんだ方がいいじゃないか。なぁ?」
下品な形でその顔を歪ませるのは、へつらおうとする意図からか。
確かに世界の醜さが、その上には宿っていた。
「だからダンナ、あれ、あげるから、使ってみろよ。使って、気持ちよくなって、まずは息抜きしろって。なんなら一人で使えるような良い場所に案内させてやるぜ。ここは流石にあれだろうからよ。そしたらきっと、何も皆殺しなどそんな極端に偏る必要などなかったってなるぜ?
だけど……実はあれ、ちょっと使い方が特殊でな。それが分からないとただの華麗なる数珠玉に過ぎねぇぜ。それが分かるやつなど、刃刺の団の団員、しかも特定の階級以上じゃないといないはず。でも俺、元団員の奴一人と知り合いでな、それを聞いたことがあるんだぜ。
────で、ここで提案だ。俺を逃してくれたら、それを教えてあげる」
そこで一応黙りこむ。
危うい道に踏み込んだ自覚はあったが、それでも止めないし、止めれない。
たとえ止めたとしても、他に術がない。
大丈夫だ。彼は確実にあれに興味がある。あれに興味がない男などいるはずがない。
「お喋りは終わったか?」
「────エ」
「遺言が終りなら、続けようじゃねぇか」
「ち、ちょちょっと、ま、ままっ────」
「────黙れ」
有鱈は杭を持たない手の方で彼の口を封じた。
「もうテメェのざれごとで俺の耳を煩わせるな。これからは俺の声を聴け」
そう言う男の顔はまた少々違うようすである。
最初のような燃える憤怒でも、途中の煩瑣な混乱でもない。
氷点下の静謐と冷たさが、そこから生まれ続けている。
「もはや、俺にはテメェを楽に逝かせるつもりなどねぇ。
テメェは苦しむ。そう。長いあいだ苦しんだあとで死ななきゃいけねぇんだ。
今から、テメェが経験すべき苦痛の内容を予告してやる」
「────ッ! ッンムッ!!」
それを聞いた奴は塩酸を掛けられたミミズのようにみじろいだが、その力は極めて弱い。
「────始めに、テメェは聖女を侮辱し、そのきったねぇ舌先で彼女の潔さを貶した。だから、まずその舌をこの杭を以て叩き落としてやる」
三日月髭はまた一度、今度はウナギのように跳ね上がる。
「そしてテメェは、聖女への愛を娼婦に向けるような性欲と同じ扱いをした。だから、その睾丸を爆ぜさせてやる。
そしてテメェは、その汚穢の手先で聖女の形見に触れ、その上それを他の者に渡した。だから、その両手を千切ってやる。
……最後にテメェは、生涯悪行を通じて食ってきた卑しき賊だ。だから、その胃袋を摘出してやる」
刑罰の宣告が下されるたびに、腰のあたりから跳ね上がる動作は繰り返される。
だがやはり、今彼を襲っている者から逃れうる力が欠けている。
「もし、その全てが終わってもテメェの息の根が絶やされていねぇんなら……」
彼は少し間を置く。
「……ンム……」
それに応じて、聞き手の顔色にわずかながら《希望》が広がっていくのが目に見える。
「そしたら、その穢らわしい頭蓋をこの杭で貫いて、殺してやるぜ」
「────ンッ!! ンム、ンンッ!!! ンッムッッ!!!」
《希望》は一瞬にして絶望に変わった。
三日月髭の顔は、泥濘みの色と似てきている。
彼の口を閉じたまま、有鱈は右手の杭を持ち上げた。
「まあ、お前の言い分、一部は間違ってないさ。確かに、『力抜いて』いる方が『楽になる』よな。
どうせテメェの苦痛と死亡は定まっているんだから、無駄にドジョウの真似なんかしても余計にキツくなるだけだと思うぜ……って、ここはドジョウはあんま知られてなかったんだったな」
冷酷な口調の男は、左手で塞いでいた彼の口を開放した。
「カハッ、ケホッ、ケホ! ────ンベッ」
代りにその舌を引っ張り出した。
そして、杭を掴んだ手を高く上げる。
❖ ❖ ❖
…………。
…………。
…………。
クィレアクト、どこにいる?
俺の救済者。
俺の常春。
俺の世々の彩り。
俺の、常しえの希望。
再び俺のまえに現れてくれ。
俺の名前を呼んでくれ。
絶望の渦から救い出してくれ。
善悪を齎してくれ。
是非を齎してくれ。
糧を与えてくれ。
俺は、いったい……。
…………。
今日の投稿はこれで終りです。
少しは物語の輪郭が見え始めたかも知れませんね。
見ていただいて、ありがとうございます。
これからも、よろしくお願いします!




