44.そいつに人質の価値はない
クル=クホとイスク=ヌヌの海は平穏無事。船は順調に進んでいった。
クルトは船乗りにヒムハジュとクル=クホのあいだの船乗りについてたずねたが、船乗りは肩をすくめて、
「あいつらは頭がおかしいんだ」
と、至極まっとうなこたえを返してきたので、ほっとした。
調理場に行くと、エルテが刻んだベーコンを山盛りにしたフライパンを持っていて、かまどを使わせろと迫り、コックは、だめだ、の一点張り。
これはプライドの問題ではない。船で火事が起きれば、逃げ場は海しかない。だから、調理場は絶対に客には使わせない。
「じゃあ、あなたがこれを炒めて」
「これって、このベーコン刻んで作った山のことか?」
「そう」
「お断りだね」
「どうして? それなら安全なはず」
「プライドの問題だ」
カンレルは近くのテーブルに座り、一枚のレタスをじっと眺めている。それがカンレルに割り当てられた最後の一枚だからだ。
航海をする上で欠かせない食料が生野菜だ。以外に思うかもしれないが、干した野菜ではなく、塩漬けでもなく、生なのだ。
これは航海病との関係がある。
原因不明で長期航海の船員たちに起こるのだが、歯がぐらつく、極度の無気力から最終的には死に至る恐ろしい病気だ。
ただ、ちょっとした偶然から生野菜を食べていた船員は発症しなかったことから、それ以来、船舶では生野菜が必ず積み込まれる。甲板に畑をつくり野菜を栽培するケースもある。
クルトはライムジュースでも効果があるのではないかという論文を読んだことがあり、少しずつではあるが、航海病の研究は続いている。
「ハルキアシュ兄さまが解呪をした!? 解呪をした!? 解呪をした!?」
キシュティがカンレルにまとわりついている。
「うるせえなあ、いま、おれは深刻に悩んでるんだよ。食うべきか食わぬべきか」
「星の神官長以来の兄さまの解呪! み、見たい、見た過ぎる! う、鼻血が」
みな、それぞれ生きるのに忙しい。
邪魔しても悪いので、クルトは甲板に出ていくことにした。もちろんマントを腕にかけて、レイピアを腰から下げる。
踏み段を上がって、甲板に出て、高い後部甲板へ上ると、錫商人の一団がいた。話しているのはマークドール人のデュゲトルアンのことだ。トリステイン海軍騎士団は領海侵犯をしてまでも、デュゲトルアンを追っているが、相変わらず捕まらない。おまけにクルカロアスの港町が物資の納入を邪魔するので、お互いのことを海賊の味方と罵っている。
「デュゲトルアンは恩には恩で返すが、裏切り者は絶対許さないからな。やつの居所を三百シェケルで売ったやつがいて、ガルクマイアに逃げた。海賊からすれば縁もゆかりもない内陸の土地で大丈夫だと思っていたら、デュゲトルアンは川船を海賊船にして川を遡り、途中で村や港を略奪しながら、ガルクマイアのそいつの居所までやってきた。デュゲトルアンはそいつを梯子に逆さに縛って、腹を股のすぐ下から喉まで切り裂いて、内臓を全部引きずり出した。やつのコックは空っぽになったそいつの体のなかに水で洗って、塩とハーブを擦り込んだって話だ」
「くさみを取ろうってわけだな」
「そんな恐ろしいやつがこの辺にいるんだ。信じられないよな」
商人のひとりがクルトに気づいた。
「なあ、兄さん。もしものときは頼むぜ」
「何を?」
「海賊退治だよ」
「無理だな」
「なんで? その腰に下げているもんは飾りかよ?」
「飾りだよ」
海はおだやかで波はゆりかごのように船を揺らす。
つい、うとうとして、後部甲板にある長椅子で眠ってしまった。
目を覚ますと、船は海賊に乗っ取られていた。
「大人しくしろ! さもねえと皆殺しだぞ!」
胸騒ぎがしたカンレルとエルテがとんでもないことに――。
だッと駆け出し、パニックになった船客を押しのけ、調理室に飛んだ。
「ああ、やっぱり」
とんでもないことになっていた。
「どおりゃあ!」
バキッ!
そんな感じで癒されながら海賊が吹っ飛んできた。
ビシッ!
しなる枝ようなエルテのまわし蹴りは海賊をコマみたいにくるくるまわす。
「おれを倒したきゃ、レタスをもってくるんだな。とびきりでかくてみずみずしいレタスが来たら、怖くてぶるっちまうぜ」
そんな手にひっかかるやつ、いくらなんでも、と思っていたら、ふたりの海賊がレタスを抱えて突撃した。
エルテも真似してステーキが怖いといい、うまいことサーロインをせしめている。
こんな作戦に乗るほど、海賊側は追いつめられているようだ。
「クルトも魚が怖いって言ってみろよ」
「魚が怖いやつは船なんか乗らない」
このやろぉ!と、海賊たちは一番弱そうなクルトへかかる。海賊のふるった剣が腕のマントを切り裂き、
「あっ」
腕から生えた禍々しい刃があらわになる。見た目の恐ろしさは前見たときよりもひどくなっていた。
「見たな? 見られた以上、生かしてはおけない」
「ひ、ひいい!」
クルトもちょっと悪乗りした。
「そこまでだ!」
海賊たちの指揮官クラスが叫ぶ。見れば、キシュティがつかまって、ナイフを首に突きつけられていた。
「こいつの命が惜しかったら、大人しく我々に同行してもらおう」
カンレルがふふんと笑う。
「残念だったな、そいつに人質の価値はない」
「ちょっと!」と、キシュティ。
「冗談だよ、冗談。で、クルト、エルテ。どーするよ?」
「しょうがない」エルテは稼いだお肉を青い紙で包み、投降の準備をした。
こうした四人は海賊の船へと連れていかれたが、連れていかれたのは四人だけで、裕福そうな乗客を人質にするわけでもなく、荷を奪うわけでもない。
「こりゃ、どういうことだ?」
海賊の指揮官がこたえる。
「用があるのは療術士だ」海賊の指揮官が言った、「さあ、我らが大船長のもとへ行くぞ。引き上げだ!」




