38.うまくいきすぎる
民を惑わせようとした偽の大神官が自分の呪いの名前を口にして死んだ、というのはあまり面白いものではないし、さらにその呪いに偉大なる、という言葉がつけたされると、さらに面白くない。
組織化、偶像崇拝、果てはクルトを使った人体実験と勘繰りたくなるものはたくさんあるが、ともあれ、供物のパンのうち、ひとつが受け入れられた。
「つまり、五分の一も救われたってことだぜ」と、カンレル。
「まあ、そういうことになる」
「そして、呪いそのものを五分の一殺しにした」と、エルテ。
「そういうことになる、のか?」
クルトたちは次の神殿があるヒムバジュ島へゆく船に乗り込んで、出港を待っていた。エルテは怪しげな商人から船酔いに効く薬というものを手に入れていた。
「ただのポーションだぞ」
「でも、……本物かもしれない」
「本当にただのポーションだ」
「船酔いに苦しんだことのない人にはわからない。藁をもつかみたい、この気持ちが」
本物の大神官が誰かわかったことで、キシュティの株は大いに上がったが、暴落するのもはやかった。
キシュティのまわりを十重二十重と巻いた民衆たちは予言を欲しがったのだ。
偽の予言があれほどならば、本物の予言はさらにすごいだろうと。
だから、本物は予言ができないとわかると、あっという間に崇拝者たちは消え去って、それぞれの生業に戻っていく。
こうして都市に平和が戻った。
「奇妙なやつらだ。だが、まあ、いい。僕の素晴らしさが素晴らしすぎて、そばにもよれなかったのだろう」
「なあ。あんた、お忍びは続けたほうがいい」
「なぜだ?」
「あんたのプライドのため」
「僕のプライド? 妙なことを言うが、まあ、いいだろう。大神官であることを、あまり見せびらかしては面白くない。わかりそうでわからない。そういうところに神秘がある」
いや、何も予言だけではない。人は大神官というものに、強力で慈悲深いものを望んでいる。弟子を愛してしまった家庭持ちの家具職人、丸いおもりをつけた網をいくら投げても魚が取れない漁師、甲高い声をあげる剣士に追いかけられる夢ばかりを見ている地方の行政区長。そうした人びとはこたえを求めてやってくるが、おそらくキシュティのこたえは「そんなもの知るか。どうして僕がそんなものに関わらないといけない」だ。
そんな返答を続けさせたら、クルカロアスの住民の半分が信仰を捨てる。ひょっとすると、神殿へ反乱を企てるかもしれない。
クラウディオのころの記憶はいつだって無秩序、歯止めのきかない殺戮だった。こんなキシュティでも存在することでクルカロアスの秩序と平和を担っているのだ。
船は海底の珊瑚が見えるほど透き通った海を切りながら、航海を続けた。
エルテはやはりだまされたわけだが、偽物の船酔い薬を売った商人について、殺す、必ず殺す、どこに逃げようと必ず見つけ出して殺す、なぶり殺しにしてやる、と脅迫の文句を繰り返し吐いていた。
裂いたそばから眩むように輝く波の泡の下には、砕け散った宝石のような小魚の群れや青いガラス管のような魚、角ばった赤い顎を持つ大きな魚、いたずら好きのイルカたち、角をもった魚牛が船についていこうとしていた。
雲は切れたりつながったり、盛り上がったり平らになったりを繰り返した。遠方の雲の底では稲妻が光るが、音のほうは青い空の高みへと吸いつくされて、甲板にいるクルトの耳に轟音が届くことはなかった。
「ヒムハジュが見えてきたぞう!」
船乗りがそう叫び、その指差す先にある島を見た。
山を抱える島の縁に紅い都市が広がっていた。燭台のように尖った街、屋根付きの回廊をめぐらせた街、気前のよい船乗りたちの落とす金を目当てにしている街。
なぜ紅いのかたずねても、キシュティのこたえは『僕が知ったことか』なのがわかっていたので、物知りそうで、そしてそれをひけらかしたさそうな商人を見つけてたずねると、あの紅はヒムハジュ島で伐採する紅い椰子材を使っているとのことだった。紅い椰子というのも珍しいが、それ以上に珍しいのはその丈夫さであり、椰子材の小屋は一年もすれば、ボロボロになるのに、ヒムハジュの紅い椰子は何十年、嵐を幾度食らっても、建設したときと同じ紅が保たれる。だから、クルカロアス王国は何度もその椰子を他の島でも育てようとするのだが、風と潮の影響でさっぱり育たない。
「まるで美しいものをすぐ外に持ち出したがる我々のことを神が注意しているようです」
商人はそう言って、もっとものを知らなさそうな巡礼の一団へ、知識を披露しに行ってしまった。
クルトはエルテに陸が見えてきたことを教えるために船室へ戻っていった。
建物全てが鮮やかに紅いので、ヒムハジュには濃厚な青や黄色が非常によく映え、まるで縁日のようだった。二階の窓では婦人が、作って二日で捨てる椰子の葉の団扇で顔をあおぎ、ジンダレン生まれの船乗りが人を集め、芸を覚えた猿を売りつけようとしている。
高位の神官らしい人物が地面に両手をつけて、へばりついているのを見つけた。落とした小銭でも探しているのかと思っていたが、近づいてみると大神官のキシュティに平伏していることがわかった。
「ようこそ、おいでくださいました。大神官さま」
そこからはあれよあれよという間に、キシュティだけでなく、クルトたちまで、浮き彫りと象嵌を施した輿に乗せられて、あっという間に大神殿へ連れていかれた。
そして、儀式はあっという間に終わってしまった。油の残る大皿が残り、クルトは胸を押さえつけられるような息苦しさを覚え、紫の触手のようなシミが伸びているのを見つけたが、すぐにまた輿に詰め込まれて、出されたときは夕暮れ時、宮殿のような場所にいた。
キシュティはすっかり上機嫌だった。というのも、ヒムハジュの人間はキシュティに予言をしろと言って、彼のプライドを傷つけるようなことをしなかったからだ。
あまりにも簡単に行きすぎて、絶対に何かあるぞ、と、クルトたちは身構えていたが、本当に何もなかった。
クルカロアス風と洋風を混ぜた礼服が届けられ、それを着ると、青銅でつくった舟を天井から吊るした大食堂へと連れていかれた。舟には楽士たちが乗っていて、琴と笛の音が心地よく空から降ってきた。
ネギと羊のスープが供されているとき、市長はビール用の酵母を使ったサクサクしたパンを食べながら、このパンを食べて、胃のなかでビールが出来上がった話をし、漁業ギルド参事は名前を匿名にして人妻の番付をしていた。ある詩人は出版業者とのもめ事を語り、法律家は法律が一度だって社会的慣習に基づいて作られたことはなかったとため息をつき、他の人間は宴でつまらない話をするなと法律家を責めた。
「どこかで見た風景だと思ったら」と、カンレル。「役立たずどもだよ」
そして、その役立たずたちの上座にはすっかりおだてられて上機嫌なキシュティがいた。
神官長はキシュティの自己犠牲の精神を褒め称えた。外国人の少年のために大神殿の巡礼を行っているなんて、
「それも、ここからクル=クホへの海路は諸島海域でも最も荒れた海です。それをものともせず、進もうとするなんて!」
クルトの対面に座るエルテが真っ青な顔をしていた。




