11.砲火
そこは植物のない世界だった。
たいていの植物は兵士たちが焚火にするためにとっていて、あとは大砲がなぎ倒していた。
炎を放つ魔法使いがいれば、カンレルは殴れる。たどれる殺気があれば、エルテが見つける。
だが、はるか彼方から大砲が放つ砲弾が当たるかどうかは運しかない。
轟音。焼け焦げた土が間欠泉のように高く舞い上がる。
「こっちだ、クルト!」
カンレルの声。壁が二枚残っただけの、建物の残骸がある。
カンレルとエルテ、それにスーエンはそこにいた。
クルトは立ち上がり、口のなかの土を吐き、足を踏み外して、穴に転がり落ちた。
砲弾の爆発が作った穴だ。
爆音。熱く焦げた土が雨のように降ってくる。
「くそっ」
建物の梁からよじ登り、穴を這い出る。
穴の向こうにはまた黒く焦げた穴が奈落へ口を開けている。
ときどき、空に足をかけそうになる。空も地も焦げている。
黒雲の隙間から青空が見える。
「いまは、夜じゃなかったのか?」
クルト!
襟をつかまれて、強引に引きずられて、窓が根こそぎになった壁に押しつけられた。
「来る、伏せろ!」
スーエンが叫び、手当てしている兵士の上にかばうようにかぶさった。
衝撃が光とやってくる。ものが震えて、二つに分かれる。オレンジに燃える柱が噴き上がり、死んだ馬が燃えながらバラバラに砕ける。
「療術士! 手当を頼む!」
ふたつに分かれた知覚がひとつに戻る。赤い外套の小隊長がカンレルの前に負傷兵を投げ出した。
「クロスボウを腕に食らった――」
「いてえ! いてえよ、隊長! おれの腕、どうなって――」
「まだ、ついてる! 落ち着け!」
クルトは膝立ちになり、傷を確かめた。
クロスボウの矢が二の腕に刺さっている。腕の裏を見る――矢じりは?――くそっ、貫通していない。
やることは決まった。
「おさえてくれ!」
わかった!と小隊長が言い、腕と膝で負傷兵をがっちりと押さえ込む。
負傷兵の袖をハサミで切る。
腕から流れる血を布で拭い、ナイフを取り出すと、クロスボウの羽根を全てそぎ落とした。
「いてえ! いてえよ、ちきしょう!」
「大丈夫だ、すぐに終わる!」
クルトは剃刀のように研いだナイフで、矢の軸を傷から指三本分だけ残して切り落とすと、小型ハンマーを取り出し、釘を打つ要領でハンマーを矢の軸に叩き込んだ。
負傷兵が叫んだ。言葉というよりは咆哮だった。
小隊長は必死に負傷兵にのしかかり、処置が見えないよう、目を手で覆っている。
もう一度叩くと、クルトの顔に血が飛んで、腕の裏から矢じりが肉を裂いて飛び出した。
思った通り、返しが大きく、抜くのは無理なものだ。だが、矢じりを残したまま、傷を塞げば、三日後に壊疽を起こす。
ペンチで矢じりをしっかりつかんで引くと、ずるっと矢軸の残りが血まみれになって、あらわれる。
腕の表と裏にできた穴にしっかり左右の手を抑え、療光をまるで塩でも擦り込むように押し当てた。
傷はふさがったが、内部の傷は完全には治っていない。
「下手に動かすと塞いだ傷が破れる」
クルトはそう言って、手帳を破り、『出血止、異物除去済、安静』と書きなぐって、負傷兵の服にピンでとめた。負傷兵はもうずっと前から気を失っていた。
「担架兵! 野戦病院へ運んでくれ!」
また爆音がして、地面が緩い水のように揺れた。
「礼を言う、療術士。――よし、残存小隊はここに集まれ! やつらの大砲にもう一度食らわせるぞ!」
クロスボウ小隊は廃墟の影から立ち上がり、顔を蒼くして前進を開始した。彼らの目の先では黒く沸騰する大地が広がっている。
「クルトくん」スーエンが声を上げる。「補助を頼む!」
