第8節:眠れる者
「……そんな、馬鹿な。」
俺は何度も手の中の青いカードを見返した。病室の蛍光灯を受けて、カードは静かに青白く輝いている。表面に刻まれた見慣れない文字。中央には、酒場で俺に身分証を見せた女将の顔写真。
夢じゃない。あの酒場は、本当に存在した。
「どうしました?」
看護師が不思議そうな顔でこちらを覗き込む。
「あ、いえ……。」
慌ててカードを握り締める。これを見せても信じてもらえるはずがない。異世界の酒場で手に入れた身分証です、などと言えば、そのまま精神科へ案内されるだけだろう。
「気分はどうですか?」
「少し頭が重いですが、大丈夫です。」
看護師は安心したように微笑み、カルテへ何かを書き込んだ。
「検査結果は異常ありませんでした。一時的な意識消失でしょう。今日は安静にしてくださいね。」
俺は黙って頷いた。だが、心の中は嵐だった。
あの裁判。牢屋で出会った老人。
魔法使い。酒場の女将。
すべて夢ではなかった。そう考えるしか、このカードの存在を説明できない。
◇
翌日の昼、退院許可が下りた。病院を出ると、真夏の熱気が全身を包み込む。
車のクラクション。信号機の電子音。
コンビニから流れる店内放送。見慣れた日本の日常だった。
(帰ってきた……。)
それなのに、不思議と安心できない。自宅に帰るとポケットの中へ手を入れる。
カードはまだそこにあった。冷たい感触が指先へ伝わる。
自宅へ戻ると、靴も脱ぎ散らかしたまま机へ向かった。カードを慎重に置く。改めて見ると、紙でも金属でもない奇妙な素材だった。
薄い。だが、軽く曲げても折れない。爪で引っ掻いても傷一つ付かない。
「一体、何なんだ……。」
スマートフォンで写真を撮ろうとする。しかし、画面にはカードが映らなかった。
机だけが映っている。
「あれ?」
何度撮り直しても結果は同じだった。肉眼では確かに見える。
それなのにカメラには映らない。背筋がぞくりとした。
今度は翻訳アプリを起動し、カードへ向ける。画面には『文字を認識できません』と表示されるだけだった。
「異世界の文字だからか……。」
独り言を漏らした、その瞬間だった。カードが淡く光る。
「……!」
部屋の照明が一瞬だけ明滅した。
テレビの電源が落ちる。エアコンが止まり、冷房の風が消えた。電子レンジの時計まで真っ暗になる。
「停電か?」
窓の外を見る。向かいのマンションは何事もなく明かりが点いている。
俺の部屋だけだった。カードの光は次第に強くなり、中央に刻まれた紋章がゆっくりと回転を始める。
カチ……。
カチ……。
歯車が噛み合うような音が響く。
(何が起きたんだ)
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
俺は、床に寝転んだ。
その時だった、またあの胸の痛みが起きた。
胸に何本の釘が指すような痛みだ。
(おいおい、またかよ)
(やべえ、また意識が薄れていく、、、、)
目を覚ますと、あの酒場に居た。
また、女がカウンターに立っていた。
「おいおい、ここは酒場だよ。寝ないでおくれ。」
(えっ)
俺は、びっくりして転げ落ちた。
女は、それを見て爆笑した。
「あっはっはっは。何だい、その無様な姿は」
俺は、驚きのあまり腰を抜かした。女は、顎が外れるくらい爆笑した。
「そんなに爆笑するなよ!!」
女は、机を叩きながら笑っていた。
「まあいいわ。アンタ、半日くらい寝てたわよ」
「起こそうと思ったけど、ぐっすりと寝ていたから起こさなかったのよ」
(は?)
そう、俺は寝ると現実世界に戻ってしまうのであった。




