15.尊敬の問題
「やっぱり誰もなんも見てなかったじゃねえか」
カンレルが言った。
「バッカだよなあ。なんもしなけりゃ営利誘拐成功だったのによ」
エルテが手袋を外して、領主の首筋に触れた。
「まだ生きてる」
「脈は弱いか?」
クルトがたずねると、エルテは左右に首をふる。
「大丈夫。気絶の原因はこれ」
そう言って指差したのは額にできたこぶだった。賊にやられたのだろうが、なぜか鞍から落ちたのだろうと思ってしまう。
クルトが外に出て、湿布を作り始めると、その横では、意識を取り戻した誘拐犯たちが縄で縛られて横一列に並ばされて、エルテに説教されていた。
「まず、無駄な動きが多い。崩れない戦い方よりも崩れてから、取り戻す足さばきと体さばきを覚えるべき。もっとも牢屋のなかでそんな勉強の機会が与えられるか、疑問だけど」
エルテは、クスッ、と笑う。
「素敵なあなたたちのことは近場の騎士団詰め所に伝えておく。その人たちに回収してもらいなさい」
「この近辺に騎士団の詰め所なんてねえよ」賊のひとりが言った。
「それはわたしのせいじゃない。文句は騎士団にどうぞ」
できた!とカンレルの声がして、『わたしたちは悪い誘拐未遂犯なのだ縄を切らないでください』の立て札を持ってきた。
「わたしたちは悪い誘拐未遂犯なのだ縄を切らないでください? 誘拐未遂犯なのだ、じゃなくて、誘拐未遂犯なので、じゃないの?」
「じゃあ、こうすれば解決だ。ほら、文章に格式が出てきた」
文字は『わたしたちは悪い誘拐未遂犯なのだ。縄を切らないでください』となり、より馬鹿っぽさが増した。
しばらく介抱すると、領主の目が覚めた。
「きみたちは――誰だ?」
すると、大きなカンレルと小さなエルテがクルトの左右で腕を組んで立ち、
「おれたちは天国の門番だぜ。天国に行けるかどうかは生前のあんたの行動次第だから、質問にはちゃんとこたえろよ」
「お肉によるワイロは受けつける」
「ふたりともあっちに行け。――こほん。おれたちは旅のものです。あなたは誘拐されそうになっていたんです」
「誘拐?」そう言って、地面に座らされた賊たちを見た。「でも、なぜ?」
「それは――あなたがこのあたり一帯を所有している領主だからです」
「領主、僕がかい? 僕の領地はメンデロスという土に塩がきつく食い込んだ海沿いの土地で広さは、まあ、コントルダンスができるくらい。海のほうは近隣の漁師に全部権利を持っていかれているから、とんでもなく貧乏なんだ。だから、僕を誘拐しても、身代金なんてもらえるはずがない」
「名前は覚えていますか?」
「もちろん。僕の名前はリズブロー・デ・コルタノンテ。コルタノンテ家の八人兄弟の末っ子で一番できの悪い息子と自負している。なにせ僕のせいで、コルタノンテ家の家訓に子どもは七人でやめておけという文言が増えたのでね」
「つまり、そりゃ役立たずでことか?」
「ざっくばらんに言えばそういうことだ。それも財政方面特化型役立たず」
「お金儲けが下手ってこと?」
「その通りだよ、お嬢さん」
「ふうん。で、こういう領地をあなたに相続させる親戚は?」エルテは少し考えて付け加えた。「叔母さんとか」
「叔母はたくさんいる。母方にも父方にも。でも、持っている財産と言えば、僕のメンデロスとどっこいどっこいだし、たとえ莫大な財産を持っているとしても、彼女たちが僕に相続させたいのは振り下ろした麺棒の一撃くらいだよ」
「じゃあ、本当に、この土地を誰から相続したのかわからないの?」
そのとき、近くを飛んでいたブヨが馬の鼻の穴に飛び込んだ。一頭がパニックを起こし、もう一頭がそれにつられると、これからの旅の脚にと期待していた中古の箱馬車はあっという間に地平線へと走り、大きな石を踏んでがたつくと、馬車は扉と荷物紐を縛るための金具が外れ、外枠を残してバラバラになり、轅が折れると、馬車は馬たちを解放し、自身は道からひっくり返って、本当にバラバラになった。つまり、パンを焼くのに使える薪サイズになってしまったのだ。
「いいんじゃないかな」リズブローが肩をすくめた。「歩くのは好きだ」
「なぜ、人びとは僕を見ると、決まって、信用できる管理人を雇えと言ってくるのだろう。それと、この服のあちこちにピン留めされた紙は? えーと……こぶのある牛を三頭? 金貨十二枚だって!?」
記憶を失う前のリズブローについて、教えると、
「なるほど。さすが、僕。考えの足りなさがまさに僕そのものだ。こんな広大な土地をひとりで面倒みようとするなんて、我ながらほれぼれするような役立たず。僕は財政方面特化型役立たずだと思っていたけど、そのカテゴリーは実務方面にまで手を伸ばそうとしている」
「その様子じゃ、家がどこにあるか、わからないようですね」
「ここがどこかもよくわかっていない。そうだ。さっきの管理人の話だけど、きみたちはどうかな?」
「せっかくだけど、遠慮します」
リズブローは自分を役立たずというが、ひとつ、ずば抜けた特技があった。
それはメンデロスの領地がいかに素寒貧かを面白おかしく伝える才能だった。
どこまでも丘、風車、草原が続く街道を歩きながらきく話として悪いものではなく、ちょっと噺し家を連れているみたいだった。
