12.流れ星
跳ね上がるように起きた。
息が上がって、震えていた。
嫌な汗をかく代わりに、肌が粟立ち、寒気を覚えた。
手で顔を抑えた。
治りたくない。
あれが夢であってくれれば。
だが、夢ではない。
本物の言葉。本物の恐怖。そして、本物の絶望だった。
「クルト?」
母親の声がして、慌てて、首をふる。
「なに、母さん?」チョッキのボタンを閉じながらたずねる。
「もうすぐお父さんが帰ってくるけど、まだ寝てる?」
「いや。もう降りるよ。ちょっと待ってて」
フロレントはもう玄関で長靴の泥を落としているところだった。クルトを見ると、顔をほころばせ、
「大きくなったか?」
「わたしもそう思うんだけど」
「だから、たった九か月だよ」
九か月ぶりに三人で食卓を囲む。
炒めたベーコンと玉ねぎの上に半熟の目玉焼き。レモンを添えた鱒のムニエル。小皿には酢漬け野菜。ひよこ豆のスープは、濃い味は疲れをとって明日への活力を生むというユーアの調理思想に基づいて、こってりしていて、家に帰ってきたとこの味で実感できる。
「あなたの好きなハッシュドポテトも焼いたから。おかわりもあるわよ」
「ありがとう、母さん」
いろいろなことを話した。王都のこと、寮のこと、殴りながら人を癒すカンレル、嫌味なやつが一転して尊敬されまくっているスーエン、ストリツエン先生の授業はいつだって新しい治療との出会いで、ミティノー先生は前科はないけど、騎士判事から社会奉仕百二十時間を命じられたことがあること。そして、エルテをめぐる冒険。
全てが素晴らしかった。
どんな話をしても、両親は喜んでくれる。
だから、辛かった。
「おれは……学校をやめるつもりなんだ」
決意を口にすることは。
「おれたちは助けるために癒したんじゃない。死なせるために癒したんだ。ある兵士の左手の指が全部ちぎれたことがあった。おれは癒光で元通りにした。その兵士はおれに毒ついた。負傷除隊をするためにわざと切り落としたんだ。その兵士は三日後に戦死した。おれが指を元通りにしなかったら、死ななかった。戦闘が激化して、おれたちの治療所にも次々と負傷兵がやってきた。みんな言うんだ。治さないでくれって。治さなかったら死ぬぞって言ったら、死んだほうがマシだって言うんだ。治療所は三つあって、負傷の程度によって、担ぎ込まれるテントが決まっていた。おれたちのテントは重傷者で、癒光で回復させれば、すぐに戦線に戻せる兵士たちだった。ある兵士はおれの目の前で回復しつつあった自分の足をノコギリで切り落とした。狂ったようにノコギリを引いて、切り落としたんだ。そして、おれにすがった。『足をつけないでくれ』って。『あそこに戻さないでくれ』って」
両親の顔を見ることができなかった。
「王立療術学校はすごい設備だよ。錬金術学校や魔法学校よりも充実している。でも、それは戦争のためだ。そうだよね。おれたちはたとえ真っ二つになった兵士だって、元に戻せる。それなら、王国は療術士の育成に本気になる。当然だよ」
「あなたは大丈夫だったの? 消耗は?」
「うん。した。倒れたけど、すぐに起きた。すごい辛かったし、立ってるのでやっとだけど、でも、おれたちは絶対に死なせたくなかった。でも、それは身勝手な話だよ。だって、おれが治したら……戦場に戻るのにさ。おれたちのテントの外には指揮官がいて、その指揮官がトリアージっていうのかな、担ぎ込まれた兵士を治療させるかどうかを決めてた。エルテって子がいて――」
「手紙にあった、お前が暗殺者ギルドから救った子だな」
「うん。そいつが数えたんだ。外で治療されずに放っておかれた兵士は十人中六人が死ぬ。おれたちが治療した兵士たちは十人のうち、九人が戻った戦場で死ぬ。それで助かったひとりだけど、心が壊れる。だって、死ぬほどの大けがをして、それが完璧に治っても、心の傷は治ってない。死に直面した恐怖はそのまま、戦場に戻されるんだ。でも、じゃあ、心を治す方法があったら? 恐怖を微塵も感じず、喜んで死んでいくだけだ。……おれたちのしたことには何の意味もなかったんだ」
「クルト、お前は何がしたい?」
「イヴを探したい。旅をして、その先でもっとたくさんの人を癒したい。ただ、どうやるか、路銀を稼ぐ方法を考えてる。漠然とした目的はあるけど、具体的な方法が――」
「方法は後からついてくる。大切なのは最初に思ったことだ。イヴ、という女性は、きっとお前が生きる道しるべになるんだと、父さんは思う。ストリツエン先生はお前に祈りを託したのかもしれない」
「……祈り?」
「療術では救えない人びとのための祈り。ひとりでも多くを救おうとした挫折者たちのための祈り。お前が経験したことは普通なら立ち上がれないような出来事だった。でも、お前は折れなかった。それで祈りの半分が叶った。残りはどうなるかわからない。この世界には人を傷つけてでも、何かを成し遂げようとする人間が多すぎる。全てが崩れた波となってお前に襲いかかるかもしれない。でも、クルト。全てが失われて、常識すら敵にまわっても、それでもお前は誰かを助けようとすることができる。その思いだけは絶対に奪えない。もちろん、成功を約束できない。敗北するかもしれない。だが、どんな敗北をしても、もう一度戦って勝つ時間はある。今だって、お前は打ちのめされても、学校をやめてでも、お前は一人でも多くを救いたいと思っている。なら、行きなさい」
「クルト」
ユーアが言う。
「お母さんは、お父さんみたいにうまく言えないけど。でも、約束して。どんなときでも、ちゃんとご飯は食べてね」
「うん」
「誰かを救うことができたら、きちんと休むのよ」
「うん」
「それで――旅先でイヴさんに出会えたら、よろしく伝えてね。あなたが生まれる前から愛していたなんて、お母さんちょっと嫉妬しちゃうけど、素晴らしい人だって、わかってるから」
その夜、マウリッツ村の夜空にかかった星がひとつ、涙色に流れ落ちた。