クルトが立ち上がり、もうひとつの廃墟へ行くと、壁の残骸に帆布を張った簡単な処置所に意識不明の負傷兵がが倒れていた。
原因は右額の上に深く刺さった鋭く薄い砲弾の欠片だった。
「これはもうだめだ」
「できるよ。アルコールランプを」
クルトは火打石を打ってつけた硫黄の火を真鍮製のアルコールランプに移した。
そして、三本の焼灼鏝を用意して、交代に先端を火であぶった。
そのあいだ、スーエンは怪我人の頭部の髪を刈っている。
「これだけ刈ればいい。お願いするよ」
清潔な布を四枚用意して、横たわる怪我人を挟む形でスーエンと向かい合う。スーエンはメスを手にして、刺さった鉄片を中心にH型に切り目を入れた。
クルトは二本のピンセットで切り目の入った頭皮をつかみ、左右にゆっくりと引っ張った。頭皮が開く。すぐに血がほとばしったが、布に血を吸わせると、砲弾片がギリギリ頭蓋で止まっているのが見えた。
これ以上、頭蓋に傷をつけないよう、ペンチでそっと金属片を取り出すと、それを木製の盆に置いてから、魔法生物学からつくられた擬皮の小さな欠片を傷ついた頭蓋骨にそっと置く。
すぐ、クルトがあらかじめ熱して置いた焼灼鏝で擬皮の縁をあぶって焼きつけ、それからクルトは切った頭皮をゆっくり元のように戻していく。
「後は療術と縫合だけだ。礼を言うよ、クルトくん」
エルテが駆けてきた。「担架兵が来た。三組。今すぐ送り返したい怪我人をしていして」
それぞれが書きなぐってピンで止めたメモを見て、野戦病院へ送らせる負傷者を三人決める。
そのあいだも砲弾が炸裂し、人間はバラバラに吹っ飛び、黒い土と水が耕され、煤と煙が青い空を食い尽くしていた。火はどこにでもあった。壊れた砲座が燃えていることもあれば、防御用の溝が燃える川を作っていることもあった。竜を模した戦車が砲弾穴にはまり込んで、口から火を吹いている。
そして、助けきれなかった人びと。
誰も黒焦げになり、手足を曲げて、ボールのような形に縮んでいる。
いま、クルトたちが隠れている廃墟は最前線で一番使える包帯所として機能していた。騎兵、槍兵、砲兵がえぐられ、貫かれ、吹き飛ばされて、連れてこられ、クルトたちは知識と精神の全てをなげうって治療を続けた。
複雑骨折に療術を使うと倒れそうになった。療術を使わずとも治療できるかどうかを判断して、使えるリソースを常に考えないといけなかった。クルトが疲弊して倒れても、戦場は手足を吹き飛ばし続けるのだ。
気づけば、廃墟は怪我人であふれている。
「残念だけど、もう死んでいる」
運んできた兵士にそう言わなければいけないときが辛かった。
そういうとき、たいていは弟を運んできた兄だった。
「あそこだ! ふたりいる!」
カンレルの声。
クルトは崩れた石組みの上に上り、壊れた窓枠からカンレルの指差すほうを見た。
距離にして二百ヤード先。何の遮蔽物もない、草も土もめくれた泥のなか。死体が何体も転がっている。そこにふたりが弱弱しく手をあげていた。
「担架兵は?」
「砲撃が激しすぎて行きたがらない。おれがふたり担ぐから、お前とスーエンで治療しながらついてきてくれ」
「わかった。スーエン、きてくれ! エルテ! ここを頼む。できるだけはやく戻るから!」
クルトたち三人は臨時包帯所となった廃墟の影から西側へ飛び出した。
そこにはかつてここに村があったころの並木道が名残となって残っていた。幹は全て吹き飛ばされていたが、それでもかがめば弾除けにはなる。
ヒュウウゥゥ!
甲高い落下音――クルトたちを目視して狙って撃ってきた弾だ。
三人は近くの壁の陰に飛び込んだ。
ズッバアアアアアアン!
