34.夜にはびこるものたち
エルテは任務地に向かうと、まずひとりでその街の夜を歩いた。任務に使えそうな場所やもの、状況が頭に入りやすいからだが、そのうち蒐集家のようになった。夜の蒐集。昼には見せない、街の顔。
シュ・クブヌヌには任務前に主戦場を確認したいといって、宿を後にした。
まだ日が高いうちに買った中古のフード付きのローブをかぶり、同じく仕入れた、注ぎ口のある壺に少し上等なブドウ酒をたっぷり入れる。嘘みたいな話だが、これでだいたいの場所に入ることができる。コツはブドウ酒を上等すぎるものにしないことだ。
ただ、追い剥ぎ対策はしておいたほうがいいので、壺を持ったまま、相手を潰すのにどうしたらいいか考えて、着脱式の鋼鉄のつま先をブーツにつけておいた。これで股を蹴りあげれば、朝日が昇って顔にあたるまで地面でのたうち回る。
まず、偽の大神官の教団の強度を測る。
簡単に言えば、夜のお楽しみに連中がどれだけ浸っているか。
もし、どこにも連中が見えないのなら、捨て身でかかってくる確率が高くなる。現世よりも神秘を重んずる連中は本当に簡単に刺し違えを狙ってくる。これまで見かけた捨て身の最悪は壺いっぱいに焼夷粉末を詰め込んだ邪教集団の狂信者だった。
カラハの夜は割と騒がしい。酒場は多く、味付けビール、ブドウ酒、焼き魚、串焼き肉、チーズ、それに音楽と踊り子で客を楽しませる。ついでに夜回り役人も楽しませるから規制の心配はない。
ホッとした。あれだけ昼間に信心に狂っていても、ちゃんと世俗の快楽も忘れない。暗殺者がつけいる隙は飲み干した酒杯の数だけある。
いくつかの建物のうち、窓に三枚の布を垂らして、外に明かりが漏れないようにしている四角い建物がある。角にまわり込むと、がっしりした大男の見張りがこん棒を手に立っている。エルテはそれを無視して、入り口を通り過ぎる。
まず、倉庫。部屋を埋め尽くす壺には真面目に関税を支払わずに持ち込んだ香料が詰まっている。
「おい!」
あまりにも当然のように通過したエルテにあっけを取られていた大男がハッとして、エルテを呼び止めた。
それを無視して進む。前には布を垂らした出入口があって、その向こうからは銀の密輸に関する密談がエルテの敏感な耳にも届いてくる。
ためらわず進む。
そこには海図を机に広げて、それを睨んでいるふたりの中年男がいた。ひとりは絹のローブの裾を金糸の刺繍で縁取った高価な服を着ていて、もうひとりは教団の高位司祭らしいたっぷりとしたぜい肉を顎にたくわえた男。最低三百テールは見込める密輸に絡むことができているらしく、だんだん顔がにんまりとしてくる。部屋の端には粘土板に何かを刻んでいるのだが、どうも通行許可証を偽造しているらしい。
見張りが入ってきた。子どものいたずらで済ませるつもりのない憤怒の表情だ。
そこで、エルテは机の上にあるふたつの空の酒杯にブドウ酒を注いだ。
すると、ふたりの陰謀屋はこちらを見ずに、当然のごとく酒杯を手にしてブドウ酒を飲み干す。
見張りは、ああ、そういうことか、と、合点がいった顔をして、引き下がっていった。
エルテが建物から出るとき、見張りは銅貨を五枚渡して、縁の欠けた木の椀に注いでくれと頼んだくらいだ。
本当にこの変装は便利である。
そのままトコトコ歩いていると、今度は黄色い声がぴいちくぱあちくきこえてくる裏口を見つけた。建物の表側では何かの催しものをしているらしく、耳を澄ませると踊り子同士の喧嘩みたいにきこえる話し声がかなりはっきり流れてくる。
裏口にも見張りがいた。こん棒は太くないが、青銅の鋲が打ってある。売れっ子の踊り子の崇拝者がしつこくやってくるときに効果を発揮するのだろう
そんな見張りだったが、エルテを引き止めもしなかった。
もし、シュ・クブヌヌたちがこのやり方を知らなかった教えてやろう。
そんなことを思いながら、楽屋に入ると思った以上ににぎやかだ。
役者たちが出番まで飲み食いをする机があり、どこそこの劇場主はケチだとか、女優の誰それがファンに刺されたとか噂話をしている。青銅を叩き伸ばして磨いた鏡が並ぶ化粧場では踊り子たちが殴られたように青い顔料を目のまわりに塗っていた。
棚には滑稽なほどに大げさな表情をした大きなお面がいくつかあって、言葉にするのもはばかられる、大きなつくりものの男性器が研磨用の油を塗られて、嫌な感じにてらてらしている。踊り子の劇場と思ったが、もっと卑猥な喜劇を売り物にしているようだ。
エルテは誰かに「なんだ、あのガキは?」と言われる前に空のコップを探した。すると、宝石の指輪をいくつもはめた手が青銅の酒杯を空のまま持っていたので、それにブドウ酒を注いだ。劇場主らしい、地面にかするくらいに顎鬚を伸ばした男だった。そのそばには教団兵士。どうも商売を保護してやるという名目で銀貨三枚、つまり三シェケルをゆすり取られているようだ。
