13・解決
あれからルテラはちょくちょく私の窮地に現れては、女たちを追い払ってくれた。その時から私はルテラを完璧に信じていたし、頼りにしていた。
けれども、一応奴らの仲間を演じているルテラだ。毎回助けに来れば怪しまれる。何より、ルテラを当てにしてはいけない。自分で乗り越えるのだと、自分に言い聞かせていた。
そんな時、私に届けられた一通の手紙。
そこには日時と場所を指定して、一人で来るようにと書かれていた。差出人は考えるまでもなくあの女たちだろうが、こんな風に改まったことをされたのは初めてだ。
つまり、奴らもこの馬鹿気た応酬を終わらせようとしている――。
受けて立つわよと、私は手紙の指示に従って呼び出されてやったのだ。
今日は休日――侍女育成科の棟では一切の講義が行われておらず、また休みの日まで自習をするような勤勉な生徒はあまりいない。よって無人のこの場所の中庭に呼び出された私の前に、今まで見たことのない女生徒が立っていた。そしてそんな彼女の背後に、四人の見覚えのある女たち。
ああ、みんな上級生だったのか、と今更にして知った。もっとも、だからと言って気にはしないが。
周りの人間に『会長』と呼ばれているこの女。見たことがある、確か中流貴族であるアヴリーヌ子爵家の令嬢だ。それにしてもなんの会の会長なのだ。ファンクラブのようなものだろうか? だとしたら、ギルバートも毎度毎度ご苦労なことだ。
「わたくし、貴方のことは入学前から存じておりましたの」
いつか聞いた、鈴の音を転がすような声。私より若干小柄で華奢ながら、威圧感はとてつもない。
「ヒューネベルグ公爵家の末子である貴方は、社交界を嫌って滅多に公の場に現れず、出たとしてもダンスもまともに踊らない。淑女にあるまじき粗野な言動。随分と噂になっておりますのよ?」
知っている。昔から何かと難癖はつけられてきた。私はそういう性格、気持ちを押し殺してまで社交界に馴染みたいとも思わない。だから私は、そういうところはお兄様やお姉様に任せて、のんびりやっていた。
「そんな貴方がなぜ、いまギルバート様の傍にいるのか。わたくしには理解できませんわ」
私にだって、分からない。
「わたくしは幼いころから、ギルバート様と親しくさせていただいていますわ。あの方はいずれ、この国の騎士団を統率する御方。あの方の傍に立つにふさわしいのは、わたくしなのです」
ギルバートの本当の願いを知らないくせに。
お父様を殺した犯人を捜しているという、彼の目的を知らないくせに。
「……それで? 私に何をしてほしいのよ」
我ながら素っ気ない声だ。会長は傍にいた他の女子生徒から一枚の紙を受け取り、それをシャノンに見せた。
退学届だ。
「前にも言いましたが、貴方が消えてくれればそれでいいのです。貴方が自らこの書類に名前を書き、判を押せば、貴方の名誉は守られますわよ」
「誰が、そんなことを……!」
「貴方が書かないのなら、書かせるまでですわ」
はっと顔を上げると、取り巻きの生徒たちがこちらへ近づいてきた。取り押さえて、無理矢理書かせようというのか。
これは、逃げるべきか――いや、逃げたら逃げたで妙な言いがかりをつけられるだけだ。
どうする?
その瞬間、私の背後で轟音が響いた。後ろにある大木が大きく揺れて、青い葉が数枚落ちてきている。
何事かと思って振り返れば、木の裏側から人影が。
「……ギルバート!」
どこからか現れたギルバートは、ちらりと私を見てこう言う。
「助けにきた」
制服の袖をまくった腕に擦り傷。髪の毛には葉がついている。……まさかとは思うが、木にぶつかったのだろうか? いや、彼の名誉のために何も聞くまい。とりあえず、葉っぱだけは取ってあげたほうが良いだろうか。颯爽と登場してくれたのに、なんだか全然格好良くない。
けど、どうしてここが分かったのか。ルテラが知らせたのか――?
