8 夢の続きはこれから
「まずは、森でのことを聞かせてもらうか」
ゴンザが、太い腕を膝に乗せて身を乗り出した。
「アリメルから大体は聞いてるが、本人の口からも聞いておきたい。十日ほど、あの森に一人でいたんだってな」
「……うん」
「その間、何を食ってた」
「……木の実。黄色くて、すごく酸っぱいの」
「それだけか?」
「……あとは、靄」
「靄?」
向かいで、フィルの手が止まった。焼き菓子を口へ運ぶ途中だったらしい。
「……眠ってる魔物の周りに、白っぽい靄が出るの。それを食べると、お腹が楽になる」
ゴンザの眉が動いた。ローザとアリメルが顔を見合わせる。
「靄を、食べるのか」
ローザが聞き返した。
「……食べようと思うと、口のところに寄ってくる。味はしない」
言いながら、自分でも変なことを言っている気がする。でも、本当にそうなのだから仕方がない。
ゴンザは腕を組んで、しばらく黙った。
「それを食って、身体がおかしくなったことは」
「……ない」
「食われた魔物の方はどうだ」
「……分からない。食べたら、すぐ離れてたから」
起きるのを待つ理由はなかった。相手は、私を追い回すような獣だったのだから。
「靄を食べられると、魔物に何か起きるものなんでしょうか」
アリメルが、ゴンザの方を見た。
「分からん。そもそも、そんな話は聞いたことがねえ」
ゴンザは首を横に振ってから、私に向き直った。
「なら、次だ。魔物を眠らせる時は、どうやってる。誰かに教わったのか」
「……教わってない。最初は、追い詰められた時に勝手に言葉が出た。それで魔物が眠ったから、次からは自分で使ってる」
「勝手に、ですか」
フェンが聞き返した。
「使う時、何か感じるものはありますか」
「……身体の奥で、何かが動く感じ。それが、相手まで伸びていく」
「なるほど」
フェンは顎に指を当てて、少し考えた。
「私の知っている魔法とは違いますね。普通は、何を起こしたいかを頭の中で組み立ててから使うものです。ハクさんの話には、それがありません」
「……じゃあ、何?」
「固有魔法の類だと思います。その人だけが生まれつき持っている魔法のことです。詳しいことは、ちゃんと調べてみないと分かりませんが」
生まれつき持っている魔法。
それなら、誰にも教わらずに使えたのも分かる気がする。
能力の話なら、まだ話していないことがある。
「……あと、もう一つある」
「まだあるのか」
ゴンザが、腕を組んだまま眉を上げた。
「……眠ってる魔物の夢が、見える」
フェンが、顎から指を離した。
「夢、ですか」
「……走ってたり、水を飲んでたり。短いのしか見えないけど」
「それは、ハクさんが夢を見るという意味ではありませんよね」
「……違う。眠ってる相手の夢。相手に意識を向けると、見える」
部屋が静かになった。
フィルが、焼き菓子を持ったまま私とフェンを見比べている。
「人間の夢も、見えるんでしょうか」
フェンが聞いた。声は淡々としているけれど、さっきより速い。
「……分からない。森には、人がいなかったから」
「では、試してみる価値がありますね」
フェンはそう言って、ゴンザの方を向いた。
「ギルドマスター。今、ここで確かめてもいいですか」
ゴンザは、私とフェンを交互に見た。
「……そうだな。本人が嫌じゃなけりゃ、俺は構わねえ。ハク、どうだ」
嫌、というわけではない。
ただ、人の夢を覗くのは気が引ける。見られる側だったら、あまりいい気はしないと思う。
「……見られる人が、いいなら」
「では、私が寝ます」
フェンが、あっさり手を挙げた。
「フェンが?」
「普通に眠った人の夢が見えるか、確かめましょう。私なら、すぐ眠れますので」
それは、馬車で見た。
「はいはい! 私もやる!」
フィルが、勢いよく手を挙げた。
「では、フィルはハクさんの魔法で眠ってください。両方試した方が、違いも分かります」
「いいよ! ちょっと面白そうだし」
……面白そう、で引き受けていいものなのだろうか。
本人がいいと言うなら、私が止める理由もないけれど。
「でもさ、変な夢だったら、みんなには内緒にしてね?」
フィルが、こちらを向いて言った。
