3.王立療術学校
ストリツエンは学校で教えるかたわら、前途有望な子どもを見つけるために国じゅうを旅していた。
たいていの子どもたちは王都ルィダーに着くとき、市街を囲む城壁と門にあっけにとられる。こんな大きな建物は見たことがないからだ。
だが、クルトはさほど驚かなかった。
クラウディオのころ、殺し合いの舞台となったのはアマゾンの熱帯雨林だったから、途方もない巨大樹や見渡す限り虹色にかかるハチドリの群れ、そして、それらを全て吹き飛ばした氷の風など、人の想像もできないような景色は飽きるほど見ていた。
それよりもクルトが目を瞠ったのは、その賑わいだった。城壁の内側にはあらゆる種類の音とにおいと人間が詰め込まれていた。芝居小屋からきこえる笛の音。空の鍋を叩き、ニシンの安売りを知らせる女。紋章付き貴族馬車の磨いた輝きと車軸の軋み。クロスボウ兵合唱隊の内臓まで震えるような歌声。路地を挟んで三階の窓から罵り合う女中たち。専用の刷毛でシャボンを泡立てるシャレ男の床屋。皮を剥がれてパセリをくわえた牛の頭。魔術士ギルドの窓から放り投げられる徴税役人。
クラウディオのころは自分たち以外の人間を見つけると問答無用で殺していたし、クルトに生まれてから、あのメキシコの小さな村を出たことがなかった。村の祭りを百倍賑やかにした王都の大通りは心をときめかせるに十分だったが、その一方で寂しさもよぎる。この感動をイヴと分かち合えたら。
イヴへの思いは時間と共に色あせるどころか、もっと鮮やかで確かなものになっていった。
ストリツエンの案内で王立療術学校を見てまわる。学校は出窓と尖塔の目立つ白亜の校舎と司教座教会に負けない立派な礼拝堂を持っていた。その他、魔法学研究所、精錬所、治癒効果のある泉亭に薬草菜園、そして、学生たちが暮らす寮があった。
「人気がほとんど無いようですが」
「春休みでみな実家に戻っている。入学式は三日後だ。いい時期にきみを見つけられた。ティエル神の御心がそうさせたに違いない」
最後に寮だが、ここが一番、人の気配がない。校舎には教職員がちらほらいたのだが。
「まあ、本来、学生しかいないからな。きみもこちらでの暮らしがあるだろうから、部屋へ案内しよう。寮は基本的にふたりでひとつの部屋を使う」
学生寮は細長い建物で廊下で十人がかりで弦を張った弓で矢を放っても、端から端までは到底届かなかった。
クルトの部屋は三階で中庭に向いた窓のある部屋だ。名札を見ると、筆記体でカンレル・スカラバリエリとあった。
どんな人だろう?
部屋にはベッドがふたつ、書き物机がふたつ、大きな棚がひとつ、小さな棚がふたつ。全てが何かの強迫観念にかられたみたいにオーク材でできていた。
「大きな棚はふたりで共用になる。あと、それぞれの衣装用の長持ちが運ばれる予定だ。旅で疲れただろう? 少し休みなさい」
旅用の毛織服を脱いでたたみ、室内用の軽い服に着替えると、ベッドの上に寝転んだ。継ぎ目の見えない見事な漆喰造りで、これから数年、この天井が毎日始めに見るものになるのだなと感慨にふけり、棚を見て、ここが医学書や魔法書で埋まるのだなとやはり感慨にふける。
記憶が飛んで、誰かを殺しかけるという、非常に厄介な性質のことを考えると、楽観的にはなれないが、この世界でも最高クラスの学校で人を救うための勉強をし、成長することができるのなら、そのうちに前世からついてきた殺人術も消えてなくなる気がしてきた。
リミッターが治療術になったのだから、決してあり得ない話ではない。
三日後、入学式はルィダー国王臨席で、さらに大臣や将軍たち、貴族たち、豪商たちが来賓祝辞を述べていた。治療技術に対する期待をあらわしていると言える。
式典は赤いビロードの雛壇を用意し、そこに入学生たちが座り、青いビロードの雛壇に在学生たちが座る。在学生代表、入学生代表(どちらも有名な貴族の子息だった)が挨拶を述べ、式典は白い鳩を三百羽いっせいに放ちながらの国王陛下万歳で終わる。
それから様々な説明会があり、日々の勉学から門限までを男子学生と女子学生は教えられ、不純異性交遊を防ぐために別々の寮舎へと案内され、自由時間となった。
制服は占星術師のデザインを取り入れつつ、実用性を何とか確保しようとした赤いチュニックとレギンスから成っていて、学内ではこの服を基本的に着る。同じものが五着あるので、使いまわすのだ。