たとえば、メンデロスの教区司祭は七十をとっくに超えているのに読み書きができなかった。聖典も読めないし、手紙の代筆をすることで信徒たちの秘密を握ることもできない。普通の司祭のように尊敬されて、その尊敬を寄付に換金して左うちわで暮らすこともできない。老司祭はささやかな芋畑と蕪畑を耕して、自給自足で暮らしていた。ときどき教区の農民が代わりに農作業をしてやることがあった。だが、それは尊敬からではなく哀れみであった。
「もちろん、司祭さまは僕よりもいい暮らしをしていると言える」
「なんで?」
「魚が釣れる池を持っていたから、週に二回、鯉か鮒の小さいのを焼いて食べることができた。それに教会の壁にはブドウが蔓を絡ませていたから、秋には週に一回くらいブドウが食べられた」
「あなたはそれよりひどかったんですか?」
「僕の家には釣りのできる池もブドウ蔓もなかった。農民たちに悪態をつかれながら、年貢を麦の形で集め、粥かパンにして食べていた」
「召使いはいなかったんですか?」
「ひとりいたけど、こんな貧乏はもう我慢ができないと叫んで、逃げてしまった。錫食器を売り歩いている旅の商人からきいた話では、あの召使い、いや、元召使いはベンヴァナトの町でレンガを焼くための窯を三つ持っていて、いい暮らしをしているらしい」
ただの農民と違って、リズブローは領主だったから、領地の農民たちから尊敬される必要があった。尊敬されないと理由をつけて年貢をしらばっくれられ、飢え死にしてしまう。尊敬されるには食事のとき、ワインを飲み、牛肉を食べなければならなかった。
「お肉ッ」
「ほら、こっちで大人しくしてろ。干し肉やるから」
「ピリ辛味?」
「えーと、なに話してたんだっけ? ああ、そう、尊敬だ。僕はいつも天気が良かったら、家の前庭にテーブルと椅子を運んで食事する。そこでステーキと赤ワインを飲んで食べる真似をする。ステーキの正体は固くて辛くて胃が痛くなる塩漬けのラム肉だし、赤ワインは地下の樽に保存されていた三百年もののビンテージだけど、恐ろしくて渋い酢みたいな味がした。それが尊敬の味さ」
「新しい領地なら、本物のステーキと本物のワインを楽しめますよ」
「そうならいいけど、問題は僕は誰からこの土地を相続したのがわからないことなんだ」
夕暮れがやってくるころ、宿屋の旗を立てた、平屋建ての家を見つけて、そこに泊まることになった。
「悪いことは言わないから」と、宿屋の店主が言った。「管理人をお雇いなさい」
「それより、本物の牛肉のステーキと本物の赤ワインをくれないか」
クルトは宿屋のホールのような部屋で椅子に座って、エルテがステーキを追加で二枚頼み、カンレルが蕪を十個グリルで焼いたものを要求するのを眺めていると、宿屋の正面のドアをノックする音がした。
「おれが出るよ」
クルトがドアを開けると、農村の村長だという男が帽子をとって待っていて、領主さまはいらっしゃいますか?とたずねてきた。
「羊の放牧地のことでご相談がありまして」
リズブローは快く玄関にあらわれて、全てそっちのいいようにしてくれといい、そして、自分は本物のステーキと本物の赤ワインをたしなむことをさりげなく伝えて、領主としての尊敬を稼ぐことも忘れなかった。
もっともクルトは村長が小首をかしげながら、「塩漬けの羊肉を食ってても、領主さまは領主さまだべ」とつぶやいているのをきいたのだが。
さて、ステーキが出てきたが、こんなに肉が分厚過ぎて何かの間違いじゃないかとたずねたが、倍の厚さの肉がエルテのもとにバターつきでやってきたのを見て、ステーキとはそもそも厚いことが当たり前なのだということを知ることになった。
「ワインって酢じゃないんだね」さらにリズブローは驚いた。「僕が今まで飲んでいたのは何だったんだろう? 渋くて酸っぱくて」
「健康にはいいかもしれない」
「なら、僕は一生不健康に生きるよ。さて、じゃあ、いただきま――」
トントントン。
また、ドアがノックされる。
「ちょうどいい。領民たちに僕が本物のステーキと本物の赤ワインをいただこうとしているところをしっかり見てもらおう」
リズブローは柱にかけられた、金属を平らに打ったデコボコだらけの鏡で髪型と髭の形を整え、本人が尊敬に値するとと思っている表情をつくった。それはかつてカンレルによってボコボコにされたフクロウの像に似ていた。
「おほん。では、皆の衆。領主さまのご登場だ」
勢いよくドアを開けて、リズブローは後悔した。
陳情者はひとりではない。ドアからずっと街道のほうへ列が伸び、遠い地平のほうでは並びながら、食事を温めようとしたものたちの熾した火が点々と夜空のすぐ下に落ちていた。
リズブローはいい領主だった。全員の陳情をきいたのだから。
最後の陳情者は狩猟に使えるキツネを育てて売っている男で、うちで生まれたキツネの赤ちゃんを祝福してくれと言われ、おめでとーっ、と叫びながら倒れたころには夜が明けていた。
疲れ果てて物を食べるために起き上がる気力もなかったし、そもそも彼のステーキは、お肉を放置して冷たく固くするのは万死に値するという価値観のもと、エルテに食べられていた。
ワインもなくなっていたが、店主もカンレルもエルテも飲んだのは自分ではないと否定した。
当然だ、飲んだのはクルトなのだから。
明日から更新時間を午前7時10分ごろに変更いたします。
ご迷惑おかけいたしますが、よろしくお願いいたします。




