9.実戦実習へ
秋の風が木の葉の顔を赤くほてらせた。
夏のあいだは魔法使いのつくった氷で冷やした蒸留酒のうまさを褒めたたえた人びとの心に、お湯で葡萄酒を割るありがたみが思い出され、その一方で油であえたラディッシュにサワークリームを添えたつまみがちょうど旬になっていた。もちろん健啖家のためにオックステールの煮込みの名が料理屋の〈本日のおすすめ〉黒板に荒っぽく綴られ、久しぶりに会う友人や四人連れの家族、十月に帳簿を締めた両替商が舌鼓を打った。
学校ではちょうど試験にいじめられる秋が過ぎた。
いくつかの科目がより実践的なものになっていき、学校側の卒業後、即役に立つ人材を育てようとする意図が強く感じられた。
そして――、
「ぎゃーっ、クルトさま、エルテさま、おれに勉強を教えてくれーっ」
カンレルの追試のように変わらないものもあれば、
「クルトくん! 何か不便なことはないかな? あったら、何でも僕に言ってくれたまえ!」
スーエンのように変わったものもある。
あの一件以来、スーエンのなかでクルトは生きる伝説になった。
スーエンはいじめグループの中心人物であり、彼の取り巻きは彼の態度が百八十度変わったことに戸惑ったが、かつてのイヤミ野郎はクルト親衛隊の一員になった(そういう組織があるという事実はないのだが)。
「なんだよ、喧嘩のタネがひとつなくなっちまった」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ。溶剤蒸発公式は覚えたのか?」
エルテは冬は肉の季節だと言う。
寒くなる季節に備えて、牛や豚が脂肪を蓄える素晴らしい季節だと言うのだ。
「だから……スペアリブを見る目を養っておかないといけません……」
「肉なんて、どこを食っても同じだろ? ――なんだよ、その『こいつ分かってねえな』って目は」
「スペアリブはその年、その年で違うのです。ほうれん草と一緒にしないでください……」
「はぁ~? お前、ほうれん草を分かってねえ。産地、時期、茹で方でほうれん草ってのは――」
薬草庭園のそばに机が置かれていて、クルトとエルテがカンレルの勉強を見ていた。カンレルは目を離すと、枯れ葉で卵を割る音の完全再現をしようとするなど、現実逃避するので、ふたりがかりで逃げてしまわないよう見張らなければいけなかった。
「もうじき、実戦実習があるってのに」
「実戦実習?」
「……掲示板を見ていないんですか?」
「見てねえ」
実戦実習。この世界のどこかでは戦争が起きている。そこには大勢の怪我人が出ていて、療術士の到来を待っている。王立療術学校では毎年、特に優れた生徒四名をその戦場に送る。療術学校は学んだことがそのまま誰かの運命を救い出すことに直結する。一年生たちは戦場での医療行為で称賛を受ける自分の姿を夢想して、いっぱしの大人に肩を並べる心の準備に忙しい。
「カンレルは選ばれないと思います……」
「はぁ? なんで?」
「カンレルは自分が戦争に参加するから……」
「そりゃあ、まあ、あり得るかもしれんな。戦争と喧嘩は違うが、でも、売られたら買うぜ」
「だから、カンレルは選ばれない……」
ん? と、クルトが耳を立てた。
「なんだ、どうした?」
「スーエンが来る。悪いが、おれは一時的に姿を消すぞ」
「いけすかねえころのほうがずっとよかったってか?」
「悪意がないのは分かるが、しつこいのも困りものだ」
クルトは菜園を囲む屋根付き回廊を学舎のほうへ足早に移動した。魔法学研究所のそばの並木道へ。
「ここまで来れば、大丈夫だろう――たぶん」
無骨な石の長椅子に腰かける。
風で転がる枯れ葉の渇いた音がきこえる。薬剤室でポーションが沸いているらしく、ハッカのような鼻に抜けるにおいがした。
ぼーっ、としてみる。人間、たまにはこうやって、何も考えない時間が必要だ。自分の内側に籠って、鍵をかけておくようなものだ。
しばらく意識が飛んでいて、気づいたときにはストリツエン先生が隣に座っていた。
「あ」
「やあ、気づいたかね」
「すいません。ちょっと、ぼーっとしていました」
「うん。きみは自分に籠っていたのかな?」
「はい。一番しっかり休む方法なんです」
「分かるよ。わたしもよくそうやって自分のなかに鍵をかけて、休む。ただ、わたしの場合、こういう時間にはプラスして酒を用意する。強い酒なら意識が自分の内側へ滑り落ちて次の日まで這い上がれないことだってある」
「二日酔いですね」
「そういう言い方もある」
「……あの」
「なにかな?」
「先生はご自身がどのくらいの人たちを助けられると思いますか」
「ずいぶんと突っ込んだ質問だね。何かあったのかな?」
「いえ。特に」
「きみは自分の術を一刻も早く役に立てたい、そうだね」
「はい……」
「……実戦実習だが、派遣する生徒が決まったよ。カンレル、エルテ、スーエン、そして、きみだ」
「本当ですか?」
「うん。本当だ。出発は来週だ」
「ずいぶん急ですね」
「戦況は思ったよりもよくないらしい。マクランド王国は押されている。同盟を結んでいる我が国としてはこのままではいけないと思っているのだが、自分で戦争はしたくない。そこで、きみたちが派遣されるわけだ。……嬉しそうだね」
「はい。自分の力で誰かを助けられるなら――」
「クルトくん。きみはいい生徒だ。まっすぐで、それでいて影がある。その影が、きみの、ひとりでも多くの人びとを助けたいという強い意志を現実的な側面から支えてくれる。ただ――」
「ただ?」
「癒光では癒せないことがある」
「え?」
ストリツエンは立ち上がり、ズボンの塵を払った。
「戦争から帰ったら、二週間休みなさい。そして、一度、家に戻りなさい」
「どうしてですか?」
「それが絶対に必要になるからだ」




