9 夢を見て暮らせるなら
目が覚めると、木戸の隙間から差し込む光が、朝よりずっと白くなっていた。
……よく寝た。
二度寝の続きは、思っていたより長くなったらしい。身体を起こして伸びをすると、昨日から残っていた重さが、ほとんど抜けていた。
代わりに、お腹が鳴った。
朝食のあとは、ゴンザの部屋で焼き菓子を二つ食べただけだ。お昼は、もう過ぎているかもしれない。
借りたシャツの袖を折り直して、部屋を出た。
一階に下りると、受付の前に冒険者が何人か並んでいた。その横を抜けて、昨夜食事をした端の机へ向かう。
職員の人に声を掛けると、パンとスープを出してもらえた。
遅いお昼を食べ終えたところで、受付の奥からアリメルが出てきた。私に気づいて、こちらへ歩いてくる。
「ハクさん。おはようございます」
「……おはよう。もう、お昼だけど」
「ふふ。よく眠れたみたいですね」
「……すごく」
アリメルは、私の袖に目をやった。
「今朝お話しした着替えのことなんですが。午後から少し時間が取れそうなので、一緒に買いに行きませんか? 今お貸ししているものは、大きいでしょう?」
袖は、折っても手の甲まで掛かっている。ズボンも、歩いているうちに腰からずり下がってくる。
「……行きたい。お願い」
「では、少し仕事を片づけてきますね。終わったら、お部屋へ声を掛けに行きます」
アリメルが受付の奥へ戻っていったので、私も部屋へ引き返した。
扉を閉めると、寝台が目に入った。
「…………」
さすがに、さっき起きたばかりだ。
少し迷ってから、机のそばの椅子に腰を下ろした。寝台に座ったら、たぶんそのまま横になる。
しばらくして、扉が叩かれた。
「ハクさん、お待たせしました」
「……今、行く」
ギルドを出ると、午後の日差しが石畳を照らしていた。
昨夜は暗くてよく見えなかったけれど、通りの両側に並んでいるのは、ほとんどが店のようだ。軒先に野菜の籠を積んだ店や、鍋や桶を並べた店がある。
角を一つ曲がったところで、香ばしい匂いがした。
思わず、そちらを見る。
「パン屋さんですね。朝は焼きたてが並ぶので、もっといい匂いがしますよ」
朝。
……起きられたら、来てみよう。
しばらく歩いて、アリメルが足を止めたのは、軒先に服を吊るした店の前だった。
扉を開けると、上の方で小さな鈴が鳴った。壁際の棚に、畳んだ服がいくつも積まれている。
「いらっしゃいませ」
奥から、恰幅のいい女の人が出てきた。その視線が、一瞬だけ私の角で止まる。けれど何も言わずに、アリメルの方へ向き直った。
アリメルが事情を話すと、女の人は私を上から下まで眺めた。
「この子の背丈なら、こちらの棚ですね。普段着でよろしいですか?」
「はい。動きやすいものをお願いします」
「……あんまり、飾りがない方がいい」
付け足すと、女の人は笑った。
「あら。可愛いのも似合いそうですけどね」
そう言いながら、棚から何着か出して台の上に並べてくれた。
淡い黄色のワンピースに、襟に刺繍の入ったシャツ。胸元にリボンのついたものもある。
どれも、毎日着るには手間が掛かりそうだ。端に置かれた一着だけは、そうでもなさそうだった。
「ハクさんは、どれが気になりますか?」
「……これ」
一番端の、淡い青色の服を指さした。頭からかぶる形で、生地が柔らかそうで、目立つ飾りもない。
「では、着てみましょうか」
店の奥の、布で仕切られた場所へ案内された。
借りたシャツを脱いで、青い服を頭からかぶる。
首元を通そうとしたところで、止まった。
布が、角に引っかかっている。
頭を右に傾けてみる。動かない。左に傾けると、今度は反対の角が引っかかった。
「……む」
腕を上げたまま、もう一度引っぱってみる。布が顔に張りついて、前が見えなくなった。
……出られない。
「ハクさん? 大丈夫ですか?」
