23.タダより安いものはない。
ルダニア国王ゾリーノ二世が三番目の愛人に宝石まみれの首飾りをねだられて、金貨三万枚が必要になった。
そんなカネをどこから持ってくるのか。
宮廷でただひとり、複式簿記を理解している財務大臣は懲役石切り場で働く罪人の食事を一日三回から二回に減らし、王冠領荘園の小作料徴収権五年分を先に販売し、鉄製品の独占販売権を設定し、売官制度で役職を買った貴族たちから更新料の名目で追加の出費を強いた。
おかげで国王へ憎悪が向いたが、そうした金策にアセンポートの貧民施療院の閉鎖を含まれていた。
「本当にひどい話です!」
シプリアノ・メーナは貧民を見捨てる政策に断固反対すると言っていたが、他の医者たちはそうでもなかった。屋根と三食がなくなるが、それならそれで医務院にかつげ込めない訳アリの患者を診たり、飲むと気持ちよくなる薬を違法に処方したりして暮らせばいいのだ。
この二か月で貧民医療の何たるかがわかり始めたクルトはシプリアノほど正義感に突き動かされることもなかった。だが、診療を希望した人たちのなかには薄めたハッカ水では到底治癒しない病気や怪我をしたものが大勢いたことも事実だった。相変わらずイヴ探しは壁にぶつかっていたが、新年を迎えた次の週には風邪が流行っていて、手が離せない。
「どうにかなればいいんだけど」クルトも考えた。
「おれにいい考えがあるぜ」
「なんだ?」
「国王を殴る」
「お前に期待したおれが馬鹿だった」
エルテは診察中で正午からの休みはクルトとカンレルとシプリアノ・メーナ、そして、コルネゼ博士だった。漆喰を塗った休憩室には二世代前の礼服を着た医者らしい人物の木版画が飾ってあるだけで、あとはコルネゼ博士が、何とか伸びてきた髪を自分で整えようとして柱から釘で吊るした鏡くらいだった(そして、その髪型は床屋代をケチらなければよかったと思うくらいにぐちゃぐちゃになりつつあった。)。
「弁護士に頼むはどうでしょう?」
コルネゼ博士は女性を口説くギリギリのラインまで髪を整えて、椅子に座った。
「わたしたちが治療をしたお金持ちの何人かは弁護士です。彼らに陳情書をつくってもらったらどうでしょう?」
「すごい! とてもいい考えです! ありがとうございます!」
「いえいえ。気にしないでください。わたしは女性の役に立つために生まれてきたんです」
「何言ってるんですか、コルネゼ博士。おれは男ですよ。でも、弁護士は素晴らしい考えです。ちょっと出かける準備をしてきます。待っていてくださいね」
メーナ博士が部屋を出ていくと、クルトが腕を組んで、小首をかしげた。
「どうして、メーナさんは男のふりをしてるんだろう」と、クルト。
「背が高いからですね」コルネゼ博士は即答した。「女性らしくないと思っているのでしょう」
カンレルが言った。「でも、おれよりデカいから、しょうがねえんじゃねえの?」
「わたしもそう思いますが、ティエル神が創りたもうたこの世界には自分より背の高い女性に嫌な感情を向ける背の小さい、ついでに器もアレも小さい男がたくさんいますから。本人としては防衛のつもりです。メーナさんは美人なのにもったいない話です。しかし、あれだけ背が高いと、ベッドでどう攻略すべきか、悩みますね」
「メーナさんは――」
「わかっていますよ、わたしは浮気な性分だけど、女性を悲しませることがないように浮気をするのです。この髪型が証拠です」
弁護士の集まるブラックウォーター地区は、あのサザックの大聖堂に裏手にあった。
サザックの泥棒たちがしくじると、弁護士のご厄介になり、弁護士がしくじると、彼らの顧客はブラックウォーターの向かいにある絞首刑広場のご厄介になる。広場には死刑囚を閉じ込める牢屋があって、五人たまると、絞首刑台が組み立てられて、五人の奇妙な形の果物が揺れることになるのだ。
