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22.サザック大聖堂

 冬をしばらく過ごしているうちに大晦日になった。

「煙突みがきー、上から下までしっかりみがくよー、年の納めに煙突みがきはいかがかなー」

 雪のちらつく空の下、市場は新年のごちそうのための買い出しに来た主婦や女中があふれていて、商会の会計士たちは一年の帳簿を締めて、ひと息つこうと滑らかな吸い心地の煙草をパイプにつめた。パン屋の棚には硬い皮つきのパンと一緒に、塩でつくった小さな聖人像が並び、敬虔な人びと――常人の倍近く地獄の存在を真面目に考えている人びとがこれを買っていった。新年のために少し出費を増やすことは伝統と呼ばれていて、そうした伝統のなかには真昼から大酒を食らって大声で歌うことも含まれている。

 貧民施療院は大晦日と新年は休みになっていた。市は年末と年始には医者たちに心づけという名のお小遣いをくれるので、欲望と感情を我慢しないことに定評のある貧乏医者たちはみな酒場、賭場、売春宿へと走っていった。

 クルトとカンレルとエルテ、そして、シプリアノ・メーナはもちろんどこにも用がなかったので、急患が来るかもしれないと思って、寮にいた。

「大変です! サザック大聖堂で徒弟と浮浪児どもが派手に喧嘩して、怪我人が出まくってるんです!」

 大聖堂で喧嘩?

 とにかく急いでください!といって、通報しに来た鋳掛け屋は出て行ってしまった。

「宗教戦争かな?」

「なら、死人が出てる。聖職者ってのは人を殴る習慣がねえから加減のコツを知らねえ」

 薬品と包帯、それに癒光を使うときに少しだけ効果を増してくれるルミナリス草の種でつくったお香をカバンに入れて、四人は出かけようとした。

 すると、早速、年末の心づけをサイコロでスってきたド=テシィ博士と通用門で鉢合わせした。

「おや、大荷物だね。ついにこの施療院を捨てて去る決心がついたのかな?」

「サザック大聖堂です」

「サザック?」

「はい。大喧嘩があって怪我人多数らしいです」

「それで、きみたちはサザックに行くのかい?」

「はい」

「本当に? サザックに?」

「はい。あの、何か?」

「僕も行くとしよう」

「それは助かります。たぶん外科的処置が重要でしょうから」

「いや、それ以前に、きみたち、サザックには縁がないだろう?」

「?」

 首都か宗教都市でもない限り、大聖堂は市内にひとつしかない。ところが、アセンポートにはふたつあった。ノースリフト大聖堂とサザック大聖堂だ。ノースリフトは何度か行ったことがあるが、サザックは今まで行ったことがなかった。

 大聖堂というのは清らかで厳かで壮大で、と思っていたが、サザック大聖堂は犯罪者の巣窟になっていた。

 まず、大聖堂につながる前庭にはガラクタを売りつける屋台が並んでいて、簡単に折れるナイフや偽物の宝石、『財布に伸びたスリの手を串刺しにする財布の作り方』という物騒な名前のパンフレットを売っていた。これらの屋台は法的には無許可で営業していた。祭壇に似た大きな墓石をカウンターにしているからだ。そして、社会的には許可を得て営業していた。吸い上げた場所代は司教と聖堂参事会員たちのあいだで山分けされるのだ。なかには盗品を扱う屋台もあるのだが。

「なかはもっとひどい。ここにいるのは」と、ド=テシィ博士が大学で授業するように説明する。「スリ、僕のような賭博師、呪術士、偽造屋、詐欺師、香具師、物乞い、娼婦とヒモ、空き巣、押し込み強盗、密輸人、脱走兵、逃亡犯、高利貸し、俗謡詩人、風刺画描き、難民、船乗り、密造酒の醸造人、盗賊騎士、一日雇いの用心棒、ナイフ使い、殺し屋、売れない役者、密告屋、金庫破り、それに信じられないことに悪魔崇拝者たちの神官までいる。そして、大勢のカモたち。これが一番多い。犯罪者の養分ともいうべき人間だ。ここで一番偉いのは誰だと思う?」

「司教じゃないんですか?」

「まさか。一番、偉いのは盗品を買い取る故買屋だよ。そいつらが大勢の泥棒を抱えていて、どこに盗みに入れば、どんなものが手に入るかを教えてくれる。盗んだものは故買屋が買い取るけど、それがべらぼうに安い。でも、そこ以外で処分すると仕事を干されるし、信用できない商人に売ったら、そのままタレ込まれるかもしれない。そんなわけで一番の大物は故買屋だ。尊敬されているかは別だけどね」

「なぜ、教会は取り締まらないんですか?」

「そりゃ、司教はワイロ、ごほん、寄付をもらっているからね。罪なんて簡単に許される。いや、真面目な人が司教になって、トップから叩こうと故買屋たちを破門したことがあったけど、次の日には賊が押し入って司教館も聖具室もすっからかんになった」

「暗殺者は偉くないの?」と、エルテ。

「あんまり。スリより低い。尊敬されるのは稼げる犯罪者であって、暗殺者は使われ仕事だから」

 サザック大聖堂の敷地に入るとき、ド=テシィ博士は何度も何度もスリに注意しろと言った。エルテでも気づけないだろうとも言った。ここのスリは本当に技がすごいから。

 実際、敷地に入って、十歩も進まないうちに財布をスられたが、気づかないままニ十歩進むと、スリが財布を返してきた。

「すんません。若先生たちと気づかなかったもんで」

 見覚えのある顔だと思ったら、クルトはそのスリの刺された穴を癒光で塞いだことがあった。

 その後、この人たちをカモにするんじゃねえ、と何人かの犯罪者が言って、それが徹底された。

 エルテは元暗殺者として気配の察知に自信があったので財布をすられてことに気づけなかったことに少しプライドを傷つけられたようだが、ここの連中はギルドに守られていない分、自分の技一本でやっていかないといけないから、技の磨き方が半端ではないのだとド=テシィ博士は優しく慰めた。