仕切りの向こうから、アリメルの声がした。
「……角が、引っかかった」
「えっ」
仕切りの布がめくられて、誰かが首元の布を少しずつ広げてくれた。ようやく、頭が抜ける。
目の前に、アリメルと店の女の人の顔があった。女の人は、私の角と、手元の服とを見比べている。
「首の詰まったものは、難しそうですね」
「……毎回これは、いや」
「そうですよねえ」
女の人は少し考えてから、別の棚へ向かった。戻ってきた手には、同じ淡い青色の、前に小さな留め具が並んだシャツがある。
「前が開くものなら、袖を通してから留めるだけですよ」
袖を通して、前を留める。
今度は、どこにも引っかからない。
「……これがいい」
「ふふ。着るたびに大変なのは困りますものね」
アリメルが、口元を押さえて笑った。
……そんなに面白かっただろうか。こっちは、わりと必死だったのだけれど。
それから、同じ形のシャツをもう一着と、膝下までのズボンを二本、少し厚手の上着を一着選んだ。下着も何組か揃えてもらう。
上着は、アリメルが選んでくれた。
「これから、朝晩は冷えてきますから。一枚あると安心ですよ」
品物をまとめ終えると、女の人が私の方を向いた。
「このまま、着て帰られますか?」
袖が手首で止まるだけで、ずいぶん楽だ。ずり下がらないズボンも捨てがたい。
「……着て帰る」
仕切りの奥で着替えを済ませる。選んだものと、借りていたシャツとズボンを、女の人が手際よく布で包んでいく。その間に、アリメルが代金を払った。
「……それ、アリメルのお金?」
「いえ、ギルドのお金ですよ。お部屋やお食事と同じで、森で保護した方の身の回りのものは、ギルドで用意するんです」
アリメルは、何でもないことのように言った。
とはいえ、目の前で自分の服の代金を払ってもらうのは、どうにも落ち着かない。
「……ありがとう」
「どういたしまして。必要なものを揃えるのが先ですから、気にしないでくださいね」
気にしないで、と言われても、少しは気になる。
包みは三つになった。アリメルが二つを抱えて、残りの一つを私に差し出す。
「こちら、お願いできますか?」
「……うん」
受け取ってみると、見た目ほど重くない。
森を出た時の持ち物は、着ていたワンピースと靴だけだった。荷物を抱えて歩くのは、この世界に来て初めてだ。
ギルドに戻った頃には、通りの影が長くなっていた。
部屋で包みを開けて、服を畳み直す。机の上に自分の服が重なると、借りている部屋も、少しだけ自分の部屋らしく見えた。
*
夕食は、焼いた肉と野菜に、パンと温かいスープだった。
食べ終えて器を下げてもらったところで、アリメルが机のそばへやって来た。
「ハクさん。このあと、少しお時間をいただけますか? お話ししたいことがあるんです」
声は柔らかいけれど、昼間より少しだけ改まっている。
「……いいけど。ここで?」
「できれば、落ち着いて話せる場所がいいのですが」
一階は、夕食どきの冒険者で賑わっていた。
「……私の部屋なら」
「では、お邪魔しますね」
部屋に入ると、アリメルに椅子を勧めて、私は寝台の端に腰を下ろした。
アリメルは膝の上で手を重ねて、少しの間、言葉を探すようにしていた。
「今朝、ハクさんは、眠っている人の夢が見えると話してくださいましたね」
「……うん」
「そのことで、ご相談があるんです。この街に、長いあいだ眠ったまま、目を覚まさない方がいらっしゃるんです」
「……眠ったまま?」
「はい。お医者様にも、治癒魔法を使える方にも診ていただいたそうなのですが、身体に悪いところは見つからなくて。それなのに、目を覚まさないんです」
眠ったまま、起きない。
「リリア・リュミエール様。この辺りを治めていらっしゃる、辺境伯様のお嬢様です」
辺境伯。
