選ばれなかった声
第三位相は、距離を変えなかった。
距離は常に一定のまま。
三つ目の鼓動だけが、続いている。
だが、“関心”だけが向けられている。
声は、耳には届かなかった。
思考の縁をなぞるように、滲み込んでくる。
――なぜ、ここに来られた。
柳端は息を吸い、選ぶ。
「分けられた世界を……元に戻すためだ」
それが間違いでも、俺が選ぶ。
第三位相が、わずかに揺れる。
――戻す、とは。
世界か。
時間か。
それとも、感情か。
柳端は答えに詰まった。
その沈黙を、彼女が引き取る。
「私たちは、“間違い”をなかったことにしたいわけじゃない」
彼女は、静かに言った。
「ただ……分けたままじゃ、誰も救われないって知っただけ」
一歩、前に出る。
第三位相の輪郭が、一瞬だけ人の形に近づいた。
彼女と、よく似た背丈。
だが顔は、定まらない。
――私は、選ばれなかった。
声が、はっきりとした。
――統合される世界にも、分離された世界にも。
空間が低く鳴る。
怒りではない。
諦めでもない。
それは、存在理由を問う音だった。
彼女の指先が、わずかに震える。
「あなたは……私が、切り捨てた私?」
生き残るために、見ないふりをした。
声が、わずかに震える。
「選ばれなかったから、存在してはいけないと決められた私?」
第三位相は、否定しなかった。
――観測が、歴史を選んだ。
――私は、余剰だ。
――だが、余剰にも未来はある。
柳端は、拳を握る。
「なら……」
言葉を、絞り出す。
「俺はもう、見なかったことにはしない」
「そこにいるなら、お前も数える」
選ばれなかった未来を、切り捨てない世界を。
「お前を消さずに、統合する方法はないのか?」
第三位相が、初めてはっきりとこちらを向いた。
――可能性はある。
――だが、それは“世界”を一つ減らす。
――二人が生きてきた記憶の、どちらかを無効にする。
彼女が息を呑む。
「世界を……減らす?」
その瞬間、彼の端末が微かに震えた。
沈黙していたはずの画面に、一行だけ文字が浮かぶ。
【優先世界保全処理:開始】
【非優先位相:収束対象】
【自動選別を実行】
鼓動と同期するように、文字が明滅した。
彼らの存在は、誤差ではなく“脅威”として処理され始めている。
柳端は、ゆっくりと目を閉じる。
追いつかれた。
だが同時に、理解していた。
第三位相の声が、最後に響く。
――選べ。
――誰の世界を、残すかを。
互いに触れれば、
どれかが崩れる距離で。
世界の外側で、三つの未来が並ぶ。
触れれば、ひとつは消える。
選べば、誰かが失われる。
第三位相が、静かに手を伸ばす。
それでも――
誰も誤差にしない選択は、まだ証明されていない。
だが。
もしそれが不可能だとしても。
柳端は、観測を拒否する。
世界が一つ減るなら、 その計算式ごと壊す。
理由は分からない。
ただ、 もう誰かを置いていくのは嫌だった。
三つ目の鼓動が、世界の境界を押し広げる。
空が、ひび割れる。
第三位相が、初めて笑った。
その笑みを、 誰も名前で呼ぶことはできなかった。




