20.肉と魚とお野菜と
ドスドスとタタタと足音がして、カンレルとエルテがやってくるのがわかった。
外食の誘いだろう。
今日の夕飯はオリーブオイルを少し垂らした大麦の粥、塩漬け豚肉と玉ねぎの炒め物、それにニンジンスープで量が足りないなとは思っていた。
とっくに日は落ちて、医学書を読むのに小さな蝋燭を頼りにしていた。こうしているうちに、そのうち眠くなるだろうと思っていたが、
――どんなときでも、ちゃんとご飯は食べてね――
母との約束を思い出した。
今日は癒光を使ったし、明日もきっと使うだろうから、やはり、もう少し食べておくことにした。
問題は「野菜食べに行こうぜ!」「お肉一択」と言いながら、クルトはどっちに肩入れする!と半ば脅迫みたいに詰め寄ってくることだった。
これは古の賢人の言葉で、人生は選択の連続である、とのことだが、それには魂の底から賛同する。実際、クルトは毎日、困難な選択に直面している。お肉、お野菜。この簡単なこたえで片方が敵にまわるのだから、たまったものではない。
そして、最大の問題はどちらもとてもうまそうなことなのだ。
そのとき、ドアが勢いよく開いた。
ふたりは声をそろえて言った
「今日は魚!」
アセンポートのような大きな港町にはクルトたちの属するルダニア王国人のほかにいろいろな国の人が住んでいる。
様々な国の人がいるということは様々な国の舌があり、その舌を喜ばせるためにお国の料理が食べられる店や屋台があちこちにある。
材料は交易でもたらされる。
ヘルケ国の瓶詰め酵母、北方諸島のアザラシ脂、アンクット=クーの赤い米、クルカロアス王国のカカオ豆、トリステイン海軍騎士団のニシン、ジンダレンの干し肉、クル島の青いバナナやレモン、アンバーロックの密輸人たちが持ち込む激辛の花胡椒。
これらの食材が苦労せず、お手頃価格で手に入った。
さらにたまらないのは様々な料理文化がぶつかって、ここでしか食べられない料理が生まれることだ。
花胡椒でピリ辛にしたカカオ・ソース。七つの国からもたらされた十種類の豆でつくった丸いコロッケ。青バナナとモツの煮込み。一メートル四方のテーブルさえあれば街角で商売できるニシンのマリネのサンドイッチ。
カンレルのお気に入りはトウモロコシ粉を炒って煮込むコーン・ティーだった。炒った香ばしさとトウモロコシそのものが持つほのかな甘さがたまらないそうなのだが、人はなぜかこれに真っ赤な結石みたいな粗糖をくわえる。野菜に譲歩はしないカンレルは施療院で診察をしていない時間を全部使って、粗糖を加えていないコーン・ティーを飲ませてくれる店を見つけたそうだ。
「海軍街の人魚亭って店と、クルカロアス人のじいさんがやってる屋台。これしかない。信じられないよな。コーン・ティーを売る店なんて、そこいらじゅうにあるのによ」
カンレルにお気に入りがあるなら、もちろんエルテにもある。最近のお気に入りは香草ソーセージとチーズの焼きごはんだった。チーズという準お肉をこんがりさせて、ソーセージのうまみを倍に引き出す。準お肉にも活躍の場を与えた寛容さを食べながら、ごろごろ入れたソーセージも味わえる。
「なんだよ、準お肉って」
「牛乳とかバターとかチーズとか」
「それ、ほうれん草を入れたらぐっとよくなるぞ」
「そんなわけ――あるかもしれない」
……こういうわけで、クルトは〈コーン・ティー〉か〈ソーセージ焼きごはん〉を選ばされると思ったのだが、
「今日は魚、食いに行こうぜ?」
「……は?」
「今日の料理はお肉も野菜もあったのに、魚は出てこなかった」
「別におれは魚が特別好きなわけじゃなくて――」
「これじゃ公平じゃないからな。泣く泣く今日はゆずるぜ。じゃあ、クルトのおすすめ魚介料理を食わせてくれる店に出発!」
「出発」
泥酔して寝転がっているマクマーオン博士をまたいで、門から出ると、薬のにおいがこもっていた空気が一瞬で人のにおいに変わる。煙草、汗。ききなれない異国の怒鳴り声にもにおいがある。
ただ、にぎわいには人混みがついてくる。ときどき、もはや壁と言ってもいいくらいに人が詰まった通りがあるが、彼らには必殺の陣形があった。
カンレルが先頭となって、壁をぶち破り、エルテが殿をつとめて、文句をわめきながら放たれるパンチを用心する。そして、ふたりのあいだにクルトがいるわけだが、特に何かあるわけではない。
「クルトは守ってあげないといけない」と、エルテ。
「なんだ、それ?」
「まあ、しゃあないな。クルトだもんな」
「ね」
クルトはあまり面白そうではない。おれはお姫さまかなんかかよ?