前の世界で読んだ小説に、そんな爵位が出てきた気がする。どのくらい偉いのかまでは覚えていない。でも、この辺りを治めているというなら、かなり偉い人なのだろう。
「ハクさんと、同じくらいのお年なんですよ」
……たぶん、見た目の話だ。
「辺境伯様からは、ギルドにもずっとご相談が来ていました。珍しい薬や、変わった魔法に詳しい冒険者はいないか、と。ギルドマスターも、気に掛けていたんです」
アリメルは、私の顔を見た。
「普通の方法では分からないことが、ハクさんなら分かるかもしれない。そう思ったんです」
夢が見えることと、起こせることは別の話だ。
「……夢は見られると思う。でも、起こせるかは分からないよ」
「ええ。治してほしい、というお話ではないんです。まずは、夢の中に何か手がかりがないか、見ていただけたらと」
それなら、できそうだ。ただ、一つ気になることがある。
「……その人は、いいの?」
「と、言いますと?」
「……夢を、見られること」
フィルとフェンは、自分から引き受けてくれた。でも、眠ったままの人には、いいかどうかを聞くことができない。
アリメルは少し目を見開いてから、ゆっくり頷いた。
「……そうですね。ご本人に確かめられない以上、辺境伯様にお話しして、ご判断いただくことになると思います。それに、ハクさんが夢で見たことを、全部周りへ話していただく必要はありません。お伝えするのは、必要なことだけで構いませんから」
「……それなら、いい」
「ありがとうございます」
アリメルは、少しだけ表情を緩めた。
「急なお話で、すみません。昨日いらしたばかりなのに」
「……なんで、今日なの?」
「明日、ギルドマスターが、森の調査のご報告で辺境伯様のお屋敷へ伺うんです。その時に、ハクさんの力のことをお話ししてもいいか、先に伺っておきたくて。ハクさんの知らないところで勝手に話すわけにはいかない、とギルドマスターも言っていましたから」
明日。
それで、今日のうちに話しておきたかったらしい。
「……お屋敷に、私が行くことになるの?」
「お話がまとまれば、そうなると思います。その時は、私も一緒に参ります」
知らない偉い人の家に、一人で行くのは気が重い。アリメルが一緒なら、だいぶましだ。
「……それって、仕事になる?」
「はい。お引き受けいただけるなら、ギルドを通した依頼として扱います。報酬や条件も、先に確かめておきますね」
依頼。報酬。
ゲームでよく見た言葉だ。報酬といっても、この世界で何がもらえるのかは分からない。
ただ、何かもらえるなら、今日の服の分くらいは返せるかもしれない。
それに、ずっと眠ったままの人が、夢の中で何を見ているのか。それは、少し気になる。
「……見るだけなら、たぶんできる。でも、何も分からないかもしれない」
「それで構いません」
アリメルの声が、少し明るくなった。
「では、明日、ギルドマスターから辺境伯様へお話ししてもらいますね。お返事をいただけたら、またご相談させてください」
「……分かった」
「ありがとうございます、ハクさん」
アリメルは立ち上がって、扉の前で振り返った。
「それから、そのお洋服。よく似合っていますよ」
言われて、自分の袖を見下ろした。
店から着てきた青いシャツのままだ。袖は、ちゃんと手首で止まっている。
「……ありがとう」
アリメルが出ていってから、寝間着代わりに借りたシャツへ着替えた。青いシャツは畳んで、机の上の服に重ねておく。
寝台にもぐり込んで、毛布を引き寄せた。
明日、ゴンザが辺境伯のお屋敷へ話をしに行く。返事がいつ来るのかは分からないし、今考えても仕方がない。
枕の上で頭の位置を直すと、すぐに瞼が重くなった。
お昼過ぎまで二度寝していたのに、まだ眠れるらしい。我ながら、よく眠る。
焼きたてのパンの匂いを思い出す。朝に行けば、もっといい匂いがするそうだ。
……明日の朝も、たぶん起きられない。




