30.カラハの神殿
「それで――」と、クルトがたずねた。「そろそろ教えてくれ。ハトゥーヌムとは何なんだ?」
「知らない」
「嘘をつくな」
「正体がわからないんだ。ただ、それがあらわれるとき、王国は滅亡の危機に直面する。確かなのは解呪によって、それを鎮めることができる。その方法が五つの神殿に供物のパンを捧げることだ」
「おれを殺せば呪いも死ぬんじゃないのか?」
「鎮まるかどうか、五百年前の古文書は明らかにしていない。それに僕らはケダモノじゃないんだ。それよりだ、きみが僕の料理人か? それともそっちか?」
キシュティの質問にカンレルとエルテはわけがわからない顔をしている。この世間知らずの大神官はいま、これから肉ばかり食べるか野菜ばかり食べるかの大きな選択をしようとしていることに気づいていない。
そこはウガリトの船着き場。クルトたちはウガリトから最も近いカラハ神殿へ向かおうとしていた。既に夜は明けているが、四人ともほとんど眠っていなかった。
「もう一度問うぞ。 どちらが僕の料理人だ?」
「なあ、クルト。こいつを材料にサラダつくって食っちまおうぜ」
ひえっ、と本気にし、キシュティは何かの後ろに隠れようとしたが、木箱も袋も乗客も次々と商船へ詰め込まれていく以上、クルトの後ろに隠れるしかなかった。
「冗談だよ。なあ、エルテ?」
「……」
「あちゃー、この間はマジだな」
「こいつらは僕を殺して食べるつもりだ!」
「殺さない」と、エルテがクスッと笑う。「踊り食いって知ってる?」
「ひえっ」
「もう、いい。ほら、乗るぞ」
それはクルカロアスの造船所でつくられる一般的な商船で〈さかさま燭台〉号と名がつけられていた。風があれば帆を、なければ巨大なオールを使う船で船首と艫には海賊対策で投げ槍を発射できる弩砲が配されている。
クルトとカンレルは甲板に転がって腕を枕にして、徹夜を埋めるようにぐーぐー眠っているあいだ、エルテは一番揺れない場所を求めて、船の中央あたりをうろうろしていた。キシュティはまばゆく光る海の向こうへと遠ざかるウガリトを見ながら、都市文明との別離を嘆き、そのまま舷側にもたれかかるように寝てしまった。
目を覚ましたとき、カラハに着いたことを知らせる甲板長の歌うような声が響いていた。
「寝ているあいだ、何か夢を見た?」
「いや。見てないと思うが、ひょっとすると、見たのを忘れているかもしれない。まあ、思ったよりよく眠れた」
カラハの市街はどこを見ても旗だらけだった。
青い旗、赤い旗、縞模様の旗。ウミヘビの形をした筒状の長い旗は数人の芸人に手で長く伸びるように持ち上げられ、先頭には芸人が踊りながら笛を吹いている。
「どうして、こんなに旗を飾るんだ? 何かの祭りか?」
「いつものことだ」キシュティがこたえる。
「何か理由があるのか?」
「知らないね」
「あんた、大神官だろ?」
「大神官にはそんな民間俗習に関わっている暇はないのだ」
「よく、前の大神官のほうがよかったって言われてないか?」
「ぐっ」
図星だったので、キシュティは、ぷぃっ、とそっぽを向いた。
そっぽを向いたので、歩いている船乗りらしい大男に気づかず、ぶつかった。
「おい、お前。ちゃんと前見て歩けよ」
と、船乗りが言うと、
「無礼者め。僕を誰だと思っている。クルカロアスの大神官、キシュティ・ナムであるぞ! ひれ伏せ! 愚民が!」
これはキシュティの身分を明かさないお忍びの旅だ。大神官が街にいると知れれば、その祈祷により加護を得ようとして、大混乱――と思うのだが、祭事において、キシュティが神々へ奉納を行う祭壇と民衆の参詣区域のあいだには五百人の神官がいる。だから、民衆はキシュティの顔を知らない。いまでも、キシュティは大神官!と叫んでいるが、船乗りは構わず、キシュティを持ち上げて、洗濯女たちが集まった泉へ放り投げようとしている。
「なぜだ。なぜ、誰も本当だと思わない?」
ずぶ濡れになって、悔しそうにローブの端を絞りながら、そんなことをこぼす。
すると、しなければいいのにカンレルがひと言でズバリ言う。
「軽いからじゃねえの? 人間が」
「うぐーっ」
カラハ神殿もウガリトの神殿に負けない大きな建物だが、人の混み合いでは、はるかにウガリトを上回る。ウガリトの神殿には深夜に行ったのもあるが、それを差し引いてもカラハ神殿の混み合いは異常なくらいだ。人が多すぎて、前庭は絵柄のくどい絨毯のように、大階段は果物を並べ過ぎた屋台の売り場のようになっている。