ますます偽の教団はとっつきやすくなった。猥褻劇場から金をゆする人間が自己犠牲の精神に富むとは思えない。
劇場主はもう苛立たしく酒杯を干し、もう一杯と言ったので、言われる通りに注いだ。
「ほら、出番だぞ! ぐずぐずするな! まきあげられた分を客からのおひねりで取り返すつもりで行け!」
踊り子たちが露出の多い服に薄い絹をかけて出ていき、男優たちはお面と男性器の模型を腰に結びつけて舞台へ出ていった。
酒売りの変装は人がいなくなると、「お前、どこの店の売り子だ?」と野暮をきいてくるものがいるので、楽屋を後にする。
遊女屋、染色布の作業場、倉庫、酒場、違法営業の薬剤師の家と、この格好でまわってみると、その行く先々で教団兵士たちが甘い汁を吸っていた。エルテの見立てでは組織というのは支配が盤石になればなるほど、奇襲に弱くなる。自分たちに逆らうやつなどいるわけがないというわけだ。
しかも、弱点を遠慮なくさらしてくれる。
次に偽の大神官が儀式をするときは、司祭たちには密輸船が沈んだと知らせ、兵士たちには劇場がもう保護料は払わないと知らせれば、すぐに持ち場を離れる。そうしたら、標的はゆっくり料理しよう。
エルテは海に近い路地に出た。夕まずめを狙った漁船がカンテラを吊るして帰ってきていて、魚を塩漬けにする作業場へタラが運び込まれていた。獣脂をもやしてあちこちに置いた作業場のなかでは大勢の女性たちがタラの腹を切り裂いて、内臓を引き出していた。次の作業場ではタラの頭が落とされて、背骨から身が外されていた。そして、幅広い身を塩でもみ、紙みたいに巻いて、壺に隙間なく押し込んでいる。
ブドウ酒を注ぐ酒杯が見つからないので、少し奥へ進むと、帳簿のようなものが棚に並べられた部屋に出た。経営者らしい男が机の上に置いた象牙でつくった小さな神像を憎々しげに眺めていた。その対面には整った鼻梁の背の高いクルカロアス人がポケットに手を突っ込んで、経営者の文句をきいていた。
そう、優男の服にはポケットがあった。シャツとズボン、顎の下までボタンでとめる胴衣とクルカロアス人らしくない、ルダニアやヘルケ、マークドールのような服を着ていた。
「教団は」と、経営者が言った。「この神像をタラの腹のなかから出てきたことにしろと言ってきた」
「そうするしかないでしょう」
「おれがこんなペテンに協力しなきゃならんのか?」
「でも、断れば、死の予言ですよ」
「ウガリトから大神官がやってきてからだ」
「あれは大神官じゃありませんよ。本物は予言がさっぱりですから」
「偽の大神官が、カラハを裏から支配しようとしているってことか?」
「そこまではわかりませんが、世界が明日よりいいものになればいいと思っていないのはほぼ間違いなしでしょう」
「実はこの像がタラの腹から出て来たら、それをありがたく思い、お布施をしろと言われている」
「いくら?」
「月二テール」
「儲かっているのですから、払えない額ではないでしょう?」
「でも、払いたくない。たとえ、毎月、タラの塩漬けが百万テール売れるとしても払いたくない。理由はただ、払いたくないからだ」
エルテは経営者の空の酒杯にブドウ酒を注いだ。経営者はそれをすぐに干した。怒ったり、まだ見ぬ利益に興奮する人びとは決まって、ブドウ酒を一気に飲み干す。
洋服姿の端整なクルカロアス人のほうは注がれたブドウ酒をまず香りを楽しんでいた。そして、少し口に含んで、
「うん。いいお酒です」
と、あまりありがたくない注目を浴びた。
「おい。お前、どこの酒屋の娘だ」
あー、まったく。貴公子のごときクルカロアス人を恨んだ。
「わたしが雇ったんです」
ん?
「そうか」
「そろそろ行きます」
「シュミ・アビに会ったら、よろしく言っておいてくれ」
「ええ。さあ、行きますよ。おチビさん」
外の暗い路地に出て、姿をくらますかと思っているうちに、
「キシュティは元気ですか――壺を投げ捨てて、わたしを始末しようとする前にきいてください。わたしはあなたが考えているような人間ではないし、キシュティのことは知っています」
「なぜ、知っている?」
「幼少のころ、遊び友達だったんです。正確に言うと、遊び友達係です。貴人の子どもに専属の遊び友達をつける、あの制度ですよ」
「あなたの名前は?」
「ハルキアシュです。夜の遊歩者についてきいたことは?」
「ついさっき、きいた」
「それがわたしです。いろいろなことに通じていたく、情報を集めているので、あなたがたのこともほんの少しですが、きいています。あなたの考えているのは教団の構成員たちがどれだけ、教えに殉じることができるかですよね? それを知るお手伝いをしましょう。わたしの連れということにすれば、あちこちに足を運べます。自慢になりますが、顔は広いほうなので。怪しいと思ったら、刺して逃げても構いません。だまされたと思ってあなたが流した涙をぬぐって、死んで差し上げます。どうです?」