人はブラックウォーターはサザックよりもひどいという。スリは財布をすり取って、弁護士は財産をすり取る。
ブラックウォーター地区は塀で囲まれていて、唯一の出入口は門だった。門の梁には古い青銅の板がつけてあって『正直者こそ誉れなれ』という文句が打ち出されてあった。
「なーんで、こういう門って、嘘みたいなことを書くのかなあ」
「王立療術学校はいいこと書いてあっただろ?」
「あったっけ?」
「見てないのか?」
「おう」
「癒しとは技術である前に意志である。癒されたものが歩む未来まで、その手は責任を負う」
「ふーん。野菜は健康にいい、とかのほうがかっこよくね?」
クルトはため息をついた。カンレルはあれを読んで、学校をやめたと思っていたのだ。
門をくぐると、通りはうれしそうな顔をした人間と絶望した人間でひしめいていた。金貨百枚をめぐる裁判があれば、必ず百枚を手にする勝者と一枚も手にできない敗者が出る。このゲームには五十枚ずつという引き分けがない。
看板は客を引き込むべく、道へ突き出している。鍵の形や大きなコイン、年季の入った青銅製の鹿、ある刑事弁護士は露骨にも首吊り用の縄をぶら下げていた。
道端でお手軽な法律相談に乗る一回銅貨十枚の弁護士から大商会の顧問を務めるもの、犬のぬいぐるみを訴えた狂人に辛抱強く付き合った老弁護士。歴史に残る最終弁論で強盗団を絞首台から救い出した伝説的な弁護士もいた。伝説的な弁護士は弁護料も伝説的だった。そして、強盗団はこんなに弁護料をもらっているのなら金庫にたくさん金貨が詰まっているのではないかと思い、これを殺して、金貨を奪い取った。強盗団は二日後に捕まり、誰も弁護につかないまま、絞首刑になった。
「そういえば」と、シプリアノ。「おれもひとり、弁護士さんの胃痛を癒光で治したことがあるんです。そのとき、とても感謝されました。長いこと痛かったんでしょうね。困ったことがあったら、いつでも来てくださいって。無料で仕事をしますよ、って。すごくお礼を言われたんですよ。どうして、思いつかなかったんだろう。あんなにたくさんお礼を言われたのに」
シプリアノは弁護士がタダで仕事をすると約束したこと以上に、とてもお礼を言われたことのほうが嬉しいように思い出していた。シプリアノは最初のうちは患者から礼を言われていただろうが、無料で診察を続けていくうちに患者たちは無料で治療を続けていくうちにそれが当たり前になっていく、「ありがとう」が消えていく。だから、生活も経営も苦しくなって、医療費を払ってほしいと言ったら、強欲呼ばわりされて、追い出されていくのだ。
強欲なのはどっちだ、と、クルトがかわりに憤っておいた。シプリアノは絶対に憤らないだろうから。
「名刺ももらっているんです。ほら」
セルトン・オグアン。法学博士。コルネゼ博士が少し顔をしかめた。
「どうかしたんですか?」
「いや。腕のいいことで有名な人ですよ。でも、依頼料も相当高いことで知られています」
「そのことなら大丈夫です。無料で仕事をしてくれるそうです。やっぱり、おれ、この世界にはいい人がたくさんいるんだって、ますます信じられそうです」
「そうですか」
セルトン・オグアンの、石造り三階建ての事務所に入る前、コルネゼ博士がクルトの耳にささやいた。
「何があっても、カンレルくんに殴らせてはいけません」
重そうな本棚を背負った受付の事務員がうさん臭そうな顔、カネもってなさそうな連中だな、といった顔をして、ちらりと見上げた。
「遺産相続ですか? 企業設立ですか?」
「いえ」と、シプリアノが言った。「セルトン・オグアンさんに会いに来ました」
「ご予約は?」