地面も壁も揺れた。枠だけ残った椅子の残骸がバラバラになった。クルトの胸のなかにある心臓、そして、それを満たす血液まで揺れて、意識を手放しかけた。バサバサと本が落ちてきて、頭に当たり、意識を何とか取り戻すと、一枚残った壁にぴたりと立っている棚が目に入った。
法学の本だった。おそらく農民相手の公証や届け出など、様々な手続きを請け負っていたのだろう。
落ちてきた本には『条約 基本論』と銀箔で文字を入れた立派な革表紙の本もあった。
「条約、か」
スーエンが暗い顔でつぶやく。
三人ともルィダー王立療術学校の制服を着ていて、陸戦条約ではこの制服を着るものは中立扱いとなり攻撃から外されることになっていた。だが、三人ともさんざん泥と煤を浴びて、制服の赤は黒く汚れて、見た目では療術士とわからない。
それにわかったとして、実際に条約が守られるかは怪しい。
「行こう」クルトが励ます。「ふたり助けて命の恩人風吹かせて、野戦病院でコーヒーを一杯だ」
スーエンがきょとんとしたが、すぐに苦笑して立ち上がった。
「その通りだ。条約があてにならないなら、僕らが自分で切り開けばいいだけのことじゃないか」
カンレルが先に行き、ふたりが後についていき、岩やクレーターを使って身を隠しながら、進む。
「突撃ーっ!」
突然、地面から味方のマクランド王国兵が湧きだした。トンネルを掘って、そこから飛び出したのだ。
砲弾が降るなか、ハルバードを手にした隊長、旗を持った副隊長を先頭にクロスボウを手にした歩兵がそれに続く。二百人以上の兵士――このうち、何人を助けられるのか。
「暗いこと、考えんな。いまは目の前の救える命だ」
「――ああ。そうだな」
やっとふたりの負傷兵のもとにたどり着く。どちらも怪我は足で、ひとりはクロスボウ、ひとりは剣による裂傷だった。
すぐにカンレルがふたりを左右の肩で担ぎ上げ、クルトは左の肩に担われた剣の傷を、スーエンは右の肩のクロスボウの傷を見る。
スーエンの怪我人はクロスボウが串刺しになっていたので、すぐに矢じりを切り落とし、矢を抜けた。すぐに癒光で傷を塞げたが、クルトのほうは思ったより傷が深く、カンレルの肩の上で揺れる傷のなかへ鉗子を的確に差し込み、血管をつままなければいけない。
スーエンが何か叫んだ。
なにか、道の外れのくぼ地を指差している。
「生存者がいる!」
クルトは負傷兵の開いた肉から目を離せなかった。
「僕が行ってくる!」
「だめだ! 行くな!」カンレルが叫んだ。
「こっちはもう大丈夫だ。彼も助けられるんだ!」
スーエンは自分の怪我人にメモをピンで止めると、走っていった。
そのとき、あの音が――ヒュウウウウウ!――目視して撃っている音が甲高く泣き喚いた。
白と赤の閃光と震える音。熱い土の雨が降った。
スーエンのいたはずのくぼ地で煤が渦を巻きながら、炎の先へと投げつけられていた。
「スーエンが!」クルトが叫ぶ。
「わかってる! わかってるけど、……くそ! 進まなきゃいけねえんだ!」
それはわかっていた。自分の負傷者は決して離れられる状態ではない。止血が時間との勝負で、肉のなかに残った金属片を見失うことも許されなかった。クルトの手は片からかけた医療カバンからリンメル氏薬液につけたコットンを取り出して、それを患部に押しつけながら全ての鉗子を引き抜いた。
爆風にあおられる。鉗子を三本取り落した。清潔な鉗子はあと何本残っている?
右手で癒光をためて、傷の下部からゆっくり塞ぎながら、コットンをそれにあわせて、ゆっくりと引き抜く。剣による裂傷には紫の、漿液がにじむミミズ腫れに変わっていた。
ここまでやれば――野戦病院に送れれば間違いなく助かる!
メモをちぎり〈癒光、生存、強〉と書きつけ、ピンで止める。
気づけば、もう廃墟の包帯所についていた。
「このふたりはまだ治療が必要だ」
クルトはそう言いながら、担架に乗せられたふたりのために書付をして服にピンでとめた。
「カンレル、こっちについてくれ。おれはスーエンを探しに行く」
「いや、おれがいく。スーエンが怪我してたら、負傷兵とふたり担ぐんだぞ。おれが行く。クルトがそいつらについていけ」
「……死ぬなよ、カンレル」
「あたぼうよ」
クルトは自分がたったいま助けた患者の手を握る。
「大丈夫だ。これで治る。すぐに歩けるようになる」
「……で、くれ」
「え?」
患者のかすれ声。
「治さないでくれ! いやだ、おれは治りたくない!」




