表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
15/20

読まれてはいけなかった記録

祖父の家は、消失区域の縁に取り残されている。

本来なら、立ち入るべきではない場所だった。


仕事の帰り、気づけば足が向いていた。

父が事故の直前、何度も同じ帰路を通っていたことを、そのときになって思い出した。


事故現場は、消失区域の境界から三百メートル。

現場写真を、何度も見た。

影も、足跡も、乱れていない。

ただ一点、父の倒れた位置だけが、境界線の延長上にあった。

まるで、見えない線に触れたかのように。

記録上は、局所的な構造崩落による事故。

だが、崩落はその一点にしか発生していなかった。


協力要請を断り、説明を求めず、「分からないままでいい」と言い切った人物だった。

家の中は静かで、埃と紙の乾いた匂いがした。


書斎の奥、棚の一番下に、古い箱があった。

父が立ち尽くしていたのは、いつもこの位置だったと、後から思い出す。


何も触れず、何も持ち出さず、ただ箱を見下ろしていた。

ラベルはない。

だが、管理局の保管規格に近い寸法だった。

中には、紙の記録が数冊と、電源の入らない端末が一つ。


端末の外装には、祖父のものとは違う、使い慣れた擦れがあった。

無意識に、端末の角を親指でなぞる。

型は古いが、管理局が試験運用していた世代のものだ。

だが、持ってはいけないものだったことだけは分かる。


柳端は、端末に触れなかった。

触れていないはずの画面が、かすかに点滅した。

一度ではない。

二度、三度。

反応は、入力待ちの規則的な間隔ではなかった。

観測機器が対象を検出したときの、あの不規則な揺らぎに近い。

電源は入っていない。

それでも、黒い画面の奥で、何かが反応している。

まるで、こちらを待っていたかのように。

――読まれることを、前提にしていたかのように。


代わりに、紙の記録を一冊取り出す。

そこには、観測数値も、結論も書かれていなかった。

あるのは、短い文章だけだ。


――見えているが、数えてはいけない。

――測れば、こちらも測られる。

――選択とは、決定ではない。拒否だ。

――違和感を無視しないこと。

――それが、唯一の抵抗になる。

意味は、すぐには理解できなかった。

これは、継承するための記録だ。


ページをめくるたび、祖父の筆跡は次第に荒れていく。

だが、主張は一貫していた。


――観測は、世界を安定させない。

――安定とは、管理の別名だ。


柳端は、そこで初めて父の顔を思い出した。

事故の前後で、父はこの家を頻繁に訪れていた。

理由を聞いても、答えなかった。


ただ「話していた」とだけ言った。

話していた相手は、祖父だった。

そして、話していた内容は――この記録の延長線上にある。

最後のページは、破られていた。

だが、切れ端が残っている。

――境界に触れた者は、

――最初は、偶然を装う。

その先は失われていた。

だが、 破られた紙の裏側に、 うっすらと筆圧だけが残っている。

柳端は紙を傾けた。

そこには、消されたはずの文字があった。

――次に選ばれるのは、

――私たちの家系だ。

柳端の呼吸が止まった。


その文字の横には、 後から書き加えられた筆跡があった。

祖父の字ではない。

父の字だった。

《私は信じない》

《だが無視もしない》

《もし本当に起きるなら、 その時は私が確認する》

柳端は、その続きを知っている。

父は確認しに行った。

そして帰ってこなかった。


柳端は、静かに息を吐いた。

ただ、数えられる側になることを拒んだ。


そして父は、それを「否定せずに理解しようとした」。

理解しようとした者が、最初に境界へ近づく。

それは越えるためではない。


箱を閉じる。

持ち出すことはしなかった。

だが、読んでしまった。

それだけで十分だった。


帰り道、街の音が、ほんの一瞬だけ遅れた気がした。

気のせいだと、処理できる程度の差。

だが柳端は、もう知っている。

境界は、踏み越える前に成立する。


その日から、彼の周囲で世界は、静かに数え直され始めていた。

まずは、柳端自身から。

祖父の家が、観測点になった。

それは誰かが設定したわけではない。

設定されていたのだ。

ずっと前から。

触れる者が現れることを、前提として。


画面に表示されたのは、

《継承候補 確認》

《第二世代 記録照合》

《父:接触済》

《第三世代 移行開始》


その表示が消えるより先に、端末の奥で何かが確定した。

監視は提案ではない。

宣言だ。


触れた瞬間、対象は発生する。

観測は、そのあとに始まる。

そう書かれていた。

だが柳端は、 その文章の下に、 もう一行あることに気づいた。

祖父の字でも、 父の字でもない。

見覚えのない筆跡。

《ようやく、三代目が来た》

柳端は凍りついた。


インクは古い。

だが、その文字だけは、 まるで今書かれたように鮮明だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