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「華がない」と王妃を降ろされましたが、新王妃の教育係は有料です  作者: 他力本願寺


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第11話【外交官が譲った二季の通行税】

冬の非常時における独占枠の解除条項。ノルテ公国から突きつけられたその厳しい一項目をめぐり、ついに正式な三国協議が始まった。


 第十六日。アルデイン王宮の外交会議室には、重苦しい空気が立ち込めていた。


 円卓を囲むのは、アルデイン王国の外交局官僚、ラディア海邦の政府使節、そしてノルテ公国を代表する特命外交官アドリアン・フェルス。ラディア商人組合の幹部は、投資条件を説明するために招かれていた。


 エレオノーラは王国代表団の背後に設けられた陪席席に、新正妃リュシアと共に座っていた。彼女の立場はあくまで『議事研修者として同席する教導官』であり、国王や外交局の交渉権限を越えて発言することは許されない。


 前方の円卓では、激しい言葉の応酬が続いていた。


「冬の非常時に独占枠を解除するなど、我々ラディアの商人にすべてのリスクを負えというのか!」


「港湾の完全独占を許せば、我々ノルテの北部住民が冬を越すための山越え輸送費が異常に高騰する。アルデイン新正妃殿下の出された『二季の試行』案だけでは、我が国の民の生活は守れない」


 ラディアの商人が机を叩き、アドリアンが冷徹な声でそれを撥ね退ける。


 交渉は完全に平行線を辿っていた。同席しているリュシアが、不安げに手元の資料を握りしめる。


「エレオノーラ様。このままでは、わたくしの出した修正案もろとも、交渉が破綻してしまいます」


 リュシアの囁きに対し、エレオノーラは表情を変えずに一枚の白紙を彼女の前に置いた。


「リュシア様。交渉が暗礁に乗り上げた時、議事を成立させるために必要なのは何だと思いますか」


「それは……互いに譲り合うこと、でしょうか」


「誰が、何を譲るのかを可視化することです。教導官たる私は、外交官へ直接案を売り込む権限はありません。ですから、あなたがご自身の手で争点を整理しなさい。各国の『絶対に譲れないもの』と『譲れるかもしれないもの』を、書き出すのです」


 リュシアは頷き、白紙にペンを走らせた。


 アルデインの目的は港湾投資の確保。ラディア政府の目的は交易と沿岸復興の両立で、商人組合が求めるのは投資回収の保証。そしてノルテ公国の目的は、自国民の物価高騰を防ぐための輸送路の維持。


 各国の要求が正面から衝突している。リュシアの案だけでは、ノルテの不利益を補填しきれないのは事実だった。


「……エレオノーラ様。やはり、ノルテ公国が要求を取り下げるしかないのでは」


 リュシアがそう言いかけた時だった。


 円卓の向こうで、アドリアンが静かに挙手した。


「我がノルテ公国は、ただ要求を突きつけるためにこの席に座っているわけではない」


 外交局の官僚たちと商人たちが、怪訝そうに彼を見る。


 アドリアンは手元に用意していた分厚い束の中から、一通の公文書を取り出し、机の中央に滑らせた。


「これは、本国から私に与えられている既存訓令の確認書だ。我が国は、アルデインが『二季の試行』と『小船枠の保護』を厳格に運用することを条件とし、ノルテ峠道で我が国が課す、アルデインから運ばれる物資の関税を、この冬と次の冬の二季にわたり減免する」


 その言葉に、会議室がどよめいた。


 関税の減免。それはつまり、ノルテ公国自らが国庫に入るはずの税収を削り、輸送費の負担増を相殺してアルデインとラディアの交渉を成立させようという、血を流す譲歩案だった。


「フェ、フェルス殿! そのような独断、ノルテの財務当局が黙っていないのでは……!」


 アルデインの官僚が慌てて尋ねると、アドリアンは緑灰の瞳を眇め、淡々と答えた。


「これは既存訓令で認められた裁量の範囲内だ。本国財務当局への説明責任は、公館長たる私が全て引き受ける」


 彼は顔色一つ変えずに言い切った。


 その重さを、エレオノーラは痛いほど理解していた。本国の許可を待たずに裁量を行使するということは、後日、本国の議会や財務当局に、減った税収に見合う輸送の利益があったかを説明しなければならないということだ。