 大聖堂の内部はもはや原型をとどめていなかった。天井が高すぎる典型的な教会建築の底には板切れでつくった粗末な小屋が並んでいて、よそで指名手配された盗賊や人殺しの寝床として有料で貸し出されていた。

 大聖堂は聖界であり、俗界の治安官や騎士は立ち入ることができない。

 サザック大聖堂が犯罪天国になっているのはこの教理のせいである。

 その聖界の聖人像の前では娼婦が客引きをしていた。彼女たちはゲン担ぎに凝っているので、稼ぎの十分の一にあたる芳香付きの高価なガラスコップ入りの蝋燭を買って、聖人像の足元に捧げていた。皮肉なことに〈普通の〉大聖堂であるノースリフト大聖堂ではこんな高価な蝋燭は捧げられていない。ちなみに一番人気の聖人は〈種を植えた聖女〉の像で性病に効くと言われていた。

 怪我をした徒弟たちはどこにいるのだろうか? それだけの怪我人が大勢いるのなら、すぐわかりそうなものだが、そうはならないほどの混雑と猥雑がアーチ造りの身廊を支配している。

 密造酒が滴る螺旋管、牛の内臓を煮る火、金庫破りの道具を専門でつくる鍛冶屋、侯爵邸で破った錠前を身につけた泥棒に集まる尊敬、馬泥棒たちが連れ込んだ馬のにおい。

 ここにいる人間はみな怒りっぽく、テーブルの塩を取ってもらうのにも怒鳴り声を張り上げる。殺しの相談や次のヤマの相談といった本当に大事なことをひそひそ相談するための静かな場所はあるにはあるが、カネがかかる。静寂にも値段がつくのだ。

 やっと怪我人たちを見つけた。柱の連なる廊下で十数人の若者たちが怪我を放置されて転がされていた。包帯と膏薬で済むものもいれば、半ば意識が混濁していて、こちらに引っ張り戻すために癒光を使わなければならないものもいた。ここにいる犯罪者のほとんどは発光鱗粉を手に塗ったエセ療術士しか見たことがなかったから、本当に光で傷が塞がるのを珍しそうに見ていた。そのうち、興行師を名乗る老人が見物人から見物料を集め、さらに癒光を封じ込めたというお守りを売り始めた。カンレルが気づいて〈治療〉してやろうとしたが、すぐに人混みに逃げてしまった。

「これ。きみたちの分だ」

 ド=テシィ博士はすでにあの老人から〈税金〉を取っていた。シプリアノ・メーナが明らかに嫌そうな顔をしていたが、

「受け取らないなんて言わないでくれ。ここでそんな善良さを見せると、パニックが起こる。ここはそういう場所なんだ」


 夜になる前に寮に戻った。

 ド=テシィ博士は〈税金〉の分け前を全部巻き上げられるべく、サザックに残った。クルト、カンレル、シプリアノはしばらく話しているうちに酔っ払いやろくでなしからナイフを取り上げた経験があることがわかったが、エルテにはその経験がないこともわかった。

「あ、わかった。取り上げず殺すからだろ?」

「違う。素人のナイフほど怖いものはない」

 寮にある寒々しい会議室。四人はワインを温める火鉢を持ち込んで、あれやこれやと話していた。

 いまの話題は素人のナイフである。

「プロのナイフはどう動くかわかる。ちゃんと訓練しているから。でも、素人は本当に怖い。どう振ったり突いたりするのかわからない。一見、簡単に取り上げられそうでも、思わぬ動きをして、致命傷を負った本職を知っているから、素人がナイフを持っているのを見つけたら、とりあえず体は間合いから外す」

「へー、そうなんですか」と、シプリアノ。「ところでプロの人と素人の差はどこにあるんですか? たとえば、短いローブの両端を噛んで、ナイフで戦って、口からナイフが外れたら負けの勝負をする船乗りたちは?」

「素人」

「肉屋は?」

「プロに入れていい」

「八百屋は?」

「素人」

 すると、カンレルが質問を変わる。

「串焼き用の肉を切ってるやつは?」

「プロに入れていい」

「パイに使うかぼちゃを切るのは?」

「素人」

「ベーコンを細切れに切るのは?」

「プロに入れていい」

「ジャガイモの皮をむくのは?」

「素人」

「なんか意図を感じるな」

「そんなことない」

 そのとき、窓の外が七色に光った。

 市が雇った船が入り江の真ん中から花火を打ち上げたのだ。紫から黄色へ、黄色から赤へ、そして緑。光が音に乗る。

「いろいろあった一年だったな」

 クルトが言う。

「来年はもっといろいろあるんじゃねえか?」

「そう思うか?」

「いや、よくわからん」

「来年はもっとお肉食べる」

「十分食っただろうが」

「来年はイヴに会えるかな」

「クルトはいい加減、追い剥ぎにだまされるのをやめたほうがいいと思う」

「……善処する」

 くー、くー。

 振り返ると、シプリアノ・メーナが寝息を立てていた。

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