三階の部屋に行って、少し寝ようと思ったとき、階段室の前に容姿の端麗な少年が四人ほどたまっていた。公爵の息子、子爵の息子、貿易商会の息子、第三皇子付き療術士の息子。品を失わないでかつ自分の高貴な生まれを自慢しあう貴族的レトリックを用いた会話をしていた。
その四人がちらちらクルトを見てくる。
国王や大貴族の宴会では生まれつき、体が不自由な男に道化師の服を着せて、ツマミに高級ワインを飲む。この四人にとって、クルトは道化なのだ。
関わるつもりはないという顔でそそくさ通り過ぎようとする。だが、
「待ちたまえ。きみ」
来た。
「なんだ?」
「どこかのパーティできみを見た気がする。ミューディエ伯爵夫人のパーティで会わなかったかい?」
「人違いだ。おれはパーティなんて出たことない」
「ほう。では、きみはどこの誰だい?」
取り巻きたちが、クスクス笑う。
「クルト・ヨゼフルト・ウィルセバ」
「ウィルセバ? そんな名前の貴族がいたかなあ」
「父さんは貴族じゃない。療術士だ」
第三皇子付き療術士が口を挟む。
「おかしいな。有名な療術士はみんな知っているつもりでいたけど」
「父さんはマウリッツ村の療術士だ」
「マウリッツ村? それはそれは。遠いからわざわざ。ところで、僕はきいたことがないんだけど、みんなはどうかな?」
「僕はきいたことがない」
「僕も」
「そうか。じゃあ、これでひとつ賢くなったわけだ」
と、クルトは言って、貴族たちのあいだを通り抜け、階段室のフックを握った。
「それで、田舎のイモくん――おっと、失礼。やんごとなき身分らしからぬ言葉を用いるところだった。きみの父親はここの学費を稼ぐためにどれだけのインチキ薬を売ったのかな?」
クルトは振り向いた。
「おれのことをイモ扱いするのは構わないが、父さんを悪く言うことは許さない」
また、クスクス笑い。
「許さないなら、どうだって言うんだい?」
公爵の息子が指でクルトの胸を突いた。
クルトの指がヒクっと動いた。薬草採取用のナイフはいま身につけている。
絶対にダメだ。そんなことしたら、退学だ。もし、そうなったら、父さんはきっと悲しむ。
「ほら、許さないなら、どうなるのか教えてくれたまえよ」
「そりゃあ、殴り合いになるんだよ」
クルトは振り向いた。階段室のドアが開き、クルトや貴族たちよりも背が高く、腕がお徳用ワインボトルみたいに太い少年がいた。
少年はクルトと公爵子息のあいだに割って入った。
「入学早々、喧嘩とはラッキーだぜ。お前ら、人間が天井にぶつかって、それから床へ真っ逆さまに落ちるのを見たことあるか? ない? じゃあ、見せてやる。ただ、後で弱いものいじめしたって言われるのも癪だからな。お前ら、ひとりずつ、四人味方を集めて戻ってこい。一対二十でやろう」
天井の高さは二十フィートはある。制服の袖をめくり上げた太い腕を見ていると、本当に天井まで人間を投げつけることができそうだ。
「ふ、ふん。別に冗談だよ。行こう、諸君」
貴族たちはぶつぶつ言いながら、廊下を北へ歩いて離れていった。
「なーんだよ。おい、じゃあ、一対三十でやろうぜ! それなら、だいぶそっちの勝率上がるだろ? ……ちぇっ、つまんねえ。おい、お前。おれと喧嘩しねえか? 四十九人味方を集めてこいよ」
「いや。おれも喧嘩はしないよ」
「冗談だ。自分のオヤジを尊敬するやつに喧嘩は仕掛けねえ」
そして、大きな手を差し出してきた。
「カンレルだ。よろしくな」
クルトは手を握った。
「クルト・ヨゼフルト・ウィルセバ。もしかして、カンレル・スカリバリエリか?」
「ん? なんで、おれの名前を知ってるんだ? 前にどっかで戦りあったことあったっけ?」
「同じ部屋なんだよ」
「へえ。そいつぁ、いいや。お前、勉強、得意か?」
「なんで、そんなこときく?」
「そりゃあ、おれは勉強、全然できないからだよ」
「どうして、それで学校に入学したんだ?」
「あの、ストリツエンとかいうじいさんの口車に乗ったからだ。王都じゃ食べ物はうまいし、喧嘩もしたい放題だっていうからよ」
「喧嘩が好きっていうのは療術とはかけ離れてる気がする」
「それがそうでもないんだよ。ま、明日にゃわかる」