「……分かった」
そのくらいは守る。私だって、自分の夢を言いふらされたら嫌だ。
フェンは長椅子の端に座り直して、肘掛けに頭を預けた。
「では、眠ります。夢が見えたら教えてください」
そう言って、目を閉じる。
ほとんど間はなかった。肩が、ゆっくり上下し始める。
……もう寝た。
明るい部屋で、五人に見られながらだ。私も寝つきはいい方だと思っていたけれど、これは真似できない。
正直、うらやましい。……才能だと思う。
しばらく待ってから、フェンに意識を向けてみる。
何も見えない。
もう一度向けてみても、同じだった。寝息は聞こえるし、どう見ても眠っているのに。
そういえば、眠った魔物の周りにはいつも出ていた靄も、フェンの周りには見当たらない。
「……見えない」
「まだ、夢を見ていないのかもしれませんね」
隣で、アリメルが言った。
「眠ってすぐは、夢を見ないことも多いですから。時間を置いてみましょうか」
前の世界でも、夢を見た覚えがないまま朝になることはよくあった。眠っていれば必ず何か見ている、というわけではないのかもしれない。
「なら、先にフィルだな」
ローザが立ち上がって、フィルの隣へ座り直した。
「倒れたら危ない。私が支えておく」
「えー、座ったままでいいの?」
「三人で座っていたら、寝転がるには狭いだろう」
「あ、そっか」
フィルはローザの肩にもたれて、目を閉じた。
「ねえ、本当にすぐ寝ちゃうの?」
「……たぶん」
「へえ。どんな感じなんだろ」
楽しそうだ。眠らされる側の顔ではない気がする。
フィルへ意識を向けると、森で魔物に向けた時と同じように、身体の奥で何かが動いた。
「……夢誘」
見えない何かが、フィルへ伸びていく。
その途端、フィルの身体から力が抜けた。ローザの肩に、頭がこてんと落ちる。
「……おお」
ゴンザが、小さく声を漏らした。
「……早いな」
ローザが、肩の上のフィルを見下ろして呟いた。もう、寝息が聞こえている。
その頭の上に、白っぽい靄がふわりと浮かんだ。森で、眠った魔物の周りに出ていたのと同じものだ。
……人にも、出るんだ。
フェンの時は、出てこなかったのに。
誰も靄の方を見ていない。みんなには見えていないらしい。
お腹は焼き菓子で足りているし、フィルのを食べる気もない。
眠ったフィルに、もう一度意識を向けた。
――目の前に、焼き菓子があった。
一つや二つではない。机の上に、山のように積まれている。さっきゴンザが出してくれた、丸い焼き菓子だ。甘い匂いまでする。
……いい夢だ。
手が伸びて、一つ掴む。私の手ではない。フィルの手だ。
口へ運ぶと、さくりと崩れた。おいしい。
もう一つ、と顔を上げる。
山の上の焼き菓子が、さっきより大きくなっていた。両手で抱えるくらい。いや、もっと大きい。
いつの間にか、机もなくなっていた。足元は、石畳の道だ。
大きな焼き菓子の横に、ゴンザが腕を組んで立っている。
「最後の一つだぞ!」
……どうやって食べるんだろう。
そう思った途端、焼き菓子が、ころん、と横に転がった。
もう一回、ころん。
そして、石畳の坂を勢いよく転がり始めた。
「待って!」
フィルの声が、すぐ近くでした。景色が揺れる。走っているらしい。角を曲がり、坂を下り、あと少しで手が届く――。
焼き菓子は、その先の噴水へ飛び込んだ。
水しぶきが上がる。覗き込むと、水の中を魚が泳いでいた。焼き菓子と同じ、こんがりした茶色の魚だ。
フィルの手が、迷わずその魚に伸びる。
いや、それはさすがに――。
そこで、景色が途切れた。
目の前には、ローザの肩で眠るフィルがいた。
……なんだったんだろう、今の。
「ハク、どうだった」
ゴンザが、身を乗り出した。
「……見えた」
「本当か!」
「……でも、内緒の約束だから。本人に聞いてからにする」
ゴンザは一瞬きょとんとして、それから口の端を上げた。
「そりゃそうだ。ローザ、起こしてやれ」
ローザがフィルの肩を揺すった。
「フィル。起きろ」
反応がない。
もう一度、さっきより強めに揺する。
「……んん?」
フィルが顔をしかめて、ゆっくり目を開けた。
「……あれ。もう終わったの?」