こうした混雑のなかには、手に瓶があり、そばに頭があったからというだけで殴ろうとする酔っ払いが一定数いた。エルテも伊達に殿をつとめているわけではなく、そういうトンマには顎に掌打を食らわして、ひっくり返す。
「それで、クルトのおすすめはなんだ?」
「クルトの魚料理はハズレがない」
クルトはあきれて、肩をすくめた。
「あのな。お前らが肉専門、野菜専門だからって、おれが魚専門なんてバランスを取るようなことはないんだぞ? おれが知ってる魚料理なんて、そんなない。セント・ピーターズで食べられる酢とニンニクのソースがきいたスズキのグリルとか、アンブローズ通りの〈曲がり角亭〉が夕食から出す鯛のサン・セバスチャン風とか、〈ねんざ亭〉のマグロのオイル合えとか、ボワー路地の火あぶりロブスター、〈ガレオン〉のボラのカラスミのピラフとか、あと――」
「わかった、わかった。で、クルトのおすすめは?」
そういって、やってきたのは、ピノ通りと鎧職人街の角にある〈ごった煮本舗〉だった。
二階建ての大きな家を店に使いまわした古い商売で、酒も出すし、酌婦も踊り子も用意できるが、何より一番なのは鍋いっぱいのパエリヤだった。そして――、
「ここはパエリヤになんだって入れてくれるから、アーティチョークなり串焼き肉なりなんだって入れればいい。どうせならみんな同じ店で好きなものが楽しめたほうがいいだろ?」
「んもう! クルトちゃん、大好き!」
「大好き」
ガシッ、ピト、とふたりがクルトに抱き着いた。
「あー、もう、うっとおしい、――ん?」
鎧職人街のほうから背の高い、それ以上にほっそりとし過ぎた人影がよろよろ歩いている。細面の優し気に整った目鼻立ちに小さな口、一見女性かと思うが、着ているものは古い仕立ての田舎紳士が着古したような男装だ。
王立療術学校の基礎診察学Ⅰを受講していなくてもわかる――栄養失調だ。
「クルマエビ、ムール貝、イカ、タラ、アサリ、タコ、鶏、豚、牛、ソーセージ、パプリカ、ひよこ豆、ニンニク、トマト、アーティチョーク、インゲン、オリーブ、マッシュルーム、目玉焼き。全部入ってますから、お好きなものを食べてください」
「は、はい、ありがとうございます」
そう言って、男装の麗人は広大なパエリヤの皿から小さなローリエの葉っぱを取り上げた。
カンレルとエルテが我慢ができなくなったのか、「食え食え!」とばかりに彼女の取り皿にそれぞれがごちそうと思うものをどっさり盛り上げた。
そして、そのてっぺんに鍋底のカリカリしたお焦げをのっけて、完成。
「どうぞ。本当に遠慮しないでください。あなた、相当な飢餓状態でした」
「あー。そうですねー」そう言いながら、ゆっくりとお米をさじですくって、口に運ぶ。「あ、遠慮してゆっくり食べているわけじゃなくて、一度に食べるとショック死するので。栄養失調、これで十五回目ですから。慣れてますから」
「体に悪すぎですよ」
「大丈夫です。これで何とか空腹をごまかせます」
そういって、左手を自分のお腹にあてて、――癒光を染み込ませた。
「癒光で空腹をごまかしていたんですか!?」
またまたカンレルとエルテが我慢ができなくなり、「食え食え!」とばかりに追加の一皿料理を注文した。
