33.潜入
カラハ旧市街。細い路地へいくつかの店が露台を伸ばして商品を並べている。果物、食器、もろい紙に記された風刺詩。
そのうちのひとつは青銅でつくった小さな像を並べていた。
胡椒の小瓶を杖の先につけた旅の行商人がその店の前を通りかかると、娘らしき少女が父親の手を引く。
「おっとう。あれ、買ってくんろ」
少女の指差すのは革ひもで首から下げる小さな魚の像で鱗が一枚一枚、本物のようにきらきら光っている
「ええ? だめじゃ、だめじゃ。きっと高い」
「そんなことないべ」
「だめじゃ」
「そげなずるい。おらも商い手伝ってる。でも、駄賃をほしいともいわない。そんなこと一度もない。そんな、おらが頼んでいるじゃ。だから、あれ、買ってくんろ」
「はぁ。んじゃ、見るだけ見るがな。高かったら買わんぞ」
「やった、やった」
青銅店の店主はふくやかな四十代くらいの女性で他に客もいないので、立ち上がってふたりを迎えた。
「いらっしゃい」
父親のほうがたずねる。
「あの魚、いくらかの?」
「あれは三シェルンです」
「高いのう」
「高うない」
「やっぱりやめるか」
「いやじゃ、いやじゃ」
店主が笑った。
「店の奥にもっとかわいらしくて、もっとお安いのがあります」
「見よう、おっとう。見よう」
「仕方ないがな」
店主が厚い椰子材の扉を開け、胡椒の行商人とその娘はなかへ、そこは工房で作業机には火のない炉がひとつ、足元のふいごまで革の管でつながっていた。店主もやってきて、扉を閉め、鍵をかけた。
店主が言った。
「クブヌヌ。外のものも使うとはきいていない」
「人は多いほうがいいだろう」クブヌヌは胡椒瓶の杖を立てかけて言った「城門を見たぞ。クナンニヤとプズルが吊るされていた」
「昨日、見つけられた」
店主がエルテを見た。
「手を出して。手袋をして手の甲を上に」
言われた通りにすると、店主が手の甲に小さな青銅の魚を置いた。そして、すぐにそれを指で弾き飛ばした。素早い動きで目にも止まらなかったが、エルテの動きはその上を行った。部屋の端まで飛んでいくはずだった魚は気づけばエルテの手のなかにあった。
「反応は悪くないわね」
「いい知らせがある。キシュティさまがやってこられた」
「本当かい?」
店主は驚いた様子だった。自分でパンひとつ切れない役立たずだが、やはりそれなりに尊敬を集めているのだ。
「ああ。決行の条件はそろった」
「いや。問題がある」
「なんだ?」
「内通者がいる」
「くそっ。クナンニヤとプズルが吊るされたのは?」
「おそらく、その密告だね」
「目星はついているか?」
「エラッマか、スエン・ナダ」
「ふたりを外すか。少し難しい」
「キシュティさまは?」
「オロモ広場の近くの廃屋に隠れている」
「なら、すぐに決行しよう」
クブヌヌは少し考えて、
「よし」
「先に行っていてくれ」と、店主。「すぐに追いつく」
クブヌヌが先に部屋を出る。エルテが続いた。
店主は六十数えてから、表に出て、エルテたちの姿がないのを確認した。
そのまま、通りに出て、広場を避けながら、いくつかの建物を通り抜けて、野菜倉庫に入り込んだ。塩漬けにされた野菜を入れた壺が数百並ぶ、天井の低い建物で――、
「密会にはもってこいね」
エルテが積み重ねた壺の山から音もなく飛び降りる。
「教団側の連絡役なら来ないわよ」
店主の袖から短剣が滑り込み、エルテの両目を狙う。
エルテの姿が消えたかと思うと、影に溶けるくらいに身を低くしたエルテが店主の足を払う。
よろけた先に待っていたのはクブヌヌの刃だった。
店主の死体を教団の連絡役の死体が入った壺に隠しながら、クブヌヌがこぼした。
「長い付き合いだったんだがな」
他にも市内に工作員はいる。
太守への忠誠は確かなはずだが、どうしても信じきれない。
皮肉なはずだが、外様の暗殺者であるがゆえにエルテだけは信頼ができた。偽の大神官とのあいだに利害の害はあれど、利はない。
とりあえず、胡椒の行商人とその娘という役は崩さずに、安全が確保されそうな寝床を探すことになった。しばらく考えながら歩いた末、行商人が集まる交易宿に部屋を取ることにした。中庭では商人たちが他の島の相場の話や次に流行りそうな品物の話、青銅の酒器を買えるだけ買って大量の銀貨を残して去っていったヘルケ人の話など情報を交換している。
だが、一番は海賊デュゲトルアンの話だった。マークドール人のデュゲトルアンはかなり広範囲で活動し、交易船から恐れられる存在だ。トリステイン海軍騎士団とのあいだでの抗争は激しいもので、どうもそのアジトがクルカロアス諸島のどこかではないかという話なのだ。トリステインの軍艦はデュゲトルアンを追っているが、アジトのある島は幻覚魔法で守られているから、目と鼻の先に船を走らせても気づかない。クルカロアス海軍はトリステインの海軍騎士たちに自分の海のことは自分でカタをつけるから放っておいてくれと外交使節を派遣しているが、トリステインはきく耳を持たない。というのも、デュゲトルアンの一味のなかに堕落して追放された海軍騎士が何人かいて、それが騎士団のメンツにかかわる問題になっているからだ。
デュゲトルアンの獲物は豪商たちが仕立てた交易船だから自分たちは関係ないと楽観するものもいれば、定期船を乗っ取って身代金を取ることもあるから他人事ではないと深刻に語るものもいた。
だが、共通して語られるのはデュゲトルアンは受けた恩は忘れないが、受けた裏切りはそれ以上に忘れないというものだった。裏切り者に対する報復はそれこそ語り草で、ある裏切り者は生きたまま皮を剝がされて、デュゲトルアンはその皮で剣を吊るすためのベルトを作ったという話もあった。
他にあがるのは夜の遊歩者。あちこちで出没する人物で、交易商人たちはあいつはいったい何をして暮らしているのだろうと不思議がった。外国人だ、秘密外交官だと噂が膨らむが、ある老人はただの物好きだと断定した。
「クルカロアスの人間なのに洋服を着ていて、カネにならんものを追ったり、ひとの家に上がり込んだり。でも、妖怪とかじゃない。人間だよ」
部屋を取り、エルテは役から抜けた。特にすることもないので、お互いについてたずね合った。自然と仕込まれた暗殺術についての話になったが、どうもシュ・クブヌヌの技には相手と刺し違えるタイプのものが多いのがわかった。エルテもその手の技を仕込まれたが、アサシンギルドは営利を求めている。暗殺者ひとり仕込むのに時間と費用がかかっているから、安易に刺し違えるのは損だが、シュ・クブヌヌは使命で殺すタイプなので、使命さえ果たせば構わないという意識があるようだ。
シュ・クブヌヌはエルテの名前についてたずねてきた。本当の名前かと?
「親がつけたかって意味なら違う。わたしは捨て子だったらしいから」
「珍しい名前か?」
「ありふれ過ぎず珍しすぎない、つまり最もひとの頭に残りにくい名前」
「どうやってギルドを抜けた」
「それは――」
「あのふたりのおかげか?」
エルテはうなずいた。
「悪くとらないでほしいが、あんたたちはひどく奇妙だ」
「そうだと思う。でも、根っこは簡単」
「なんだ?」
「癒したい。それが本当」