「ああ。何か夢は見たか」
「夢?」
フィルはしばらく考えてから、ぽん、と手を叩いた。
「お菓子! お菓子がすっごいたくさんあってね、いくらでも食べられると思ったんだけど……」
そこまで言って、首を傾げる。
「……そのあと、どうなったんだっけ」
「……話していい?」
フィルが目を瞬いた。それから、私が何を聞いているのか分かったらしい。
「あ、内緒のやつ? いいよいいよ、お菓子の夢なら」
「……最後の一つって、ゴンザが言ってた。そのお菓子が大きくなって、坂を転がっていった」
「そう! そうなの! 逃げたんだよ、お菓子が!」
フィルが、ローザの腕を叩いた。
「ほんとに見えてたんだ……。なんか、ちょっと恥ずかしいね」
「……最後は、噴水に飛び込んで魚になってた。フィルは、それも食べようとしてた」
「え、そこは覚えてない……」
フィルは真顔になった。
「……私、魚も食べようとしてたの?」
「……迷わずに」
ローザが、額に手を当てた。
「俺が出てきたのか、夢に」
ゴンザが、なぜか嬉しそうに言った。
「最後の一つだぞ、か。言いそうだな、俺は」
そこは喜ぶところなのだろうか。
「フェンさんの方は、どうでしょうか」
アリメルが、長椅子の端を見た。
フェンは、さっきと同じ格好で眠っていた。隣でフィルが騒いでいたのに、まったく動いていない。
その周りに、いつの間にか白っぽい靄が漂っていた。さっきは、なかったものだ。
もう一度、フェンに意識を向ける。
――空が、青かった。
足元に、踏み固められた土の道が伸びている。そばには丸い石組みの井戸があって、その横に、大きな木が一本立っていた。
太い枝から、縄で吊るした板が下がっている。ブランコだ。
「フェン! こっちこっち!」
見上げると、枝の上に小さな女の子が座っていた。
フィルだ。今よりずっと幼いけれど、顔がそのまま小さくなっている。
木の幹に、小さな手が触れていた。目の高さが、いつもよりずっと低い。フェン自身も、子供になっているらしい。
「フィル! そんなに高く登ったら危ないだろ!」
井戸のそばで、もう一人の女の子が腕を組んで木を見上げていた。
……ローザ?
こちらも幼い。でも、眉の寄せ方に見覚えがある。
「大丈夫だって!」
小さなフィルが、枝の上で立ち上がる。
その瞬間、景色が変わった。
空が、夕焼けの色になっていた。いつの間にか、フィルもローザも今の姿になっている。
「フェン、早く!」
フィルが手を振っている。
その先を見て、目を疑った。
井戸が、木の上にあった。太い枝の上に、石組みの井戸がそのまま載っている。
どう考えてもおかしい。でも、フィルもローザも、まるで気にしていない。フェンの目も、当たり前のようにその井戸へ向かっていた。
そこで、景色がふっと消えた。
目の前には、眠っているフェンがいた。
……井戸が、木の上。
フィルの夢では焼き菓子が魚になっていたのだから、理由を考えるだけ無駄なのかもしれない。
それより、気になることがある。
あの井戸と、ブランコの木。小さなフィルと、小さなローザ。
私は、三人の昔のことなんて何も知らない。
「……フェン。起きて」
肩に手を置いて、軽く揺する。
フェンは、すぐに目を開けた。
「……おはようございます」
「……おはよう」
「何か、見えましたか」
「……たぶん、昔の夢。井戸があって、横に大きな木があった。太い枝に、ブランコが吊るしてあった」
フェンの瞬きが、一度止まった。
「……そこに、小さいフィルとローザがいた。フィルが木に登ってて、ローザが怒ってた」
フェンは、しばらく私を見ていた。
「それは、私たちが生まれ育った村です」
声は、いつも通り淡々としていた。
「井戸の横の木で、よく三人で遊びました。フィルが登って、ローザに怒られるところまで、その通りです」
「えっ、あの木!?」
フィルが身を乗り出した。
「フェン、あそこが夢に出てきたの?」
「そうみたいです」
「懐かしい! あそこ、よく遊んだよね!」
「お前は遊ぶというより、登ってばかりだったな。降りられなくなって、泣いていたこともある」
ローザが、呆れたように言った。