そんなことを思っている間にギルバートは足早にこちらに歩いてきて、私の隣に立つ。そして何をするのかと思えば、急に私の肩を抱き寄せたのだ。
「ちょっ、なに……!?」
ギルバートはもがく私を左手だけで軽々抑え込みながら、右手で一枚の書状を広げて女生徒に見せる。退学届などとはまるで違う書類。もう既に人の署名があって、判まで押されている。
署名――ヒューネベルグ公爵の直筆と、家紋の印。
お父様の、字だ。
「俺、ギルバート・ロスターとシャノン・ヒューネベルグは、今日をもって正式に婚約を交わした。これがその書状だ」
「はぁッ!?」
私は思わず素っ頓狂な声を出した。首を捻って書状を見上げれば、確かにその旨が記されているように見える。間違いなくお父様の字で、ヒューネベルグ家の家紋を彫り込んだ印鑑だ。ギルバートのほうなど、署名と共に血判が捺されているではないか。いくら平民になって印を取り上げられているからといって、どうして血判を。
「う……嘘、嘘です! そんな書状、でっちあげでしょう!?」
アヴリーヌ家の令嬢は信じられないといった様子で叫ぶ。取りまきたちも困惑しているようだ。
だけど、ギルバートは強気だった。
「疑うなら勝手にすればいい。ただしその場合、俺とヒューネベルグ公を敵に回す覚悟が必要だな」
「……っ」
「これ以降、シャノンへの誹謗中傷は俺へのものと同じだ。覚えておいてもらおう」
ギルバートはそう言って書状を丁寧に折りたたむ。だが、それでも令嬢は食い下がった。
「ぎ、ギルバート様! わたくしです、まだ貴方様のお父上がご存命だった頃、よくお会いしていたアヴリーヌ家の……!」
「……悪いけど、だれ?」
それが、アヴリーヌ令嬢へのとどめの一言だったのは、間違いない。何せ彼女は、「幼いころからの知り合い」というその一点で、ギルバートとの関係を正当化してきたのだから。
ギルバートの婚約者。そして親の承認済み。これではもう、誰も手も足も出まい。国内随一の貴族を敵に回すからだ。
それを悟ったのか、アヴリーヌ家の令嬢とその仲間たちは、涙しつつその場を去った。その後ろ姿を見て、ギルバートが息を吐き出す。
「やっと終わったな。これでもう、手は出してこないだろう」
「ちょっと……その書類、見せてっ」
「あ、ああ」
半ばひったくるようにして書類を受け取り、改めて目を通す。食い入るように書面を見つめている私に、ギルバートが苦笑した。
「何度見たって同じだろう。それは本物の書類だ」
「貴方、いつの間に……」
「さっき帰ってきた。間に合ってよかったよ」
ヒューネベルグの屋敷は同じ王都の中にある。半日もあれば充分往復できる距離だ。朝からギルバートは、私の実家へ行っていたのか。
急に足の力が抜けて、すとんと地面に座り込んでしまった。ギルバートも引きずられるようにしゃがみこむ。夏の芝生は少しちくちくするが、青臭い匂いは嫌いではない。
「私、知らない間に婚約しちゃったのね……」
「すまない、これはただの口実だ。ほとぼりが冷めれば、……いや、シャノンが嫌ならいつでも破棄してくれて構わない。けど、俺にはこれ以外の方法が見つからなかったんだ」
破棄って。ギルバートは血判まで押しているのに。
ギルバートは、本気だったのだ。誓約文がある――何においてもシャノンを守ると、そんな内容だ。
「……私は」
「ああ」
「権力に守られるのが、嫌だったの。だから私は家の名前も出さなかった。なのに、これじゃ……」
「うん。……知ってる。勝手をして悪かった」
「違うっ。そうじゃない、謝らないで……私いま、ぐちゃぐちゃで。何を言えばいいか分からないの!」
本当は、すごく嬉しい。
ギルバートが助けに来てくれたこと。口実でも、彼と婚約なんてできたこと。素直に舞い上がって喜びたいくらいなのに、なぜか私の口は意思とは真逆のことを言う。
するとギルバートが私の右手を掴んだ。顔を上げると、袖口から青痣が覗いている。それを見てギルバートが溜息をつく。
「……なんで、もっと早く言わなかったんだ。こんなに怪我ばっかり」
「迷惑、かけたくなかったから……」
「迷惑なんてこれっぽっちも考えたことはない。なんでもっと自分を大切にしてくれないんだ。意固地に、なるな。もっと周りを頼ってくれ」
視界がぼやける。目元に手を当てて、それが涙だと気付いた。
「今までは何やかんやと邪魔をされてきたが、これでようやくあんたを公然と守れる立場を手に入れた。だからもう、我慢しないでいい」
その日私は、久々に泣いた。みっともないくらい、声をあげて、長い時間。
自分はそれなりに強い忍耐心が備わっていると思っていたが、限界だった。安堵の思いが一気に溢れて、これまでの日々の辛さに耐えきれず、ギルバートに縋って泣いたのだ。
そのうちアイリスやシャーニッドさん、ルテラまで駆けつけてきてくれたが――私がまともに喋れるように落ち着くまで、みんな傍にいてくれた。
そうか。私はずっとひとりで戦っていたつもりでいたけど。
実際は、みんなに助けてもらっていたんだ。
「ありがとう……あり、がと……!」
何度もそう呟けば、ギルバートが微笑んで頷いてくれた。アイリスもつられて涙目だし、シャーニッドさんもルテラもほっとしている。
ここにいて、良かった。
そんな風に思ったのは、この日が初めてかもしれない。




