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「華がない」と王妃を降ろされましたが、新王妃の教育係は有料です  作者: 他力本願寺


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第04話【外交官は「正妃だった方」と呼ばない】

「教導官殿」


 男は、エレオノーラをそう呼んだ。


 第四日の午前。教導室にやってきた外交局の役人たちが、もごもごと口を濁しながらエレオノーラを旧身分で呼んだ時、同席していたノルテ公国の特命外交官アドリアン・フェルスが、低く落ち着いた声でそう訂正した。


 役人たちは気まずそうに顔を見合わせた。彼らがここへ来た理由は、明日の「正式迎賓式」における二国の挨拶順について、非公式な便宜を図ってもらうためだった。


「……ですから、教導官殿。新正妃様は海邦の古い礼法にこだわっておいでですが、あれでは我がアルデインの権威が傷つきます。あなたから上手く、慣例通りに丸く収めるよう口添えしていただけませんか」


 役人の一人が、王家の内部規程を記したメモを差し出した。エレオノーラは受け取らず、アドリアンの前へ広げられるより先に口を開いた。


「お断りします。私は教導官であり、新正妃殿下のお考えを伺わず、結論だけをお約束することはできません。また、利害当事者であるノルテ公国の外交官が同席されているこの場で、公開されていない王室の内部規程を議論することは、手続きとして不適切です」


「なっ……ですが、このままでは明日の式典が」


「非公式な助言はいたしません。お持ちの内部資料は、外交局へお持ち帰りください」


 冷たく突っぱねられた役人たちは、「気が利かない元王妃だ」と捨て台詞のような視線を残して教導室を出て行った。


 彼らが去った後、室内に残ったのはエレオノーラと、補佐官のイネス、そしてアドリアンの三人だけになった。


 黒褐色の髪を持つ三十五歳の外交官は、右手の古い火傷痕を隠すように手袋をはめた手で、卓上の公開儀礼簿を指し示した。


「ご配慮に感謝します。私としても、非公式な便宜によって議事が進むことは望んでおりません。ただ、明日の式典でどちらの礼法が採用されるのか、公式な議事録の前提として確認に参りました」


 アドリアンはノルテ公国の国益を背負う当事者である。彼もまた、王宮の混乱につけ込んで裏から情報を引き出そうとはせず、公務の場での対話に留めていた。


「現在、新正妃殿下がお選びになれる選択肢を整理しているところです」


 エレオノーラはそう答え、事前にリュシアの了承を得て、典礼局が公開配付用と確認した一枚の羊皮紙を、アドリアンとイネスに見せた。


 そこには、誰の感情も交えない、純粋な『公開可能な儀礼規程』だけを基にした図解が描かれていた。海邦の礼を通した場合の利点と欠点、アルデインの礼に合わせた場合の利点と欠点。そして第三の案として、双方の礼を同じ時間、対等に並べて行う『併記案』。


「……見事な比較図です。これならば、どちらの国の顔も潰さず、かつどちらに阿ることもない。実害と文化的な慣行が、見事に整理されている」


 アドリアンは感嘆の息を漏らした。相手国を優先するわけでも、自国の権威を盲信して押し付けるわけでもなく、ただ『規則の中で何が許容されるか』を論理的に提示する。彼の視線は、三つの案の注意書きまで丁寧に追っていた。


「ですが、この図を私が直接リュシア様に押し付けることはできません。あくまで教材の一つとして提示し、選ぶのは彼女自身です」


 エレオノーラが言うと、アドリアンは頷き、持参した公式な面会記録の羊皮紙にペンを走らせた。


『明日の迎賓式に関する儀礼の選択肢(三案)について、教導官エレオノーラ殿が作成した公開資料を確認した』


 彼はそこに、自分の署名を添えた。エレオノーラが「旧王妃としての越権行為」で図を作ったのではなく、「教導官という正当な職務」として修正案を作成したのだと、他国の外交官が公式な記録に残してくれたのだ。


 肩書きを取り違えず、境界を正確に守るこの男の誠実さに、エレオノーラは密かな安堵を覚えた。


「お手数をおかけしました、フェルス特命外交官」


「いえ。正確な実務に触れることができ、有意義な時間でした。……教導官殿」


 アドリアンが礼儀正しく一礼して去った後、エレオノーラは完成した図解を典礼局のセシル経由で正式な教材として登録させ、リュシアの元へ運んだ。


 奥の教導室で図解を受け取ったリュシアは、しばらくその一枚の羊皮紙を黙って見つめていた。


 そこには「海邦の礼は野蛮だ」といった偏見は一言も書かれていない。ただ、それぞれの礼が持つ政治的な意味と、相手使節に与える影響が端的に示されているだけだった。


「……エレオノーラ様。この第三の案。双方の挨拶を並べて行うというのは、アルデインの規則でも許されているのですか?」


「はい。過去に前例は少ないですが、公開されている儀礼規程に違反するものではありません」


「なら、これを選びます」


 リュシアは琥珀色の瞳を上げ、はっきりと答えた。


「わたくしは海邦の誇りを捨てたくはありません。ですが、アルデインの正妃として他国を侮辱する気もない。両方の礼を公平に行えば、誰も恥をかかずに済みます」


 エレオノーラは小さく頷いた。彼女はただのわがままな娘ではない。提示された情報を読み解き、自分で責任を負う決断を下せるだけの知性がある。


 リュシアが併記案のための歩型の練習を始めようと立ち上がった、その時だった。


 バタン、と教導室の扉が乱暴に開かれ、国王レオナールが足音荒く入ってきた。


「リュシア、明日の挨拶の原稿だが、これを使え」


 王がリュシアの手に押し付けたのは、真っ赤なインクで激しく修正された台本だった。


 エレオノーラが横から一瞥すると、そこにはリュシアが選んだ「双方の礼」の要素は跡形もなく消し去られ、完全に「アルデインの伝統的な礼のみに統一する」という一方的な内容に書き換えられていた。


「陛下、これは……」


「アルデインの正妃となった以上、まず我が国の礼に従ったと諸侯に示すべきだ。海邦の礼は別の場で行えばよい。式の最後は、私が決める」


 レオナールはそう言い放ち、エレオノーラには目もくれずに部屋を出て行った。


 残されたリュシアの手の中で、王の赤字が入った原稿がくしゃりと音を立てた。


 明日の正式迎賓式。王の台本に従えば、迎賓側の面子は保たれるかもしれない。しかしそれは、リュシアの故郷の文化を否定し、彼女から「自分で選ぶ」という王妃の責任を奪い取る行為だった。

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