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春を蒔く  作者: ねるね
春の実り
12/12

春の実り

 グラニエールの地に春が来た。


(バーレイ領の冬よりも寒いわ)


 そう思ってから、一年前も同じことを考えた自分に可笑しくなった。


 前年にこの地で実った麦グ01号を、今年はハンスの畑の隅に蒔いた。

 麦がどんなに寒そうでも、藁は敷かない。バーレイの血がいくら騒いでも、麦踏みもしないつもりだ。


 南由来の麦を、土地に適した方法で育てる。

 それが、冬の間にハンスと決めた方針だった。


 北では発芽に時間がかかるというのは、昨年知ったことだ。

 けれど今年は時期が来ても、一向に緑の筋は見えなかった。


「やっぱり藁のお布団を…」「いや、ダメダメ。決めたとおりにしなくちゃ」

 畑のまわりでは、日々つぶやきながら藁を持ってウロつくベアトリスの姿があった。


 ハンスの麦畑ではたくさん芽が出たが、グ01号のほうには土が盛り上がる気配もない。


 発芽を想定した日から一ヶ月が経ったころ、ハンスが沈痛な顔で「無理かもしれない」と言った。


「土の温度も上がりました。きっと種はもう──」


 腐ってしまったのだろうか。南から来て、北の地で芽吹き実った大切なグ01号たちが。

 ベアトリスの目から落ちたしずくが、畑の土に黒く染みる。

 ハンスは、何も言わずにそっと立ち去った。



「……腐ると、どうなっちゃうんだろう」


 種や根が腐るとはよく聞くが、実際はどうなるのかとふと思った。せめて最後まで見届けたい。ベアトリスはしゃがみこんだ。

 木の枝で地面をガリガリとかく。それから手を使った。土は体温よりはうんと冷たくて、指先の感覚がなくなってきたころ、麦が出てきた。


 それは、以前と同じように見えた。

 色も変わらず、ぐしゃぐしゃでもない。大切に播いたときのままの姿だった。


「グ号、まだ頑張れそうじゃない」


 ベアトリスはぐいと頬をぬぐった。土の匂いが顔についたが、大したことではない。

 麦と土を戻して、ハンスの手伝いに向かった。




 それからベアトリスは、ハンスの畑の世話をしている。彼の畑には麦だけではなく、芋やキャベツや豆などもあった。

 川から引かれた水路には澄んだ水が流れていて、ベアトリスはセドリックから聞いた話を思い出した。

 グラニエール家が鉱山を失い坑道が閉鎖されたことで、川の水質が徐々に良くなったのはなんとも皮肉な話だと、彼は寂しげに語っていた。



 沈黙したままのグ号をよそに、ハンスの麦は収穫を目前に控えている。

 そんな折、セドリックからの呼び出しを受け、ベアトリスは伯爵邸を訪れた。彼は前置きもなく、固い口調で問いかけた。


「例の生育実証は失敗したようだが、君は今後どうしていくつもりだ」


「失敗ではありません。麦の発芽を待ちつつハンスさんの手伝いをして、北の農業を学んでいます」


 ベアトリスの答えを聞くと、セドリックは大きなため息をついて頭を振った。


「春に播いた麦の発芽を待つと? 無理だろう。今年の収穫が終わったら、君は南部へ帰れ」


「まだ種は生きています。ここで学ぶこともまだまだあります」


 間を置かずに答えるベアトリスに、セドリックは眉をしかめて目を閉じる。

 そして、眉間を揉みながらしばらく考え、きっぱりと告げた。


「君は他人だ。これ以上ここで無為に過ごさせるわけにはいかない」


 他人。その言葉に、ベアトリスはショックを受け──なかった。


「じゃあ、他人じゃなくなればいいじゃないですか」


「ん?」


「私と、結婚しましょう」



 セドリックの目は、こぼれ落ちそうなほどに見開かれている。


「他人じゃなければ、領にいていいと言いましたよね」


「言っていない」


「ありふれた政略結婚ですよ。私はここで麦を育てられて、セドリックさんは美味しい麦を食べられる。誰も損をしません」


 セドリックはますます眉間を揉んでいる。


「……それでは君の人生はどうなる」


「私は美味しい麦を食べてもらえたらそれでいいんです」


「本当に? それだけのために好きでもない男と結婚をすると?」


「そうです。好きでもな……え?」


 今度は、ベアトリスが止まる番だった。



 止まったままのベアトリスに、色々なことが押し寄せる。

 何年経っても彼の言葉を忘れられなかったこと。

 何度も笑顔に見とれ、不整脈が治らないこと。

 断る隙を与えず二度も押しかけたこと。

『彼に』美味しい麦を食べてもらいたいこと。



 ああ、その理由は、きっと──



「もしかして、好きだと言うのか?」


「……私だって、今気づきましたよ!」


 やけくそ気味に返事をしてしまった。こんなだから自分は。そう思っても、言葉が止まらない。


「そうだとしたらどうするんですか! き、気持ち悪いから帰れって言うんですか! でも帰りませんからね! マーサさんの家に住み着きます!」


 めちゃくちゃな言い分を、セドリックは楽しそうに聞いていた。

 嫌なやつだと思いかけたが、それでも嫌いになれない自分にまた顔が熱くなる。



 ベアトリスの言葉が途切れると、彼が喉の奥で笑う声が聞こえた。


「ずっと疑問で、引け目もあった。君がそこまでしてくれることに。でも、理由があって安心した」


 セドリックは一歩だけ近づく。

 たったの一歩。それでも、彼と離れてからの七年間で、きっといちばん近い距離にいる。



「ぜひ、結婚してくれ」



 ベアトリスが顔を上げると、セドリックと目が合った。


「え」


 涙目の間抜けな声が出てしまい、ついでに素朴な疑問をぶつける。


「でも私ですよ?いくら領のためといっても、セドリックさんはこんなのと結婚していいんですか?」


 ずっと支離滅裂なベアトリスに、セドリックは心底愉快そうに笑った。


「こんなに想われて、好きにならないわけがないだろう」



◇◇


 結婚式の当日、何度も自分の頬をつねった。

 赤くなってしまったが、ベールがあるから構わないだろう。

 ──と思っていると、隣に来た彼がベールの隙間を覗いて、赤らんだ部分をスッと撫でた。


 ベール越しでもわかるほど真っ赤になった花嫁にみなが笑って、ベアトリスも笑った。




 笑い声に満ちた北の春。

 畑の隅では、麦の芽が顔を出していた。

お読みいただきまして、ありがとうございました。

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