第17話【間違えたら、本人が説明する】
第二十三日の夕刻に王都を発った王妃府の支払保証書が、ベルク港に到着するのは第二十四日の夕刻の予定だった。
王都の第二十四日午前。当然ながら、現地の第一村で今夕始まるはずの配食の成否はまだ分からず、その確報が王都に届くのは翌第二十五日の夕刻となる。
成功の知らせがない空白の時間は、不安と悪意を育てるには十分すぎた。
「ガルド組合長派の者たちが、市井に噂を流しているようです。『新王妃は港の緊急輸送予算ではなく、国庫の金を横流しして故郷の商人へ回した』と」
教導室で情報整理に当たっていた補佐官のイネスが、青ざめた顔で報告した。
昨日、リュシアは二十四銀冠の支払保証書を発送した後、急ごしらえの初動説明の場で「港務局の緊急輸送予算二十四銀冠を、わたくしの判断で出しました」と言い誤ってしまっていた。
王妃に港務局の予算を動かす権限はない。その明らかな『越権行為の言質』をガルド側が突いて、国庫の自由支出だと中傷しているのだ。
教導室の空気が張り詰める中、王の広報官が足早に入室してきた。
「リュシア殿下。このままでは新正妃の威信に関わります。王妃府として、直ちに公式な弁明書を張り出さねばなりません。……エレオノーラ殿」
広報官は、当然のようにエレオノーラへ向き直った。
「かつての正妃であったあなたなら、隙のない完璧な弁明書を書けるはずだ。急ぎ、殿下の代筆をお願いしたい」
王の側近たちは、またしても都合よく『有能な元王妃』の能力を使い潰そうとしていた。
リュシアは痛ましそうに顔を歪め、すがるような目でエレオノーラを見た。自分が間違えたせいで、教導官に尻拭いをさせようとしている。その自責の念が、彼女の顔から血の気を引かせていた。
だが、エレオノーラは持っていたペンを静かに置き、広報官に向かってきっぱりと首を振った。
「代筆は契約外です。広報の担当者が書面を整えることには異存ありません。ただ、昨日の言い誤りは、殿下にもご確認いただく必要があります」
「なっ、教導官の分際で王妃を見捨てる気か!」
「見捨てはしません。内容を理解しないまま原稿だけを読めば、問い返された時に同じことが起きます」
広報官に会見の手配を戻した後、エレオノーラは震えているリュシアへ向き直った。
「リュシア様。間違えたら、本人がご自身の口で説明するしかありません。言い訳も、他人のせいにするのも禁物です」
「ですが、わたくしがまた間違えれば……今度こそ、王妃の座から……」
「私から、事実として伝えるべき三点だけを助言します。不明なことを尋ねられたら、確認してから答えると伝えてください」
エレオノーラは白紙の羊皮紙を引き寄せた。
「一点目。資金の出所は『港務局の予算』ではなく、『王妃府の未使用儀礼費』であると訂正すること。二点目。その金額は使える残高の二十四銀冠であること。三点目。すでに監査院への報告を済ませていること。……この事実だけを、あなたの言葉で公に説明するのです」
リュシアは羊皮紙を見つめ、やがて深く息を吸い込んだ。
彼女はペンを取り、エレオノーラの助言を基に、自らの手で説明の原稿を書き始めた。
同日の午後。外交局の一室に設けられた公開会見の場には、多数の官僚と各国の外交使節が詰めかけていた。
リュシアは演台の前に立ち、真っ直ぐに顔を上げた。その背後には、教導官として陪席するエレオノーラが静かに控えている。
「昨日、わたくしは初動の説明において、重大な言い誤りをいたしました」
リュシアの澄んだ声が、ざわめきを静めた。
「『港務局の緊急輸送予算二十四銀冠を、わたくしの判断で出しました』と申しましたが、これは誤りです。正しくは、法定の災害慰問・救恤の職務に基づき、王妃府の既決予算である『未使用儀礼費の残高二十四銀冠』を現地調達の炊き出しに充てました。越権を疑われるような誤った説明をしたことを、ここにお詫びいたします」
