第十章 ぬくもりの冬 前編
十二月。
朝の団地は、吐く息が白くなるほど冷え込んでいた。
ベランダのプランターには霜が降り、小松菜の葉っぱが白く縁取られている。
恵子はマフラーを首に巻きながら、窓を開けた。
「寒っ。」
そう言いながらも、冬の空を見上げる顔はどこか楽しそうだった。
「冬の空って、きれいなんだよね。」
雲ひとつない青空が、どこまでも広がっている。
その時だった。
玄関のチャイムが鳴る。
ピンポーン。
「恵子さーん!」
「はいはい。」
扉を開けると、真っ赤なニット帽をかぶった麦人が立っていた。
「むーさん、いらっしゃい。」
「寒いねぇ!」
鼻を赤くしながら笑う麦人を見て、恵子もつられて笑った。
「入って入って。あったかいお茶入れるよ。」
◇
部屋の中では、ストーブの上でやかんが小さな音を立てていた。
しゅん、しゅん、と湯気が立ちのぼる。
「この音、好き。」
麦人がストーブの前で手を温める。
「冬の音だね。」
恵子は湯飲みに温かいほうじ茶を注いだ。
「はい。」
「ありがとう。」
一口飲むと、体の中までぽかぽかしてくる。
「恵子さん。」
「ん?」
「冬って何にもない季節だと思ってた。」
「そう?」
「花も少ないし。」
恵子は窓の外を指さした。
「よく見て。」
麦人が目を凝らす。
サザンカの赤い花が、寒さの中で咲いていた。
「あっ。」
「寒いからこそ咲く花もあるんだよ。」
「知らなかった。」
「人も同じかもしれないね。」
「え?」
「つらい時だから見つかるものもあるんじゃないかな。」
麦人は静かにうなずいた。
◇
昼過ぎ。
二人は商店街へ買い物に出かけた。
年末が近づき、八百屋も魚屋も活気にあふれている。
「こんにちは、恵子さん!」
「あら、元気?」
どこの店へ行っても、恵子は顔なじみだった。
「人気者だね。」
麦人が言う。
「長く住んでるだけ。」
「違うよ。」
「え?」
「みんな、恵子さんと話すと笑ってる。」
恵子は少し照れくさそうに笑った。
「そうだったら、うれしいね。」
◇
買い物を終えた帰り道。
商店街の入口で、一人のおじいさんが重そうな荷物を抱えて立ち止まっていた。
「大丈夫ですか?」
恵子が声をかける。
「ちょっと腰がねぇ。」
恵子は麦人を見る。
「むーさん。」
「うん!」
二人で荷物を持ち、おじいさんの家まで送ることにした。
家に着くと、おじいさんは何度も頭を下げた。
「ありがとう。本当に助かったよ。」
帰り道。
麦人が聞いた。
「恵子さん。」
「ん?」
「困ってる人って、すぐ分かるの?」
恵子は少し笑う。
「全部は分からないよ。」
「じゃあ、なんで?」
「立ち止まってる人がいたら、一回だけ気にしてみる。」
「一回だけ?」
「うん。その一回で、誰かが助かることもあるから。」
麦人はその言葉を何度も心の中で繰り返した。
◇
夕方。
団地へ戻ると、空から白いものがひらりと舞ってきた。
「雪!」
麦人が両手を広げる。
今年初めて見る雪だった。
一粒。
二粒。
やがて静かに降り始める。
「積もるかな。」
「どうかな。」
恵子は空を見上げた。
「積もっても積もらなくても、今年最初の雪には変わりないね。」
麦人も空を見上げる。
冷たい雪が頬に触れ、すっと溶けた。
「恵子さん。」
「ん?」
「冬も悪くないね。」
「でしょ。」
恵子は笑った。
「どの季節にも、その季節だけの贈り物があるんだよ。」
団地の屋根が少しずつ白く染まり始める。
その静かな景色を見ながら、二人はゆっくり家へと歩いた。
冬の足音は冷たくても、その隣には、確かなぬくもりが寄り添っていた。
――第十章 ぬくもりの冬 前編・終――




