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14.草原の人びと

 この世界では国じゅうを旅するものは限られている。

 行商人。旅の音楽家。勇者。

 農村の住人はほとんどが自分の村と畑を離れることはなく、旅といえば、隣の村の花嫁を迎えに行くそれだけだったというものも少なくないのだ。

 クルトたちもそれと似たようなもので、生まれた場所と王都ルィダー以外を知っているわけではない。

 だから、特に行先も考えない旅に出ると、予想もしなかったものに会うこともある。

 三人が学院を去ってから一週間後、麦畑の点在する草原の街道を歩いていたら、馬に拍車をきかせて、全速力で三人を追い抜いた男がいた。クルトとエルテは動体視力が優れていたので見えたのだが、その男は口髭をたくわえているがまだ若く、細面だが、なかなか整った顔をしている。着ているものは華やかには程遠いが、清潔感があってきちんと仕立てられていた。

 だが、何より特徴的なのはその脇に抱えた、書類の束だった。二枚の頑丈な革に挟んで、ギチギチになるまで十字に縛り上げたその、塊みたいな書類束を落っことさないよう、ぐいっと脇腹に押しつけて、猛然と馬で駆けていたのだ。

「着替えて家を出たら、パンツが破けてるのに気づいて帰る途中だな」と、カンレル。

「じゃあ、書類束は何?」エルテがたずねる。

「非常食じゃねえの? おれのいた町でインクを飲んで生きてるやつがいた」

 そう言いながら、カンレルは野生のセロリをがりがり噛んでいた。

 しばらく歩いていると、さっきの男がまた猛烈な勢いで馬で駆けてきて、三人を跳ね飛ばすくらいの勢いですれ違った。

 あれこれ、想像をめぐらせて歩いていると、小川をまたぐ橋があって、その橋のたもとの石の上に年老いた農夫が座って、粘土でつくった白いパイプを吹かしていた。

 農夫にあの騎手のことをたずねると、

「ありゃ、新しい領主さまだよ。最近、遺産として、このあたりの土地を相続したんだが、広すぎて、ああでもしないと、おさめきれないんだよ」

「何人か管理人を雇ったほうがいいんじゃないか?」

「わしもそう思うがね、忠告しようにもあっという間に行っちまうから、どうしようもないさ」

「領主屋敷は?」

「相続してから一度も入ってないんじゃないかな」

 こうして新しいこの地の領主は土地から土地へ走りまわりながら、『カメル村のこぶのある牛をヴァルグンの肉屋に三頭売り払い、代金は十二枚の金貨と四十三枚の銀貨、それに肥えた七面鳥十羽で受け取った』取引の書類を書類の塊に突っ込み、『ブッシュロッド粉ひき場の水車の修理費について、もっと低価格で請け負う大工がケトリ村にいるから至急値段交渉をする』というメモをピンで上着に止めていた。

 クルトたちも見切れなかったのだが、この領主はさほど重要ではないメモ書きはピンに刺して、自分の服に止めていたのだ。

「カネがあるからって人間幸せになれない見本だな」

「だが、馬で駆けるのが好きなら悪くない暮らしだ」

 小川を越えると、まだ草原が続く。近景には野生の麻の茂みから顔を出した守り神の石像、遠景には丘の上に並ぶ七基の風車(その羽根の動きはカンレル曰く、喧嘩がダメなやつがよく腕をふりまわすがあれに似ているとのことだった)、青空を仰げば、宙で凍りついたように動かない渡り鳥の群れが見え、池から池へと流れてわたる涼しい風には甘酸っぱいブドウのにおいがした。

 ある農家でひとり暮らしている老婆が親切に泊めてくれ、食事もふるまってくれた。それにこたえようと、どこか体調で困っていることはないかとたずねると、秋ごろの過ごしやすい日に限って、腕と肩がしくしく痛むという。

 カンレルとふたりで腕と肩の痛みを抑えるのに必要な薬草や種を考えていると、

「クルト。こっちに来て」

 と、エルテに呼ばれて、裏庭に出た。

 家の裏口は木陰になっていて、そこから水路沿いの柵までの小さな裏庭には薬草が繁茂していた。

 赤い火焔型の花をつけるカロリス、根が鎮咳薬の材料になるフェルラが小さな花の絨毯を敷き、火傷膏薬に使えるサルヴェリカ種のセージは石を埋めてつくった小道のあいだで遠慮なく薄紫の花を咲かせている。そして、癒光による外傷治療を大いに助けるルミナリス草が昼でもわかる薄い光を羽毛のようにまとっている。

