2.クルト、十六歳
クルトは十六歳。
いまや村民は父親を先生と呼び、クルトを若先生と呼ぶようになった。
クルトは内省的で、うちにこもる少年となり、村の同い年の少年や少女たちと言葉を交わすことはあれど、そこまで熱心に付き合うことはなかった。
薬草と溶液の勉強をし、治療魔法の消耗を減らし、効果を上げるようなリミッターの操縦方法を模索していた。
殺戮兵器ではなく、療術士として生きていく。
クルトはまだ見ぬイヴにそう誓った。
村の居酒屋〈ライオン〉亭の主人が腰を痛めていて、その塗り薬を届けにクルトは出かけた。
秋に播いた小麦の青い葉がきれいに列になっていて、春風に透明な水のにおいを付けている。雲は薄く流れ、くさび型をした渡り鳥の群れが北の湿地帯を目指して、翼で風を切っていた。
〈ライオン〉亭にはすっかり酔っ払った行商人が三人、誰が一番強いかで騒いでいて、村人はひとりもいなかった。そもそも村人は働いている時刻だ。酔っ払うには早すぎる。
他にはひとり、旅人らしい老人がいて、端の席でエールを飲んでいる。
店主が腰を痛めていて、娘のレマンが給仕と小料理の一切合財を仕切っていた。レマンはひとつ年上で、自慢の赤毛を頭の後ろで結んでまとめ、荒っぽい手づくりのレースで飾っている。
「これ。お父さんに」
「ありがと。これ、お代」
「うん」
ガチャン!
酔っ払った三人の行商人がワイン壺をひとつ床に落としていた。
「ちょっと!」
巨大な桶で葡萄をつぶす少女たちの絵を描いた壺は木っ端微塵になっていた。うっかり落としたというよりはわざと床に叩きつけたようだ。
「弁償してもらうからね!」
行商人で一番年かさわしい男が舌なめずりした。
「代金はおれがキスして払うのはどうだ?」
「は? あんた、なに、ふざけて――分かった。もう、いい。とっとと出てって」
「そう恥ずかしがるなって」
行商人がレマンの手首をつかんだ。
「おい。彼女、嫌がってるだろ」
酔っ払ってどろんとした六つの目がクルトを見た。
「こいつ、騎士か何かか?」
「にいちゃん。お前の出る幕じゃねえよ。とっとと帰って、ママのおっぱいにしゃぶりついてろ」
行商人が手でレマンの頬を挟み、嫌がる彼女に唇を尖らせて、顔を近づける。
「やめろ!」
クルトが止めようとしたとき、
「ぐっ……」
若い行商人の拳がクルトのみぞおちに入った。
「あ……かはっ……」
息ができず、床でうずくまる。
「クルト!」
「ガキはすっこんでろ」
ゲラゲラ笑いながら若いふたりの行商人がクルトを蹴った。
視界の端から赤く染まった血管が触手のように伸びてきて、見るもの全ての上に赤が覆いかぶさる。
気づくと、ふたりの行商人がうずくまって、おがくずをまいた床の上に酒と鶏を吐いていた。
そして、リーダー格の行商人は壁に押しつけられ、泣きながら、許しを乞うていた。
「殺さないでくれ、頼むよ、お願いだよ」
クルトはいつも持ち歩いているナイフ――薬草やキノコを切り取るのに使う小さなナイフを行商人の喉にぴたりとあて、一気に切り裂こうとしていた。
ハッとして、ナイフを外し、後ろにふらふら下がる。
行商人の両手は貫通した刺し傷。クルトの小さなナイフは柄が染まるまで深々と刺していたのだ。
ナイフを取り落とすと、クルトは行商人の手を握った。
「殺される!」
行商人は狂ったように叫んだが、クルトはリミッターを外し、行商人の手のひらに開いた穴をきれいに修復した。
「……失せろ。次、見かけたら殺す」
行商人たちは自分たちの売り物――ドライフルーツや白鑞の器を放り出したまま、逃げていった。
「レマン、大丈夫?」
「う、うん」
「どうかしたのか?」
「なんでもない。――やっぱり、その……なんでもない、ありがとう」
レマンは怯えていた。
クルトが行商人たちを半殺しにし、そのうちひとりは本当に殺しそうになった噂が村に流れた。
クルトは部屋に塞ぎ込み、両親は人のうわさはいつか消えてなくなると優しい言葉をかけてくれたが、彼の悩みはもっと深いところにあった。
十六年ぶりに人を殺しかけた。
殺人の技が自分にまだ染みついていたことなど、この世界に生まれてから一度も考えたことがなかった。
また、もとの自分に戻る。
それを考えただけで凍えたように息を吐いた。
「よっこいしょ」
「え?」
見ると、両親が窓からもぞもぞ部屋に入ってくるところだった。
「父さん。母さんも」
「窓に鍵がかかってなくて、よかったわ」
「ほら、母さん特製のミートパイだ。何かお腹に入れないと」
頭に蜘蛛の巣をつけたまま、そう笑っている両親を見て、クルトのなかは何かにあふれ出した。
全て話した。前世のことを。殺すための自分。戦争。リミッターと化け物。そして、イヴ。
「頭がおかしくなったって思われるかもしれないけど――」
母親がクルトを優しく強く抱き包んだ。
「どうして、もっとはやく言ってくれなかったの」
「かあ、さん?」
「ひとりで抱えてて、苦しんで――お母さん、気づいてあげられなくてごめんね。クルト。ごめんね」
「――かあさん」
そっと父親は部屋を出た。
ノックの音。
父親は涙を念入りに拭きとると、急患かと思って、ドアを開けた。
そこに立っていたのは旅装姿の初老の男――〈ライオン〉亭にいた客だった。
「クルト・ウィルセバさんのお宅はここですか?」
「息子です。あなたは?」
老人は小さな金属にふたりの天使の模様が打たれたものを見せた。
「わたしは王立療術学校で治療術を教えていますストリツエンと申します。息子さんの将来の話をしたく参りました」
ストリツエンの話はこうだった。
クルトは療術士として非常にまれな才能を持っている。専門の教育を受ければ、その療術の効果をより高め、そして、その反動の消耗も抑えることができ、もっと多くの人を救うことができる。授業料はもちろん王都での生活費も出すので、クルトを入学させるつもりはないか?
「少し考えさせてもらえますか?」
クルトは明日には必ず結論を出すといい、引き取ってもらった。
「父さん。母さん。おれ――」
「行ってきなさい、クルト」
「え?」
「お前はもっともっと多くの人を救うことができる。それに王都ならお前の過去の記憶についても対処のできる人がいるかもしれない」
「それに」と母親が言った。「イヴさん、って子の行方のヒントがあるかもしれないわ。たくさん人が集まる王都ならね」
「――いいの?」
「正直な話、寂しい。でも、息子が巣立つことを邪魔する親はいない」
「行ってきなさい、クルト。でも、辛くなったら、いつでも帰って来なさい」
「――はいッ」