「いえ」
「では、先生はお会いになれません」
「でも、あのときはいつでも来てください、って。すごくお礼を言ってくれて、それで無料で――」
受付の顔がますます疑わし気になった。
「無料?」
「はい。以前、胃痛を治療して、その、長患いだったらしくて、二十年の痛みを取り去ってくれて、本当に感謝していますって。それで」
あのですね、と、受付が眼鏡の位置を少し直す。
「先生にご依頼する方は大商人から宮廷人、外国の有力者、聖職者、つまり、社会の名士なんです。その先生が、どこの誰だかわからない、人がいきなりやってきて、無料で仕事をすると言われて、それを信じられると思いますか?」
「え……あ。あの――」
「思いますか?」
「すみません」
クルトは咄嗟にカンレルの腕をつかんだ。
「ダメだ」
カンレルは真っすぐ受付の顔をにらみ、激怒した猛獣みたいに喉の奥から唸っている。
それを見た受付が少し慌てて、
「とにかく、これ以上、変なことを言うなら――あ、先生」
振り向くと、セルトン・オグアン弁護士がいた。大量の書類を持たせた秘書と警備を受け持っているらしい剣士を連れて。
「彼らは何だね?」
すると、シプリアノがお辞儀をした。
「お久しぶりです。あの――」
シプリアノは説明した。無料仕事のこと。胃痛のこと。書いてもらいたい陳情書のこと。
すると――、
「証拠はお持ちですか?」
弁護士はそう言った。
「え」
「物的な証拠はありますか?」
「あ、あのとき、言ってくださって」
「書類などは?」
「……ありません」
「そうでしょう。わたしはそもそも貧民施療院に行ったことなどないのです。これ以上、わたしが貧民施療院で治療を受けたなんて、顧客の皆さんが戸惑いかねないことを言い続けるのでしたら、名誉棄損でこちらも必要な措置を取ります」
「ぶん殴る」
ダメだ、と、クルトが止める。
四人は帰る道をとっていた。日は西の水平線へと転がっていく。
「治療って名目でぶん殴る」
「何を治療するんだ?」
「性格。かなりひどそうだから十発は殴る」
「そんなことしたら、お前は牢屋行きで、施療院は間違いなく閉鎖される」
「でも、あの野郎――」
「おれだって我慢してる。施療院のことがなかったら、あんなやつ、道に放り出して、ぶっ潰して――」
あの、と、シプリアノ。
「おれなら大丈夫ですよ。慣れてますから。あはは。馬鹿ですよね。おれ。えらい弁護士さんが無料で動いてくれるわけないのに、信じたなんて、恥ずかしいです」
「でも、あのクズ野郎、証拠はって言ってきやがったんだぞ! 治療を受けたこともねえって言いやがった。あんた言ってたじゃねえか。お礼を言われて嬉しかったって。それもなかったことにしたんだぞ?」
「慣れてます。追い出されるときは、いつも、そうなんです。でも、今回はおれは幸せです。こうやって、怒ってくれる人がいます。すごいですよね。人生って確実にいいほうにいっているんだなあって思います。でも、……でも、無料のお仕事は否定されても仕方ないですけど、……あのとき言ってくれた、お礼の言葉も否定されたのは、少し寂しかったですね。あはは」
「前言撤回だ。おれも殴る」と、クルト。
コルネゼ博士がクルトとカンレルの腕をつかんで引き止めた。一見優男のコルネゼ博士だが、七人の怒り狂った女性を相手に生き残るくらいの腕力はある。
「あ、あの! 本当です! おれは大丈夫です! だから、ふたりとも落ち着いてください!」
あー、もう! と、カンレルが赤い癖毛をガシガシかいた。
「こうなったら、やることはひとつ」
すり潰す気だ、と、シプリアノは思った。
ねじり切る気だ、と、コルネゼ博士は思った。
コーン・ティーだな、とクルトは確信した。
「コーン・ティーだ!」