リュシアは深く頭を下げた。
王妃が自らの非を認め、公の場で謝罪する。その潔さに、官僚たちは言葉を失った。
「なお、充当先・金額・目的はすべて救恤支出簿に記載し、昨日付で監査院へ報告済みです。支出簿の閲覧は許可いたします。国庫からの不当な自由支出という噂は、明確に否定させていただきます」
「では、ベルク港の避難民は無事に食事にありつけたということですね!」
広報の好機と見た王側の官僚が、勢い込んで尋ねた。ここで『大成功だった』と発表すれば、王の面目も保たれるからだ。
だが、リュシアは少しも表情を崩さなかった。
「いいえ。支払保証書は昨夕、早馬で発送しました。現地に到着するのは今夕の見込みです。したがって、配送結果については、明日以降の現場からの確報を待つことになります」
結果の届かぬ段階で、リュシアは安易な成功を宣伝しなかった。
もし配食が失敗していれば、彼女は大きな非難を浴びるだろう。だが、それでも彼女は不確かな見栄を張ることを良しとせず、支出の責任だけを自らの肩に引き受けたのだ。
成果を盛らず、誤りを本人が訂正する。その誠実で透明な姿勢は、ガルド側が流した中傷に具体的な反証を示した。全員の疑いがその場で消えたわけではないが、支出簿を確認しに来る者が増え始めた。
逆に、王都の紙面や官僚たちの間では、未曾有の水害が迫る中で、既決予算とはいえ一昨夜の祝宴を強行した国王レオナールの政治的判断に対する冷ややかな視線が向けられ始めていた。
「……見事な訂正だ」
会見の場に立ち会っていたノルテ公国の特命外交官、アドリアン・フェルスが、隣の書記官に静かに言った。その声は公開の場に小さく響いた。
彼は続けて、はっきりとした声で公的に評価を下した。
「誤りを隠さず、正規の手続きと監査への報告を開示する。アルデイン新正妃殿下の説明責任を果たす姿勢に、我が国は深い敬意を表する」
それは、ただの外交辞令ではない。彼が本当に『正しい手続き』を尊重しているからこその、重みのある評価だった。
エレオノーラは背後からその横顔を見つめ、不意に心臓が小さく跳ねるのを感じた。
アドリアンは、エレオノーラの仕事ぶりを評価してくれただけではない。彼女が教え、自ら歩み出そうとしている不慣れな新正妃に対しても、色眼鏡を持たずに公正な評価を下したのだ。
誰に対しても公平であること。その揺るぎない在り方に、エレオノーラは明確な『好意』を自覚していた。
会見が無事に終わり、教導室に戻ったリュシアは、安堵から膝から崩れ落ちそうになった。
「……終わりました。エレオノーラ様、わたくし、逃げずに……」
「はい。よく耐え抜かれました、リュシア様」
エレオノーラが珍しく労いの言葉をかけようとした、その時だった。
前触れもなく教導室の扉が開き、国王レオナールが姿を現した。彼の顔には、祝宴への批判を逸らしてくれた新正妃の会見に対する、上機嫌な笑みが浮かんでいる。
「見事な手腕だったぞ、エレオノーラ。君を教導官に据えた私の判断は正しかった」
「……恐れ入ります」
エレオノーラが淡々と一礼すると、レオナールはふと、壁に掛けられた予定表の『第三十日:教導契約終了』の文字を見た。
「そういえば、君の教導契約は第三十日までだったな」
王は事もなげに、当然の権利を行使するように言った。
「ベルク港の状況も不安定だ。リュシアもまだ不安だろう。教導官の期限を、当分の間延ばせ。君には引き続き、王宮の裏方を支えてもらわねばならんからな」
それは、エレオノーラが第三十一日に予定している『離縁審理』を妨害し、彼女を再び「便利な妻」として王宮の枠に縛り付けようとする、酷薄な命令だった。