 ちょっとした薬草園がまったく自然なまま、丈を伸ばし、花をさかせ、種を生んでいた。

 その老婆は隣の村から嫁入りしたときから、その家に住んでいたのに、裏庭が薬草の宝庫であることを六十年間、知らなかった。

 クルトはフェルラを土から抜いて、泥を落とし、その根を少しゆでてから、カンレルにたずねた。

「煮てすり潰したフェルラの根は咳止めになるけど、これで体の節の痛みを取れる。さて、どうやってでしょう?」

「ゲッ、試験から逃げられると思ったのによ。いや、待て。もう、ここまで来てる。たぶん――」

「ラードを膏薬の基剤にしてまぜる」

 エルテがこたえ、ふんす、と小さく威張った。肉関連のことでは誰にも後れを取らないというプライドがあるみたいだ。

 エルテが老婆にたずねると、老婆は羊の脂ならあると言った。

 それをつぶしたフェルラの根と念入りに混ぜ込んで塗り薬をつくると壺に入れ、冷たい場所に保存して、痛んだら塗ってくださいとわたした。

「それと、裏庭の薬草をリストにしますね。なにか困ってもすぐに使えます」

「わしゃ、字が読めんだよ」

 クルトは薬草を簡単にスケッチして、人型を描き、頭、腕、腰など効果のあるところを塗りつぶした。

「咳はどう描けばですか?」

「ロバを描いておいてくれな。昔、飼ってたロバが変なロバで咳をするみたいに鳴いたんだよ」


 また草原を歩いていると、例の領主がクルトたちを追い抜いていった。

 最初に見てから三日は経つが、まだここは彼の領地なのだ。

 歩きながら、三人で薬草しりとりをして、カンレルが無数の強さを誇った。エルテがお肉に強いように、カンレルはお野菜に強い。薬草も野菜の一種ではないかと思い始めてから、カンレルは大いなる飛躍をしたのだ。

 なにせ、カンレルは丈夫な体のために、と、毎朝、野菜ジュースを飲むのだが、八百屋のない野宿した日でも、そこいらへんの茂みから野生のニンジンやその他よく名前がわからないほうれん草みたいな草を、ブリキの缶に入れて、すり潰したものをスプーンで掻きこむ。そのあまりにも草すぎる代物を見ていると、クルトとエルテは顔を蒼くせずにはいられなかった。

「苦くないのか?」

「苦いが、こうパワーを食ってるって気がしてくる。食うか?」

「遠慮しておく」

「ちっこいのは?」

「ちっこいってわたしに言ってる?」

「おうよ!」

「そう元気よく返事されたら怒る気が失せる」

「食うか? でかくなれるぞ」

「結構です。わたしはお肉で大きくなる予定です」

 そのとき、見覚えのある馬が道端でアルファルファの茂みに頭を突っ込んで、一心不乱にむしゃむしゃしていた。だが、持主は乗っていない。つけっぱなしの鞍には書類を詰め込んだ革の箱がベルトで固定されていた。

「落馬して死んだんじゃねえの?」

「もし、見つけた治療しよう」

 しばらく歩くと、今度は少し大きな箱馬車を見つけた。ルィダーだったら、中古の馬車市場で買い叩かれそうな古くさくて、傷だらけの代物だった。

 ただ、そんな馬車でも持主は愛着があるのかもしれない。

 というのも、馭者席に座っていた男が――山賊というよりは都市部のやくざな剣士風の腰を絞った上衣――剣を抜いて、地に飛び降り、

「悪いが、見られた以上は生かしておけない」

 そういうと、今度は馬車のなかから剣士たちが数人あらわれて、左右に展開して剣を抜いた。

「カンレルが余計なものを見たのよ」

「はぁ!? おれじゃねえよ! だいたいなんも見てねえし!」

「じゃあ、クルト?」

「おれも見ていない。なあ、何かの間違いじゃないか?」

 左から肩を切り落とそうと狙う刃をくぐると、クルトは前に踏み出した相手の足首を蹴った。そして、体勢が崩れたところで、ちょうどいい場所にむき出しになったうなじがあったので、遠慮なく手刀を打ち込んだ。

 刺客のひとりは虫歯に悩んでいたが、カンレルの拳から発せられる癒光でそれをなおし、そして十分の一秒後に拳本体がぶつかって、治ったばかりの歯が口から吹き飛んだ。

 こうして全部で七人の剣士を倒して、後ろ手に縛りあげると、クルトが馬車のドアを開けた。

 粗末な赤い革張りの椅子のあいだに、例の領主がうつ伏せに倒れていた。

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