「泣いてないし! それに、降りられなくなったのは一回だけじゃん!」
「一回でも十分だ」
二人のやり取りに、夢で見た小さな二人が重なった。昔から、あんな感じだったらしい。
「その話、ハクさんにしたことはありませんよね」
フェンが、確かめるように聞いた。
「……聞いてない」
「私もしていない」
ローザが首を振る。フィルも、ぶんぶんと首を横に振った。
「……あと、途中で井戸が木の上にあった」
「木の上?」
フィルが吹き出した。
「何それ! そんなとこに井戸あったら、水汲めないじゃん!」
……私もそう思う。
「夢ですから」
フェンは平然と言った。
「ふむ……」
ゴンザが、太い指で顎を撫でた。
「眠らせた相手だけじゃなく、普通に寝てる相手の夢も見えるってことか」
「ええ。魔法で眠らせなくても、夢は見えるようです」
フェンが頷いた。
「……でも、最初は見えなかった」
「眠ったばかりで、まだ夢を見ていなかったんでしょう。魔法で眠った場合との違いも、気になりますね」
最初にフェンの周りに靄がなかったのも、そのせいだろうか。靄が出てきてから意識を向けたら、夢も見えた。森で思ったとおり、靄と夢はつながっているのかもしれない。
フェンは目を伏せて考えてから、首を横に振った。
「ですが、今日はここまでにしておきます。続けると、たぶん長くなるので」
フェンに魔法の話をさせると長い、とフィルが言っていたのは本当らしい。
「しかし、夢を覗けるとはな」
ゴンザが、腕を組み直した。
「魔物を眠らせたって話だけでも驚いたが……」
それから、軽く首を振る。
「まあいい。能力のことは、ひとまずここまでだ。詳しいことは、フェンに任せていいか」
「構いません。ハクさん、機会があれば、改めて調べさせてください」
「さて。最後に、お前のこれからの話だ」
ゴンザが、カップのお茶を一口飲んだ。
「部屋と飯は、当面こっちで用意する。アリメルから聞いてるな」
「……うん。助かってる」
「なら、それはそのままだ。行く当てもねえんだろう」
その通りだ。この世界で知っている人といえば、この部屋にいる人たちくらいしかいない。
「すぐに何かしろとは言わねえ。まずは、この街に慣れろ。どうするかは、そのあとで一緒に考えりゃいい」
いつまでも、というわけにはいかないのだろう。それは、なんとなく分かる。
ただ、今すぐ決めなくていいのは助かった。昨日まで森にいたのに、いきなり先のことを決めろと言われても困る。
「……分かった。ありがとう」
「それから、着替えですね」
アリメルが、私の袖に目をやった。
「お貸ししたものだけでは足りませんから。必要なものは、少しずつ揃えていきましょう」
借りたシャツは、袖を折ってもまだ長い。ワンピースが乾いても、二着を交互に着るだけでは足りないだろう。
「……うん。お願い」
「分からないことがあれば、何でも私に聞いてくださいね」
「おう。アリメルに聞けば、大抵のことは分かる」
ゴンザが、椅子の背にもたれた。
「話はこんなところだ。ハク、ほかに聞いておきたいことはあるか」
魔法のことも、街のことも、分からないことはたくさんある。でも、全部を今聞いても覚えきれない。必要になったら、その時に聞けばいい。
ただ、一つだけ、今確かめておきたいことがあった。
「……このあと、何かすることある?」
「いや、今日はもうねえ。どうした」
「……部屋に戻って、寝たい」
ゴンザが、一瞬きょとんとした。
それから、大きな声で笑い出した。
「はっはっは! 朝飯を食ったばっかりだろうが!」
「……朝、二度寝しようとしたところで、呼ばれたから」
「……起きている、とおっしゃっていましたよね」
アリメルが、小さく笑った。
……嘘は言っていない。起きてはいた。
「好きにしろ。部屋はお前のもんだと思って使え」
「……ありがとう」
「私も、途中で起こされたので寝足りません」
フェンが言った。
「お前は、このあと森の報告をまとめるんだろう」
ローザに言われて、フェンはほんの少しだけ不満そうな顔をした。
……起こしたのは、私だ。
残りのお茶を飲み干して、立ち上がる。
今度こそ、二度寝の続きができる。