集まった人びとに貴賤はない。貴族、平民、職人、物乞い、近辺の農民、地方の神殿を管理する神官たち。そして、人混みをチャンスと見て、スパイスで味をつけた平らなパンを売る商人もいる。
人びとが求めているもの、それは、
「大神官さまの予言だよ」
なに!とキシュティが飛び上がった。
「僕の偽者が、偽の予言をばらまいているのか!」
「お前、まあ、なんと、罰当たりな。大神官さまがおれらみたいな草民連れのためにありがたい予言をくださるってのに」
「ゆ、ゆ、許せない。こともあろうに僕の名をかたる、虫けらにも劣る――むぐぐ!」
クルトがキシュティの口を手で塞いで、前庭の端へ引っ張った。偽者にしろ、何にしろ、ここにいるものたちは予言を信じている。そして、そんな場所で、予言を与える大神官を、偽者ペテン師と口汚く罵れば次に待っているのはリンチだ。クルトたち全員がミートボールぐらいの大きさになるまでぶん殴られる。
刃物をつかわず打撃だけでも人間を小さなミートボールにできることの証明になりたくない三人はキシュティに言いきかせた。
「とにかく、現状を把握だ」
「ふん」
参拝者の列に戻り、少しずつ主神殿に近づいていく。階段を上った先の、赤い柱のあいだに設けられた広場のような入り口に魚牛の角をつけた兜をかぶった戦士たちがいて、参拝者から喜捨を集めていた。帳面台があり、その後ろには銀貨や金貨だけではなく、柄を抜いた銀の斧や金の神像、銀の酒器、壺いっぱいの砂金、十二尾の黄金の魚でつくった首飾りは魚の目にルビーがはまっていた。
クルトたちも銀貨をずいぶんな額取られて面白くなかったが、武装した戦士たち以上に、まわりの信徒たちが怖かったので仕方なく受け入れた。
神殿のなかでは大きな盤に火が低く焚かれていて、煤と煙は煙流しの二つの窓へと流れている。このあたりまで来ると、信徒たちは涙を流していた。身分も、職も、年齢も、性別も異なる大集団の嗚咽が重なり合って、奇跡を演出する。
だが、カンレルに肩車をしてもらって、クルトは見たのだが、〈海をわたる鷲人〉を彫った台座にキシュティそっくりの若者がいたのだ。そっくりそのまま見た目は同じだが、信徒たちと接する様子を見ると、偽キシュティは本物のキシュティよりもできた人間らしい。
「僕を肩車してくれ」
「やめたほうがいいと思う」と、クルト。「怒りとかそういうのを我慢できるか?」
「大丈夫だ。子どもじゃあるまいし。これでもクルカロアスの加護を祈る大神官だ」
クルトがカンレルを見て、カンレルは、まあ、派手な喧嘩ができるのはいいことだ、と言い、キシュティを肩車した。
「この嘘つきのペテン師め! 本物の大神官が来てやったぞ!」
案の定だ。
クルトとエルテはお互いの背中を合わせて死角を殺し、まわりの信徒が暴徒となって襲いかかってくるのに備えた、カンレルはというと、どうもいま肩車しているキシュティの足首を握って、そのまま棍棒のように使うつもりらしい。
一触即発。
そのときだった。
「待ちなさい」
その声のひと言に、暴力が止み、人間の海が割れた。
偽者だけど、本物よりも大神官っぽい偽者がゆっくりと祭壇から降りてくる。
人びとがどよめいた。
本物の大神官と偽者の大神官が全く同じ顔なのだから、そうだろう。
ただ、片方は大男に肩車をされていて、もう一方は悠々と階段を降りてくる。
これでは事情を知っているクルトたちでも、相手が本物だと思ってしまう。
「兄弟よ。よくお越しくださいました」
「この嘘つきめ! 僕の名をかたる偽者!」
「困りましたね。わたしは確かに大神官キシュティ・ナムなのです」
「いや、違う! 僕こそ本物の大神官だ!」
「どうしたものでしょうか。あなたに信じていただくには――そうだ。あなたたちの予言をしましょう。予言を行えば、本物と認めていただけますね」
群衆は、そうだ、そうだ、と言っている。
まずいな、クルトは苦虫を噛んだような顔をする。本物のキシュティは予言ができないらしい。だが、一般信徒はそんなことを知らない。これでは偽者がさらに本物らしく見えてくるだろう。
偽キシュティはローブの袖を関節まで引いて、軽く拳を握った。そのなかから砂がさらさらと流れ落ち、模様が描き出される。
群衆がどよめいた。気絶したものもいる。
交わうふたつの鋭角。
それのあらわすところは死なのだ。