 だが、アドリアンはそこで終わらなかった。彼はさらに言葉を続けた。


「加えて、先ほど要求した『冬の非常時における独占枠の解除』について。解除を求めるだけでなく、我が国も輸送を分担する。既存の災害外交訓令により、私は政府所有の公用輸送船を、災害時に最大十日間貸与し、事後報告とする権限を持っている」


「輸送船を、十日間も貸与すると!?」


「ああ。もしこの冬、深刻な洪水や豪雪で港が機能不全に陥った場合、我が国の公用船を無償で提供しよう。その船が入港し、荷を渡せるよう、救援に必要な岸壁と航路は優先枠から外していただきたい。解除の範囲を救援に限り、終期を明記するなら、投資側の不確実さも抑えられる」


 会議室は、水を打ったように静まり返った。


 自国民向けの災害訓令を、他国の住民に対する救恤輸送へ適用する。それは文言上の裁量としては可能であっても、政治的には極めて危うい解釈だ。もし本当に船を出せば、彼は本国で吊るし上げられるかもしれない。


 だが、アドリアンは議事録係に真っ直ぐに向き直り、宣告した。


「以上の提案を、協議録へ記していただきたい」


 ラディア政府の使節が、救援に限った解除なら検討できると答えた。商人側はなお期間と費用の確認を求めたが、全面拒否の応酬は止まった。


 自国の利益を求めるために、自国が負う費用も示す。ようやく、比較できる条件が机の上に揃ったのだ。


 リュシアは驚愕の面持ちで、手元の議事メモとアドリアンの顔を交互に見つめていた。


「……これが、外交なのですね」


 リュシアの震える声に、エレオノーラは小さく頷いた。


 相手国に迎合するのではなく、自国の規則の中で極限まで知恵を絞り、身を切ってでも対話の糸を繋ぐ。それはエレオノーラが信じる『正しい仕事』そのものだった。


 アドリアンの提示した譲歩により、ラディア政府も条件を持ち帰って検討すると応じ、商人側は試行中に可能な投資の規模を再計算することになった。正式な条約批准はまだ先だが、ひとまず『暫定的な協議原則』だけがまとまり、交渉決裂という最悪の事態は回避されたのだ。


 議長が休会を宣言し、参加者たちが立ち上がり始めた時だった。


 後方の陪席席から立ち上がったエレオノーラは、円卓の向こう側で書類をまとめているアドリアンと、一瞬だけ視線が交差した。


 互いの国家に対する義務を一切放棄せず、馴れ合いもせず、それでも相手の職務への深い敬意を込めて。


 エレオノーラの口元に、彼にしか見えないほどのかすかな安堵の笑みが浮かんだ。


 アドリアンは目を見開き、一瞬だけ動きを止めた。そして、何かを言葉にする代わりに、深く、静かに一礼を返した。


 二人の間に、それ以上の接触はない。それで十分だった。


 しかし、その静寂は、すぐに国王レオナールによって打ち破られた。


 会議室の扉が開き、側近を連れた王が足早に入ってきたのだ。王は暫定原則がまとまったという報告を鼻で笑い飛ばした。


「ご苦労だったな。だが、正式な条約批准まで待っている余裕はない。港湾の冬期工事を始めるための資金が、今すぐに必要なのだ」


 レオナールは、ラディア商人の幹部たちを見据えて堂々と宣言した。


「融資団への借款手続きを先行させる。十年独占の確約が遅れるというのであれば、条約批准の前に、私から『別の担保』を示そう」


 エレオノーラは背筋に冷たいものが走るのを感じた。


 別の担保。


 何を差し出し、誰の承認を得るつもりなのか。借款の相談を先に始めること自体は、不正ではない。だが、王の言葉には必要な手順への言及がなかった。


 エレオノーラは、その空白を確かめられないまま書き留めた。

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