医者の不養生どころの騒ぎではない。癒光で空腹を治癒するのはやってはいけないと第一に教わることだ。それは解決ではなく、ごまかしなのだ。空腹をごまかして、疲労を蓄積し、ある閾値を超えると、一気に体調が崩れて、取り返しのつかないことになりえるのだ。
少しずつ胃が落ち着いて、普通の速度で食べることができるようになると、彼女はシプリアノ・メーナと名乗った。女性形ならシプリアーナのはずだが、どうも男のふりをするのは続けるつもりらしい。身長を比べると、なんとカンレルよりも背が高かった。だが、体重はカンレルの半分以下。
「吹けば飛ぶようなとは、まさにこのことだぜ」
なぜ、栄養失調になるかというと、お金がないからで、なぜお金がないかというと――、
「それが無料診察なんですよ。あはは」
つまり、「お代は今度で大丈夫ですよ」をお人好しに繰り返し、薬を買うお金も、自身の食べ物を買うお金もなくなって、ちょっとだけツケを払ってほしいとそれとなくほのめかすと、強欲な医者め! 癒光でなおしているのだから、薬の仕入れなんてしていないだろう!と罵られ、追い出されるを何度か繰り返して、今のようになってしまったらしい。
「ひどいやつらだ」
「でも、捨てる神あれば、拾う神ありです。ああ、おいしい。お腹いっぱい食べるのは何週間ぶりでしょう」
またまたカンレルとエルテが我慢ができなくなり、「食え食え!」と――
「いえ、もう、わたしは大丈夫です。皆さんのお食事を続けてください」
わっ、と歓声が沸いた。舞台に笑わせ屋が立っていて、冗談を言っている。そのネタの拾い方が客を笑いものにするものだった。簡単に盛り上がるし、アドリブもきかせられるから、笑わせ屋としては自分の腕の見せ所と思っていたのだろうが、
「ああ、くそ!」
クルトは椅子から立ち上がり、舞台へと走った。笑わせ屋は腹にナイフを突き立てられて転がっていた。間違った相手をネタにした。商会の勤め人らしい大人しそうな男だったが、エビしか入っていないパエリヤをネタにして、さらにその一尾をつまみ上げて、殻をむいて、エビの頭を男の頭に置いたところで、ナイフが出てきて、深々と刺さった。
エルテに後できくと、たぶん足を洗った本業の暗殺者だろうとのこと。
店は大混乱に陥ったが、それを掻き分けて、クルトは何とか負傷者のもとにたどりついた。このまま死ぬのは哀れに思える道化の服を着ていた。その赤と白の縞のチョッキにナイフが柄まで刺さっていた。
癒光で傷を塞ぎ、内臓の損傷を癒着させてひと通り治した後、笑わせ屋はクルトをネタに笑いを取ろうとした。恩知らずなのか、職業病なのか。
ただ、ネタにするための客はパエリヤ鍋を残して消えていた。みな近くの砦の一室に閉じ込められて聴取をとられるのに巻き込まれたくなかったからだ。
「あの、クルトさん。ですよね?」シプリアノ・メーナがたずねる。
「え? ああ」
「癒光が使えるんですね。お医者さんなんですか?」
「正確には違うぜ。こっちは学校中退してるからな」
クルトたちは学校をやめた理由を教えた。
「そうですか。それは大変でしたね」
「自分で決めたことです」
「でも、それなら、あの。このあたりに困窮者向けの施療院があって、医者を募集しているときいたんですけど。ご存じだったりしますか?」




